第18話【はしごの上の異世界】

 ようやく上方彼方に明かりが見えた。あともう一踏ん張り! 最後は〝這い上がる〟といった形で身体を引きずるように出口へともっていく。


 ——目の前、天井は高くどこまで奥行きがあるのか分からない部屋の中。そんなだだっ広い部屋の中、ごちゃごちゃとうずたかく床にナニカが積み上げられている。これはどういう出口だ?、と今度は振り向けば、そこには暖炉。

 暖炉の中から出てきたのか。やばそうだな。燃やされたりしないのか? そんなことを考えていると王子、仮称井伏さんの順で続けて暖炉の中から這い出てきた。やはりそういう順番か。

 しかし着いてみると、あっさり、ということばが相応しいほど近かった。はしごを昇っていた時間は一分以上二分未満といったところか。ほんとにこれで別の宇宙に来たのか?


「いつ見ても凄まじい部屋だねえ」王子が言った。

「当たり前です。わたしの部屋なんですから」仮称井伏さんがなにげにとんでもないことを言う。ここ、そうなの⁉

 他人の部屋というものは興味をそそるものだ。ましてそれが異性の部屋ならなおさら。しかも王女さまときたもんだ。改めてこの広い部屋を見廻してみる。


 王子の言ったとおり。凄まじい。なんという汚部屋だ。いや、厳密には汚くない。食いかけの食べ物や食べかすや使い終わった皿が放置してあるとかそういう汚さじゃない。汚く見えるだけだ。その原因はあまりにも物が多すぎることに尽きる。しかもその物の大半以上ほぼ全ては本だ。この部屋、普通に立っていたのでは床がほとんど見えない。床という床に本が平積みになっていてどの山も腰くらいの高さがある。その本にアクセスするためなのか縦横無尽に通路が造られ、この部屋の広さと相まってさながら迷路のよう。

 これまで見たことも無い部屋、実に異世界感満点だ。


「ああカモさん。暖炉のことなら気にしないでくださいね。この部屋で火を使うことはありませんから」仮称井伏さんが言った。


 これだけの紙の束が集まれば火は使いたくなくなるかもなぁ。


「それにこの部屋は基本的にわたし以外の者の出入りを禁じてありますから」

「え、だけど王子とふたりでこの部屋からガレージへと来たんだよね?」と思わず口に出た。

「あれは仕方ないです。婚約者だからという理由で嫌だったんだけれども部屋を見せたら隙を見て暖炉に日本という国へのトンネルを造られてしまったのです」

「隙、程度の間で?」俺がそう言うと、王子が喋りだした。

「カモさんも気づいただろう? 時間的には意外に近かったと。探し出してつなげるのはすぐできる——そんなことよりカモさん。公国に来たけど、この後どうやって桃山さんを探し出して助ける?」


 この質問に俺は詰まる。勢いだけでここに来てしまったが先々のことを考えていたわけじゃない。俺は意味もなく窓際に歩いていった。少しでも考える時間を稼ぐために。

 窓の外の景色が目に入る。広大な庭が見える。芝の緑がきれいだ。よくよく手入れがされている。そして白い塀。その向こうは大通り、街並み、高層建築は無いので見晴らしが良い。行き交う自動車が見える。さらに向こうの彼方に広そうな川。大きな船がたった今通り過ぎるところだ。


 ここ、異世界か?


 ガレージから暖炉へと続くトンネルを抜けるとそこは異世界だった——


 そんな感じで今ここに来ている。宇宙の他の星へ来たと言うより異世界的到着をしたってのに——


 俺は俺の手を見る。握ったり開いたり。


 なんか普通だ。なにも変わりが無い。なんか特殊な力がみなぎってくるとかそういうのは無い。


 異世界って普通の人が普通じゃない活躍をできる場所っていうイメージが……


 再び顔を上げる。

 川向こうもまた街並み、さらにその向こうには雪を頂く大山脈。山がずいぶん近くに見える。山のところだけはまるで信濃大町だな。観光地として申し分無さそうな国だ。ってこんなこと考えている場合じゃないっ!


 大山脈の上方、空に視線を固定する。魔法的なナニカっぽい術で人間がフライングヒューマノイドをやっているとかも全然無い。

 車が走って船が通ってどうも魔法は無さそうで科学はあって宗教なんかもあったり——


 ……間違いなくここは普通の世界。異世界だけど普通だ……そして俺には何らかの能力も与えられていないっぽい。これまた普通。これで俺に活躍しろというのか?


「おーい、カモさん」と王子の声でハッと我に返る。

「交渉によって助ける」俺は王子に向けて極めて当たり障りのない回答をした。桃山さんをどう助けるか、という回答がこれだ。が、言ってる本人になんの成算も無い。王子も仮称井伏さんも黙り込んでしまった。やはりこれでは『実はなにも考えていなかった』を地でいっているようなものだと気づくよな——。


「——ただ」

「ただ?」王子がおうむ返しに言う。

「犯人と桃山さんを探し出す方法が問題で、それについて考えている最中です」と口が勝手に喋っていた。だいたい『最中です』っていう言い方がおかしい。おかしくなっている。

 その一方、自分で言ったことに自分で感心する。実に中身の無いことをもっともらしく言ったものだと。しかし仮称井伏さんがなぜかうなづいている。

 これって自分で自分を誉めて……いいのか?

 ここで王子が口を開いた。

「カモさん、どうして君はそう落ち着いているんだ?」


 俺は王子のヤツに言ってやりたかった。なんてことを言うんだ! 何気に俺を追い詰めているじゃねーか。それは俺自身も思ってるんだよ! 俺はなんで落ち着いていられるんだって! 桃山さんの意志がどうあれ誘拐されてしまったことは間違いない。本来ならもっと取り乱さなくちゃ人として失格じゃないかって。


「いや、別に他意は無いんだ」と王子。

 そっちが無いと思っていても、こっちにはあるように感じるぞ。

「ただ私はね、周りから感情的だとか落ち着きがないだとかいろいろ言われるんだよ。自分では人並みだと思っているのに——。だから後学のために教えて欲しい。どうしたらそう振る舞えるんだ?」

 改めて問うなよそんなこと。困った。困った。困ってしまい——————。


「無事、有事のごとく、有事、無事のごとし。久坂玄瑞のことばだ」と俺は言った。思いつきでたまたま知っていたことを口にしただけだった。

「聞いたことがないな」王子は言う。まあ当たり前だろう。辞書に載っているはずも無いし。

「『無事』、つまり平穏な時でも、『有事』、つまり事件が起こったときのことを想定し心の覚悟を定める。こうすることにより事件が起こったときであっても平穏なときと同じように心を維持できる、という意味だ」


 たぶんこれで合ってるだろう……と思う。これを受けて王子が言う。

「なるほど、カッコイイね。そして常識的でもある。確かに平穏なときにのほほんとたるんでいる者なのに事件が起こったときに限って超人的活躍をする者なんているわけない。今度私もその台詞使ってみようかな」

 ウン、異世界だからって超人的活躍はできないのだ。

「台詞を使うんじゃなくて実践してください! だいたいあなたがそれを言うより前に、カモさんがもう一度言う機会が来るのが先ですよ」仮称井伏さんが言い出した。

「どういうこと?」と俺が問い返す。

「わたしのお父様に会っていただきます」

 え?

「それじゃカモさんがミーティーと結婚するみたいじゃないか」王子が口を尖らせる。

「じゃあ言い換えます。大公様に会っていただきます」

「タイコーさま?」そう抜けた声が出た。一瞬俺の頭の中に豊臣秀吉の顔が浮かんでしまった。

「公国の国主を大公と言うんですよ」と王子がレクチャーしてくれた。知らんぜそんな事。

「その人に会ってどうするの?」

「国交も無い他国の外交官が勝手に動き回れば目くじらを立てられます。お父……じゃなかった大公様から『追い出されることはない』程度の約束は取り付けてください」

「外交官ネタ、ほんとにやるの?」

「当たり前です。やらないとここから追い出されます」仮称井伏さんが言い切った。

「やっぱ外交官はマズい!」俺は慌てる。

「どうしてです? とーこさんを助けるんじゃなかったのですか?」

「いや、マズイよ。それ。だって俺が外交官としてこの国に来たってことにしたら『この国の人間の中に犯人がいる』って見てることになるじゃないか。そんなこと大公様って人に言ったらきっと怒り出すに決まっている。だいたい井伏さんだってこの国の人間が犯人だと思いたくないんだろ?」

「『いふせさん』ってミーティーのことだよね? 『ミーティー』の方がいいよ」と王子。ここで仮称井伏さん。

「断ります。これは向こうの世界でのあだ名なんですから。これはこれで大事にしたいんです。あなたも『ミーティー』なんていうあだ名勝手につけているんですからもうひとつくらいあってもたいした問題じゃありません」

「すいません王女」

「これからも井伏さんでいいですよ」

「しかしそういうものというか、自国の人間が犯人であるわけない、と思いたい感情はあるでしょう?」

「それは……否定できませんけど……」

「いや、十中八九、公国の国籍を持った者の中にいるだろう」王子が言った。まさか拗ねてしまったのか?

「もう国王陛下のところに外務省から報告が来たのですか?」仮称、いやただの井伏さんでいいのか、井伏さんが核心事を訊いてくれた。

「さすがにまだ聞いていないので十のうち、二か一くらいは犯人じゃないと言っているんだけど」

 まーた痴話喧嘩が始まるのか……「あなたは——」と井伏さんが言いかけたところで俺が介入した。たった今重大な事に気がついた。犯人の国籍が確実に断定できないのでは大公様への話しの持っていき方に困るじゃないか。

「大公様に『公国の人犯人説』を話すにはにそれなりの拠り所が必要だろう?」と訊くしかない。

「カモさんと犯人グループのやり取りを聞いてそういう風に思えただけ」王子が答える。

「つまり今のところカンってことじゃないですか」またも井伏さんが噛み付く。

「そう、今はカンです」

「カンでひとの国のことを悪く言うなんて」

「じゃあカンで自国のことを悪く言えばおあいこになるね」と王子は言い、続ける。

「これは私のカンだけど、犯人グループが逃げようとしたから衝突が起きたんじゃなくて、衝突が先に起きたから犯人グループが逃げようとしたんじゃなかろうか」

「それはつまりあの警察官が先に仕掛けた、ってことか?」俺が問う。

「そう、突入させたんだろう。強行突入だ」

「いくらなんでも現場は日本だぞ。逮捕権の無い他国の警察が勝手に……」と、ここまで言ったとき俺は言うのを止めた。日本国との外交関係なんて王子の国が気にするわけないじゃないか。元々そんなものは無いんだから。と気づいたからだ。それに外交関係があったとて……あれは警察ではなかったが確かに俺の方の世界でもU国がP国の国内で勝手に突入作戦を仕掛けていた。それを思い出した。

「犯人たちは過信したんだろう。ここは異世界だ。まさか来ないだろうと——」

「しかしあいつらもドアにトラップを仕掛けていたようだったけど」

「ドアに何かが仕掛けてあるならドアじゃないところから入ればいい」

「ドアじゃないってじゃあ窓か?」

「おそらく窓にもなにか仕掛けてあったろうな」

「じゃあ入れないじゃないか」

「きっとどこかに穴を開けて突入したんだと思う。屋根か、壁か」

 ……木造家屋なら……どこからでも行けるか……異世界だからって調子に乗って無双感を持っちゃいけないっていう他山の石だなこれは。


「わたし大公様にカモさんのこと知らせてきます」井伏さんが突如宣言する。話しが強引に元に引き戻されたと言っていい。無駄口を叩いている時間はありません! という意味かもしれない。もう試練の時が来るのか⁉ ぜんぜん心の準備が‼ しかしもう井伏さんは部屋を飛び出しかけていた。

「カモさんがんばって。それからそこのあなたっ! わたしの本に触らないでね!」とことばを残して。行ってしまった。

 王子とふたり、井伏さんの部屋に残される。重苦しい時間。どれだけ経った?

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