27. 講師と教え子、そして運命


 春の日差しが優しく朝を伝え、街の中でも人々の生活音が少しずつ響き始める。昨日の不安定な気候とは打って変わり、今朝は素晴らしい快晴となった。


 心地良い穏やかな朝日の下。トーレンス州領主アスレイン家の敷地内に広がる全く手入れの行き届いていない庭で、そこに暮らす領主一家の一人娘が魔術の指導を受けていた。ただ指導といっても雰囲気は和やかで、大きな声が聞こえてくるようなこともない。響いているのは主に若い男の理路整然とした声である。


 「さて、お嬢様。既にご存知かと思いますが、魔術を扱う上で最も重要となる要素がマナと呼ばれるものです。これは我々の全身を血液と同様に循環し、生命機能の維持に大きく関与しています。お嬢様の場合、この循環は上手く行われていましたが、マナを魔術として扱う際に必要な放出の部分が阻害されていたため、魔術の行使が上手くいかない状態になっていたということです。循環の障害はマナの扱いを間違えると起こりうる症例ですが、こういった事例は珍しいのではないかと思います」


 この説明を聞いたユリシアはこれまでに学んでいる知識と照らし合わせながら、少し前までの自分がどのような状態であったのかを理解した。マナの循環障害については授業でも聞いたことがあり、魔術の過剰行使やマナの暴走などによって引き起こされるらしい。この症状は広く知られているため、対処法や治療法も確立されている。彼女自身もそれらのいくつかを試したことはあったが、結果として意味を為さなかった。


 過去の記憶を思い出しながら、どうしてそのような珍しい症状に自分が悩まされていたのか彼女は気になった。今ある知識で考えても理由は分からず、目の前の講師に疑問をぶつける。


 「あの、シオウさん。私がそうなった原因として、どんなものがあるのでしょうか?」


 問いを受けた彼は一瞬だけ困った表情を見せたが、それもすぐに消えて申し訳なさそうに返答した。


 「憶測は出来ますが、どれも確証がないので納得頂ける回答は出来ないかと・・・。原因についてはともかく、現在お嬢様のマナは正常に放出される状態になっています。そしてお嬢様からの強い要望もございましたので、今日から魔術の練習を始めようかと思っているわけですが・・・」


 何故答えを知りながらも嘘をついて隠したのか。その理由を知るのは彼のみだが、きっとその事実を伝えることに意味を見出せなかったに違いない。


 上手く誤魔化せただろうかと一抹の不安を抱えながら、シオウはユリシアの興味を魔術に向けようとした。その彼の手助けをする意図があるのかは定かではないが、この場を見渡して言葉を途切れさせた講師に対して、彼の講義を近くで聞いていた女騎士が声をかける。


 「一番マナ特性の近いクレア様がまだお休みになっておられる、と・・・」


 内心で感謝しつつ、シオウはその流れで会話を続ける。


 「クレア様は朝が苦手なのか?」


 昨日の一件を通して気軽に会話をする仲となったエレナに対し、シオウはユリシアやクレアに使うような丁寧な言葉ではなく、距離の近い言葉で会話するようになっていた。


 男嫌いの女騎士にも著しい変化があり、敵意むき出しの態度はどこへやら。本当に男嫌いかと疑うほど楽しそうに彼と接している。


 「そうね。王族としての仕事があるときや朝稽古を行う日は大丈夫だけど、基本的にこの時間帯はお休みになっているし。それに、無理に起こすと機嫌を損ねるし、苦手といってもお腹が空けば起きてこられるから、いつもはそれまで待ってるわ」


 「そうか。とはいっても、マナの扱い方から始めるつもりだし、クレア様の出番はもう少し後だから問題はないな。エレナは何か気づいたことがあれば指摘してくれ。王国とカザツキで認識が違うところもあるはずだから」


 「ええ、分かったわ」


 二人の会話を複雑な心境で見守っていたユリシアは無意識のうちにふくれっ面になっていたが、シオウが彼女に向き直ったときにはその表情が消えていたため、誰も気づきはしなかった。


 「そういうわけなのでお嬢様、まず初めにマナの基本的な操作をお教えしますね。大切な点は制御ですが、それにはまず自身のマナをきちんと知覚する必要があります。獏然とあることは既に分かっておられるかと思いますが、その流れや保有量、特性など、様々な要素を把握しなければ上手く魔術は扱えません。今日はこれらについて確認した上で、簡単な魔術を使ってみるところまでやっていきましょう」


 「はい!頑張りますっ!」


 期待や嬉しさ、向上心が先の気分を上回ったのだろうか。やる気に満ちた返事と共に、朝日を浴びて輝く花のような笑顔が元気に咲いた。




 「さて、そろそろ朝食にしましょうか。お嬢様もご自身のマナについて理解が深まったようですし、ちょうどキリも良いので」


 いくつかの説明の後、ユリシアのマナについて分析と簡単な指導を終えたシオウは一休みすることを提案した。タイミング的に最適であると理解している二人ももちろん同意し、もともとあまり堅苦しくなかった空気がさらに緊張感を失って緩む。


 あまり長くはなかったものの、充実した時間を過ごしたユリシアは楽しさや興奮を隠し切れないまま、密度の濃い時間をくれた講師に感謝を告げた。


 「シオウさん、ありがとうございました!学園で習う魔術の講義とは違うのでちょっと戸惑いましたけど、すごく分かりやすかったです。マナの使い方もコツを掴めた気がします!」


 「お嬢様のためになったのであれば光栄です。お嬢様は素直で飲み込みも早いですから、自分としても教え甲斐がありますよ」


 褒められてさらに上機嫌となったユリシアは照れ笑いを浮かべながらも、力強い意思を持って今後の決意を口にする。


 「えへへ、そうですか?夢の実現に向けた第一歩ですし、これからも頑張ります!」


 「はい。これからも傍でお手伝いさせて頂きます」


 甘ったるいと言っていいのか分からない二人のやり取りを見て、落ち着かない様子でそわそわしているのが、いまだにお休み中のお姫様に仕える近衛騎士の少女である。


 昨晩、冷静になってその日の出来事を振り返った彼女は、もしかして吊り橋効果というものが働いたのでは?と疑問を抱いたりしたが、たとえそうであったとしても自分自身が良い方向に大きく変わったことは事実であり、原因が彼にあることも明白だったため、浮かんだ疑問は泡の如く消え去った。


 つまり何が言いたいかというと、ずっとユリシアと会話しているシオウに、彼女も構って欲しいのである。


 ただ、彼女が直接そのようなことを頼める性格であるはずもなく、話題となっている魔術について話を振ることしか出来なかった。


 「ねえ、シオウ。カザツキってこんなにも魔術の理解が進んでるの?少し前まで鎖国状態だったとはいえ、ここまでレベルが違うなんて知らなかったわ」


 男性を下の名前で呼び捨てにしていることに対し改めて自身の成長を感じながら、エレナは問いを投げかけた。


 彼女が言葉にしたことだが、カザツキ皇国の歴史は複雑で、一国の統一国家から五大国へと分裂してしばらくの後、他の四国との交流を一切行わない時代があった。その原因について歴史学者の見解は様々あり、事実ははっきりしていないというのが現状だ。そのような背景もあることから、こういった疑問を口にしたのだろう。


 問いの裏にあった女騎士の構って欲しいという願望に講師の彼が気づくはずもなく、出身国を頭に浮かべながら至って真面目な返答をしてしまう。


 「いや、カザツキという国単位ではそれほど他国と変わらないと思うぞ。魔術の研究が進んでいるのはほんの一部の研究機関だけで、それを広めることはしていないから。調べ方が特殊だから、そこを追求されるのが面倒だったんだろうな」


 「それならひとまず安心だけど・・・、いいの?」


 現在、各国の戦力レベルは拮抗した状態と言われているが、そのバランスが崩れた場合には大陸統一に向けた戦争が起こることも当然懸念されている。魔術研究の成果もこのバランスを壊す可能性があることから、エレナとしてもカザツキが圧倒的な力を有しているわけではないと知ってホッとしたようだ。ただ、それとは別に心配することもあったため確認を取るように、いいのかと尋ねた。


 だが講師は彼女の心配を上手く汲み取ることが出来なかった。


 「どういうことだ?」


 「はぁ。鎖国するほど他国を警戒してたのに、その他国の貴族に魔術を教えて大丈夫なのかって聞いたのよ」


 呆れたように溜息をついたエレナは、大体どのような返事がくるか分かっていながらも言葉を補足して尋ねた。


 彼女の予想通り、シオウは落ち着き払った様子で返答する。


 「ああ、それなら別に気にしなくても大丈夫だ。今のカザツキは俺の行動で何か不利益を被ることなんてないし、一応許可もとってある」


 「シオウがそういうなら大丈夫なんでしょうけど・・・。ところで、この国の常識と違う部分も多いし、ついでにワタシも教えて貰っていい?」


 「もちろん」


 「ありがと。それにしても、マナの特性評価とか、各場面でのマナの挙動とか、他にも色々、こんなに詳しく分かっているなんて思いもしなかったわ・・・」


 思いのほか深刻に考えている様子の女騎士を見て、本当に真面目だよなとシオウは思った。そういう点に好感は持てるが、この件は今ここで考え過ぎることでもない。彼はひとまずこの話を区切ることにした。


 「まあこの話は一旦置いておくとして、とりあえず朝食にしようか」


 「それじゃワタシはクレア様の様子を見てくるわ。恐らくそろそろ起きておられる頃だと思うし」


 「分かった。お嬢様と先に行ってるからクレア様のことは頼む」


 やり取りを終えた二人は、それぞれ自身が仕える主のところへと向かった。このとき、ユリシアの表情が不安や疑問など複雑な心境を映し出していることに気づいたシオウであったが、そこに踏み入るのはどこか危ない気がして掛けようとした言葉を飲み込む。


 ただ、その原因を考えたときに何となく答えを察することが出来る程度には、人の感情や現状を把握する力が身についているという自負があるシオウは、そこまで大きな問題ではないだろうと判断した。


  (さて、今日中にどこまでお教え出来るか・・・)


 グリフォンの襲撃により騒然としたトーレンス州内であったが、結果的には特に被害も無く日常を取り戻している。そのため学園の授業も明日から通常通り行われる予定だ。


 この一件で適切且つ素早い対応を見せたアスレイン家の令嬢に対して、これまでのように悪質な嫌がらせをする輩がいるとは思いたくないが、何せ思春期の不安定な精神状態である。逆にあのときの不安をぶつける矛先がユリシアへと向かう可能性も考えられる。


 だからこそ、ユリシアには魔術をある程度扱えるようになって貰い、自信を持って堂々と、将来領主になるという目標を周囲に表明することが望まれる。


 (お嬢様がそこまで考えておられるかは分からない。しかし、この機を活かすことが出来れば大きく周囲を変えることも出来るはず。それがお嬢様にとっての最良な道であるなら、実現させるのは自分の務めだ)


 強い決意を胸に、守るべき主人の少し後ろを歩きながらその背中越しに、彼女の将来を思い描く。運命というものがあるならば、強大なそれに縛られている彼女の道には多くの困難が待ち受けているはずだ。そしてここに自分がいることもまた運命であるなら、過去の悲しい結末を繰り返さないよう必死に足掻くと、シオウは覚悟をもって心に誓う。



 春の涼しくもあり暖かくもある陽気は、屋敷に向かって歩みを進める二人の、どっちつかずの未来を暗示しているのかもしれなかった。



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 見渡す限り白一色に支配された、この世ならざる異質の空間。ただ一つそこにある存在が、感情を読み取れない無機質な声で小さく呟く。


 「ついにこの時が来てしまったか。龍と巫女、そして白炎の根源である【白帝眼】を継承した者たちが集いし、運命の時が・・・。ようやく見つけた巫女の殺害は阻まれ、その力が覚醒して龍の力を蘇らせた。【白帝眼】の持ち主は力の継承を終わらせるために行動を開始し、我が世界の歯車を狂わせ始めている。さて、運命の歯車を壊して己の道を歩むのは、我か、それとも其方らか・・・」


 己が運命と対峙し、それに抗う者たち。


 彼らに待つ未来が如何なるものか。それはどのような力を以ってしても、今は見通すことができない。



 龍と巫女と白炎と、白き世界の支配者が交錯するとき、新たな運命の炎が燃え上がる。





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