10. それぞれの夜

 「おなかすいた・・・。でもこの時間から何か食べるのもなぁ」


 落ち着いてきたことで空腹を感じたユリシアだが、今から何か食べるのは年頃の乙女としては遠慮したいところだった。両親が領主として先の件での後始末に奔走していたことから、当然のことながら夕食の準備はされていなかった。そして先ほどの出来事があって夕食のことなどすっかり頭になかったため、気づけば時間も遅くなってしまっている。


 そして現在、食事を諦めた彼女は自分の部屋で入浴の準備中だった。魔術が使えれば入浴せずとも身体を清潔に保てるのだが、彼女はまだ自身から溢れるマナを制御できていない。そのマナは目視できないものの、ずっと不安げにゆらゆらと揺れていた。


 今も落ち着いてきたとはいえ、頭の中はシンテラ王国の姫であるクレアの発言でいっぱいなのだ。その不安定な精神状態のせいでマナが乱れているため、たとえ彼女が今魔術を扱えたとしても上手くは発動できないだろう。


 「明日になればはっきりするのかな?」


 何故こんなにも不安になるのか、彼女自身もはっきりと分かっていない。彼女にとってシオウはかけがえのない恩人であり、これからも傍にいてくれると思っていた人だ。だがユリシアとシオウの間には契約や取り決めなどなく、ただ彼が彼女を救いたいと思い、彼女が救って欲しいと言っただけである。自分が救われたいと思った理由はともかく、彼の考えについては何も分からなかった。


 「もしシオウさんがクレア様のとこに行くって言っても、私には止められないよね・・・」


 不安が心を蝕み、嫌な想像ばかりしてしまう。まだ出会って一日も経っていない人と離れることを考えるだけなのに、どうしてここまで苦しいのだろうか。


 これまでその異性に対する感情を持ったことのないユリシアは、自分自身が一種の病を患っていることに気づかなかった。


 「よし、考えても仕方ないし、お風呂に入ってゆっくりしよう!」

 

 勢いよく立ち上がった彼女は、そのまま浴室に直行したのだった。




 時を同じくして、アスレイン邸にいくつかある客室の一室では一人の乙女が布団に身を包んで羞恥に震えていた。


 「い、言っちゃった!つい未来の旦那さまとか、言っちゃったよーーー!」


 美しい髪と同様に頬が真っ赤に染まっている。熱い頬を両手で押さえながら、クレアはこうなった原因を考えていた。




 これまで腐るほどの男共に言い寄られてきたが、その全てを断ってきた。理由は簡単だ。


 自分の横に並ぶことができないから。


 現に先ほども、この街の人々は彼女に戦闘を任せて誰も共に戦おうとはしなかった。彼女は絶対的な強者だが、それと同時に一人の乙女でもある。強大な敵を前にすれば恐怖を感じるし、独りで立ち向かうのは恐ろしい。しかし実力的に足手纏いにしかならないと分かっているためか誰も共に戦おうとはせず、これまでもずっと独りで戦ってきた。唯一同じ力を持つ継承者の兄だけは共に戦ったこともあったが、彼がいればクレアはあまり必要なく、一緒に戦っているという実感を持てなかった。


 王族という家柄、その中でも特に希少な継承者、人を惹きつける美しい容姿。それらだけを見ている者は、結局のところクレアを自分よりも上の存在だと決め付けていて、同じ位置に並ぶことなど考えてもおらず、その努力をすることも決してない。気に入られるように媚を売って、こちらの顔色を窺うことしかできない。


 そのような男は相手にしようとも思えなかった。そして彼女の両親、つまり国王と王妃も結婚相手については本人に任せてくれているため、無理やり相手を選ばれるといったこともない。だが同時に、異性に対してそういった関心を持った経験がないのも確かだった。


 だからなのか、それとも兄が結婚しないことを考えていたからなのか、とにかく何かよく分からない衝動に駆られてあんなことを言ってしまった。つまり彼にほぼ一目惚れをして、わけも分からず求婚紛いの発言をしたということである。


 「ダメだ、明日顔合わせられない・・・。ぜったい引かれてるよね・・・。いきなりあんなこと言い出すとかおかしいもん。顔を合わせたのだって初めてで、会話も少しだけで、まだほとんどお互いのこと知らないのに!」


 姫の威厳などかなぐり捨てて羞恥に悶えるクレアにも、高すぎるが理想の男性像というものがあった。


 まず、一緒に戦えるくらいの戦闘能力を有していること。

 次に、気を遣わない程度の年齢差であり、自身の中で好ましいと思える容姿であること。

 そして、しっかりしていて頼もしく、甘えさせてくれること。

 さらに、一緒にいて落ち着けること。

 優しく思いやりがあって、それでもきちんと自分の意見を言えること。


 などなど、これでは相手が見つかるわけがないと周囲からも思われていた。


 だがそれも今まで異性に対して恋愛感情を持ちえなかったが故の妄想のようなものだ。


 実際に彼女は、それらの条件などすっ飛ばしてあんな発言をしてしまっている。


 そういうわけで、とにかくその気持ちが大きくなりすぎて迷惑など考えず彼を誘おうとしたのだが、ユリシアという少女が話に入ってきたときに少し冷静になり、とりあえず引くことができた。


 しかしその少女が彼と仲良くしているのが気に食わなかったのか、それともただ気持ちが先走ったのか、クレアは今こうして絶賛後悔中だ。


 「あぁっ!あのときの自分を殴ってやりたい・・・」


 そんなことを呟きながら柔らかい布団を抱きしめる。だがすぐに思い立ったように立ち上がった。


 「よし、こんなときは剣でも振るしかないわ!」


 明日のことを考えると後悔と羞恥で死にたくなるため、彼女は広い客室を使って素振りでもしようと考えた。


 右手に煌く白炎が灯り、そこに一本の剣が出現する。これまで何度も繰り返した、慣れ親しんだ感覚が右手に収まる。しかしその剣が纏う白い炎はいつもより幾分弱々しく、揺れ乱れながら輝いていた。


 それでも握った剣がいつもより強い熱を帯びているような気がして、クレアは確信を得たという表情で素振りを開始したのだった。





 知らない男の声が聞こえた。その声はどこか悲しげで、しかし同時にどこか嬉しそうでもある気がした。


 『君は人間を辞めてしまったんだな。私とは違い、人の身でその力を宿してしまった』

 

 そうか。やはり俺は・・・。


 『さて、その力を得て君はどうする?私はあの方を守るためにその力を行使した。君はどのような道を選ぶ?』


 俺は―――。


 『そうか。それなら不甲斐ない先輩からアドバイスだ。彼女に力のことを自覚させてはならないし、その力のことを誰かに知られてもいけない。理由は言わなくても分かるだろう。既に勘付いている者もいるかもしれないが、それでも君にはその義務がある。同じ過ちを繰り返さないことを、私は祈っているよ』


 貴方の失敗を繰り返さないと誓います。俺が彼女を―――。


 『そうか。頼んだよ。彼女もそうだが、わが主についてもね』


 主?それはまさか―――。


 『まあいずれ分かるときが来るさ。それよりも、君はあの赤髪の子みたいな女性が好みなのかい?』


 そ、それは貴方には関係ないでしょう。


 『そうなんだけどね。久方ぶりに誰かと会話したものだから楽しくて、つい色々と聞いてみたくなるんだよ』


 俺より前にこの力を継承した人はいないのですか?


 『うん、いないよ。だってこの力は本来継承されるはずがないものなんだから』


 え?


 『そろそろ時間みたいだ。またいつか話すときがあるだろうから、楽しみにしておくよ。それじゃ、またね』


 ちょ、ちょっと待って―――



 誰かを呼び止めるように手を伸ばし、勢いよく身体を起こしたシオウは周囲を見回したが、この部屋には彼の他に誰もいない。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいるだけで、そこには人影などなく室内は静寂に包まれていた。


 「・・・夢か?いや、でも確かに話をした記憶がある。そういえばあの人の名前、聞いてないな」


 その呟きに対する返事はもちろんありはしない。だが夢の中、意識の中で誰かと会話をしたのは確かだった。会話の内容も全て覚えている。そして自分の身に起きていることも、彼にそれを錯覚ではないと理解させた。


 白い。黒だったはずの髪が。


 黄金色に輝いている。黒色の闇に染まっているはずの瞳が。


 室内に置かれている鏡を見たシオウは変わり果てた己の姿を見て納得した。


 「まあ、そういうことなんだろうな。ずっと憧れてきたものが一度死んで手に入るなんて思ってもなかったが・・・」

 

 感傷に浸っていたシオウは、ふと旧知の人間を思い出した。確か、マナの扱いと同じだとアイツが言っていたな、と彼はその人物の言葉を意識する。そして、確かに己の内にマナとは別の熱が循環していることに気が付いた。それはまるでずっと自分と一緒に存在していたかのように温かく馴染み深いもののように感じられる。


 「こんなもんかな」


 そう呟いた彼から、その力の痕跡が完全に消えていた。瞳も髪も漆黒に染まり、どこか人と違うようだった雰囲気も今は無い。


 「あ、そうだ・・・。今はそれよりも深刻な問題があったんだよなぁ」


 力の制御を終えたところで、彼は昨夜のことを思い出した。魔術で身体を清潔にしたあと、そのことを考えないようにとさっさと眠りに就いたのだが、それは逃避していただけに過ぎない。夜が明けた今、そのことから逃げるのは不可能だった。


 先ほど夢で誰かに指摘された通り、彼は正直に言えばクレアのようなタイプの女性が好きだ。というよりクレアのことが好きだ。


 もちろん彼は彼女の家柄や強さなどから取り入ろうとしているわけではなく、過去に出会って彼女の人となりを知って好きになっていた。


 とはいっても彼が恋愛感情だと勝手に思っているだけで、世間一般でいうところのそれとは異なっている。憧れ、尊敬、己もかくありたいという理想。そこに近づきたくてもっと彼女を知りたいと思ってしまう。好きは好きでも、異性としてではなく人として好きということだ。そこに同年代、美しい容姿などの条件が加わることで恋愛感情に限りなく近づき、彼はこれをそうだと思っていた。


 「まああのときはアイツとして接していたから、あの人は俺のことを知らないだろうけどな」


 そもそもシオウという世間では存在しない人間に恋愛などできるわけがなく、そういう気持ちは捨て去っていたのだ。今はこうしてシオウとして生きているが、自分には誰も幸せにできないし幸せになる権利すらないと、彼はまだ思い込んでいる。この約十九年間の人生で築き上げられた自己というものはそう簡単に変わりはしない。


 それでも今はシオウという一人の人間としてやりたいことをやると決めている。今やりたいことは、クレアに対する感情がどうであろうと彼にとっての最優先事項だった。だから最初から何も悩む必要はないのだ。それを改めて自覚したシオウに、もう迷いはなくなっていた。


 

 それぞれが様々な思いを抱きながら朝を迎え、再び顔を合わせる時間はすぐそこに迫っていた。

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