11. 二人の今後
芳しいコーヒーの香りが、五人で朝食を囲む部屋に満たされている。ユリシアだけは苦いコーヒーではなく甘いココアを飲んでいるが、そのまったりした香りはコーヒーのそれに完全に掻き消されていた。
時折コーヒーで唇を湿らせながら、厳格と表現するべき雰囲気の中で会話が続いている。最初はレナード夫妻とクレア姫が昨夜の件についていろいろと話をしていた。ユリシアにはよく分からない話が多く、彼女はその場にいても静かに朝食を口へと運ぶくらいしかすることはなかった。それでもずっと席に座っていたのは、クレアとシオウが何を話すのか気になっているからだ。
「―――報告は以上です。クレア様、昨夜は本当にありがとうございました。トーレンス州領主として心より感謝を申し上げます」
「報告ありがとうございます。ですが昨日の件はシオウくんの助けがあったから何とかなっただけで、おそらく一人では倒せませんでした」
感謝を述べるレナードに対してクレアは王族らしい凛とした態度で応え、その後少し熱を含んだ視線をシオウへと向けた。それを受けてシオウは至って冷静に、憮然とした態度で返した。
「確かにサポートはさせていただきましたが、クレア様があの魔物を倒したということが唯一の結果だと自分は考えています」
彼の態度は王族へ向けるものとして問題はなかったが、クレアは多少気に入らない様子で軽く頬を膨らませた。そして年上のレナードに対する言葉遣いではなく、距離感の近い口調に変えて再度話しかける。お姫様としては言外にもっと砕けた態度でもいいことを示したのだろう。
「謙遜しなくてもいいわよ?あの階梯の魔術をあれだけコントロールできる君の実力はこの国でもトップクラスだと思うし。マナの扱いに関してはアタシが見てきた中でもダントツよ」
「ありがとうございます」
しかしシオウは固い口調を崩さず、最低限の返答しかしてくれない。クレアは拗ねたような表情になって生真面目な表情のシオウへと尋ねた。
「もう、もっと楽しくお話しようとは思わないの?」
「自分は居場所すら定まっていない他国の人間です。この国の姫君に無礼な真似はできません」
内心では彼も、表情が分かりやすいお姫様を可愛いと思っていたが、それによって彼が態度を変えることはない。
ただ、そんな距離感の遠い彼の対応に、クレアはシオウから警戒されているのかもしれないと思った。今は考えないようにしているものの、昨夜の失言について彼女も忘れてはいない。もしそれが原因であるなら今はどうしようもないため、距離感を縮めることは一旦諦め、彼女は話を再開することにした。
「アタシは気にしないんだけど、まあ君がそう言うならいっか。で、君のことは簡単にアスレインさんから聞いてるけど、これからどうするつもりなのか聞いてもいい?」
美しい赤い瞳に見つめられ、シオウは何とも言えない緊張感を覚えた。失礼かもしれないが、一気に乾いた気がする口を潤すため、コーヒーに口をつける。そして自分の考えを言葉にした。
「お嬢様との約束があるので、しばらくこの街に留まろうかと考えています。しかし、お嬢様が自分を必要とされなくなった場合や、レナードさんが反対される場合は、旅でもしながら大陸を見て回ろうかと思っています」
きちんと自身の意思を考えた上で彼はそう答えたものの、大陸を旅するというのは今の彼にとって実現不可能なことだ。もちろんそれは彼自身が一番分かっていることだが、それが一つの夢であることも事実であった。とはいえ、シオウのそんな現状を知らないクレアはそこに疑いを持つこともなく、彼から視線を移して名前の挙がった二人に確認する。
「と、言っていますが、アスレインさんとユリシアさんはどうなのですか?」
「彼は娘の問題を解決してくれましたし、その娘が彼に懐いているようなので私に反対する理由はありません」
レナードは父として、思っている通りに考えを述べた。それに続いて、これまで完全に蚊帳の外だったユリシアも会話に入る。しかし、この場にいてもいいのかと疑問に思いながら落ち着かない心境でいたところに、いきなり話を振られた彼女は、昨夜のことを考えればクレアへの挑発とも取れる言葉のチョイスで返答してしまった。
「わ、私にはシオウさんが必要です!これからもずっと一緒にいたいと思っています!」
純粋に思いを口にしたユリシアに対して、流石に表情は変えなかったもののクレアは少しだけ嫌な気分になった。しかし相手は年下の少女で、彼女にとってはお子様みたいなものである。ここは大人の余裕を見せつけるため、軽く受け流して心的優位を保つことにした。
だが口から出た言葉に大人の余裕など微塵も感じられなかった。
「そうですか・・・。それならアタシもこの街で暮らそうかなぁ」
お姫様の気まぐれな呟きにいち早く反応したのは、シオウでもユリシアでもなくレナードだった。
「あの、失礼ですがクレア様。王都の守護というお務めはいかがなさるのですか?」
レナードは王族の姫がしばらくこの街に滞在することで起こり得る問題をすぐにいくつか思いついた。ただ、王族の意向を拒絶することはできないため、それとなく止めて欲しいという意を示したのである。
しかし、恋する乙女にその意を汲み取ることなどできるはずもなく、第三王女様は素直に返答した。
「それなら大丈夫です。レオ兄、いえ、レオン兄様だけでも十分務まるので。それに両親も何も言わないと思います。レオン兄様は次期国王ということで色々と制限をかけられていますが自分については放任ですし、唯一厳しく言われている継承した力の使用についても、昨日のようなイレギュラーな事態が起こらない限りは使うこともないでしょうから。それに、王都があまり好きではないので・・・」
最後のあたりはよく聞き取れないほど小さな声であったが、シオウには彼女が何を言ったのか読み取れていた。嫌なことを思い出したかのような暗い表情で、意外なことを呟くクレアに、彼は少し親近感を覚えた。
そういった理由だけではないが、シオウはクレアに加勢することにした。
「あの、レナードさん。失礼を承知で言わせていただきますが、クレア様がこう仰っているのですから諸々の問題はご自身でどうにかされると思いますし、構わないのではありませんか?それにお嬢様との約束に関しても、クレア様に協力して頂けるなら助かりますし」
昨夜の一件でシオウがクレアに対してどういう感情を持ったのか、それを気にしていたレナードとしては中々面白い展開になってきた。そのためか、彼はシオウの態度を特に無礼だと思うこともなく、どこか楽しそうに会話を繋いだ。
「ユリシアとのその約束というのはどういったものなのかな?」
「簡単に言えば、お嬢様の夢を叶える手助けをすることですね。これは既にお聞きになっているかもしれませんが、お嬢様の目標はトーレンスの領主としてこの街の人々を幸せにすることです。それを現実にするため、自分が手を貸せることであればどのようなことでもやってみせます。まずは魔術の使用についてですね。マナは既に放出できるようになっておられるので、魔術指導についても任せていただきたいと考えています」
真剣な眼差しで決意を告げるシオウから異常なほどの熱量が感じられ、レナードはまだ出会って間もない彼に期待すると同時に、どこか不安を覚えた。だがそれは気のせいだろうと考え、素直な考えを言葉にして返す。
「シオウくんの実力は知っているから、それは構わないよ。ただ、それにクレア様がどう関わるのか、私にはよく分からないのだが・・・」
「そうですね・・・。たとえば、レナードさんは青系統の魔術が得意ですよね?」
少しだけ悩んだ様子で尋ねられた質問から、目の前の青年が何を言いたいのかおおよそ把握したレナードは、そうだねと言って首肯した。
肯定されたことを確認して、シオウはユリシアとクレアの方へ一瞬だけ視線を向けてから口を開いた。
「自分は黒系統が得意なのですが、青系統に限らず他系統に関しては、低い階梯ならともかく高位になると発動が遅く、正直苦手としています。お嬢様は白系統と赤系統が得意なようなので、自分よりもクレア様を参考にした方が効率的かと思いまして」
予想した通りの理由にレナードは納得したが、しかし分からないこともあった。それは話を聞いていたクレアも同様のようで、レナードよりも先に問いを投げかけた。
「ねえ、まだユリシアさんは魔術使ったことないんだよね?」
「そうですね」
「どうしてアタシと得意な系統が一緒だって分かるの?」
何故そのようなことを聞くのかと疑問に思いながら、シオウは当然のように答えを述べる。
「マナを視れば分かりませんか?」
「「「・・・」」」
疑問符と沈黙が空間を支配した。部屋の空気からその理由をシオウはすぐに理解した。自分の中の当たり前が、他人にとってもそうであるというわけではないということを。
「すみません。自分の基準がずれていました。これまであまり誰かと価値観の共有をした経験がないもので・・・。それはともかく、そういうわけでお嬢様の魔術指導にクレア様がいてくださると助かります。レナードさん、どうでしょうか?」
やはり素性は分からず、保有する力も脅威であるが、たとえ彼が何者であろうと、娘とこの街を救ってくれた事実は変わらない。その彼が理にかなった提案をしているのだから、レナードとしても断るつもりはない。ただ、確認するべきことは聞いておきたかった。
「つまり、シオウくんとクレア様がユリシアの魔術講師をやってくれるということだね?」
「はい」
もちろんシオウは肯定したが、レナード、というよりもアスレイン家には少し問題があった。
「うーん、それは有難いことではあるけど、アスレイン家は今、金銭的な余裕がなくて報酬をあまり出せなくてね・・・」
ここ数年、各地で魔物の動きが活発になっていることから、街の防衛を強化するという政策は適切な判断であったのだが、結界の構築やそれに伴う分家の転居など、税金だけでは費用が足りず、私財を多く投じてしまった結果であった。
グリフォンのような高位の魔物に対してはその結界もほぼ無意味であったが、活発といっても高位魔物の出現が頻繁に起こっているわけではないため、彼らの対策が住民を守る上で有用なことは間違いない。
しかし、結果としてアスレイン家は貴族として考えられないほどに金銭面で苦労している。
このような事情を簡単に聞いたシオウだが、彼にとってそれは問題でも何でもなかった。
「自分には報酬は必要ありません。屋敷に住まわせて頂けるなら幸いですが、それに関しても基本的には自分で何とかできますので。そもそも自分がお嬢様の力になりたいと思って自己満足でやっているようなものなので、見返りなど何も求めていません」
「もちろん、生活の場所くらいは提供させてもらうよ。部屋はたくさん空いているからね」
それくらいなら、とレナードは申し訳なく思いながらも安心したようにそう言った。
これまで自分のことも含まれていながら話を任せきりにしていたクレアも、シオウに続いて自分の意思を告げる。
「アタシも我が儘でここに残ろうとしているので、アスレインさんにはできる限り迷惑をお掛けしないようにするつもりです。流石に宿で暮らそうとすると街の人に気を遣わせてしまいそうなので、ここに置いてもらえると有難いのですが・・・」
箱入り娘という自覚があるクレアとしては不安も大きかったが、それに勝る気持ちが彼女の胸の内を支配していた。問題はいくつかあるとしても、できる限りのことをやると覚悟を決めた彼女に、その思い人が申し訳なさそうに声を掛ける。
「あの、クレア様。それだとレナードさんたちが気を遣うと思いますけど・・・」
自分の立場を考えれば誰だって気を遣うことは彼女にも分かっていた。それは領主を務める貴族の家でも同様であり、数日ならともかく、具体的にいつまでか分からない状態で王族の姫君が家にいては気も休まらない。
考えの甘さに気づき恥ずかしくなったお姫様は羞恥で頬を少し赤くしながらも、可能な限り表には出さないように努力しながら頭を悩ませた。
「あ、そうよね。うーん、どうしよう」
その様子が微笑ましく、王族であっても自分たちと何も変わらないのだということを改めて実感したレナードは、ちょうどいい場所があることを思い出した。
「それでしたらすぐ近くに離れがありますので、そこをお使いください。元々は使用人のための宿舎だったのですが、街の防衛のため一族を分散させた際、金銭面の問題で本家の使用人はいなくなりましたので・・・。一通りの設備も整っていますし、それが手っ取り早いかと」
アスレイン家の金銭面の苦労については置いておくとして、有難い申し出を受けたクレアは嬉しそうに感謝を述べる。
「ありがとうございます。それではそちらをしばらくお借りします。期間については今のところ未定ですが、早めにお伝えできるようにしますね」
笑顔で嬉しそうにしている箱入り姫の様子を可愛らしいと、シオウは密かに思っていた。そして、それを欠片も感じさせない様子の彼にとっても、そのような場所があることは好都合だった。
「それでしたら、自分もそちらでお世話になります。一家の生活空間に必要以上に立ち入るのはこちらとしても申し訳ないので」
そう告げられたレナードだったが、彼としてはシオウが屋敷と宿舎のどちらに住もうと構わなかった。とはいえ、それも彼一人で決められることではない。
「えっと、私はそれでも構わないが・・・」
困ったように呟きながらレナードが視線を向けた相手はもちろんクレアだ。
「アタシは気にしませんよ。むしろ信頼できる人がいた方が安心できますし」
表面上は努めて冷静にそう口にしていたが、彼女の内心は歓喜で溢れていた。
(やった!よく分からないけどシオウくんと二人、同じ屋根の下なんて!一緒にいられる時間も多いし、何か起こってもおかしくないよね!)
ウキウキ気分のお姫様の心情は王族として鍛え上げてきた外面に隠されて読めないが、シオウはマナの波長からおおまかに感情を読み取ることができる。ただ、実際にはそんなことをしなくとも昨夜の発言から彼女の心情は容易に想像できてしまう。現にレナードは微笑ましくクレアを見ていた。
それに、乙女の感情面が分かっていなかったとしても、シオウが今の意見を変えることはない。ユリシアへの指導の手助けという理由はあれど、クレアの我が儘に助力したことに変わりはないのだから、それによって生じる責任は負って然るべきである。
「自分としてもクレア様の護衛を務めるつもりでしたので、近くにいた方がやりやすいですしね」
護衛の件についてはレナードが最も懸念していたことだ。他国に隣接しているこの街は人の出入りがそれなりに多く、厳重に警備はしているものの、王都に比べればやはり劣ってしまう。そのため、とある国の刺客や諜報員が入り込む危険性も大きくなるのだ。
こういった事情から、継承者であるクレアの実力が抜きん出ているといっても、万が一を考えれば腕の立つ護衛が必要だった。しかし、アスレイン家にはその護衛を準備する算段がつかない。
「それもそうだね。こちらで護衛は用意できそうにないからシオウくんに頼りきりになってしまうけど、よろしくお願いするよ」
だからこそ、その役目をシオウが引き受けてくれるのなら、レナードとしても安心できる。
シオウに任せておけばクレアのことは何とかなるという曖昧で根拠のない確信が、領主の言動には見え隠れしていた。
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