12. 姫の憂いと、母の助言

 今後の話が徐々に纏っていく中、当事者のお姫様もただ恋する乙女気分でいたわけではない。先ほど聞いた件に関しては推測の域を出ないが、やはりこの国の軍事部は早くどうにかしなければならないと、国の上層部の腐敗を憂いていた。


 レナードは何も言わなかったが、アスレイン家が私財を投入しなければならなかったのは王都から防衛費が十分に支払われていないためだと予想できた。そしてその防衛費を割り振っているのはもちろん腐った軍事部である。グリフォンという脅威への対応に関してもそうだが、王都の防衛しか考えておらず、他の都市をあまりにも蔑ろにしている。


 (確かに王都が落ちればこの国は終わるのかもしれない。でもそれは、守れるはずの国民の命を見捨てる理由になるはずがないし、なっちゃいけない。アタシにはこの現状を変えるだけの権力はないけど、できることはしっかりやらないと・・・)


 トーレンスの街に結界を構築しようとレナードが考えたのは、周辺の都市で最も近いところでも数百キロメートルの距離があるためだ。魔物は自然のマナから生まれるため、生活にマナが消費されている都市部ではまず生まれない。しかし、人の暮らしていない場所では自然マナが使われることもほとんどないため、結果として魔物が多く生みだされる。


 魔物は人のマナを食らう以外に、効率は格段に落ちるものの自然マナを取り込むことでも成長する。成長スピードは非常に遅いが、そこまで成長せずとも魔物は人類の脅威だ。


 つまり、辺境の都市ほど魔物の脅威に近いということであり、魔物の行動が活発化した場合に大きな被害を受けるのは必然的にそういった場所となる。だからこそ近頃の魔物の動向から結界を構築する必要に迫られたのだろう。それなのに、王都の軍事部はそれを支援しなかった可能性が高い。


 (王都が魔物の被害を受けることなんて年に数回あるかないかで、国家間の戦争だって今は起こっていないのに、何が王都の守護よ。辺境の都市でどれだけの人が魔物に殺されているか・・・。王都なんてむしろ、魔物よりも人の方が多く、人の命を奪っているくらいなのに・・・)


 クレアの考えている問題の解決策として、人の暮らす場所を一極化することも考えられたが、それもまた別の問題があるために不可能だ。


 自然マナを体内に取り込むことでしか、マナを作り出す器官を持たない人類がマナを回復する手段はないのだ。当然ながら人口の多い都市ほど自然マナの濃度は薄く、人口を一極化してしまうと都市を魔物から守り続けるために魔術を使ってマナを消費しても、回復するための自然マナが少ないため戦線を維持できなくなる。


 各国の都市の配置はそういった点を考慮して決められているようだが、人の住める環境という土地条件をクリアするため、トーレンスのような微妙に隔絶された都市もいくつか存在している。


 とはいえ、かの大英雄がこの大陸を統一し、巨大国家だった時代に整備させた今の都市配置になってから現在に至るまで、魔物によって滅ぼされた都市は皆無だ。このことも白帝の偉大な功績として挙げられているが、魔物の出現が今後も活発になっていくようであれば、今の平穏が続くとは限らない。


 (はぁ。ホントに早く結婚相手選んで王位を継承してよね・・・レオ兄。そうすればアタシも、誰にも文句言われず自由にできるんだから!)


 憂鬱な気分を兄のせいにして置いておき、再び恋する乙女に戻ったクレアは、自分に助力してくれたシオウへと熱い視線を向けていた。王族として頭脳・戦闘力・人間性の全てにおいてほぼ完璧なクレアだが、こうなってしまえば普通の女の子と何も変わらないようである。




 三人の間で話が進む中、レナードの妻であるカレンは朝食後の片付けやコーヒーの用意など夫のサポートに精を出していた。会話に入る必要もなければ入りたいと思うこともなく、これから賑やかになるのだろうな、と彼女は話に耳を傾けながらただそう思う。


 そんなカレンと同様、話に加わっていないユリシアはというと、シオウとクレアが同じ屋根の下で生活するということに対して口を出すかどうか葛藤していた。


 今日はちょうど週末の休日であるため、この時間でも家にいて問題がない彼女は、先ほどからずっと頭を抱えている。


 (これはシオウさんが決めたことだし、私には何も言う権利ないよね・・・。でも流石に二人きりで一つ屋根の下なんて、羨ましい、じゃなくて問題だと思うわけで・・・)


 護衛をする上で護衛対象の近くにいることは確かに大事であり、一家の環境にあまり踏み込まないように、という配慮も嬉しい。そう頭の中では分かっていても、心の奥で認めたくないと思う自分がいる。ユリシア自身もそこで暮らすという案はあったが、それではせっかく昔のように話をできるようになった両親と少し離れることになってしまう。


 あまり我が儘を言い過ぎては嫌われてしまうかもしれないが、せめて二人きりでなければ納得する努力もできるのに、とユリシアは考えていた。


 表情から考えていることが筒抜けの娘を見たカレンは嬉しそうに小さく微笑み、話が一段落ついた様子のシオウを手招きして呼び寄せる。近寄ってきたシオウへと耳を貸すように頼み、おせっかいな母親は耳元で用件を伝えた。


 「ねえ、クレア様の護衛を男一人でやるのは、色々と気を遣わないといけない場面もあるし、少し厳しいのではないかしら。クレア様には女性の近衛騎士がいらっしゃったはずだし、その人くらいはいてもらった方がいいんじゃない?」


 少々距離は近いものの、カレンから女性目線の助言を貰ったシオウは、確かにそうだと納得した。異性には立ち入って欲しくないラインが誰しもあるだろうし、いくら護衛という理由をつけてもそれを蔑ろにすることは許されない。


 これまでとは違う環境になるのだから、もっと柔軟に考えて行動できるようにしなければならないと、彼は改めて認識させられた。


 「すみません。そこまで気が回りませんでした。ご助言ありがとうございます」


 カレンに礼を告げたシオウは、早速クレアにそのことを提案しに向かった。


 離れているシオウの後ろ姿を見届けてから娘の方に視線を移すと、何を言ったのか気になっているという様子でこちらを見ていた。


 すぐに分かるわ、と呟きながら、カレンは愛娘へと微笑む。


 だがユリシアはまったく違うことを気にしていた。


 (お母さん、顔近い!)


 年齢的にはシオウと一回り以上離れているが、見た目ではその差があまり感じられないほどカレンは若々しく美しい。既に結婚していると言っても、ユリシアとしては少々思うところがあったようである。


 そんな乙女の心情とは裏腹に、シオウ自身は考えの至らなさを自覚して気を引き締めていたため、カレンの行動を気にかけてはいなかった。そうでなかったとしても変な勘違いはするはずもないだろうが、多少はドキドキしていたかもしれない。


 ともかく、シオウはさっそく女性の護衛についてクレアへと提案した。だが反応は否定的であった。


 「確かにその方が良いんだけど、アタシの近衛騎士で女性ってエレナしかいないし、あの子はちょっとね・・・」


 過去にシオウがシレンとしてクレアと出会ったときにも、彼女の近くに侍る騎士の中に女性が一人いた。自分と同じくらいの年齢で、そのときは少女と言ってもいいまだ幼い外見であったが、実力は近衛を任されるだけあって優れていたように彼は記憶していた。


 当時の光景を思い返しながら、シオウは困った様子のクレアに尋ねた。


 「その方に何か問題でもあるのですか?」


 「問題というか・・・あの子極度の男性嫌いで、きっとシオウくんと一緒には護衛をやってくれないと思うのよね」


 返答の内容は確かに困ったものである。だがそのエレナという騎士だけで護衛が十分に務まるのなら、シオウとしても気は楽だ。もちろんできる範囲でサポートはするつもりだが、近づきすぎることは可能なら避けておきたいと彼は思っていた。


 これはエレナの男嫌いをどうにかするよりは自分が付き合い方を考えるべきだと判断したが故の意見であったが、自身の現状を鑑みてもその方がいいという本心もあったようである。


 シオウはその点に触れることなく、テキパキと話を進めた。


 「そのエレナさんですが、クレア様から見て護衛としての評価はどの程度ですか?」


 「うーん、あの子は攻撃も防御も不得意ではないけど、逆に凄く得意っていうわけでもないから、簡単に言えば器用貧乏のオールラウンダーかな。まあ固有魔術もあるんだけど、それは護衛対象を守りきれなかったときに使う感じの魔術ね。アタシからの評価はそんな感じかな」


 話を聞く限りでは一人でもクレアの護衛をできるだろうとシオウは考えた。そもそも護衛対象が強いため、どうしても対処できない点を補えればそれでいい。そういう場合は何かに特化しているよりも、オールラウンダーの方が柔軟に行動できるため都合が良い。


 また、クレアは護衛に関係ないという言い方をしたが、固有魔術を有しているということについても興味深いと、そのあたりに詳しい彼は考えていた。お姫様の説明からどういったものなのかは簡単に推測できたため、それを含めてさらに情報を引き出す。


 「治癒系の固有魔術というのは珍しいですね。ちなみに彼女の得意な系統はどれでしょうか」


 「エレナは緑系統しか使わないわ。というより他の系統の適正が壊滅的だからそれしか使えないという方が正しいかな」


 本人が気にしていないことを知っているため、クレアはどこか面白そうに返答した。ただ、シオウはそれなりに酷いその言い様を笑っていいものか分からず、表情を変えずに考えを述べるしかない。


 「そうですか。それでは自分はサポートに回って、エレナさんに護衛をお願いしましょう。実際に会ってみないと分からないことも多いですが、何とかしてみせます」


 魔術は大別して四種のジャンルに分かれるのだが、緑系統は他系統よりも各ジャンルの魔術数のバランスが取れている。一国の姫に仕える唯一の同性の近衛というだけあって優れた人選だと、無表情の裏でシオウは感心していた。


 変化に乏しい彼の表情をあまり良い意味ではないと受け取ったのか、クレアが申し訳なさそうに口を開く。


 「面倒かけてゴメンね」


 「いえ、やりたいことをやるというのは大切だと思いますし、自分が少しでも手助けできるのなら光栄なことです。なので、ここは別の言葉を頂けると嬉しいところですね」


 この場面で謝るというのはあまり王族らしくないとシオウは思ったが、クレアのそういうところも彼は評価している。だからこそシオウはそう告げたのだ。ここで無表情はおかしいと考えたわけではないだろうが、普段からあまり見せたことのない小さな笑顔で。


 結果として、クレアの鼓動は急激に速くなった。思わぬ不意打ちに見惚れてしまった彼女は、少しの沈黙を置いて彼に求められたであろう言葉を告げる。


 「・・・ありがとう。これから色々とよろしくね。そ、それじゃアタシはエレナに連絡してくるわ」


 逃げるように部屋を出て行ったクレアの背に向け、シオウは優しい口調で言った。


 「はい。これからよろしくお願い致します」




 まるで昨夜の件が嘘だったかのように穏やかな春の空気が、新たな生活の始まりを祝福しているようだった。

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