13. 魔術式とお願い

 「いつも思うけど、本当に便利よね。魔術式って・・・」


 「そうですね。しかし、これに慣れてしまうと自分で魔術を発動するときに難しく感じるかもしれません」


 クレアの近衛騎士であるエレナという少女の到着は準備の都合で明日となったため、シオウとクレアは二人で生活環境を整えることにした。宿舎へと案内され、さっそく清掃を開始した居候家庭教師とお姫様。とはいっても、彼女が口に出した魔術式と呼ばれる技術の普及によって清掃はほとんど自動化されているため、手を動かすようなことはしない。


 生活を便利にしたこの魔術式という技術は、魔術を式、すなわち文字や記号の羅列、図形などで記した線の集合体として表記することにより、脳内でのイメージやマナの緻密なコントロールを必要とせず、マナを流すだけで魔術が行使できるというものである。


 式は、人間が肉体で魔術を発動するプロセスを再現したマナの変換装置と言えばいいだろうか。この式は、記述した専用の札を貼り付けるか、物体に式を刻印するというような方法で取り入れられている。簡単な魔術で誰でも使えるならそんなものは要らないのではと考えるかもしれないが、マナの蓄積技術による半自動性や、人による術の制御が不要という点など、様々な理由があって大陸中に普及した。


 もっとも、式は魔術を定義する情報を組み立てたものであるため、現在のところ階梯の低い簡単な魔術しか式にはなっていない。とはいえ、この技術によって掃除のような単純作業がただマナを流すだけで終わってしまう時代になったことは事実である。



 清掃の他にも宿舎の水回りや電気、その他必要な設備の起動についても建物内に設置されているそれぞれの専用魔術式にマナを流すことであっという間に完了してやることがなくなった二人は、マナを少し流して回っただけなので疲れてはいないものの、現在コーヒーを片手に一息ついて雑談に興じていた。


 ちなみに、年下のシオウがブラックなのに対して、クレアはミルク・砂糖入りしか飲めないことから、彼女は朝から内心で悔しい思いをしていたのだが、飲めないものは飲めないと諦め、甘みを味わいながら思い人との話を楽しんでいる。


 「ええ、そうね。日常的に魔物との戦闘で高位の複雑な魔術を使っていれば関係ないかもしれないけど、そういう荒事とかに縁がない生活をしている人たちは、生活の中で高位の魔術なんて使わないし・・・。このままだと、もし街中まで魔物に侵入されてしまった場合、魔術が上手く使えずに最低限の防衛もできないなんてことになるかもしれないわ」


 便利なものを使うことに対して特に問題はないが、その裏にあるリスクをきちんと理解する必要があるという意見を持っていたシオウは、魔術式について王国の姫がどのように考えているかを聞きたいと思い、上手く話を展開していたようだ。


 そしてその考えを聞き、流石だなと彼は素直にそう思った。今も少し表情を険しくしている姫君は、きっと国民のために何ができるかを考えているのだろう。


 このような懸念事項を残して魔術式の技術を発表した人物についてよく知っているシオウは、その研究者を思い出して多少の苛立ちを覚えながらも、表面上は冷静に会話を進めた。


 「そういう点では開発者の思惑とは逆になっているのかもしれませんね。これは十数年前に開発されてからあっという間に普及しましたけど、開発者としては生活用というよりも、戦闘の補助に使用することを考えていたらしいので。魔物との戦闘で助けになるはずのものが、人々の魔術のレベルを低下させているわけです。開発者本人は高位魔術の術式化に専念していて、このリスクを気に留めていないようですけど、国としては考えなければならない事案かもしれませんね」


 「随分詳しいけど、シオウくんってその開発者の方と知り合いなの?」


 まるで本人と直接会ったことがあるかのようなシオウの口ぶりに、クレアは率直な疑問を返した。


 必要以上に話してしまったことは仕方ないにしても、ここで事実を答えることは得策ではないとシオウは瞬時に判断した。一切の動揺を見せず平然と嘘を吐く。


 「いえ、そういうわけでは。開発したのはカザツキの研究者なので、こういう話を知る機会が多かっただけですよ」


 「へぇ、カザツキはそういう情報も発信されてるのね。じゃあ、こういう家の設備とかじゃなくて、アクセサリーみたいなもっと小さい媒体に術式を刻印できた例とか知ってる?」


 一国の姫ならたいていの情報は手に入りそうなものだが、シンテラ王国では魔術式の開発者についての情報が流れることなどほとんどなく、新商品もカザツキで発売されてしばらく経ってから知るくらいであった。他国の優秀な人材を取り上げて称えることは自国の研究者に対して不穏当であり、モチベーションも低下させてしまうという建前らしいが、実際のところは競争に負けた悔しさがあるのではないかと噂されている。


 そういった国家間の事情もあり、クレアはあまり魔術式について詳しくない。そのため、知識を持っていそうなカザツキ出身者に問いを投げかけたのである。


 尋ねられた問いの内容がそれなりに絞られたものであったため、今度はいらないことまで言わずに済みそうだと、彼はそう思いながら返答した。


 「試されてはいましたけど、小さい媒体に複雑な術式の刻印するのは難しいようでしたね。ですが、どうしてそのようなことをお聞きに?」


 ただ、そのピンポイントな質問には気になる点もあったため、どういう考えがあっての問いなのかをシオウは聞き返した。


 「うーん、戦闘に使うなら小さい方がいいかなっていう実用的なことと、そういう特別なアクセサリーが作れるなら、作って貰いたいっていう個人的な希望があったから、かな・・・」


 少し照れたようにそう答えたクレアは、シオウから見てもやはり可愛らしかった。そんなお姫様なら、いくらでもアクセサリーなどプレゼントされているはずだろうと、彼は素朴な疑問を口に出した。


 「あの、お気に障ることかもしれませんが、クレア様でしたら高価なアクセサリーを贈られる機会も多いのでは?」


 「うん、確かにそうなんだけどね・・・。ありふれた高価なプレゼントより、唯一のプレゼントを貰いたいってアタシは思うの。ただの我が儘だけどね」


 期待を含んだ瞳で、遠くない未来にその光景を夢見ているような、乙女らしい一面を見せた姫君は、そう答えて最後に小さく笑った。


 同じような理想を持つ人がいるものだなと、その笑顔に心を揺さぶられながらシオウは思った。


 「いえ、その気持ちは分かります。ただ、自分の場合は誰かにとっての唯一になりたいという感じですけど・・・」


 心からそれを望んでいるようにも見え、だが同時にそれは叶わないと悟っているような影を含んだ表情で小さく呟くシオウの様子を見て、クレアは今自分がどうするべきなのか迷った。


 (・・・こういうときって積極的にアタックするべきなのかな?言ってもいいのかな、アタシにとってシオウくんは、唯一の特別な存在だって。ううん、今は違う気がする。ここで言ってしまったら求められて言わされた感じがするし、それは何となく嫌だから・・・)


 思っていることを今は口に出さないと決め、クレアは話題を変えようと口を開いた。


 「こういう望みって、誰にでもあるものよね。ところでシオウくんは――――」


 だがここで、この宿舎に備え付けられている呼び鈴が鳴った。


 「シオウさん、少しいいですか?」


 「お嬢様、どうかなさいましたか?」


 音がなった瞬間にマナの反応から、来客がユリシアだと分かったシオウは、クレアとの会話を中断して即座に玄関のドアを開いた。その速度は、会話を邪魔されたお姫様が目で追えないくらいに素早く、彼女は何が起こったのか分からない様子で呆けている。


 「あの、今日は学園も休みですし、さっそく魔術のこととか教えてもらいたいなと思ったんですけど、お時間ありますか?」


 「もちろん大丈夫ですよ。それではまず、座学の方から始めましょうか。早く魔術を使いたいかとは思いますが、最初に私の知識がシンテラ王国のものと相違ないか確認しておきたいので」


 行動指針を決めたシオウに断るという選択肢は存在しない。ただ、ユリシアの望みを全て汲んで教育方針を立てることはせず、より彼女のためになる順序と方法で教えていくと決めていた。


 「分かりました!シオウさんに全てお任せします!」


 魔術を使えるようになると楽しみにしていたユリシアであったが、シオウがそう言うのならそれが最善なのだろうと、全面的な信頼を以って自身の気持ちを飲み込んだ。


 「それでは今から宿舎内にある研修室で行いましょうか」


 「はい!よろしくおねがいします!」


 明るく笑うユリシアを見て、この期待を裏切ってはならないとシオウがさらに思いを強くしていると、置いてけぼりをくらっていじけ気味だったお姫様が仲間に入れてほしそうに近寄ってきた。


 「・・・アタシも参加していいかしら?」


 「むしろ此方からお手伝いをお願いします。クレア様の知恵もお借りしたいですし」


 お嬢様への応対をしつつも常に周囲へと気を配っていた家庭教師は、お姫様が少々不機嫌なことも分かっていた。彼としては分かっていなかろうと言うことは変わらなかったが、思い人から頼られた乙女には効果てきめんであった。


 「ええ、任せてちょうだい!」


 ご機嫌も一瞬で復活し、やる気を出してくれたクレア。思いがけない展開ではあったが、二人とも笑顔だからいいか、と乙女の感情の機微が上手く掴めないシオウは深く考えないことにした。


 授業内容をどうするかという点に思考を割きながら準備を開始した彼の集中した横顔を、二人の乙女がまるで姉妹かと思ってしまうほど同じタイミングで、チラチラと見つめていた。


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