26. 他愛無い会話と、皇子の決意

 トーレンス州の街にある人気のない路地裏に、分厚い雲の壁を取り払って出てきた太陽からの日差しがわずかに差し込んでいる。先ほどまで秘密裏に魔術戦闘が行われていたその場所には今、シオウとエレナの二人だけが残っていた。


 突如介入してきたシレンはというと、テイツの作戦に利用されてずっと眠っていた少女の無事を確認した後、どうやって知ったのか彼女の自宅へとこっそり送り届けてから、今回の事件の首謀者であるテイツとその部下の男二人を自国へと持ち帰っていった。


 別れ際の彼はどこか嬉しそうな様子で、とても満足そうな表情を浮かべていた、というのはエレナの感じた印象である。


 突然現れた嵐が去ったことで、ひとまず状況が一段落ついたことは明確だった。慣れない力を使い、その後弟との話し合いで精神を磨耗していたシオウはゆっくりと息をつく。


 「ふぅ、ようやく落ち着いたな・・・」


 「そ、そうね。というかアンタ、体調はもういいの?」


 あやうく口封じで命を奪われるところだったエレナは、それとは関係なく混乱している思考をなんとか落ち着かせた。その後少し恥ずかしそうにシオウに同意してから、何かを誤魔化すように疑問を口にする。


 それに対してシオウは苦笑いで答えた。


 「いや、実はまだ身体に力が入らないし、立つことも出来ない・・・」


 「よくそんな状態であの人を相手にしてたわね・・・」


 「まあアイツとは双子の兄弟だからな。それなりに分かっているつもりだ。それに、誰かとは違って話も聞かずに自分の考えを押し付けるようなヤツでもないし」


 先ほどまでそこにいた弟のことを一瞬思い出してから、少し意地悪な表情を作ったシオウはエレナをからかうような発言をした。すぐに自分のことだと分かったエレナが反論する。


 「なっ!それってワタシのことよね!?さっきは謝りたいとか言ってたくせにっ!」


 「ああ、そうだな・・・。その件については本当に悪かったと思ってる。すまなかった」


 言い返してすぐに真剣な表情で謝罪されたことで、多少お怒り気味だった騎士様も冷静になった。


 彼がどう考えて謝罪しているのか、シレンの問いに対するシオウの答えを聞いたエレナには分かっている。そしてその答えに対して複雑な感情を抱いた彼女もまた、彼に謝りたいと思っていた。加えて、助けて貰ったお礼も言わなければならない。


 「こ、こっちも悪かったわ。ごめんなさい。それと・・・あ、ありがとう、助けてくれて・・・」


 「・・・」


 謝罪とお礼を少し恥ずかしそうに口にしたエレナだったが、なかなか言葉が返って来ない。意外感を覚えているような少し間の抜けた表情で、彼はエレナの顔をじっと見ていた。


 「ど、どうしたの?」


 「いや、まさかお前が謝ると思わなかったし、お礼も言われると思ってなかったから不意を突かれて・・・」


 気恥ずかしそうに何事かと尋ねたエレナへ、シオウはかなり失礼な返事をした。恥ずかしさの紅から怒りの赤へと顔色が変わる。


 「ワタシだってそれくらいの礼儀くらい心得てるわ!姫様の近衛騎士としてきちんと学んだんだから」


 その様子が面白く、彼は肉体の疲労など忘れて楽しくなってきた。小馬鹿にするような表情を作り、さらに騎士様をからかう。


 「ああ、そうか。すっかり忘れてた。忠告してやったのにあっさりと罠にかかるうっかり屋さんでも、一応王族の近衛騎士だったな」


 「やっぱりアンタ、ワタシのこと嫌いでしょ!?さっき言ってくれたこと、少し嬉しかったのに・・・」


 怒って叫んだと思えば、シュンとなって悲しげな表情で下を向く様子を見て、シオウは多少の罪悪感を覚えた。だが彼の表情はどこか楽しそうに笑っている。よく見なければ分からないほどの微笑ではあるが、確かに笑みがこぼれていた。


 「嫌いなわけないだろ。さっき言ったことは全部俺の本心だ。今のお前が面白くて可愛いから、少しからかっているだけだ」


 「・・・嫌いじゃないなら、具体的にワタシのことどう思ってるの?さっきは分からない、みたいな口ぶりだったけど」


 ジト目で疑わしいものを見るような視線を向けてくるエレナ。表情がコロコロと変わり、色々な一面が垣間見える度にその魅力に気づかされる。


 「さあ、どうだろうな」


 「もうっ!はっきり言いなさいよ」


 怒られても彼自身本当によく分からないのだから曖昧な答えを返すことしかできないのだ。だが彼の弟であるシレンはその感情を読み取って理解していたのだろうと、去り際の弟の様子を思い出しながらシオウは思った。


 (アイツは俺の言葉から、何を感じ取ったんだろうか・・・?)


 珍しく愉快そうな双子の弟がどういう心情であったのか。今の自由な生活の中で、己の人生を生きれば分かるものなのだろうかと、隣にいる女騎士を見つめながら、彼はそんなことを考える。


 二人の会話を邪魔するものはなく、春のあたたかな空気がゆっくりと流れていた。


───────────────────────────────────────


 カザツキ皇国の地下にある秘匿されし牢獄。そこでこの国の皇子、シレン・カザツキは連れ帰ったサルオン帝国の皇子の処遇を考えていた。身内を殺そうとした悪人であり、ここで秘密裏に抹殺することも選択肢にはあったが、テイツ・サルオンの事情を知っている彼にはそれを選ぶことができない。


 (本心を言えばここで殺してしまいたいが、それはオレの生きる道を否定する行動だよな・・・)


 特に拘束することもせず石畳に転がしている皇子を複雑な心境で眺めながら、他の選択肢を模索する。


 「う、うぅ・・・、ここは・・・?」


 思考に耽っていたシレンが一つの案を思いついたとき、彼の兄に殴打され意識を失っていたテイツが目を覚ました。


 「よう、起きたか」


 「き、貴様はシレン・カザツキ!?」


 名前を呼ばれたシレンとしては初対面だが、テイツからすればそうではない。国主の集まりで顔を合わせたこともあれば、会話したこともある相手だ。そして先日命を奪うために襲撃した相手でもある。


 「ああ。お前がクレア姫を奪うためだけに殺そうとした者だ」


 「・・・その件はすまなかった。詫びて済まされることではないが、謝罪する」


 事実を突きつけられ、襲撃の主犯はただ謝ることしかできない。先の戦いで何かを感じ取ったのか、今のテイツは憑物が落ちたかのようにすっきりした様子で真摯に謝罪した。


 だが過去の悪行は消えたりしない。人の印象というものは、そう簡単には変えられないものだ。


 「思ったより素直だな。保身のための演技か?」


 「そう見えるか・・・?」


 「いや、お前の言葉に嘘はない。ただ日頃の行いが悪いせいで納得できてないだけだ」


 口元をわずかに緩めながら、シレンは他国の年上の皇子をからかう。しかし、からかわれた相手はそれに怒りもせず、粛々と反省の弁を述べた。


 「まあ、確かにそうだろうな・・・。私は己の不満を周囲にぶつけ、他人をヒトと思わないで悪行を重ねてきた。今思えば最悪の皇族なのだろう。今更気付いても仕方ないことだがな・・・。それで、この状況がどういうことか教えてもらいたい。私はシンテラのトーレンスにいたはずだ」


 予想以上に冷静で落ち着き払っているのはシオウとの戦闘で何か心境の変化があったからなのだろうか。頭でそう考えながら、シレンは簡潔に状況を説明して兄の現状を思い浮かべる。


 「色々と大ごとにできない事情があるんでな。オレの方で身柄を預かったんだよ。アイツはただの浮浪者だし」


 「・・・彼はいったい何者だ?我が国の愚行によってカザツキ皇国が存在を隠した継承者なのか?」


 己の未来を予想しているテイツは純粋な好奇心でそう尋ねた。それを知ったところで情報を他所に流すことなどできる状況ではないが、彼には最初からそのつもりはないようだ。


 「お前は色々知ってるみたいだから教えてやるよ。隠された継承者ってのはこのオレだ。アイツは俺の双子の兄で、これまでシレン・カザツキとして生きてきた影武者な。お前が襲ったときはたまたま素顔だったが、これまで公の場に出ていたのは魔術で顔を変えたアイツだ」


 「・・・」


 「どういうことだ?って顔してるな。まあアイツは後天的に疑似的な白炎を得た偽物で、オレが本物の継承者ってわけだ。オレの力を隠すために、アイツは自己と自由を奪われた。ただ、お前の行動で色々と状況が変わったのも事実だ。ついにオレの力を公表するときがきた。アイツを開放する、そのときが」


 「・・・貴様もあの影武者も、白炎の力に翻弄されているのだな」


 腑に落ちない部分が多くあったテイツだが、説明を受けて返した言葉には共感と、そしてどうしようもないことへの憤りが確かにあった。


 「さすが、実感のこもった言葉だな。妹のチカラが強大であるために、継承者の長子にも関わらず次期皇帝の座を奪われた残念な皇子様?」


 「・・・放っておけ」


 シレンが口にしたことは他国でも有名な話で、同情の声が上がるくらいにテイツの立場は可哀そうなものであった。ただ、これは特殊な例ではない。過去の歴史を見ても、王位継承者を選定する際には各国で様々ないざこざが起こっているのだから。


 同じ継承者でも、受け継いだ力には優劣が存在する。クレアのように攻撃特化のものもあれば、テイツが持つ補助系の力もあり、特に伝承が多く残る有名な力は万能型のものが多い。それを手にしているのが、サルオン帝国の姫、ソフィア・サルオンだ。


 「確かにお前の妹、ソフィア姫の持つ【白華】の力は強力だよな。あれを超えるには白炎を混ぜた十階梯以上の魔術くらいは使えないと勝負にならない。お前が諦めて非行に走ったことも頷ける。だが、妹にあの国の皇帝という業を背負わせたくないなら、現皇帝に従うだけの人形にさせたくないなら、お前は諦めるべきじゃなかった」


 「・・・分かっている。だが私にソフィアは超えられないし、父上を変える力も持っていない。だからクレアを無理やり娶り、発言力を高めようというバカな行動しかできなかった・・・」


 妹の【白華】、そして父親の【白天弓】は白帝の力を象徴するメジャーな能力の一つだ。それに対してテイツの【支配ノ白糸】は知名度が低く能力的にも扱いづらい点が多い。それを理解している彼の独白に、妹のために現状を変えたいという意思があることをシレンは察知した。


 「そうか、それならオレに従え。お前の国も変えてやる」


 己の野望のために、シレンはテイツを生かして利用することに決めた。だが言葉の傲慢さとは裏腹に、彼を道具として使いつぶすつもりはない。野望を抱くに至った理由を自身の手で否定するつもりは毛頭なかった。


 覚悟を決めたシレンの両目に、神々しく猛る白の煌めきが灯る。


 見る者を惹きつける、圧倒的な力を有した白帝の異能。大英雄が有する全ての力の根源として伝わる、いまだかつて継承した者がいない原始の力。


 「貴様、何を言って・・・なっ、その瞳はまさか!?」


 「忌々しい白炎の呪いは、オレがこの手で終わらせる」


 地下の暗闇に輝く白い炎は、遥か彼方の未来まで照らしているかのように力強く、大きな意思を宿して燃えていた。

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