7. 姫の思い

 「た、倒せたのよね、あのグリフォンを・・・」


 そう小さく呟いたクレアは、自身に向けられていた死の気配が完全に消失していることに気づいてその場に座り込んだ。極度の緊張から解放され、全身から力が抜けたのだろう。


「本当に良かった・・・。町の人を死なせずに済んで」


 王族として国民を守れたことに安堵する彼女の言葉は、夜の静寂に飲み込まれて消える。先ほどまで業火に包まれていた丘はいつの間にか鎮火されており、クレアの視界に入る光といえば、夜月のそれと後ろに庇っていた街の明かりだけだった。街からは歓声が上がっているようだが、結界で阻まれているせいかクレアの耳にはほとんど届いてこない。


 「だぶん、さっきの魔術を使った人が、足止めしてくれてた人だよね・・・」


 死なせずに済んだと口にしたクレアには、彼女が到着するまでグリフォンを足止めしていたその人物こそが、先ほど高位魔術で自分をサポートした魔術師なのだろうという直感があった。その直感を信じての言葉だったが、本当にそうなのかという心配もある。


 過去の被害を考えれば、今回グリフォン相手に犠牲が一人出ていたとしても、それは奇跡の結果といってもいいだろう。もちろんそのことはクレアにも分かっている。しかし、この国が本気でトーレンスの民を守ろうとしていたなら、その犠牲は出なかったという事実を彼女は理解していた。


 トーレンス側が足止めをしている間に国軍の部隊を整え、万全の状態でグリフォンの討伐を行うという話を、首都防衛のため自由な移動が制限されているクレアは王城で聞いた。そして好奇心に負けたクレアは、参戦を許されていないにも関わらず、自分の近衛騎士たちに頼み込み、彼らのマナをほぼ使い切って転移装置を起動させ、単独でこの場に駆けつけたのだった。


 だがそこでグリフォンの相手をしていたのはたった一人で、トーレンス州としてはあまり長くはもちそうにない結界の構築をしただけというではないか。当然の如く彼女が到着してすぐに敵の注意は街に向き、とてもじゃないが軍の部隊を待っていられる状況ではなくなった。そこからは戦闘に集中していたため気にする余裕はなかったが、今思えば軍事部の対応は明らかにおかしかったのだ。


 転移魔術装置という移動手段があるのだから、国の最高戦力を動員して早々に決着をつければ、少しの間王都の防衛力が下がろうとも問題はないはずだ。それなのに軍事部はそれを許可しなかった。さらに、トーレンス州がグリフォンに対してそれほど長く耐えられないことを領主から知らされていながら、それを公に報告せずゆっくりと部隊を整えていた可能性が高い。おそらくこの街を見捨てるつもりだったのだろう。王都の戦力を削らずに済むように。


 魔物はマナを欲して人を襲うため、基本的には人が多い場所へと移動していく。グリフォンがトーレンスの街を滅ぼしたなら、そこから最も人口が多い都市はカザツキ皇国の都市であるため、自国の被害はそこだけで済むと軍事部は判断したに違いない。


 「やっぱり、この国の軍事部は腐ってる・・・」


 クレアは憤りを覚えずにはいられなかった。もし自分が来ていなければ、多くの民が国の上層部の怠慢によって殺されるという事態になっていた可能性が高いのだ。


 その軍事部のトップは現国王の実の兄であり、弟の国王が白炎の力を継承して生まれたために、長子であるにも関わらず国王の座に就けなかったという事情があることから、国王もその腐敗した軍事部に対して強く出られないという情けない状態になっている。。


「お父様も、あの性根が腐った叔父を早くどうにかすればいいのに!」


 事情は知っているクレアだが、今回ばかりは父親の不甲斐なさに腹を立てずにはいられなかった。


 しかし、今の自分が何を言ったところで現状は変わらないということを、彼女は理解している。だから今は待つしかなかった。彼女の兄に王位が移るときを。そのときがくれば、軍事部を含めたいくつかの組織の現状を憂いている兄が、その問題の解決に動くだろう。そうなればクレアも兄の手伝いをするつもりだ。


 「あとはレオ兄が結婚相手を選ぶだけなんだけど・・・」


 クレアの兄、レオン・シンテラは年齢的にも、実力的にも、国民の支持の面でも、王として即位する条件のほとんどをクリアしている。だが王位継承の条件の一つ、王妃となる妻を迎えるという条件だけが残っているのだ。

 既にその候補は挙がっていて、レオンもその女性たちとの交流に対しては積極的なのだが、いざ結婚相手となると誰か一人を選べないのである。その理由は非常に単純なもので、クレアはそれを聞いて呆れてしまった。


 「自分にはもったいない素敵な女性ばかりだから、って。自分に自信なさすぎでしょ・・・。次期国王で、継承者で、それでいて頭も良くて、容姿も整っていて、人格者でもあるのに。それに、選べないなら側室として迎えるっていう選択肢もあるし」


 兄のことを尊敬しているクレアは、それ故に早く王位を継承して欲しかった。だがそれを本人に伝えたことはない。二十歳を迎えた彼女にとっても結婚はそろそろ考えなければならないことであり、自分は急かされたくないと思っているのだから、当然と言えば当然である。


 「はぁ・・・」


 ため息が一つ、夜の闇に吸い込まれて消えた。




 グリフォンは消滅したというのに中々街に戻ってこないクレアを心配し、トーレンス州領主のレナードは暗闇の中に座り込んでいる姫君に近づいた。


 緊張から解放されたクレアがその場に腰を下ろしてからそれなりの時間が経過していたが、考えに耽っている彼女は現状を忘れていたようだ。しかし、彼女も人の接近する気配に気づき、意識が現実に戻った。


 「あ、すみません。少し考え事をしていて・・・」


 「いえ、こちらこそ申し訳ございませんでした。クレア様一人にお任せするしかないほどの実力しかなく、ただ見ていることしかできませんでした」


 謝罪するレナードから自身の実力不足を本気で悔いていることが感じられ、これからも領主として成長できる人物なのだとクレアは思った。そしてこういう人物こそが人を導く立場にふさわしいのだと、先ほどまで考えていた軍事部の人間と比較してしまった彼女はそう思わずにはいられなかった。


 その心情は口にせず、彼女は話を進める。


 「結果としてあのグリフォンを討伐できたのですから、お気になさらないでください。誰かは分かりませんが、高度な魔術で援護してもらえて助かりました。アスレインさんはあれがどなたの魔術かご存知ですか?」


 「はい、それは存じ上げております。ですが彼自身のことについてはあまり・・・」


 レナードの返事を聞き、クレアは少し迷っているような表情になった。しかし、すぐに何かを決意したかのように真剣な表情になり、口を開いた。


 その声は不安を隠しきれておらず、赤い瞳も不安気に揺れている。


 「あの、その方はグリフォンの足止めをしてくれた方と、同じ方なのでしょうか?」


 目の前の姫君が何を不安に思っているのか、レナードにとってそれを推測することは容易かった。直接言葉にして尋ねてはいないものの、彼女が一番知りたいことも当然分かる。


 「はい、それらは同一人物によるものです。なので、今回死者は出ておりません。改めて、本当にありがとうございました」


 先ほど、一方的な伝言ではあったがレナードにシオウから念話で連絡があった。それにより彼は全ての真相を知っていたのである。


 『レナードさん、シオウです。まず娘さんは無事ということをお伝えしておきます。今屋敷に向けて帰っていますので、詳しくはそれからということで。あ、それと、クレア様が救援に来てくださって助かりました。王都への連絡ありがとうございます。足止めが無駄にならなくて良かったです。すみません、最後の魔術でマナが切れそうなので、とりあえずの報告ということで失礼します』


 ユリシアとシオウの無事が分かり、レナードは妻のカレンと一緒に胸を撫で下ろした。そして同時に、シオウには感謝しなければならないと思った。ユリシアだけでなく、トーレンスの街も守ってくれたのだから。グリフォンに止めを刺したのはクレアだったが、レナードにとってはシオウが最大の功労者であった。


 その伝言から分かる事実を、レナードはクレアに伝えた。それを聞いて安堵したクレアの目尻に、小さな雫が浮かぶ。


 「そうですか。良かった、本当に・・・。あの、よろしければその方がどのような人物なのか、教えていただけますか?」


 目元を細く白い指で拭いながら、クレアはレナードにそう尋ねた。念話の声からしてまだ若い男性のようだったが、魔術の腕は熟練のものに見えたため、彼女の中でイメージは固まっていなかった。


 「私もあまり詳しくはないのですが、彼はカザツキの出身で、まだ年齢は十八らしいです。その割に大人びている印象はありますが、彼も色々と苦労を重ねているようですね。この街に彼がいたのも、あまり穏やかではない事情に巻き込まれてのことのようですから。グリフォンの件についても、彼からすれば不運の連続だったとは思います。我々からすれば幸運だったのですが・・・。彼について分かるのはこれくらいですが、参考になりましたでしょうか?」


 「はい。ありがとうございます。一度会ってみたいものですね」


 まさか年下だったとは、とクレアは少し驚いた。その年であそこまで魔術を極めるには、相当の鍛錬を積まなければならないだろう。あれは生まれ持った魔術の才能だけでは絶対に到達し得ない領域であった。


 自分と一緒に戦うことのできる実力者で年も近いその彼に、クレアは興味を持った。その興味から会ってみたいと言ってはみたが、本人としては叶うと思っての発言ではない。


 しかしレナードが思いがけないことを口にした。


 「彼は私の屋敷に泊まっておりますので、屋敷に来ていただければ会うこともできると思いますよ。部屋はたくさん空いておりますので宿泊も可能ですが、この後はどのようになさるご予定ですか?」


 「そ、そういうことならお邪魔させてもらいます・・・。王都での予定もありませんし」


 こうしてクレアはアスレイン邸を訪れることになった。しばらくぶりに立ち上がったクレアは、自身の鼓動が少し早くなっている気がした。それがグリフォンとの戦闘のせいなのか、あるいは別の理由によるものなのか。よく分からないがそれは不快ではなく、むしろ心地良いものであった。


 ふと夜空を見上げると先ほどまで見えていなかった星々が輝きを魅せていた。それは夜の雲がすっかり晴れたおかげかもしれなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る