8. 二人の時間
夜の闇に深紅の流星が消え、ようやくトーレンスの街は災厄の脅威から開放された。
この街を守ることができてよかったと、隣に座る少女を見ながらシオウは安堵していた。そして同時に、これまで経験したことのなかった達成感という感情が、彼の胸のうちに芽生えていた。
「ふぅ、なんとかなりましたね。これもクレア様が救援に来て下さったおかげです」
マナが枯渇寸前の彼は、その初めての感覚に戸惑いながら息をついた。
隣で彼の活躍を見ていたユリシアが、嬉しそうな様子で彼に言葉を掛ける。
「シオウさん、お疲れ様です。クレア様も流石ですけど、シオウさんも凄いですよ!第十階梯なんて初めて見ましたっ!」
先の火災については魔術の発動に集中するために、シオウが鎮火させていた。それにより夜を照らす明かりは月の光だけで、ユリシアの表情はきちんと見えなかったが、シオウはそのマナの状態から、彼女の感情を読み取っていた。
興奮、喜び、安堵、そして疑問。何に対しての疑問なのかは、すぐに察しがつく。
その疑問に対する答えについても、シオウはおおよその見当がついていた。しかし、自分の知っているチカラと先ほどのチカラは、似ていながらも確実に異なっていた。もっとも、シオウは、どちらにしてもこのことをユリシアに説明するつもりはない。そのチカラをユリシアに自覚させてはならないという警告が、己の内から聞こえていたから。
ただ、その疑問を放置することがユリシアのためにならないことも事実だ。だからシオウは、己の秘密の一部を明かすことを免罪符に、嘘の説明をすることに決めた。
「ありがとうございます。お嬢様にそう言って頂けるなら、自分が死に掛けた甲斐もあるというものです」
「あ、あの、そのことなんですけど、いったい何が起きたんですか?あのときシオウさんは確かに・・・」
シオウの言葉を聞き、胸の内にある疑問をぶつけるのは今しかないと、ユリシアは思った。
もしこれが夢だったら、という不安が先ほどからずっと胸にある。これが幸せな夢で、目を覚ましたら彼はやはり死んでいるのではないか、と考えてしまうほど、それは現実離れした出来事だった。
死者の蘇生。どんな魔術でも、白帝の異能でも、不可能だとされている事象。大切な人を亡くした者ならその多くが願うであろう奇跡。
それが有り得ないとするなら、シオウの身に何が起こったというのか。
返事を待つユリシアには、その時間が異様に長く感じられた。疑問を口にしてから、やはり聞かなければよかったという後悔と、たとえどんな答えであっても真実を知りたいという思いが、彼女の心で織り交ざる。
「・・・」
闇に輝く美しい紅の瞳が、不安に揺れながら自分を見ていた。ここで嘘をつくことは躊躇われたが、それでも事実を隠して話を捏造することをシオウは選んだ。
ここで中途半端な嘘はつけない。嘘を事実にするしかない。
「まず、自分は死んでいません。死に掛けはしましたが、こうして生きています。確かに死んだといってもいいくらいの状態だったので、お嬢様はそう判断されたのだと思いますが、生と死の境界でかろうじて生きていたのだと思います。このような言い方になってしまうのは、実際に瀕死の状態だった自分には断言ができないからです。ですが、こうして生きていますのでそう判断しました。そして、あの状態から一瞬で回復できたのは、死の間際に魔術が発動したからです」
落ち着いた様子でつい先程捏造した嘘を並べていくシオウ。彼があまりにも堂々と話しているため、ユリシアがその説明を疑っている様子はない。
しかし、その内容と彼女の知識の間にあった違いは気になったようで、自信がなさそうな口調でその点を尋ねた。
「でも、治癒魔術にできるのは外傷や病を治すことだけで、失った腕を元に戻すことや、体力とかマナを回復させることはできませんよね・・・」
「よく勉強なされていますね。その通りです。ですが、汎用魔術では不可能なことでも、固有魔術では可能な場合があります。そして自分は、そういう固有魔術をもつ人に助けられました。先程念話で確認を取ったので、魔術が発動したのは間違いありません。ただ、そんな都合の良いことがあるのかと、きっとお嬢様は納得されていないでしょう。なので、自分が何者なのかをお教えします」
そう言ってシオウは右手で顔を抑えた。おそらく彼がこれまでの人生で最も長い時間使用してきたであろう魔術を発動し、もう一人の自分へとその顔を変える。
彼がその右手を顔から離し、月明かりがその顔を照らし出した。ユリシアはその目を見開き、思わず驚きの声を上げてしまった。
「えっ!?」
その可愛らしい反応に微笑を浮かべつつ、シオウは説明を始めた。
「やはりこの顔は見たことがありますよね。カザツキ皇国の次期皇帝で、第一皇子のシレン・カザツキ。私は彼の影武者を務めていました。ご存知かと思いますが、姿を変える魔術は非常に難易度が高く、危険な魔術です。肉体を作り変える変化ではなく、幻影を自分に重ねてそう見えるようにするだけの魔術であれば簡単ですけどね。変化の方は、このように顔の造りを変えるだけでも、相手の顔に実際に触れてその造りを正確に知らなければ、同じ顔になることはできません。変化魔術が難しい理由は単純で、それは肉体構造を作り変えなければならないからですが、今は詳しい話は置いておきましょう。そういうわけで、彼の影武者を務めていたことは分かって頂けましたか?」
各国の情報は、大陸内のネットワークを通して随時配信されている。そのネットワークにアクセスできる端末があれば誰でも簡単に情報を手に入れられるのだ。その中でも王族や皇族の情報は注目されており、写真や映像も簡単に目にすることができる。
ユリシアも領主を目指している身として日々情報収集をそれなりに行っており、その中でシレンというカザツキ皇国第一皇子の顔は目にしたことがあった。
今その顔が目の前にあり、それが魔術によるものだということは確認したばかりだ。これがただの幻影ではなく、変化魔術であることは、ユリシアにもマナの気配で分かった。
幻影魔術は常にマナを使用して幻影を維持しなければならないが、変化魔術は切り替えの際にマナを使うだけで変化している状態ではマナを消費しない。マナの感知に優れている者なら、相当上手くマナをコントロールして発動されていない限り、幻影魔術は簡単に看破できる。だが変化魔術はマナの気配で看破されることはない。
シオウが変化魔術でシレン皇子の顔を模倣できるということはつまり、彼が皇族に近しい人物であるということだ。そしてその魔術の用途は影武者に最適である。顔を元に戻して真剣な表情で投げかけられたシオウからの確認に、ユリシアは頷く以外の選択肢を持たなかった。
「は、はい・・・」
「そういうわけで、自分は彼からそれなりの待遇を受けていました。先ほどの固有魔術の件についても、条件発動魔術として身体に付与されていたものが起動したらしいです。彼は非常に魔術の才に秀でていまして、公表はしていませんが固有魔術をいくつも生み出しています。これもその内の一つですね」
条件発動魔術についても、ユリシアは多少の知識を持っていた。魔術を発動直前の状態で一時的に停止させ、それに再起動の鍵となる条件を組み込んで術式として設置する技術のことで、その工程が複雑すぎて扱えるものはごく一部らしい。第十階梯の系統魔術よりも難易度は高いだろう。
難易度はともかく、条件づけは術者の裁量次第だ。ユリシアとしてはそれについて口を出さずにはいられなかった。
「あの、どうして死んじゃうかもしれないギリギリところで発動したんですか?私は、シオウさんがいなくなるかもって、本当に怖かったんですよ・・・」
そのときのことを思い出したのか、ユリシアは小さく震えながら目尻に涙を浮かべている。シオウには謝ることしかできなかった。
「心配をお掛けしてすみませんでした。ですが、その理由は知らなくてもいいかと・・・」
そもそもシオウはその魔術によって今生きているわけではないのだ。そこに生じるデメリットを話す必要はない。だが、シオウの予想以上にユリシアは優秀だった。
「もしかして、代償みたいなものが必要だったりするんですか?希少で強力な固有魔術にはそういう対価を要求するものがあるって聞いたことがありますけど・・・」
鋭い指摘に、シオウは苦笑いを浮かべる。
「参りましたね、そこまでご存知とは。お嬢様の予想通りです。この魔術は、対象の肉体が元々保存している生命力を強制的に肉体の再生に使います。簡単に言えば、肉体的な寿命を縮めることで肉体を再生するということですね。彼としても、本当に死ぬ寸前の状態になるまでは発動しないように配慮したようです。死んでしまえばどれだけ肉体の寿命を残していても意味がありませんので、個人的には見合った対価だと思いますよ」
実際にその対価を支払ったわけではないが、現状はそれよりも確実に酷い。彼はそれを口にしないが、見る人が見ればその歪さに絶句するだろう。
シオウの説明に対し、しばらく何か考え込んでいる様子のユリシアだったが、ようやく口を開いた。
「そうですね、生きてこその未来ですもんね!」
自分に言い聞かせるようにそう言いながら笑顔を作ったユリシアを見て、シオウは複雑な気持ちになった。しかし、暗い雰囲気で話し続けるのも精神衛生上よろしくない。
「私の未来はお嬢様とともにあります。必要とされる限りは、いつまでも。これからどうぞよろしくお願い致します、お嬢様」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします・・・」
少し照れた様子で返事をしたユリシアは、シオウの嘘を見抜けなかったようだ。ただ、ときには必要な嘘もあることは間違いない。
それでも少し心が痛んだシオウはとある行動に出た。
「ここで起きたことを知っているのは、私とお嬢様だけです。先ほどの話は二人だけの秘密にして頂けますか?」
「は、はい。二人だけの秘密です!」
秘密の共有など友人のいないユリシアはしたことがなく、彼女にとって二人だけの秘密という言葉は素晴らしい響きだったに違いない。
どこか嬉しそうなユリシアに、シオウは先程思いついたことを実行に移した。彼自身も唐突であることは理解していたが、そんなことは気にしない性格のようだ。
「ありがとうございます。そのお礼に、というわけでもありませんが、今自分にしてほしいこととかありませんか?」
「い、いきなり言われてもすぐには・・・。あ!そうだ。あの、それって何でもいいんですか?」
突然のことに少し戸惑ったユリシアだが、シオウがそう言うのなら遠慮せずに頼ろうとすぐに決めたようである。しかし、ちょうどお願いしたいことを考えついたのはよかったものの、彼の負担にならないかは彼女もやはり気になった。
「はい、私にできることであればどのようなことでも」
だがその心配は必要ないことだった。心配せずとも何でもやってみせるという意思の力が、その返答にはあった。
ユリシアもそれを感じ取り、そのお願いを言葉にする。
「お父さんかお母さんに、私が無事だってことを伝えてくれませんか?もう心配を掛けてるとは思いますけど、あまり二人の負担になりたくないので・・・」
彼女らしいお願いだと、シオウは思った。だがその彼女らしさは、一方では美徳であっても、もう一方では不要なものだと思わずにはいられない。
彼は目の前の少女のためを思い、自分の考えを伝えることに決めた。それがただのおせっかいで、たとえ自己満足であろうとも、伝えたいと思ったのだ。
「かしこまりました。念話でレナードさんにお伝えしておきます。ですが一つだけ言わせてください。部外者が口を挟むことではないと分かってはいますが、お嬢様はもっと御両親を頼るべきですし、迷惑をかけるべきだと思います。事情は察しがついていますが、それは子どもが親に気を遣う理由にはなりません。自分で問題を解決できるなら構いませんが、お嬢様にはまだその力がありませんよね。それならまず頼るべきは御両親です。お二人は自らの意思で親になられたのであって、それは誰かに強制されたことでもなければ、仕方なくという理由からでもありません。お二人がご自身のことを心配していると分かっているなら、それが何よりの証拠でしょう。親が子を大切に思っているなら、子は親に甘えるべきだと私は思います。きっと御両親もそれを望んでおられるかと。ただ、お二人はお嬢様に対してもう一歩を踏み込めないようなので、そこはお嬢様から踏み込んでみましょう」
「シオウさんには何でもお見通しなんですね・・・。確かにそうですよね。互いに気を遣って、変な距離ができちゃって。お父さんとお母さんが私を大切に思ってくれてるってことは分かってたのに、私は二人を頼れなかった・・・。シオウさん、ありがとうございます。昔みたいに戻れるかは分かりませんけど、これからはお父さんとお母さんにちゃんと相談して、色んな話を聞いて貰います!でも、シオウさんにはもっと頼るかもしれないので、そのときはよろしくお願いしますね!」
その笑顔は、夜の闇の中でも太陽のように輝いていた。この輝きを守りたいと、彼はその眩しさに目を細めながら思った。
たとえ嘘をついてでも、どのような手を使おうとも、また命を落とそうとも、それだけのために生きることをシオウは決意した。
静かな炎が、何もない闇の中に生まれて燃え盛る。それはその闇の反対側にある光を、その圧倒的な熱量で守護しているかのようだった。
木々が燃えてその場に残った焦げ臭さは、丘に吹く風によって緩和している。しかし、まだこの時期の夜風は冷たく、二人の身体も冷え始めていた。
「<火炎>」
そこでシオウは魔術を簡単な魔術を発動し、熱と光を作り出した。
第一階梯の魔術は誰でも扱えるレベルで、魔術の基礎中の基礎だ。しかしマナの制御が上手くなければ暖を取ることはできず、火傷を負ってしまうこともある。だが制御さえ上手くできれば最低限のマナで温まることが可能だ。
少し寒いと感じていたユリシアは、その気遣いが嬉しかったようで、お礼を述べた。そして同時に、ここまで考える余裕のなかったことを尋ねた。
「ありがとうございます。あの、私も魔術を使えるようになったんですよね?」
「はい、その通りです。ただ、お嬢様はマナを放出できるようになったばかりなので、まずはマナの制御から覚えましょう。最初は難しいかと思いますが、これくらいならすぐできるようになるかと。それに、お嬢様なら先ほどの自分の魔術よりも上位の魔術も発動できるようになりますよ。特別マナ保有量が多いようなので、制御さえできれば必ず」
お世辞ではなく彼女のマナ保有量はシオウのそれを遥かに凌駕するものだった。これまで封じ込められていたためなのかは分からないが、それはアイツにも匹敵するとシオウは内心で驚いていた。
マナの保有量とは肉体に溜めておけるマナの上限のことで、基本的には両親からの遺伝形質である。しかし環境適応のための突然変異によって保有量が増加する例も確認されており、さらに訓練によってある程度上限を引き上げることも可能だ。
そのことは学園の授業でも習っているだろうと考え、シオウはそれについて触れず、将来の自分への期待に目を輝かせるユリシアへと告げた。
「お嬢様、そろそろ帰りましょうか。レナードさんとカレンさんが待っています。魔術のことは明日以降ということで」
いち早く魔術を使ってみたい気持ちはあったが、疲労困憊であろうシオウのことを考えれば無茶を言っていられない。それに彼女自身もこれまでに経験のない疲労感と脱力感を覚えていたため、素直に彼の言うことに従うのだった。
隣を歩くユリシアに視線を向けながら、シオウは少しだけ表情を険しくした。だがそれにユリシアが気づくことはなく、彼女は軽快に屋敷へと歩みを進めている。
(たとえ歪な状態であっても、俺は――――)
夜月に照らし出された彼の影は、別の光にも照らし出されているかのように、漆黒の度合いを深くしていた。
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