22. 騎士の思い、二人の距離
目の前で知らない男が泡を吹いて倒れた。おそらく毒を使って自殺したのだろう。
身動きが取れず、そのまま野獣に汚される運命にある自分を見て、その男は同情したらしい。そんなことをする人がいるということと、彼らの会話から、これは秘密裏に行われている少人数での隠密行動であり、テイツ皇子の独断で進められているものだと推測できた。
しかしそれが分かったところでどうしようもない。この状況をどうにかすることなど、ワタシにはできないのだから。
魔術で焼却されるその男の死体を無感情に眺めながら、既に壊れかけた精神で無意味な思考に耽る。
どうしてこんなときなのに、アイツのことばかり頭に浮かぶの?
忠告をくれたアイツなら気づいているはずだから?気づいているなら助けてくれるって、どこかで期待しているから?
いや、でも・・・やっぱり助けに来てくれないよね、アイツは。だって、面と向かって嫌いって言われたし・・・。
ただ、それでも、これは気のせいかもしれないけど、アイツはワタシのことを少し気にかけてくれている気がする。魔術で眠らされたとき、楽しくて幸せな夢が見られたから。あの精神状態で気持ちよく寝られるはずがない。だからそれはアイツのおかげなんだと思う。それにさっき忠告をくれたこともそう。どうして知っていたのかは分からないけど、確かに注意を促してくれた。
それなのにワタシは簡単に敵の罠に掛かって、姫様のことを危険に曝してしまっている。本当に愚かだ。近衛騎士なんてお飾りみたいなもので、本当のワタシはこんなにも弱い。アイツも失望したに決まってる。
こんな肩書きだけの役立たずでしかないワタシが助けを求めること自体、間違ってるのかもしれない。だけど、もし気づいているなら助けて欲しい。我が儘なのは分かってるけど、きっとここで汚されたらもう正気ではいられない。そうなったら、この後助かったとしても自分で命を断つことすらできなくなる。誰かに殺してもらうまで、肉体だけ生きた屍になるに違いない。
そんな残酷な終わり方なんて、そんなのってない。家族を狂った男たちに奪われて、トラウマを植えつけられて、誰かを愛することもできなくて。何も残せないまま、狂った獣に心を壊される最期なんて・・・。
誰でもいいから、ワタシを助けてよ。
誰でも・・・。
誰も言ってくれなかったことを、容赦はなかったけど言ってくれた。弱さに気付かせてくれた。このままじゃダメなんだって、理解させてくれた。
逃げるだけじゃ何も解決しないのに、過去を言い訳にして向き合うこともせず、周りの優しさに甘えながら生きてきたワタシに。
分からないことだらけで、怪しいところしかなくて。調子に乗っていて、容赦なく言葉攻めだってする。けれど、大事なことに気付かせてくれて、錯乱していたワタシに優しい夢を見せてくれて、ワタシのこと嫌いなはずなのに危険を教えてくれた。
アイツに謝りたい。感謝を伝えたい。だから、こんなところで終わりたくない。
助けて、助けてよ・・・。
女騎士の心からの願いを嘲笑うかのように、テイツが服を脱げと命令した。見えない白炎の糸に身体を操られ、団服を脱ぐよう肉体が強制的に動かされる。
肌が露になっていくにつれて気持ち悪さを増すその視線が、嫌悪感と恐怖を募らせていく。これだけでも十分な辱めであるのに、こんなのは生易しいと思えるほどの地獄が着実に近づいていると考えると、エレナは涙を堪えることなどできなかった。既に枯れたかと思うほど雫を落としてきた彼女だったが、際限のない恐怖が肉体の水分を涙に変え続ける。
ついに団服が完全に取り払われ、エレナは穢れを知らない肌の上に純白の下着を身につけるのみとなった。隠されていた美しい白い肌が曝け出され、それを見た獣の欲望が高まっていく。
興奮したテイツにその場で寝るよう身体を強制操作されたエレナは、容易くその場に転がされた。冷たいコンクリートの固さを気にする余裕などあるはずもなく、彼女はただ涙を流す。
涙に滲む女騎士の視界の中で、獣の肥大化した欲望が曝け出される。汚らわしいそれが向けられた瞬間、過去に母と姉が受けた仕打ちが克明にフラッシュバックして、エレナの意識が途切れそうになった。しかしそれすらも纏わりつく白炎の糸が許さず、強制的に意識を繋ぎとめられる。
(やっぱり助けに来てくれないよね・・・。すみません、姫様。どうか姫様はご無事で・・・)
混濁した意識の中で諦めの気持ちが生まれ、不甲斐ない自分を近衛騎士にしてくれた主へと謝罪する。
(アイツにもいろいろ言いたいことあったのにな・・・)
ずっと気になっていたアイツの顔を思い浮かべながら、それ以上見たくないモノを見ないためにエレナは視界を闇に閉ざした。
だから彼女は、その声が聞こえるまで気付けなかった。
「悪かった。間に合わなくて・・・」
迫ってきていた醜い獣の姿が消え、漆黒の影が壁となって自身を守っていることに。
肉体を縛っていた不可視の白炎の糸が、いつの間にか消失していることに。
ずっと頭の中にいたアイツが、助けに来てくれたことに。
そして彼が、酷く恐ろしい表情で影の中を睨んでいることに。
(マズイな、これは・・・)
とある場所でとある人物との話を終え、トーレンスへと戻ってきたシオウは焦った。
話が予想以上に長引いたこと、場所が離れていたために状況が把握できなかったことは仕方ない。
ただ、エレナには危険があることは伝えたつもりでいたものの、感情的になって口論で泣かせてしまったという負い目と気まずさがあり、詳しく伝えていなかったのは彼のミスだった。
マナの状態から、白炎に囚われたエレナがかなりの精神的ダメージを受けているとシオウは判断した。肉体の状態までは分からないが、もしかしたらあの屑皇子に何かされたのかもしれない。あれだけ男嫌いの彼女が精神的に壊れかけているということは、まさか・・・。
そこまで考えたところで、シオウは自身の心が怒りを通り越して冷徹になっていく気がした。
「<闇夜ヲ暗躍セシ黒影>」
第八階梯の補助魔術を発動した彼の姿が足元の影に沈み、影を渡って瞬時にエレナの近くへと移動する。気配を完全に消していた彼に、少し離れたところで見張りをしているテイツ・サルオンの護衛である二人の男が気づくことはなかった。
影に潜み気配を消して路地裏に移動したところでシオウは見た。獣が醜い欲望を女騎士に向け、汚い手でその白く美しい肌に触れようとしているところを。
白炎の糸で身体の自由を奪われ、あられもない姿で地べたに寝かされて、涙を流している少女の姿を。
また涙を流させてしまったという自責の念と、今まさに彼女を汚そうとしている醜悪な獣に対する怒りが、彼の中の何かを壊した。
「<黒キ暴食ノ闇玉>」
しかし、その激情に任せて害獣を殺すことはできない。相手は仮にも一国の皇子であり、次期皇帝候補の一人なのだから。ここでテイツを殺してしまうと、国際問題に発展しかねない。
野獣を黒の檻に閉じ込め、シオウは新しく手にした力を少し解放した。それを薄い刃にして放ち、テイツとエレナの間にあった白炎の糸を断ち切る。
なんとか最悪の事態は防いだが、近くにきて初めてエレナの精神がどれほど深刻な状態であるかを詳しく把握したシオウは絶句した。
(これは・・・)
既に心神喪失していてもおかしくないくらいに、エレナの心は深く傷つけられていた。戻ってくるタイミングが後少しでも遅れて、彼女がその肉体をも汚されていたとしたら、もう彼女に謝ることなどできなかっただろう。そのくらい彼女の精神はギリギリの状態で保たれていた。
身体に触れることなく、ここまで深刻な精神的ダメージを与えたということは、おそらく男嫌いの原因となる過去の出来事を利用したのだろう。過去のトラウマを、その力で強制的に思い出させたのかもしれない。
国家間の問題など知ったことかと思わずにはいられなかった。
皇族としての自覚はなく、その責任も果たしていない。さらには他者の尊厳を踏みにじり己の欲望を満たす。そのような屑からエレナを守れなかった自分自身にも、シオウは静かに憤怒していた。
「悪かった。間に合わなくて・・・」
口論で泣かせたことに対する謝罪については後にして、シオウはただ現状に関して謝罪した。
声を聞いて目を開けたエレナは数秒掛けて状況を把握し、疑問の残る表情で口を開いた。
「来て、くれたんだ・・・。でも、どうしてワタシなんかのこと・・・?」
嫌いなはずの自分を何故助けたのか。それを疑問に思っているのだろうということはすぐに分かった。あの口論を考えれば、確かにそう思うだろう。
「その説明はまた後で。とりあえず身体は動くと思うから、落ちている服で肌を隠すなりしてくれ。・・・目のやり場に困る」
「・・・へ?」
状況に追いつけていないエレナは、シオウに言われてようやく自分の格好に気づいた。顔が羞恥で朱に染まる。
「み、見ないで!見たなら忘れてっ!」
急いで団服で肌を隠し、エレナは白い肌を真っ赤にして叫んだ。
まだかろうじて下着が残っていたからいいものの、もしも裸を見られていたら、と考えるとおかしくなりそうだった。いや、たとえ下着姿でもこんなヤツに見られるなんて、とあうあう言っている彼女はどこか元気そうである。
「ワタシ、もうお嫁にいけない・・・」
酷い目に遭ったばかりだというのに冗談のようなことを呟くエレナに、殺気立っていたシオウは呆気に取られて冷静になった。
そのおかげもあり、彼も乗っかって返事をする。
「いや、そもそも男嫌いを直さないとお嫁にはいけないだろ・・・」
「そ、それは、がんばって克服するもん・・・」
指摘されたことが図星だったエレナはさらに頬を赤らめながら、克服に向けて努力をする姿勢を見せた。
そのことに対し、感心した様子のシオウは思わず本音を漏らす。
「そうか、やっぱりお前は凄いな・・・」
「えっ、今なんて言ったの?」
小さな呟きだったためかエレナには聞こえなかったようだ。シオウは彼女が気づけない程度に小さく笑いながら、そのことを誤魔化す。
「克服しても相手がいないだろ、って言ったんだよ」
「そ、そんなことないわよ!ワタシに惚れる男なんてたくさんいるわ!たぶん・・・」
ムキになってそう言った割に、やはり自信がないのか、最後の方は声がだいぶ小さくなっていた。上手く誤魔化すことに成功したシオウは、少し楽しくなってきたというような様子で会話に興じる。
「そうだな。男嫌いを直して、後は黙っていれば寄ってくるんじゃないか?」
「ねえ、喧嘩売ってるの?性格に難有りってことよね、それ?」
コロコロと表情の変わるエレナを面白いと思いながら、彼はまた同じように小さく笑みを浮かべて返事をする。
「そう思うならそうなんじゃないか?まあでも俺はお前のそういうところ、今は嫌いじゃないけどな」
「そ、そうなんだ・・・。じゃなくて、そこまで言うならアンタにも克服するの手伝ってもらうからね!」
何故エレナが少し嬉しそうなのかシオウには分からなかった。そしてもちろん、男嫌いの克服を手伝えということを彼女が照れ隠しで言ったことにも気づいていない。
だから、というわけではないだろうが、彼はいたって真面目な口調で返答した。エレナが意外に思うほど、この件に関してどういうわけか非常に協力的な様子のシオウである。
「クレア様がここに滞在する間だけでいいなら・・・。そうだな、もしその間に克服できたら、何でも一つ言うこと聞いてやる」
「・・・後悔しても知らないわよ。後でそんな約束してないとか言ってもダメなんだから!」
「男に二言は無いよ。・・・それより少し離れてろ。ヤツが出てくる」
魔術で作り上げた黒いドーム状の壁が内側からの魔術を一度消滅させて少し経ってから、テイツが白炎の力を解放して魔術を発動しようとしていることに、シオウは気づいた。
その魔術を消滅させることができないということは簡単に予測できる。
警戒を強めて離れているように告げたシオウに対し、団服を羽織って立ち上がったエレナはその場に留まろうとした。
「ワ、ワタシも手伝うわ。このままやられっぱなしで終われないもの・・・」
しかし、どう考えてもそれは不可能だとシオウは思った。
「ダメだ。今の精神状態で上手くマナを制御できるとは思えない。だから無理せず俺に任せればいい。それに、俺みたいな怪しい人間は実績を挙げないと信頼して貰えそうにないからな。ちょうどいい機会だ」
安心させようとしているのか、不器用ながらも小さく笑みをつくりながら任せろと言ってくれるシオウに、エレナもこれ以上食い下がろうとは思わなかった。
テイツがまた目の前に現れると思っただけで恐怖が生まれ、身体が震えてしまう。そしてマナもそれによって不安定になっている。そのことを自覚していたエレナは、シオウのその不器用な優しさが妙に嬉しかったのだ。
「・・・分かった。今回は任せる。アンタの実力、見させてもらうわ」
そう返し、震えがおさまった足を動かしてシオウとテイツのいる位置から距離を取ったエレナは、内心で小さく呟く。
(別にそんなことしなくても、もう十分私は・・・)
エレナ自身よく分かっていない感情のこもった視線をシオウに向けたとき、黒い壁に亀裂が生じ、そこから白い光が溢れ出した。
白光は黒壁をあっという間に飲み込んでいき、そして白炎を纏った野獣が解き放たれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます