21. 時間稼ぎと獣、そして檻

 己の欲望を満たすため非道な行いに走るサルオン帝国の皇子、テイツ・サルオン。その近くで周囲の警戒に当たっていた部下の男の一人は、白帝の血族としての誇りなど見る影もない主の様子を見て、既に精神を壊されかけている騎士の少女が更に酷い仕打ちを受けて凄惨な未来を迎える光景など、見たくないと思った。その計画に加担している自分には同情する資格すらないのかもしれないが、これを見過ごしてしまえば妻と娘に合わせる顔がないと、その男はわずかに残っていた勇気を振り絞る。


 「テイツ様、お急ぎになった方がよろしいかと。休日ということで街では多くの人が行き交っています。人気がないとはいえ、留まり続けるのは目撃されるリスクが高まるかと」


 「おいおい、いいところなんだから邪魔してくれるなよ。近づいてきたなら排除すればいいだろ?死人に口なし。それがお前たちの仕事だ。殺すのが嫌なら人払いの結界でも張っていればいいじゃないか。まあそんな高位の魔術がお前に使えるとは思わないがな」


 道具としか思っていない部下に楽しみの邪魔をされたテイツは苛立ちを隠さず、逆らう操り人形が口にした戯言を一蹴した。


 いつものことながら、自分の世界に入ってしまうとこの悪魔は後のことなど気にせずにやりたい放題やるな、と主から敵意すら向けられている部下の男は思った。正直なところ、すぐに殺されることが分かっていた彼は、目の前で尊厳を踏みにじられようとしている少女のために少しでも時間稼ぎをする覚悟だった。彼女に助けがくるかどうかなど分からないし、この行動が自己満足でしかないことも分かっている。しかし彼に迷いはなかった。


 「しかし、他国で大きな騒ぎを起こすのは祖国の現状を考えれば得策ではありません。今はクレア姫との交渉を早急に終わらせ、事態の発覚を隠すことが重要ではないでしょうか」


 「・・・お前は自分の立場が分かっていないのか?私の言うとおりにしていればいいものを、手間を掛けさせてくれる。・・・ああ、そうか。そういうことか!確かお前にはこの女と同じくらいの年の娘がいたな。見ていられなかったとか、同情したとか、そういうことなのだろう?そんなもので私の邪魔をするとは愚かな。だがまあ、お前は手駒の中ではマシな方だから、特別に温情をやろう」


 一度言葉を区切り、テイツはこれまでよりもさらに狂気に満ちた気色の悪い笑みを浮かべながら命令を告げた。


 「用済みのそこの小娘を殺して処理しろ。今ここでな」


 「な、何を言っているのですか!?この子は殺さないという話だったはず!」


 「ああ、そうだな。確かにそのつもりだった。秘密裏に計画を進める上で、不必要に事件を起こしたくなかったからな。だが気が変わった。それだけだ」


 意識を失って倒れている、この街で拉致した少女。生きて返すことを、その罪を犯すせめてもの免罪符にしていたその男にとって、主の命令はあまりにも非情だった。


 「そ、それはできません・・・。自分はこの子を、殺せません」


 「そうか、なら私が殺させてやろうか?お前の身体はいつでも操れるのだからな」


 強制的にその少女を殺させると言ったテイツを前にして、その男が選ぶ道はもはや一つしか残っていなかった。胸のうちで自分の帰りを待つ家族に謝り、最期の覚悟を決める。


 (すまない・・・)


 テイツが狂った笑顔で右手を動かそうとしたその瞬間、その男は突然泡を吹いて倒れた。


 計画中に捕縛されたとき相手に情報を与えないようにと口内に仕込まされていた毒薬を使ったのである。


 当然テイツにはそれを止めることもできたが、言うことを聞かない下僕など必要なかった。


 「死者でも操作はできるが・・・不要だな。<焼尽劫火>」


 赤系統の魔術で男の肉体を消し炭にし、次にテイツは意識を失って倒れている少女に視線を向けた。そして聞こえているはずのない相手に向けて声を掛ける。


 「将来的に私好みの女になるだろうし、今は何もしないであげよう」


 下僕の男に殺せと言ったのは反応を見て楽しむためであって、彼はその少女を殺すつもりなどなかった。もし本当に殺そうとしていたら、そのときはテイツがその手で、今は炭になった男を殺していただろう。


 テイツ・サルオンは女を愛でるものだと考えている。その愛し方が異常なだけで、自分好みの女を無闇に殺しはしない。必要なら躊躇無く殺すが、今はその必要がなかった。死んだ部下の男は、主のそういった面を知らなかった。


 「さて、邪魔者もいなくなったし始めようか。あまり優しくできる自信はないが、すぐに君も快楽に身を委ね、私の虜になるだろう!」


 野獣が叫ぶ。欲望のままに。だが彼は、最初から目当ての身体を蹂躙するような面白みのないことをするほど単純な男ではなかった。


 「さて、まずはその邪魔な服を脱いでもらおうかな」


 じっくりと楽しみたいタイプなのだろう、テイツはエレナ自身に衣服を脱がせることから始めた。今まで地べたに張りつけられていた肉体が勝手に動き、エレナはその場に立って団服に手を伸ばした。


 羞恥や屈辱、絶望など、様々な感情を宿した彼女の複雑な表情を、テイツは酷く幸せそうに眺めている。そして露になっていくエレナの美しい肌を見ながら、その衝動を高めていく。


 王族近衛騎士に与えられている白の団服を強制的に自身の手で脱がされ、ついに下着でその領域を隠しているだけになったそのエレナの身体の美しさに、テイツはさらにその欲望を高め、興奮度を増した。


 「あぁ、期待通りの美しさだ!その穢れを知らない純白の肌!これまで誰にも触れられたことの無いであろう無垢な肉体!そして過去の恐怖に支配された壊れかけの心と、絶望と涙に染まった愛らしい顔!その全てが、私の欲望を大きくする!野外というのは多少思うところもあるが、仕方ない。さあ、そこに寝て私に純潔を捧げて貰おう!」


 肥大化したそれが、エレナの精神と肉体を引き裂くために近づく。


 欲望に満ちた醜悪な顔で笑いながら、地べたに寝かされたエレナの小さな身体に手を伸ばすテイツは、その瞬間誰が見ても一匹の野獣だった。決して一国の皇子などと思う者などいないほどに。


 大陸の英雄の血を引き、さらには特別な力をも継承した彼は、魔物から民を守るべき存在であるはずなのに。ましてその力で少女を拘束し無理やり己の欲望を満たすなど、皇族としてだけではなく人間としても認められない、ただの獣だった。





 「な、何だこれはっ!」


 だからこそ、欲望のままに人を襲う獣が檻に入れられるのは当然のことと言えた。


 残り数センチで魅惑の甘い果実に手が届くというところで、欲望の獣はその手を漆黒の壁に阻まれた。視線を外すことのできなかった美しい女体も、黒い壁の向こうに消えてしまう。周囲を見回すと、黒い壁はドーム状に展開してテイツを閉じ込めていた。


 「黒系統の魔術か!・・・見張りの奴らは何をしていた!」


 もちろんその声は黒い壁に反響し、そのドーム状の空間から外に漏れることはない。黒い壁に囲まれて暗闇に包まれたテイツは、怒りはしていたが焦ることはなく、魔術でそれを打ち破ろうとする。


 「<炎獅子ノ爪牙>!」


 赤炎の獅子が現れ、その牙と爪を黒い壁へと突き立てる。


 だがその獅子の攻撃は黒い壁に傷一つつけることができず、炎獣はその熱までもまるで存在しなかったかのように、黒き闇に吸い込まれて消失した。


 「この魔術はいったい・・・。こんな魔術なんて知らないぞ、私は。オリジナルだったとしても、どうして発動のマナを感知できなかった?」


 魔術の才能に恵まれ、そして皇族として魔術を学ぶ機会も多かったテイツは現存している魔術のほとんどを知っている。その彼が知らないということは固有魔術の可能性が高いのだが、それを持つのは極一部の例外的な存在だけだ。継承者ほど少なくはないが、それでも大陸に五十人もいないとされている希少な存在である。そしてその魔術は総じて規格外のものであり、大量にマナを消費するため発動を隠すことは困難だ。まして魔術の才能に恵まれ、高い実力を持つテイツがそれを感知できないほど隠蔽するなど、ほぼ不可能と言ってもいいだろう。


 「だとすると、これはアレンジか・・・」


 先ほどまでの興奮状態が嘘のように、テイツは冷静に現状を分析していた。どれだけ人間として屑であっても、魔術としての実力は優れている。非常時には頭の回転も速いようで、彼は自分を囲む黒い壁がどういったものなのかに気づいた。


 体系化されている現代魔術において、同じ魔術であればそれは誰が使おうと見分けがつかなくなるほど違ったものになるということはない。だがときに、その魔術を自分の扱いやすいようにアレンジし、効力を保ったまま全く異なる形で使用することができる熟練者もいるのだ。ただ、そのアレンジをする暇があるなら他の魔術を覚えてバリエーションを増やした方が役に立つということで、これを習得する者は限られている。


 それでも今自分を囲う魔術を見て、術者が相当マナの扱いに長けていることはすぐに分かった。アレンジ魔術に対しては否定的なテイツだが、ここまでの魔術に仕上げていることを素直に面白いと思った。


 「邪魔をされてどうしてやろうかと思っていたが、これなら随分良い操り人形になってくれそうだ」


 余裕の表情の中に、己の手駒にしてやるという所有欲が浮かび上がる。


 「さて、素晴らしい魔術ではあるけど、私の女を隠してしまうなら壊さずにはいられないな」


 白い炎が、暗闇を一瞬で白に染めた。


 「<白キ閃光>」


 テイツから放たれた白光が、黒壁を全て飲み込んでいく。そうして白の皇子は黒の乱入者と対峙することとなる。


 たかが第三階梯の魔術に、第六階梯<黒キ暴食ノ闇玉>が打ち破られた瞬間だった。


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