19. 姫と騎士
「うぅ・・・。ふぁーぁ」
小さい欠伸をしながら、エレナは気持ちよく目覚めた。時間としては一時間弱といったところである。長距離移動で疲れていたことも彼女にはちょうどいい休息だった。
近くでその寝顔を眺めていた眠り騎士の主であるクレア姫は、優しく微笑みながら寝起きの可愛い近衛騎士に声をかける。
「おはよう、エレナ」
居眠り中のエレナを発見してしばらくは昨夜の件に関するニュースを情報端末で見ていたクレアだが、自身の活躍が大袈裟に書かれている記事の多さに辟易し、心地よさそうな寝顔を見て癒されていた。記事に思い人のことがまったく書かれておらず、昨夜の功績を独り占めする結果となったこともまた、彼女が癒しを求めた理由なのかもしれない。
寝ぼけ眼の状態で凛とした声を聴いた姫騎士は、ハッと我に返って声の主へと視線を向けた。そこにはもちろん、エレナが仕える姫君の姿がある。
「えっ!ひ、姫様っ!?」
思考がクリアになってきたことで状況を理解した昼寝騎士は、ソファから飛び起きて姿勢を整えると同時に謝罪した。
「すみませんでした!いつの間にか眠ってしまい、護衛の任を疎かにしてしまいました・・・」
今にも泣き出しそうな様子で謝罪するエレナに、クレアは意地悪な笑顔を浮かべて言葉を返す。
「別に気にしなくていいわよ、エレナ。アタシは貴女の幸せそうな寝顔を見れて満足しているわ」
「は、恥ずかしいので忘れてくださいっ!」
「それは無理ね。端末で写真も撮ったし、いつでも見れるから」
「なっ!それ消してください!」
必死の形相で消してくれと頼む近衛騎士に、主はますます意地悪をしたくなった。ちょうど聞かなければならないこともあったため、彼女は楽しそうに会話を続ける。
「うーん、どうしようかしら。そうね、アタシがいなかった間に何があったのか、正直に話してくれたら考えてあげるわ」
消すと断言せずに条件を出したクレアからは、写真を消すつもりがないという固い意思があった。だが、痛いところを突かれたエレナはそれに気づいていない。
「うっ、それは・・・」
「それは?」
どこか怒りの感情が伝わってくる主から目を逸らし、エレナは冷や汗をかきながら沈黙した。
「・・・」
「そっか、言えないのね。じゃあもういいわ。エレナの身分証の証明写真はこれに差し替えておくわ。今後は皆に可愛いところも見せていかないとね」
権力の乱用とはこういうことをいう。ただの脅しではなく、実際にクレアであればその残酷な仕打ちが可能であることを知っているエレナには、もはや逃げ道などなかった。
「い、言いますからそれだけは止めてくださいっ!」
「アタシは可愛くていいと思うけどなぁ。でもそんなに嫌がるなら仕方ないか・・・。それで、何があったの?」
「実は――――」
エレナから彼女目線の主観的な情報を聞き、クレアは額に青筋を浮かべていた。怒りの矛先はシオウではなく、もちろん目の前で正座中の姫騎士である。
「へ、へぇ・・・。エレナのことは分かってたつもりだけど、まさかそんなことを・・・」
「あ、あの姫様、怒ってらっしゃいますか?」
エレナはおそるおそるそう尋ねたが、自分にも責任があることをきちんと自覚しているクレアは近衛騎士を責められなかった。
「ええ、そうね。何となく予想できていただけに、釘を刺しておかなかった自分が不甲斐ないわ・・・」
「無理なものは無理なんです!姫様が一緒でも、男と同じ空間で生活するなんて絶対に・・・」
聞く人が聞けばただの我が儘だが、そう主張する理由を知っている姫としてはやはり強く言えない。
「彼はそういうことしないと思うし、エレナにとってもいい機会だと思ったんだけどね・・・。それに、エレナだっていつまでもこのままじゃダメってことは分かっているのよね?」
「別に私はこのままでも・・・」
「そう・・・。まあ本人がそれでいいなら構わないわ。でも突然誰かを好きになることもあるんだから、その時はきちんと向き合わなきゃダメよ?」
自分自身の経験を元に姫君が口にした言葉から、付き合いの長い近衛騎士はすぐにそのことを察した。
「あの、はっきり聞いていませんでしたけど、もしかして姫様がトーレンスに滞在しているのって・・・」
「そうね、たぶん考えてる通りよ。アタシはシオウくんが好きなの。なのにエレナのせいで彼はどこかに行っちゃったわ」
隠すことなくはっきりとそう言い切った姫君に、近衛騎士は少し焦った様子で意見を述べる。
「お、お言葉ですが、姫様にあの男はふさわしくないかと・・・。それに、あのような素性の知れない者をお相手に選ぶなど認められるはずもありません」
「そんなのは周りが勝手に言ってるだけで、お父様もお母様もアタシの好きな相手で構わないって言ってくれてるわ」
毅然とした様子で断言したクレアであったが、どれだけ自分の好きになった人と結婚したくても、そしてそれを両親が肯定しようとも、王族という立場である上、どうしても相手にはそれなりの身分というものが求められる。
国内であれば有力な貴族や名家に連なる者、国外なら王族や皇族、またはそれに近い家格の者。
その理由は単純で、魔術の才能が遺伝的に決まるという一点につきる。
今現在、貴族や名家という立場にある家は、統一国家が五つの国に分裂した後に各国で魔物と率先して戦い、功績を上げて生き残ってきた一族である。魔物から民を守るという職務を果たすことと引き換えに、貴族や名家の一族はある程度の特権を与えられているというわけだ。その役割からも分かるが、彼らは魔術の才能に秀でているからこそ今の立場にあると言ってもいい。
かの白帝の直系である王族・皇族に関しても、やはりその魔術の才能は秀でている。魔術の実力は努力で伸びる可能性もあるが、才能の限界を超えることは極めて難しいため、王族や貴族、名家の人間はそういった家の間で婚姻関係を結ぶことが慣例化した。一般の民も力ある貴族に守られている自覚があるため、この風習に納得している。もちろん身分違いの恋愛もそれなりにあって、今はそれが責められるほどお固い世の中でもない。
それでも王族というのは特別で、この大陸で神聖視すらされている白帝の血統は、魔術的にも高位でなければならないという一種の不文律が存在するのだ。そのような理由で、クレアの結婚相手は本人を含む王族の意思に関わらず、有力な家の者が何名か候補として挙げられている。
「今のところ名前が挙がっている候補者の方は、他国ではサルオン帝国のテイツ・サルオン皇子とカザツキ皇国のシレン・カザツキ皇子、このお二人ですね。ここシンテラ王国だと王都の守護を任されているような有力な貴族・名家のご子息が数名挙げられています。姫様にその気がなくても、この中の一部の方は姫様を娶ろうと必死になっているのですよ」
「それは前も聞いたわ。でもテイツは人として最低の屑だし、王都を守る貴族連中なんかは、腐った軍事部のせいでろくに戦えない雑魚ばかりよ」
「酷い言い草ですね・・・。確かに私としても、彼らに姫様は相応しくないと思いますけど・・・」
「唯一シレンくんはまともな皇族だけど、きっと彼は次期国皇としてカザツキを統べることになる。彼は継承者ではないけど、魔術師としての才能はアタシがこれまでに出会った誰よりも上で、しかも常人にはできないほどの鍛錬を積んでいる本物の天才だった。一度魔物と戦っているところを見ただけけど、絶対に越えられない壁があることを理解させられたわ。
そんな人のところに継承者のアタシが嫁いだら、ここまで保たれてきた五大国のパワーバランスが一気に崩れるわ。彼を候補に挙げている奴らはそれを理解してないのよ。
たぶんだけど、アタシと彼が一緒に戦えばこの大陸を統一できる。もし彼が継承者なら、あの白帝と同等の英雄になって独りで大陸を再統一できたでしょうね。魔術だけで継承者と並び立つ実力者なのよ、彼は・・・」
どこか怯えるようにそう語るクレアが見たシレン・カザツキは、影武者のシオウではなく本物の彼自身だ。シオウがシレンとして出会ったときとは別に、クレアは遠目からではあるがシレン本人を見たことがあった。
「以前お見掛けしたときにはそのような印象は受けませんでしたけど・・・」
「優れた魔術師は実力を隠すのも上手いわ。普段は完璧にその実力を隠しているんでしょうね。まあそういうわけだから、アタシはその候補者の誰とも結婚なんてしないわ」
「だからといって、氏素性も分からない異国の馬の骨を相手に選ぶことが認められるはずありません」
エレナとしても主の幸せが第一だと思っているが、その思い人はあまりにも謎が多く、素性を明かさない点も怪しい。それに先ほどの件も重なって、エレナはシオウに対してマイナスイメージしか持っていなかった。
故にエレナは否定的なのだが、クレア自身はその意見を聞いてはいても、聞き入れるつもりはなさそうである。
「まあ確かに家のことは彼自身が隠しているから分からないけど、その魔術の実力で認めさせればいいのよ。シオウくんの実力はアタシと同じかそれ以上だと思うし、きっとカザツキでも有力な家の出に違いないわ。もしかしたら皇族の傍系だったりするのかもしれないし!」
「・・・そうだといいですね」
あまりにも前向きなお姫様の発言に、近衛騎士は呆れた様子で相槌を打つことしかできなかった。だがクレアはその騎士の様子に気づくことなく、今回の問題を作り出した元凶であるエレナに指示を出す。
「そういうわけだから、エレナは早くシオウくんを見つけてきなさい。彼もユリシアとの約束があるからこの街にはいるはずよ。アタシはここで待っているから、ちゃんと謝って彼を連れて帰ってくること」
「えっ!?私一人で探すんですかっ?」
「当たり前でしょ。アタシが街に出たら気を遣わせて、せっかくの休日をみんなが楽しめないじゃない。しばらく留まることは伝わっていると思うけど、一応仕事で来ているわけだし自由に歩き回ることもできないのよ」
「そういうことなら仕方ありませんね・・・。でも、連れ戻したところで一緒に生活とかワタシには無理ですよ?」
エレナはクレアの命令に逆らうつもりはないが、どうしても譲れない点はある。考えただけでも怖気が走るのに、実際に生活空間に男がいたらどうなってしまうのだろうか。
もちろんクレアとしても、エレナにそれを強制するつもりはない。過去の出来事から植えつけられた彼女のトラウマが、簡単に克服できるものではないと分かっているから。
「それは彼が帰ってきたら三人で話し合いね。アタシの方でも何か考えとくから、今はとりあえず探しに行きなさい。この宿舎にはシオウくんが結界を張ってくれてるみたいだし、アタシの実力はエレナも知っている通りだから、護衛に関しては大丈夫よ。そうね、一時間を目安にしましょうか」
「話し合いについては分かりました。ですが、あの、この広い街を一時間で探すんですか・・・?」
不安な様子でそう尋ねるエレナに、クレアは意外そうな表情で答えを返した。
「エレナの実力ならその半分でもいけると思うんだけど、過大評価だった?」
「い、いえ、必ずやご期待に応えてみせます」
これまで護衛としての役割を果たしたことのないエレナは自分に自信を持っていなかった。だがそんな自分でもきちんと評価してくれていることを知った彼女は、護衛とは関係ない任務ではあるが期待に応えなければならないと思ったようである。
「それじゃ待ってるから、いってらっしゃい」
「はい、行って参ります」
そうしてエレナが宿舎を出て一人になったクレアは、リビングのソファから立ち上がって窓から空を見上げた。午前中とは打って変わり、今にも雨が降りそうな暗い空が広がっている。そのせいかクレアは胸騒ぎを覚え、その胸に手を当てて呟いた。
「何か嫌な予感がするけど、大丈夫よね・・・」
その呟きにもちろん返事はなかったが、その予感は正しいと誰かに肯定されているような気がして、不安を打ち消すことはできなかった。
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