5. 戦闘、願い、そして白炎


 (まったく、昨日死にかけたばかりなんだけどな・・・。ようやく手に入れた自由は一瞬か)


 口元に笑みを浮かべながら自身の不幸を呪いつつ、シオウは接近する災厄を待ち構えていた。あまりの存在感と規格外の力を一身に受け、冷や汗が背中を伝う。喉から水分はなくなり、しきりに生唾を飲み込む。


 (突然幻獣種が生まれるのはおかしい。だとしたら何者かがここに転移させた?誰が、何のために?そもそもそんなことが可能なのか?)


 身体の震えを抑えつつ、尽きない疑問に頭を回転させる。その疑問の多くには答えが出なかったが、一つだけ確かなことがあった。


 ここで彼がすぐに殺されれば、彼の大切な存在だけでなくトーレンスの住民が大勢死ぬ。そして対応が遅れれば他の地域にも多大な被害が出るということだ。


 (まあカザツキは近いし、アイツが出てくれば何とかなるだろうけど、自国に被害が出る状況にならないと動かないか・・・。それにレナードさんが救援要請をしていたとしても、幻獣種だと分かっていないとしたら、半端な救援は無意味だ)


 そこまで考えたところでシオウは思考を中断させられた。迫ってきた災厄、最強と言われ、魔物の中でも最上位に位置する幻獣種の化物が襲い掛かってきたために。


 思考を巡らせながらも気配の感知を怠っていなかったシオウは、その魔物が翼を羽ばたかせて放った鋭利な風の刃を、慌てることなく冷静に回避してみせた。地面に衝突したその攻撃が大地を大きく抉り取る。


 その威力に目を瞠っていると、化物が再び翼を羽ばたかせ、新たな殺傷性の風を生み出した。今度は鋭利な風が渦を巻き始め、竜巻となる。迫りくる暴風に触れた周囲の木々が一瞬で細切れになり、夜の闇に舞い散った。


 「さすがはグリフォンってところか・・・」


 言わずと知れた架空の生物、グリフォン。鷹や鷲の上半身と獅子の下半身をもつ伝説上の存在。自然のマナから生まれた小さな魔物が、人を殺してマナを奪うことで進化し、その果てに辿り着く最悪の天災。


 その災害の危険性は翼から生まれる鋭利な風だけではなく、その嘴から放たれる火炎や強靭な脚力など様々だ。グリフォンの出現例は過去に一度だけあるが、それはこの大陸が一つの国家によって統一されていた時代まで遡る。それでも現在までその存在が伝わっているのは、その時代に大きな被害をもたらしたからに他ならない。


 全てを巻き込みながら向かってくる竜巻の対処に悩んだシオウは、ひたすら逃げ回ることしかできなかった。よほど強力な魔術でもない限り相殺すら難しい威力であるため、一人ではこれを止めるだけでマナが尽きてしまう。


 速度に自信がある彼は時間稼ぎのため、魔術で身体能力を強化して辺りを逃げ回る。そして同時に自身への注意が削がれない程度に、彼我の距離を保つことも忘れない。逃げ続けてどうなるという疑問はこの際考えず、彼はできることだけに注力した。


 あまりに標的へ当たらないため、グリフォンは竜巻での攻撃を諦めた。暴れ狂う竜巻を消失させ、今度は素早い獲物に向けて強力な炎弾を何発も同時に放つ。


 強大な熱量をもった炎塊が広範囲に振り注いだ。耳を劈くような爆発音が響き、周囲は爆炎に包まれる。その絶大な威力の炎から生じる圧倒的な熱によりシオウは全身に火傷を負ったが、体内のマナを循環することで治癒を促進させ、無理やりその身体を動かした。


 大地や木々が焦げる臭いを鼻に感じながらも両足は止めることなく、爆発音でいかれた鼓膜の回復にマナを使う。だがこのままではジリ貧で、マナがなくなった瞬間に殺されて終わる。身体強化を全力で発動し続け、身体を動かすための治癒にもマナを割いている現状を鑑みると、このままでは数分で限界を迎えるとシオウは判断した。


 それでもここで逃げ出すわけにはいかず、死ぬわけにもいかない。まだあの少女を救っていないのだ。初めて自分の意思で決めたことすら成し遂げられずに死ぬこと、せっかく死にかけて手に入れた自由を無駄にすることは、絶対に自分自身が許さない。


 あれだけ少女に偉そうなことを言って救うと約束したのに、突き放して酷い言葉で別れを告げてしまった。味方だと言っておきながら、彼女を傷つけた。それを謝ることもできずこのまま死に、再び彼女を一人にはしたくない。


 その思いだけでシオウはグリフォンの注意を引きながら逃げ回り続けた。炎弾と共に乱れ撃ちされる風の刃で身体を何箇所も切り裂かれ、大量の血を失いながらも、彼はただひたすらに逃げ続けた。

 

 グリフォンに対して攻撃など一度たりともできていない。それどころか近づけてすらいない。敵の攻撃が止まる様子もない。マナもほぼ尽きた。


 だがここまで何もできない一方的な戦闘を、彼は何度も経験したことがあった。


 慢心ではないが、人間の魔術師としてはトップクラスの実力を持っている自負が彼にはあった。そこらの魔物など簡単に倒せるし、対人戦に関してもある程度の数的不利なら跳ね返せる。それだけの力を持っていても無力を痛感する相手が、彼のもっとも身近なところにいたのだ。命は懸かっていなかったが、そういう戦闘を何度も経験してきた彼からみれば、グリフォンはその相手以下だ。だからこそ屈することなく、絶望的な状況でも諦めずに動くことができる。


 周囲は地獄の炎に支配され、風の刃を無数に浴びた大地は平らな箇所を残していない。その被害が街に及んでいないのはシオウが必死に敵を留めているからか、それとも敵が己の意思でその場に残っているだけなのか。


 圧倒的強者であるグリフォンはいつまでも仕留められない獲物がそろそろ限界であることを感覚で察知したのか、遠距離からの攻撃を止め、その巨体でシオウに向けて突進を始めた。


 「くそ、速すぎるだろ!」


 狙いをつけられたシオウはそう毒づきながら、その圧倒的質量を持つ砲弾を回避しようとした。グリフォンが全身に纏う鋭利な風に触れてしまわないように、大きく。


 だが疲労のせいで、その風の有効範囲からギリギリ逃れられなかった。


 スパッと、綺麗な音が彼の耳に届いた。そして宙を舞う腕が視界に入る。一瞬で左腕を刈り取られ、噴き出した血飛沫で左半身が真っ赤に染まる。


 左腕が切断されたことを彼が認識したときには、通り過ぎた敵が方向を変えて再び突っ込んできていた。腕を失ったショックなど意識する間もなく、わずかに残った力を振り絞って回避のために不安定な大地を蹴る。


 しかし踏み込んだ力によって、脆くなっていた地面が崩れた。


 「なっ!?」


 体勢を崩した彼の正面から致死の風の砲弾が迫る。避けることは不可能だと瞬時に理解したシオウは、残った少ないマナを防御魔術に充てた。


 「<障壁>!」


 だがその魔術によって作り出された壁はあまりにも薄く、ほとんど守りの意味をなさないほどに脆かった。


 死の風に触れた壁は一瞬で消し飛ぶ。しかしその一瞬だけ存在した壁によって衝突の威力と風の刃を滑らせることで、身体が細切れにならない程度に衝撃を受け流した。


 受け止めるのではなく受け流す。言うのは簡単だが実際に行うのは難しく、威力を完全にそらせなかったシオウは思い切り吹き飛ばされた。そのまま起き上がれなくなった彼は、正に瀕死の状態である。これならむしろ、細切れにされた方が楽に死ねたかもしれないと、動かない身体で立ち上がろうとしたシオウは内心で笑った。


 ただ、いつまで経ってもとどめの一撃が飛んでこなかった。


 人であれば、圧倒的な実力差があっても諦めなかった敵に対して敬意を表し、苦しめずに殺す場面かもしれない。だが魔物はそのような無駄なことはしない。マナが豊富に残っていれば食らって糧としたところなのだろうが、目の前の獲物にわざわざ食らうほどマナは残っていない。まだ生きているが動けず、そのままでも直に死ぬ存在よりも、今は街にある大量の餌の方が、グリフォンにとって優先すべきものであった。


 本能に従うまま、大量の餌を求め街の方へと災厄が飛行していく。グリフォンは己がどうしていきなりここに転移させられたのかを考えることなどしない。自然界のマナから生みだされた彼らに、考える頭脳も自我もありはしないのだ。


 グリフォンが街へ向かったことをマナの気配で理解したシオウは、今度こそ死ぬのだろうと思いながら意識を保っていた。灼熱の地面は動かせない身体を容赦なく焼いているが、それによって傷口が塞がり出血量は少しだけ抑えられている。自分の肉が焼ける不快な臭いすら意識する余裕がないことは、不幸中の幸いと言えるのだろうか。

 

 「・・・やっぱりダメか。まあでもだいぶ長く保った方だよな」


 このわずかな時間でどれだけ討伐の準備が進んだかは分からないが、それでもできることはやったと思えるくらいには、彼の心は満たされていた。だからこのまま死んでもいいと一瞬だけ思った。


 しかし、よほど感知能力に優れていない限り感じ取れないような、弱々しいマナの気配が近づいていることに気づいた瞬間、僅かな時間でも長く生きるという生への執着が彼の中に生まれた。


 この灼熱の中で呼吸によってマナを取り込もうとすれば肺が焼けてしまう。しかし彼女を魔術が使える状態にするには、マナを使ってやらなければならないことがある。それだけはやってから死ぬと、シオウは覚悟を決めた。


 言葉はいらない。だから少しでも身体を動かすためのマナを、肺を焼きながら少しずつ取りこんだ。何とか動くようになった身体で灼熱の地べたを這いずり、彼は魔術が使えない彼女でも近づける場所までなんとか移動した。


 あまり褒められた方法ではないが、最期なのだから許してくれるだろう。そんなことを思いながら、先ほどまでいた場所に比べれば極寒ともいえる冷たい大地の上で、春の夜月を視界に入れたシオウは、救うと決めた少女が近くに来るのを待った。




 そこは地獄のようだった。ユリシアがそこに辿り着いたとき、架空の生物であるグリフォンの姿をした災害が、弱々しい彼女の存在には気づかず街に向かっていった。それを見て彼女が最初に心配したのは、トーレンスの街でも家族でもなく、それと戦っていたはずの人だった。


 「シオウさんっ!」


 表現できない不安と絶望、虚無感が押し寄せてくる。

必死で走ったのに間に合わなかったのか。私はまた一人になるのか。どうして何もできないのか。


 その地獄に足を踏み入れれば魔術が使えないユリシアは死んでしまう。だからその人の名を呼びながらその外を駆け回った。瞳から零れる涙が、この場の熱によってすぐに蒸発して消えていく。でこぼこの大地に何度も躓いてこけそうになった。


 燃え上がる炎が灯りとなっているが、もしかしたら大切な人は既にその中で炭になっているかもしれない。


 自分にもマナを感知できれば簡単に見つけられる。魔術が使えればこの火を消すことも、夜の暗闇を月に頼らず照らすこともできる。彼女がここまで切実に魔術を求めたことは今までなかった。だが求めて使えるなら、ここまで彼女も苦しんでいない。


 しばらく彼を探して駆け回ったユリシアの鼻に、肉の焼けるような臭いが届いた。その絶望的な臭いを、彼女は麻痺した嗅覚でも確かに感じ取っていた。


 そしてついに見つけた。炎の赤と月の白、二つの光に照らされた彼の姿を。


 「っ!シオウさん!」

 

 彼に駆け寄ったユリシアは、すぐに察した。もう助からないと。治癒魔術が使えたとしても、きっと今から彼を救うことはできないと。今彼が生きていること事態が奇跡なのだと。


 言葉が出なかった。全身の肌が焼きただれ、もはや顔では誰なのか判断できない。至るところに刻まれた裂傷は熱で焼かれたせいでさらに痛々しく見えた。左腕に至っては根元から消失している。


 そんな状態で生きている彼はどれだけの苦痛に苛まれているのかと思うと、また涙が溢れ出した。その涙が彼の顔に落ちるが、物語の世界のようにそれで何かが起こるわけでもない。


 何もできず大切な人が苦しんで死んでいくことを待つしかない状況に、ユリシアはただただ泣くことしかできなかった。


 涙の雫のせいでぼやける視界の中で、微かにシオウの口が動いている気がした。最期の言葉を聞いてしまえば本当に彼が死んでしまうと思ったユリシアは顔を近づけるのを躊躇したが、ここで最期の言葉を聞かずに永遠の別れを迎えることの方がよほど恐ろしい。


 彼女はゆっくりとシオウの口元に自分の顔を近づけた。


 だが、シオウは何かを伝えたくて口を動かしたわけではない。そもそも既に喉から音など出ないのだ。それでも彼の期待通り、ほとんど見えていない視界の中に輝く金色の空と紅い二つの星が、ゆっくりと近づいてくる。

 

 最期の力を振り絞り、少しだけ自分の首を上に持ちあげた。見えてはいなかったが、それがどこにあるのかは何となく分かった。




 それは一瞬の出来事だった。


 最期の言葉を聞き取ろうと覚悟を決めていたユリシアは、その桜色の唇を不意に奪われた。


 「え?」


 自分が何をされたのか気づいたときには、彼は何かを成し遂げたような満足げな笑みを浮かべ、安らかに永遠の眠りについていた。焼きただれた顔でも、その表情はどうしてか読み取れた。


 「なんで、どうして・・・。こんなの、ないですよ・・・。シオウさんっ!」


 その最期の行動の意味が分からなかった。頭の中がおかしくなりそうだった。しかしすぐに自分の身体に変化が起こったことでその意味をなんとなく理解できた。


 「これは・・・マナ?」

 

 今まで体内を循環しているだけで外に放出されず、大事な場面でも魔術を使わせてくれなかったマナが、初めて肉体の外へと発現した。



 唇を重ねたときになけなしのマナを吹き込むことで、シオウはユリシアの封じられたマナを少しだけ暴走させた。普通ならその程度のマナの暴走では何も起こらないが、彼女の場合は違っていた。


 異なる波長のマナが混入することで引き起こされた暴走により、循環するだけだったマナはユリシアの身体を壊さないために放出されるしかなくなった。それによって何らかの原因で完全に閉じていたユリシアのマナを放出するための門が、本来あるべき状態に戻ったのである。一度開いてしまえば、また特殊な要因がない限りは閉じることもない。


 ユリシアを魔術が使える状態にする。その約束をシオウは最期に果たした。それで彼女が少しでも救われることを信じて。


 だがそれは、今の彼女にとって救いと呼べるものではなかった。


 「こんなこと私は望んでない・・・。大切な人を犠牲にしてまで、魔術なんて使いたくないっ!こんなことしても私は救われない!こんなのってないですよっ!」


 泣き叫ぶユリシアの全身を、白い炎のような光が包み込んだ。だが本人はそれに気づかず、動かないシオウに泣きついている。


 「私を救ってくれるって言ったのにっ!嘘つき!嘘つき嘘つき嘘つき!」


 何を言っても彼は答えない。それが分かっていても、ユリシアには自分の感情をただぶつけることしかできなかった。


 「ねぇシオウさん、また私を優しく抱きしめてください。また愚痴を聞いてください。またお姫様抱っこ、してください。あの笑顔で私を見てください。私の傍にいてください。一緒に夢を分かち合ってください。私にシオウさんのこと、色んなこと、教えてください。もっと頑張りますから。頑張って立派な領主になってみせますから。だから、勝手に逝かないで。私を置いて、逝かないで。私をまた独りにしないで!」


 心からの願いを、天へと叫ぶ。


 「生きて、私をずっと救ってください!」


 それに呼応するかのように、白い光が夜空を貫いた。


 そして、夜の闇に沈黙が落ちた。




 感情を思いのまま吐き出しひたすら涙を流していたユリシアは、その静寂の中で一つの音を拾った。


 もう聞けないと思っていた、優しいその声を。



 「おおせのままに、お嬢様。私が貴女をお救い致します。これからずっと、貴女が望む限り」


 その瞬間をユリシアは忘れない。この先何があろうと、決して。


 白い月光に照らされたシオウの身体から、ユリシアと同じ白炎の煌きが溢れ出していた。


 夜の闇を照らす月を焼きつくほどに眩く、昼の大地を照らす太陽をも飲み込むほどの熱を有する二つの白い煌めきは、儚くも神々しく、美しく揺らめいていた。


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