6. 継承者と決着
日没に伴って多くの建物に明かりが灯り始めた夕刻。街の外れに位置する丘の付近で強力な魔物が出現したことを感知できた者は、トーレンスに暮らす人々の中でも極一部だった。
その中の一人、トーレンス州の領主レナード・アスレインの行動は迅速だった。一定の範囲内に住民を集め、街の四方に屋敷を構える親族へと指示を出してトーレンス州のほぼ全域を囲む巨大な魔術結界を構築したのである。
この結界は街の中央にあるアスレイン本家の屋敷と、そこを中心として四角形の各頂点にある分家の屋敷、それら五つの点で同じ術式を発動させることで初めて起動する特殊な魔術である。ここ数年で魔物による被害が増加していることから、アスレイン家総出で準備を進めてきた街の防壁となるこの高位魔術は、使う機会がないことを祈られていた。
しかし、実際に使用せざるを得ない状況になってしまった。ただ、広範囲を対象とするこのような大規模魔術の発動にはどうしても時間が掛かってしまうため、結界の展開が間に合うのかという点をレナードは懸念していた。
だが、そんな領主の不安をよそに、その魔物はなかなか街に向かってこなかった。そのため結界は問題なく展開できたのだが、魔物の行動が遅すぎることをレナードは疑問に思った。しかし、その疑問は落ち着いて魔物の出現方向の状況を確認することで解決した。先ほどまで結界の構築に気を取られて注意を向けられなかった丘の上で戦闘が行われていたのである。遠目にも分かるほど燃え盛る業炎が、夜の闇を照らしていた。
そしてその炎上地には、一つの人影と巨大な魔物の姿があった。マナで視力を強化しても人影の正体は分からなかったが、その巨大な魔物の正体は判明した。
予想を遥かに超えた脅威に、レナードは愕然とするしかない。
「グリフォンだと!?あの化物を相手に、いったい誰が足止めを・・・」
脅威の正体が伝説上のグリフォンとなれば、展開したこの結界も長くは維持できない。それほどの人知を超えた災厄であるにも関わらず、出現からここまで独りで足止めをしている者がいるというのか。
そんな疑問が浮かんだものの、今のレナードにはやらなければならないことがあった。その何者かが時間を稼いでくれている間に、王都からの救援を求めることだ。あのクラスの魔物は、とある例外的な力を持つ、人間を超えた戦力を投入しない限り、国軍規模で当たらなければ到底敵わない。
レナードはこの最悪な状況を説明して早急に援軍を求めたが、現実は残酷だった。万全の状態で戦うにはどれだけ急いでも準備に半日はかかるという返答があったのだ。それほどの長い時間、グリフォンを相手に結界が耐えられるわけがなかった。
「トーレンスの警備隊では時間稼ぎすら碌にできないぞ・・・。こうなったら隣国のカザツキにも救援を頼むか?いや、それも国王陛下の許可が出るまでにどうしても時間がかかってしまう。あの方々のお力をお借りしようにも、軍事部が王都の守護を疎かにするような真似を許すはずがない・・・」
どれだけ考えようともこの窮地を乗り越える未来が見えてこない。そのためレナードは、だめもとでこの国の最高戦力とされる三人の継承者、すなわち王族の中でもさらに特殊な力をもつ三人のうち、一人だけでも救援に来てもらえないかと交渉した。
すると意外なことに許可が下りた。何でも第三王女クレア・シンテラ本人たっての希望らしい。グリフォンという近年では目撃例すらない幻獣種の魔物に興味が湧いたとのことだった。
その思わぬ申し出にレナードの方が驚いてしまったが、それと同時にこれで何とかなると確信して安堵した。それが他人任せの、一種の責任転嫁であることは無意識のうちに考えないようにしていたのかもしれない。
現代において、各州と王都の間には転移魔術装置のラインが繋がっている。しかしその起動には大量のマナを消費するため、一度に多くの人や物を移動させた方が効率的とされている。そういった事情から、誰でも気軽に使えるものではない。この装置は移動する側がマナの供給を行わなければならないため、今回で言えば王都側がマナを充填して装置を起動させる必要があった。
緊急事態ということもあり人がすぐには集まらず、本来は何十人もの魔術師が少しずつマナを充填するところを、今回は王都側の魔術師十数人のマナをほぼ空にして装置を起動させることになった。
そうしてトーレンス州に、継承者 クレア・シンテラがやってきた。
この国で知らない者はいない英傑の登場により、トーレンスの街は少しだけ落ち着きを取り戻す。
だがその直後、何者かと戦闘していたグリフォンが次の獲物を求めるように、街に向けて飛行を始めた。燃え盛る丘を背にして迫ってくるグリフォンの姿に、街にいた誰しもが恐怖した。そしてその中には、救援にやってきたクレアも含まれていた。
「何なの、アレ・・・。どれだけ人を殺せばあそこまでの化物が生まれるの?アタシでもアレは一人じゃ無理。たぶんレオ兄でもキツイ・・・。というか他の継承者でも一騎打ちは無謀よね・・・」
民の誰かに聞かれていれば不安が広がり、街は恐慌状態になっていたかもしれない。しかし幸いなことにクレアの呟きは誰にも聞こえなかった。
継承者という強大な力を持った存在について、シオウは彼らがいればグリフォンもどうにかなると思っていたが、実のところ、彼にとっての継承者の強さは一人の基準で成り立っていて、他の十三名の実力を知らない彼は読みを間違っていた。
つまり、継承者であっても幻獣種の相手を単独でするのは不可能ということだ。
だが強大な力を有し、民を守る立場の王族でもあるクレアにもプライドがある。ここで戦わず逃げるわけにはいかなかった。
「よし、やるだけやってみようか。無理そうなら引くけど、できる限りはね・・・。アスレインさんは結界の維持に全力を注いでください!でも最悪の場合は、この街を放棄することも考えておいてください」
放棄するとは彼女も言いたくはなかったが、敵はそれほどの存在なのだ。クレアの言葉に、これで州民を守れると思い込んでいたレナードは少しショックを受けたが、敵の実力を理解して即座に気持ちを入れ替えた。
結界の維持に人員を割きつつ、レナードはほぼ全ての住民を街の広場に集め、怯える彼らへと隠さず事実を伝えた。敵はあまりにも危険で、この街を放棄する可能性もあるということを。
説明をする中でこの場に娘の姿がないことに気づいたレナードであったが、今ここで娘を探すために責任を放棄することなどできない。心配でたまらなかったが、今は妻のカレンと共に領主としての職務に専念するしかなかった。
好奇心でやってきたのは間違いだったかなと、美しい赤色の髪が印象的な、まだ二十歳になったばかりのシンテラ王国の姫、クレアは思っていた。赤と銀で装飾された軽めの鎧がその小柄な身を包んでいるが、そこには目に見えない重力が確かに存在している。
長い大陸の歴史上でも一体しか確認されていない最上位の魔物。それが突如現れたと聞いたときは、純粋にどれほど強いのか気になった。だからここまで来たわけだが、その強さは予想を遥かに超えていた。彼我の距離はまだそれなりに離れているのに、恐怖で足が震えている。
この国で最強とも言われている兄と一緒ならそこまで苦労せずに倒せたかもしれないが、その兄でも一人では倒せないと思われる化物相手に単独で立ち向かうなど無謀と言えた。
だがここで逃げることは王族であるクレア自身が許さない。これまで感じたことのない恐怖に外聞など忘れて泣いてしまいそうだったが、何とか堪えて彼女は独りで結界を出た。
そしてそこで、最強の災厄と対峙した。
「・・・うん、やっぱり無理。しばらくアレを独りで足止めしてた人は相当強いみたいね。たぶんもう殺されてると思うけど、もし一緒に戦えたなら・・・」
意味のない仮定を呟きながら、クレアは彼女が継承者たる所以である力を解放した。右手に白炎が宿り、そこに一振りの白い長剣が現れる。
【三帝剣】、彼女が継承した力の名だ。
継承者とは、過去にこの大陸を統一した稀代の英雄カイン・ウォーベルトが有していた数々の特別な能力のうちいずれかを継承した者のことを指す。
各国の王族、すなわち初代皇帝カインの血筋の中にそういう力を持つ者が稀に生まれるのだ。その継承者は白い炎のような光を宿してこの世に生を受ける。継承者の象徴である白炎はカイン・ウォーベルトが有する力の本質であり、現代において彼が“白帝”と呼ばれる由縁にもなっている。
その継承者、シンテラ王国の姫であるクレアは、カインが愛用していた三本の宝剣を自在に扱うことができる。しかし同時に二本、三本を現界させることはできず、状況に応じだ使い分けをするしかない。
まず彼女が手にしたのは切断剣ノートセンナディス。この剣はあらゆるものを一太刀で断つ。防御はできず、剣を打ち合わせることも不可能。その特性から形状が特徴的で、叩けば折れてしまいそうなほどの極薄の白い刀身が白い柄から伸びており、そこから放たれる斬撃は掠っただけでもその箇所を起点に切断するという毒のような力を併せ持つ。斬撃による遠距離での攻撃も可能だが、近距離戦において最強の必殺剣だ。
先手必勝、とクレアは上段からその剣を振り下ろし、まだ遠くの夜空を翔けているグリフォンに向けて斬撃を放った。続けて横に一閃し、タイミングを一瞬だけずらした十字の斬撃が形成された。
その斬撃はグリフォンの巨体よりもさらに大きく、容易には避けられないはずだった。しかし、グリフォンは正面から飛来する斬撃に対して斜め上方向へと素早く身体を動かして、その軌道から外れ、さらにマナの障壁を絶妙なタイミングで的確な位置に展開することで、斬撃が肉体に触れないよう上手く受け流すという高等技術を見せた。切断されたのはマナの障壁だけで、その肉体には傷一つ入らなかった。
「なっ!?」
まるで熟練者の技術を模倣したかのような回避行動を見せる自然災害に、クレアは絶句した。
しかし動揺したのは一瞬。すぐにその赤い瞳で敵を見据え、次の攻撃を放つ。
「なら、次はこれで!」
薄剣を両手で握り、近づきつつある巨体へと向けて縦に構える。力を制御しながら慎重に、しかし躊躇わずに振り下ろす。剣を振り下ろした軌道上に白い線が入り、それに沿って世界が二つに割れた。目の前の脅威は、その線を中心として真っ二つに両断される。
絶空閃。その離れ技ゆえ消耗が激しく、何度も使うことのできない必殺の奥義。本人はこの技の名前を口にしたがらないものの、かの白帝の奥義として何者かが勝手に名をつけたらしく、彼について少し詳しく調べれば書物にも記されている有名な技であるため、その名は広く知れ渡っている。
それだけ有名なのはその絶大な力ゆえである。距離という概念を無視した、空間そのものを切断する荒技。制御を誤れば世界の果てまで両断しかねないが、この技は有効範囲と消耗が比例するため大規模な破壊攻撃は今のクレアには不可能であった。
接近する脅威が綺麗に両断された光景を目の当たりにし、トーレンスの街では歓声が上がった。だがクレア本人は戦闘態勢のまま、少し乱れた呼吸を落ち着けている。
(まだ終わってない・・・!)
必殺の技を受けてなお、向けられる死の圧力は消えていなかった。
両断されて二つに分かれた肉体のうち右半身は、大気に溶けていくように消滅した。だが残った左半身から血色の輝きを放たれ、次の瞬間失われた右半身が再生した。
結界の内側から歓声が消え、再び絶望に支配される。
「やっぱり魔核には当たってないか・・・」
魔物はその肉体を、体内に蓄えたマナを用いて再生することができる。その蓄えられているマナの結晶が魔核と呼ばれるものだ。魔物は人を殺してマナを奪い、それを糧としてさらに強くなる。そうして進化し、より多くの人間を殺す。魔核は基本的に体内を動き回っているため、狙いをつけてそれのみを破壊することは非常に難しい。だがそれさえできれば魔物を簡単に消滅させられる。
「この剣だと、ひたすら切り刻んで魔核に当たるのを待つか、再生できなくなるまで切るしかないけど・・・。絶対に体力がもたないわね」
そう呟きながらため息をつくクレアだったが、ふと再生した災厄が別の方向に意識を向けていることに気づいた。それは後方の炎上している丘。燃え盛る火の海から、一本の白い光の柱が天を貫いていた。
「あれはっ・・・!」
驚愕の滲んだ表情でその光景を見ていたクレアは、グリフォンの存在を一瞬忘れてしまうほどに目を奪われていた。視線の先で、まるで天上へと手を伸ばし何かを奪ってきたかのように、光の柱が灼熱の業炎へと吸い込まれていく。そうして丘には炎の赤だけが残った。
目の前の敵すら注意を向けた光の柱について何か気づくことがあったのか、驚いた様子のクレアが口を開いた。
「まさか・・・。ううん、似てるけど違うはず」
彼女の持つ特別な力によく似てはいたが、その力を有しているからこそ直感的に感じ取ったのかもしれない。その白い光の裏に存在する闇を。
しかしその違いについて考える余裕など今のクレアにはなかった。最悪の天災が目の前にいるのだ。既に敵も意識を街へと向けなおしている。一緒に戦うことのできる実力者が一人でもいればまだ何とかできるかもしれないのに、と再び訪れた死の気配を前にしたクレアは一人で戦うことの限界を感じていた。
弱気になって心が折れそうな彼女の意識に、突然声が届いた。聴覚を介さずに声が響いたことから、それが魔術によるものだと彼女はすぐに分かった。
『クレア様、自分がヤツの動きを止めて魔核を捕捉します。後はお任せすることになりますが、貴女の力を信じます。残りのマナが少なく、一度しかチャンスはありませんので、外したら終わりという覚悟でお願いします』
一方的な内容だった。だがその声には確かに自分への信頼があった。念話は声を届ける相手のマナの波長を知らなければ使えないため、彼女自身から謎の声に返事はできない。相手が念話を送れた理由ははっきりしないものの、今はそれを気にしている場合でもなかった。
「どこの誰かは分からないけど、アタシに対して少し生意気じゃないかな・・・」
どこか楽し気に笑いながら、手に握った宝剣を入れ替える。
白炎が揺らめき、クレアの手に白い細剣が現れた。無駄な装飾などなく、刀身は針のように鋭くて限りなく細い。先ほどの剣と同様に、打ち合えば折れてしまいそうなほど見た目は脆弱だ。しかしその剣が放つ圧倒的な存在感と白炎の煌きが、それを否定している。
穿光剣エルートクナフ、刺突攻撃専用であるが近距離では扱えない、特殊な一振り。
「偉そうなこと言ったんだから、ちゃんとやってみなさいよね」
まあ聞こえてないだろうけど、と内心で思いつつ、剣を持った右手を後ろに引き、突き出す構えで待機する。
そのときはすぐに訪れた。
クレアの視界で、グリフォンがいくつもの黒い闇の鎖に捕らわれた。抵抗する間も与えていないことから、あのランクの魔物でさえも魔術発動のマナを感じ取れなかったということだ。その技術を持っているとしたら相当の実力者だ、と彼女は構えを維持したまま分析した。そして完成した魔術を見て思わず驚愕が口から零れる。
「あれはまさか、第十階梯の!?」
<自由ヲ奪イシ黒鎖ノ呪縛>。大規模拘束魔術でありながらその拘束力も非常に高く、さらに対象のマナへと干渉する呪いの力すら発揮する。
魔術の階梯、すなわち発動の難易度や威力、規模などの指標は、魔術を発動するために使われる言語と、その言語特有の特殊な文字の数によって定められている。この魔術は第十階梯であり、これは現在確認されている魔術の中でも上から三番目の階梯であるため、クレアが驚くのも無理はなかった。
第十階梯以上の魔術を扱える人間は、継承者ほどではないがわずかな数しか確認されていない。そしてその高位の魔術であっても、グリフォンほどの敵を完璧に押さえ込むには、ただ発動するだけではなく、緻密な制御がなされていなければならないことをクレアはもちろん知っていた。
まさかこれほどの力を持っている人が近くにいるとは、とその偶然を幸運に感じつつ、継承者の姫は唇の端を釣り上げる。ここまでお膳立てされて仕留められなければ、もはや一国の王族である資格も、この力を持つ資格もありはしないと本気で思った。
このような状況にもかかわらず不敵に笑う彼女の視界には、黒の鎖で身動きを封じられそれを振り払おうとするグリフォンが映っている。そしてその頭部に、動きを止められた血色の光を見つけた。魔術による干渉を受けて露出した魔核だ。
早くしてください、と焦る声が聞こえた気がした。
「分かってるわよ!」
クレアが構えていた白剣を思いきり突き出す。
それはまるで刹那の流れ星の如く、瞬間的な一筋の光を夜の闇に描いた。トーレンスの人々の願いを乗せて。
流星が駆け抜けた闇夜の空に、グリフォンの身体が溶けるかのように消失する。
白線に穿たれた球状の魔核が、夜空に赤い流星を撒き散らした。それはまるで花火のように美しく、儚い光であった。
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