20. 捜索と悪夢

 雲行きが怪しくなってきたこともあり、さっさとあの男を見つけて姫様のもとに戻ろうと、やる気に満ち溢れているエレナは早速捜索を開始した。アスレイン家の屋敷から少し離れた人気のない場所に移動し、探し物にうってつけの魔術を発動する。


 「<遠視ノ風域>」


 緑系統第四階梯の補助魔術で、視覚をリンクさせた風を広範囲に吹かせ、風が通る場所を遠視することができる。風の範囲は術者の力量によるが、エレナはトーレンス全域をカバーできるだけの実力を持っていた。


 範囲が広い分、全てを見ようとすると情報量も多くなるため、魔術の制御が下手だと処理に負担がかかり、脳に損傷を与えかねない。そこでエレナはシオウの容姿をイメージし、それにある程度類似した人間だけを選別して見分ける高度な技術を発揮している。


 「・・・見つけた」


 カザツキ皇国の人間のほとんどは黒目黒髪であり、他国ではその容姿が際立つ。そのためエレナはすぐにシオウを発見できた。昨夜の戦闘で焼野原になってしまったという丘の上で、何か考え事をしている様子だ。


 「えっ!?」


 エレナが小さな悲鳴を上げたのは、シオウと目が合ったからだ。


 「まさか、ワタシが見ていることに気づいたっていうの?」


 今エレナが視覚をリンクしているのは丘の遥か上空を吹いている風だ。当然そこに目はなく、魔術の兆候もマナを制御してかなり抑えているため、よほどの感知能力がなければこの距離で知覚されるはずがない。だから目が合うことなど有り得ないはずだと、彼女は思っていた。


 「偶然よね、きっと」


 己に言い聞かせるかのようにそう呟いたエレナだったが、その遠い視界の中で彼が此方に向け、何か言っていることに気がついた。ここまでされると騎士様も実力を認めざるを得ない。


 「本当に何者なのよ、アイツ・・・」


 聴覚はこの魔術ではリンクできないが、エレナはその口の動きからシオウが何を伝えているのか理解できた。


 「子どもに気をつけろ?どういう意味よ・・・。まあそれは呼び戻してから詳しく聞けばいっか・・・。今は言葉を届けるのが先ね」


 シオウの意味不明な言葉に首を傾げたエレナは、念話は使えないため違う魔術でシオウに声を届けようとした。しかし人の気配が近づいていることを察知し、すぐに魔術の発動を中止する。遠視の魔術も解除し、その気配に注意を向けた。


 こんな人気のない場所に入ってくる人がいるとは思わなかったエレナは、魔術の発動を感知された可能性を考え、警戒心を高めた。クレアを狙う刺客が自分を排除しにきた可能性もあるのだから、護衛として当然の意識と言える。


 「お姉ちゃん、そこでなにしてるの?」


 しかし、臨戦態勢のエレナに近づき声を掛けてきた人の気配は、どう見てもまだ幼い無垢な少女であった。魔術による幻影でもなく、エレナは拍子抜けして警戒心を解いてしまう。護衛として働いた経験がないためか、先ほど受けたシオウの警告などすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。


 近くに人の気配がないことから迷子の可能性が高いと思ったエレナは、優しくその少女に声を掛けた。


 「私はちょっと探し物をしていただけよ。それよりも貴女こそ、どうしてこんなところにいるの?家族とはぐれちゃったの?」


 「うん。ママと一緒に買い物してたんだけど、気づいたら一人だったの・・・」


 涙を我慢しながらそう答えた少女の様子が愛らしく、母性本能をくすぐられたエレナはその小さな頭を撫でながら安心させるように笑った。


 「それなら私も一緒に探すから、人の多いところに出よっか」


 「いいの?お姉ちゃん、探し物があるんだよね?」


 幼いながらも気を遣っている少女だったが、表情に隠しきれない期待が浮かんでいるところが子どもらしく、エレナも自然と笑顔にさせられる。


 「それは大丈夫。貴女のお母さんを見つける方が先よ」


 「ありがと、お姉ちゃん!」


 少女はそう言いながらエレナの腕に抱きついた。


 可愛らしい少女をまったく警戒していないエレナは、少女に抱きつかれたまま街中へと歩き出そうとした。


 「あ、れ・・・、身体が・・・」


 しかし突然全身から力が抜け、その場に倒れ込んでしまう。


 地べたに突っ伏したエレナが必死に身体を動かして顔を上げると、そこには自分を見下ろす少女の姿があった。


 不自由な口を開き、なんとか言葉を紡ぐ。


 「ど、どういう、こと・・・?」


 しかし少女は何も答えない。その目に光はなく、糸の切れた人形のようになっている。そうかと思えば、少女の身体も地べたへと倒れてしまった。


 (いったい何が起きたの?意識ははっきりしているのに、身体が動かない・・・)


 突然の非常事態に動揺していたエレナは、ここでようやくシオウの言葉を思い出した。


 (子どもに気をつけろってこういうこと!?まさかこの子が私に何かしたの?)


 意識を失っている様子の少女を視界に入れてその可能性を考えたエレナは、先程少女に抱きつかれた腕へとゆっくり視線を移した。


 (これは、対魔の黒紐?どうして幼い子どもがこんなものを・・・)

 

 マナを封じるその黒紐を手首に結ばれ、それが自分の身体から自由を奪っていることを理解する。それは目の前で意識を失っている少女が入手できるような代物ではなかった。


 (だとしたらこれは・・・)


 「ふははっ!どうして人というのは子どもに対してこんなにも無防備なんだろうね!カザツキの護衛はいくらか警戒心があって多少手間取ったが、君は簡単すぎて逆につまらなかったよ」


 少女の裏に黒幕がいることを悟ったとき、エレナの前にちょうどその操り手が姿を現した。男としては少し高い声にその人物の性質の悪さが滲み出ており、それは聞き手を不快にさせる力をもつ。その特徴的な声は、エレナにとって聞き覚えのあるものだった。


 (テイツ・サルオン皇子?まさか姫様を狙って・・・)


 王国の近衛騎士はすぐに眼前の皇子の目的を察した。そしてどういう経緯で今の状況が作り出されたのかも理解する。継承者の力は公表されているため、もちろんエレナもテイツの異能を知っていた。そのため、一緒に倒れている少女が彼に操られていたことは容易に想像がつく。


 己の未熟さを痛感したエレナは、この状況から抜け出すためにどうするべきか考えた。しかし身体の自由を奪われた現状を一人で脱することは難しい。考えなくてもたどり着くその結論に、彼女はただ絶望するしかなかった。


 地べたに這いつくばるエレナを見下ろしつつ、身分の高いテイツが嗜虐的な笑みを浮かべて汚い声を発する。


 「こうも簡単に事が進むと、つい遊んでしまいたくなるなぁ。ちょうど好みの容姿だし、クレアの前に頂くとするか。メインディッシュの前の前菜としては少し豪華すぎるかもしれないけどね」


 整っているはずの顔は、醜悪な欲望に染まっているせいか不気味さしか感じられない。そんな気色の悪い男が口にした言葉の意味は、状況を考えれば誰でも想像がつくだろう。


 もちろん直接それを言われたエレナが気づかないはずはない。


 (い、イヤっ!なんで、どうしてこんなことに・・・!?逃げなきゃ、逃げなきゃっ!)


 過去のトラウマを想起させる事態に、エレナはパニックを起こしていた。あまりの恐怖に涙が止まらず、どれだけ身体に逃げることを命じても、指一本まともに動いてくれない。


 (動いてよ、ワタシの身体でしょっ!)


 「あぁ、いいねっ!恐怖から生まれる涙!逃げたくても逃げられないときの絶望!これを見るために私は生きていると言ってもいい!さぁ、これで君は私の玩具だ」


 予想以上に好みの反応を見せるエレナに、機嫌を良くした悪魔がゆっくりと近づく。そしてその右手でエレナの頭に触れた。継承者以外には見えない白炎の糸が騎士の身体に纏わりつき、その身を支配する。こうして彼女は、完全に己の肉体の制御権を失った。


 「これでもうこの紐は必要ないな。これをつけていると泣き声が聞けないし、表情も変化が乏しくて面白みに欠ける」


 自由を奪っていた黒紐は外されたが、まるで肉体と精神を切り離されたかのように、エレナの肉体は己が発する命令を受け付けない。


 だが頭部だけは別で、先ほどとは違って声が出せる。そして彼女の表情も、恐怖に染まる内心を如実に映し出していた。


 「あぁっ!その表情だよ。どれだけ同じものを見ても飽きないくらいに、その恐怖と絶望が私を満たしてくれるっ!特に君は極上の仕上がりだ!きっと過去にさぞ面白い体験をしているのだろうね!せっかくだからお楽しみ前の余興に聞かせてくれないか?」


 思い出したくない、誰にも語りたくない過去を、白炎の力が強制的に彼女の口から紡がせる。



 「―――――――――――」




 精神が拒むことを肉体が勝手に実行する。心では拒絶しているのに、その過去は無理やり言葉にされて口から吐き出される。それを言葉にする度に、あの光景がフラッシュバックする。見たくない、思い出したくない過去を、強制的に突きつけられる。


 しかし、自我を失ってもおかしくない凄惨な仕打ちを受けてなお、エレナの精神は壊れていなかった。もはやどのようにその過去を語ったのかも分からず、涙も止まらない。あまりの精神的苦痛で過呼吸にも陥った。ただそれでもまだ、彼女は意識を保っていた。


 ようやく過去を語り終えたエレナの精神は既に限界を超えている。それでもまだ完全に心が折れていないのは、憤りや悔しさといった感情がかろうじて精神を支えているためだ。そして何より、まだ肉体は汚されていないという事実が、彼女の心をギリギリのところで守っていた。


 とはいえ、それも時間の問題だ。目の前の悪魔が、このまま終わらせるはずがない。


 「ふふっ!はははっ!いいね、本当に面白い!だいたい十年前だったか、シンテラで貴族を狙ったクーデターが頻発していたのは。詳しく情報は入らなかったが、まさか貴族が雑魚の平民どもにやられていたとはね!」



 およそ十年前、シンテラ王国の王都において一部の平民による貴族や名家への暴動が起こった。貴族や名家を狙った強盗・殺人が起こり、それが武力によって制圧されるという凄惨な事件も多発し、魔物の襲撃がなければいつまで続いたか分からないとさえ言われている。


 原因は単純かつ明快だった。軍事部の対処が遅くなったせいで、地方の都市で多くの民が魔物に殺された。それに対して軍事部から納得できる説明がなく、近年の王都だけを守る体制に反感を持っていた民が暴動を起こしたのである。軍事部の人間は魔物との戦闘が多く、そのほとんどが力のある貴族や名家の者で構成されていた。故に怒りの矛先が向かうのは仕方のないことだった。


 ただ、腐っていてはいても魔物との戦闘で実戦経験を積んでいる実力者を相手に、平民の彼らが敵うはずもない。当然その暴動は速やかに鎮圧された。このとき平民があまりに酷い死に方をしたことから、それ以降は同じような不祥事があっても大きな暴動は起きていない。国としても国王が軍事部に監査役を付けたりしたが、トーレンス州に現れたグリフォンへの対応を見る限り、それも形だけになっているようだ。

 

 この過去の騒動において、貴族・名家の中には武力での制圧をよしとしない家も少数だがあった。国民を守る役目を担っている自分たちが、その力で民を制圧することが許せなかったのかもしれない。しかし、話し合いや補償金などで落ち着くような暴動ではなく、そういった家は等しく蹂躙されていった。


 その少数の家の一つが、マーキス家だった。名家といっても没落寸前だったマーキス家は、そもそも暴動を鎮圧できる戦力を有していなかったが、当主であったエレナの父親は平民への攻撃を禁止した。エレナの家族は両親と年の離れた姉を含めた計四人であり、騒動が起こってから使用人は巻き込まないよう逃がしたため、屋敷にはその四人しか残っていなかったようである。両親は防御に専念しつつ話し合いをしようと試みたが、相手は話を聞きいれるつもりなど毛頭ない。このときまだ八歳だったエレナは、年が十ほど離れた姉に守られながら、屋敷を襲う人間に怯えるだけの少女であった。


 そして何度かの小さな衝突の後、ついにその日がやってくる。


 人数が少ないところを集中的に狙い出したのか、攻撃してこないならいくらでも攻められると思ったのか、敵の人数が前日に比べて数倍に増えたことで、ついにマーキス夫妻は敵の攻撃を抑えきれなくなった。


 まずエレナの父親が殺された。そして母親と姉は捕らえられ、欲望のままに輪姦された。まだ幼かったエレナはその対象にならなかったが、拘束されてその光景を目の前で見せ付けられた。男たちの野獣の如き醜い欲望に、大好きな母と姉が汚されていく様を。その仕打ちに耐えられなくなった二人が、舌を噛み切って自殺する様を。その死体にすら群がって欲望を満たそうとする、人の皮を被った魔獣の醜さを。


 そして異常な性癖を持った獣が、あまりの惨劇に涙すら枯れ呆然としていたエレナをも襲おうとした。拘束されて逃げることのできない彼女には為す術などなかったが、その寸前で軍事部の制圧部隊が到着して獣どもは駆逐された。


 武力を行使しなかったために蹂躙された家の生き残りは、エレナ・マーキスただ一人。この事件に関して他国には詳細が伝えられていないため、元々没落寸前だったマーキスという家名を知る者は他国にはいないだろう。しかし、シンテラ王国ではその当時のことを知る者なら誰しもが同情する家名である。


 (だからアイツに言われるまで気づかなかったのかな。周りの人が気を遣ってワタシの我が儘を通してくれていたことに。皆が同情してくれるから過去を言い訳にして、被害者ということを免罪符にして、自己中心的な自分を正当化していたことに・・・)


 何とかかろうじて保っている状態のまどろんだ意識の中で、エレナは先ほどの口論を思い出していた。


 事情を知らない人間の目線で考えるとおかしい。それはありふれたことなのに、己のことを棚に上げて彼を否定してしまった。何も知らないのに、何か事情があって話せないのかもしれないのに、身勝手に不審者だと決めつけた。話し合いで解決しようとした相手を無視し、偏見と感情で泣きわめいて怒らせた。


 (謝れるなら、謝りたい。それに、感謝も伝えたい)


 走馬灯のようにこれまでと、つい先程のことを思い出している彼女の目の前で、あのときと同じ人の皮を被った獣が、欲望をむき出しにしてよだれを垂らしている。


 「こんなトラウマを抱えている女を犯すなんて、滅多にできることじゃない!私は実に運がいいっ!」


 興奮を隠し切れないテイツが目の前の乙女を如何にして味わうか悩んでいる様子は、誰の目から見ても異常な狂気に満ち溢れていた。


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