龍と巫女と白炎と

REVERSi

0. プロローグ


(俺は、俺として死ぬこともできないのか)




 彼は今、死を待つだけの状態だった。


 場所は何処かも分からない森の中。冬が終わり、春の暖かさが草木の目覚めを促しているものの、昼間でもまだ少し風は冷たい。


 その風が彼の身体を撫でたが、傷つき、大量の血を流して冷え切った身体は動かず、両手首を縛りつける特殊な紐のせいで最低限の応急処置をすることもできない。背中に伝わる草の柔らかさが、彼を安らかな死へと誘っているようだった。


 (まあ自分の立場を考えればこうなることも予想できたことか・・・。ただ、できれば最期くらいはアイツとしてじゃなく、俺として・・・)


 どれだけの間ここに倒れていたことだろう。長い時間血液を垂れ流しているせいか、流石の彼も意識が少しだけ朦朧としてきた。しかし、幸か不幸か、その彼の意識をはっきりさせるような事態が起こった。


 血の臭いを嗅ぎつけたのか、狼のような黒い獣が数頭、彼を囲むように近寄ってきたのである。そのことを、このような状態でも鋭敏な感知能力によって彼は感じ取っていた。


 (分かったところでどうしようもないんだけどな)


 彼には抵抗する気力など残っていない。だが、諦めとともに意識を手放そうとしても鍛え上げた肉体と精神力が簡単にはそれをさせてくれない。鍛錬がこのような形で仇になるとは彼も思ってもいなかった。


 (ああ、くそ、どうしても簡単には死ねないみたいだ)


 魔物に食い散らかされて酷い痛みを感じながら死ぬのは嫌だが、今の彼にはどうすることもできない。


 獲物に動く気配がないことを感じ取ったのか、ゆっくり近づいてきた黒い獣たちは食す必要がない肉を前に多少警戒を緩めているようだった。


 そして魔物の牙が、彼の身体を食い千切らんとする。




 しかしその牙は獲物に届かなかった。




 黒い獣は、その全てが凄まじい冷気を帯びた氷の槍に貫かれ、まるで一滴の絵の具が大量の水に溶けるかのように、その姿を大気中へと消滅させた。


 (凄いな。魔術の発動まで全く気配を感じ取れなかった)


 とりあえず魔物に食い殺されることはなくなったようだが、彼はまだ死を回避できてはいない。それにも関わらず、魔術を放って魔物を消滅させた者にシオウはただ感心していた。


 もちろん彼が死を受容して現実逃避していたというわけではなく、魔術師の登場によってひとまず自身の命に対する脅威がなくなったため、そんなことを考える余裕が生まれたのだろう。


 そしてその余裕は彼が意識を手放すのに十分な理由となった。




 魔術を放って瀕死のシオウを魔物から助けた男が急いで駆け寄ったとき、大量に血を流してピクリとも動かない彼は既に死んでいるのかと思うほど全身ボロボロであったが、呼吸はきちんとしている様子で、その顔をよく見ると安らかな表情で眠っているだけのようであった。


 そのことにホッとした様子をみせた魔術師の男だが、目の前で眠る青年の腕にある黒い紐を見て表情を険しくした。


 (どうしてこんなものを付けられているんだ・・・?)


 しかし、今はとにかく人命救助が優先である。迷いを消した男は、遅れて着いてきていたパートナーへ叫んだ。


 「カレン!この青年はまだ生きている、急いで治癒魔術を!」

 

 カレンと呼ばれた美しい女性はシオウのもとに駆け寄り、その容体を確認する。


 「・・・よくこの状態で生きているわね。普通なら死んでいてもおかしくないわ」


 そう呟きながら、カレンはマナを両手に集めて彼にかざす。


 そして治癒魔術を行使した。


 「【治癒ノ光】」


 彼の身体を、優しく白い光が包み込む。その光の中で、まるで時間が戻っているかのように彼に刻まれていた痛々しいまでの傷が塞がっていった。時間としてはものの数秒魔術を行使しただけであるが、カレンの表情からは疲労の色が伺える。


 「私の治癒魔術ではこれが限界よ。とりあえず死ぬことはないと思うけど、この出血量だと危険ね。すぐに街の魔術医に診てもらいましょう」


 「ああ、急ごう」


 カレンの提案に男は頷き、目を覚ましていない彼を背中に乗せて大地を蹴った。その男と妻のカレンが二人で治めている、シンテラ王国トーレンス州の街へと向けて。



 そうして彼、シオウという名の青年は、運命の出会いへと導かれていく。




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