1. 領主の娘

 ここトーレンス州にいくつかある魔術学園の中でも最大規模であり、州の中心地に建つ若き魔術師たちの学び舎。その学園の中等部。


 この春から3年生になったトーレンス州領主アスレイン家の令嬢、ユリシア・アスレインは、その学園の食堂で昼食を取っていた。昨年までと同様に一人きりで。


 「はぁ・・・。クラスは変わってもこの生活は変わらないよね」


 ため息をつくその少女は、その学園の中でも抜きん出て可愛らしい容姿だ。美しく長い金色の髪を後ろで束ねていて、瞳は透き通った紅色。可愛らしいデザインの制服に包まれた肢体はまだ発達途中だが、彼女自身は数年後には理想の体型に育っていることを確信している。そんな彼女が整った姿勢で食事をする姿は、誰の目から見ても様になっていた。


 しかし何故領主の令嬢が一人きりで食事をしているのか。


 その理由は単純であり、この年頃の少年少女の間ではよくある感情が故のことである。



 『嫉妬心』



 簡単に言えば、ユリシアは容姿に恵まれすぎた。そして領主の娘という家柄、さらに座学の成績もトップなのだから、他の女子生徒からすれば嫉妬しない方がおかしい。


 それでも、嫉妬するのも馬鹿馬鹿しいほど彼女が完璧であったなら、少しは状況が違ったのかもしれない。しかし、彼女には大きな欠点があった。



 魔術が上手く使えない。



 それが相手の嫉妬心を少しでも緩和できればよかったのだが、嫉妬というのはそれほど簡単に制御できる感情ではない。この弱点を嫉妬心に凝り固まった相手が見逃すはずもなく、それが最初の魔術の授業で明らかになったときから、すぐに攻撃の的となった。


 無能、落ちこぼれ、領主の面汚し、などなど散々の言いようだった。女子学生間の噂の広まり方は凄まじく、今ではあることないこと様々な噂が出回っている始末だ。


 座学の成績は教師を誑しこんで細工しただの、親の権力を使っただの、名誉毀損も甚だしいが、ユリシアにはどうしようもなかった。


 このような数々の罵詈雑言を聞かない日はなく、日々あからさまな陰口が周囲で飛び交い、それらが書かれたメモが机に入っていることも珍しくない。


 彼女も魔術を扱えるようになるために様々なことを試してはいるが、結局どれも実を結んでいないのが現状だ。とはいえ、たとえ魔術が使えたとしても現状は変わらないのかもしれないが。


 もちろん嫉妬心に凝り固まってユリシアを貶めている生徒は一部だけである。その一部というのがスクールカーストの上位、つまり広い人脈と強い自己主張心を持った連中になるのは必然だろう。


 もちろんそんな彼女に同情する人間がいないわけではないのだが、そのまだマシな感性の持ち主たちも、目を付けられて自分が同じ目に合うのを恐れているため、実際に行動する者はいない。


 男子生徒に関しても同様で、どれだけユリシアの容姿が良かろうと他の女子生徒を全て的に回してまで近づこうとするものはいなかった。


 そして極めつけとして、教師は暴力や恐喝など目に見える実害が出ない限りは口を出さないというスタンスの職務放棄状態である。


 こういった事情でこの地を治める領主の娘は学園でいつも一人だ。あまりにも自分が情けなく、両親に心配をかけたくないという思いから相談することもできない彼女が一人で涙を流した回数は数え切れない。あまりに酷い言葉の暴力を受け、死を考えたこともあったほどだ。しかしそれこそ最大の親不孝であり、負けを認めたうえでの逃避でしかない。


 その思いで中等部の初期頃から始まったこの環境に約二年間耐えてきたが、決して慣れることはできず心の傷は増えていくばかりであった。



 一人で味気のない食事を終えたユリシアは、いつものように午後の講義が始まるギリギリの時間になってから席を立ち、重たい足を教室へと向けて進めていった。その足音は教室に近づくにつれ、徐々にテンポとトーンを落としていった。



 その日の放課後も、彼女はいつも通り一人で帰路についていた。少し遠くなった校舎から様々な部活動の活気を感じ取れる音が聞こえてくる。部活動は魔術を扱うものがほとんどで、運動系、文化系に関係なくついていけるはずがなかった。魔術を扱わない部活動もあるが、現状を考えればどちらにしても人間関係を上手く築くことなどできないだろう。


 「誰かと同じ目標に向かって努力できるって、羨ましいな・・・」


 これまでに何度も口をついた独り言がまた零れた。


 彼女には目標がある。だがそれを共有できる人はいない。そのため下校するときにはいつも同じことを思ってしまうのだ。


 憂鬱な登下校に掛かる時間は徒歩で30分程度。ユリシアはその道中でたくさんの大人に話しかけられる。これはいつものことで、道行く人が挨拶をしてくれるのだ。


 「ユリシアちゃん、今日もお疲れ様」


 「今日も可愛いね!」


 「うちで収穫したイチゴなの、貰っていって!」


 などなど。学園での孤独が何かの間違いではないのかと思うほどに彼女はトーレンス州民から愛されていた。これも領主である両親が愛されているからこそで、そんな両親のことが誇らしく、娘としても嬉しいことだった。


 「いつもありがとうございます」


 そう答えながら微笑むユリシアだが、内心は複雑だ。


 (きっと、これも私が嫌われる原因の一つなんだろうな・・・)


 しかし好意からの行動を辞めて欲しいと言えるわけもなく、いつものようにいくつか増えた手荷物の重みが、腕だけではなく彼女の心にものしかかっていた。



 「ただいまー」


 いつも通り暗い気分で帰宅したユリシアは、街の人からの貰い物を母親のカレンに渡すべくキッチンへと向かった。しかし、そこにいつもあるはずの母親の姿がなかった。思い返せば、いつも返ってくるおかえりの言葉も聞こえなかった。


 「あれ、お母さーん?」


 少し大きな声で呼びかけてみると、二階から物音が聞こえた。そして誰かが階段を下りてくる気配があり、そっと娘の前に姿を現した母は、人指し指立てて「静かに」というジェスチャーをしていた。ユリシアは訳が分からず、首を傾げることしかできない。


 領主という立場もあってユリシアの暮らす家は屋敷と言ってもいいくらいには大きい。家族3人で暮らすだけなら大きな屋敷である必要はないのだが、お偉い方の来客や様々なパーティーが行われるなどの事情でこのような屋敷に暮らしているのだ。


 そういった事情を知っているユリシアは、母親の様子を見て来客中なのか予想して尋ねた。


 しかし、その問いに対してカレンは首を横に振り、少し小さな声で説明を始める。


 話によると、領主の仕事の一つでもある魔物の動向調査の最中に、森の中で魔物に殺されかけている青年を見つけたそうだ。そしてユリシアの父親でカレンの夫であるレナード・アスレインがその青年を魔物から救出、治癒魔術で応急処置をして本職の魔術医に診せるため街に戻ったそうだ。


 死んでいてもおかしくない状態だと医者も驚いたらしいが、青年は一命を取りとめた。そのまま入院させるのがベストだったらしいが、とある事情によりアスレイン家で預かることになり、その青年が今二階で眠っているためできるだけ静かに、ということのようだ。


 「うちで預からなきゃいけない事情って?」


 当然のことながらユリシアはその部分が気になった。その問いに対して答えたのは、カレンが大まかな事情を説明している間に二階から降りてきたレナードだった。


 「彼は、魔物に襲われて瀕死の重傷を負ったわけじゃなく、人の手によって殺されかけていたんだよ」


 「え?」


 「傷の中には殴打による打撲や刀剣による切り傷が多くて、魔物から受けたような傷はなかった。そして何よりの証拠として、これが彼の手首を縛っていた」


 トーレンス州内で殺人未遂があったことに驚いた様子の娘に、父はその手に握った黒い紐を見せた。その紐がどういうものであるか、彼女はもちろん把握していた。それを知らない人などこの世界にはいないと言っていいほど、それはよく知られているモノだった。


 「それは、マナ封じの・・・?」


 「ああ、この対魔の黒紐を魔物が使うはずはないから、人の手によるものだと考えて間違いない。しかしこれは各国が厳重に管理しているものだから容易に手に入るものでもないんだ」


 マナを封じることのできる黒い紐、通称「対魔の黒紐」は、マナの動きを停止させる特殊な物質から作られており、これに触れていると人間はマナを扱えなくなる。


 その特殊な物質は非常に希少なもので、扱いやすさの面で一般的に紐の形状に加工されているのだが、その紐の総数は百にも満たないと言われている。危険だと判断された魔術犯罪者以外への使用はどの国でも禁じられており、五大国の協定で所持数や使用、生産などの報告が義務付けられているほどだ。


 その影響力から、互いの国で定期的に監査を行うほど徹底した管理の下で使用されるものであり、普通に暮らしていて目にすることはないと言ってもいい。


 何故そこまで使用に制限が掛けられるのかというと、マナが体内で流動している状態と、していない状態では、どうやってもひっくり返せない絶対的な力の差が生じるためだ。


 ちなみにユリシアは上手くマナを放出できないだけで流れはしっかりしているため日常生活に支障はないが、もしマナを封じられれば誰しもが彼女と同じように魔術が使えない状態になり、どれだけマナの扱いに長けた者であっても身体の自由が利かなくなる。つまり何をされようと抵抗できなくなるのだ。そのため悪用を防ぐ目的で、非常に厳重な管理がなされているというわけである。


 「お父さん、じゃあその人は犯罪者ってこと?」


 その知識を持つユリシアが、怯えながら口にしたその疑問は当然のものだろう。だがレナードはそれを否定した。


 「おそらくそうではないから安心していいよ。その可能性も完全に否定はできないからここに連れてきているわけだけど、この紐を使うほどの犯罪者であってもあそこまで痛めつけて、死の苦痛を長引かせて殺そうとすることは許されないからね。それに彼の服が東国産の着物の中でもかなり良い代物だったから、カザツキの要人なのかもしれないな。まあ詳しくは彼が目覚めてから話を聞いてみるけど、念のためユリシアは彼の部屋に近づかないように」


 「うん、分かった。でもどうしてその酷い人たちはこんな貴重なものを回収しなかったのかな?もしかしたら犯罪の証拠になるかもしれないのに」


 ユリシアの指摘は最もなものであり、レナードはそれを認めつつ自分の考えを述べた。複雑な感情が滲む、少し暗い表情で。


 「確かにその通りだ。でもそこまで杜撰な計画とも思えない。これは認めたくはないことだけど、きっとどの国も互いの監査が届かないところでこれを生産しているのだろう」


 「・・・それはこの国でも?」


 「ああ、私はそう考えている。だけどそれを不正に生産し、悪用しているのは国王陛下や王族の方々ではなく、一部の腐った貴族だろうけどね」


 「そうなんだ・・・」


 レナードはシンテラ王国の貴族としてこのトーレンス州を治めている。そのため何度も王都には足を運んでおり、そこで他の貴族や王族と接する機会も少なくない。そういう機会では様々な情報が飛び交うものだ。真偽は自己判断になってしまうが、そこでの情報は裏さえ取れれば有用なものとなり得る。裏が取れずとも、可能性の一つとして念頭に置くことはできるのだ。


 このような話に深く関わらせることはユリシアのためにならないと判断したレナードは、ここまで話をしてしまったことを反省しつつ娘に釘を刺しておいた。


 「まあこういうことは私たちの仕事だ。ユリシアは深く関わらないように」


 「うん、分かった・・・」


 ユリシアはまだ聞きたいことがあるのか納得のいかない顔をしていたが、レナードがそのように言った意味も理解していた。


 (お父さんたちの思いとは反してるかもしれないけど、私の目標のためには、こういうことをもっと知らないといけないんだろうな・・・)


 このときユリシアは、改めて自分の目標のためにやらなければならないことがたくさんあることを自覚した。だが何をすればいいのか今の彼女にはどれだけ考えても分かりそうになかった。




 その彼女の心情を表すかのように、いつの間にか沈んだ陽に代わって夜空に上ってきた月を、黒い雲が覆い隠していた。

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