18. それぞれの思いと侵入者

 宿舎内にシオウの姿も気配もない。両親への連絡を終えてリビングに戻ったクレアは当然そのことに気がついた。自分の近衛騎士が何かやったのだろうということは容易に推測できたが、事情を聞こうにも、その彼女は何故かソファで熟睡している。


 「はぁ。護衛が何をやってるんだか・・・」


 そう呟きながらも、クレアの表情は嬉しそうであった。彼女にとってエレナは、唯一同性の近衛騎士であり、それと同時に妹のような存在でもある。その彼女が幸せそうに寝ているのを見ると、クレアとしては怒るに怒れない。エレナが起きるのを隣で待つことにして、彼女もソファに腰を下ろしたのだった。


 クレアには姉と兄はいるが、下には弟も妹もいない末っ子だ。年齢的に三つ上の兄と、それぞれ五つ、二つ上の姉がいて、彼女は第四子としてシンテラの王家に生まれた。兄も同じ継承者であることから彼女が王位を継ぐことはほぼ有り得ないということで、両親は放任といってもいいほど、末っ子に自由を与えて育てた。兄と姉たちも、自由を与えられながらも真面目で努力を怠らない妹を溺愛している。


 このように甘える側の環境で育ったクレアだが、継承者としての強大な力を有して生まれた彼女は、王族の誇りから日々の鍛錬を怠らなかった。その結果、国民から魔物との戦闘で頼られる場面が多くなり、上に立つ者としての器は早々に完成することとなる。


 そのため、年頃になり女性の近衛騎士を就けることになったときには、彼女は既に王族としての風格を纏っていた。そのときに任命された近衛がエレナ・マーキスであり、クレアの二つ年下である彼女は当時まだ十一歳であった。固有魔術が買われての抜擢だったが、その他の能力も同年代の水準でいえば卓越していたと言える。過去の事件が原因で男嫌い、もしくは男性恐怖症という欠点はあったが、姫の護衛を務める上ではそこまで問題にならないと判断されたのだろう。


 ただ、護衛対象が継承者という強者であるため、エレナが護衛としての職務を果たした機会は着任してから七年ほど経つものの皆無である。クレアがまだそれほど力の扱いに慣れていないうちは何度か賊の襲撃もあったのだが、その強さが知られてからというもの、しつこく求婚してくる男は何人もいたが、命や身柄を狙われることはなくなったのだ。


 主に護衛対象であるクレアのせいで仕事がないことから、エレナは護衛というよりも侍女のようなもので、年下ということもあって妹のような存在に感じているのだろう。その可愛い妹を苦しめている過去の事件について詳しい話を聞いているクレアだが、過去のトラウマは自分で克服するしかない。手助けはできるかもしれないが、最後は本人の心次第であり、王族とはいえ彼女にはどうすることもできない類の問題だった。


 「エレナのこんな表情を見るのは初めてかもしれないわね・・・」


 騎士はそのほとんどが男性であり、王族のクレアと共に行動していればおのずと男性が近くにいる状況が多くなる。そういう場面では常に恐怖と戦っているのだから、精神的に相当厳しい環境のはずだ。それでいて護衛という立場上、王城の中はともかく城外にいる間は気を張り詰めなければならない。


 真面目なエレナは仕事がないとはいえ手を抜く性分ではないため、日々精神をすり減らしていたのだろう。今のような安らかな表情など、見せる余裕もなかったに違いない。


 「気づけなくてゴメンね。エレナのこと気遣ってるつもりで、アタシは何も分かってなかった・・・」


 まだ家族に甘えたいであろう年頃からずっとこのような大変な職務に就いていたのだ。辛いと思っていることは疑いない。それなのにクレアは、一方的にエレナを妹のように思っていても、姉として妹に甘えられたこともなければ、妹に何か姉らしいことをした覚えもなかった。


 スヤスヤと穏やかな表情で眠る近衛騎士の姿を見て、姫は自身の至らなさを改めて痛感した。そして同時に、今後どうすればこのような表情を普段から見せてくれるのだろうかと、真剣に考えるのだった。




 あそこまで感情的になれることを、シオウは己のことながら初めて知った。これまでの人生が自分のものではなかったという事情のせいかもしれないが、それでも多少の感情の起伏は経験したことがあったし、人の好き嫌いに関してもきちんと自身としての考えを持った上で、表に出さないことを貫いてきたつもりでいる。しかし初対面の女性に対して、相手の事情も知らないまま言葉で責め立て泣かせてしまうほどに感情を抑えきれなかったことは初めての経験であった。


 「はぁ。自由になったのはいいけど、自分の人生を生きることは案外難しいみたいだ・・・」


 小さくため息をついて情けない呟きを零しながら、彼は昨夜燃えてしまった丘の上で、目先の問題への対処を考えていた。


 トーレンスの街に先ほど侵入してきた彼らは、状況からみてクレアを狙う他国の者たちで間違いない。何故ならば、シオウはそのマナの気配に覚えがあり、そして例のチカラを一つ感知したためである。侵入者たちの目線では、ちょうどトーレンス州の近くにいるときに都合よくグリフォンが出現し、討伐のために警備が固くあまり派手な行動が起こせない王都から、目的の姫君が警備面で劣る田舎に出てきてくれたというところだろう。


 「だいたいそんなことだろうとは思っていたが、随分とくだらない理由で命を狙われたもんだよな、アイツも・・・」


 数日前の出来事を顧みて、そのとき相まみえた敵集団を思い浮かべて自嘲する。今回トーレンスに侵入した集団は、シオウが影武者を務めていたシレン・カザツキを殺そうとした者たちと同一犯であった。


 殺されかけたものの、シオウとしては復讐するつもりなどない。しかし、護衛対象を狙うのならこの手で捻り潰すだけだ。一度殺されかけた相手である以上やり口は分かっているため、同じ失敗は繰り返せない。ただ、現状を考えればあの程度の相手に後れを取ることなど有り得ないと、油断も慢心もなく彼は事実としてそう思っている。


 それでもシオウは、救うと決めた人が大切に思っているこの街で己の欲望のためだけに悪事を働こうとしている輩に対し、全力で対処することを決定した。その相手を殺すことさえ厭わず、降りかかる火の粉は全て消し尽くすという絶対的な意志が、全身から溢れ出して風に揺れる。


 焼き尽くされた丘の上に、再び小さな黒い炎が灯っていた。




 トーレンスの街にある宿屋の一室。数人の男が集まって作戦を話し合っていた。彼らの目的はシンテラ王国の姫クレア・シンテラの拉致。いや、この場合は彼らの、ではなくその男たちを束ねる一人の青年の欲望か。


 「貴様ら、これは天運だ。この私がクレアを手にいれるのは今このときなのだ!」


 昨日から何度も同じ話をされているため、青年の部下である三人の男たちは呆れているが、青年はまったく気にしない。というより部下の様子など見ていない。


 「ふはは、クレアの婚約者候補殺しは影武者に邪魔されて失敗したが、クレアが王都を出て近くにいるなら、この力で私のモノにできる!」


 そう言い切った青年の右手の五指に白い炎が灯り、怪しげに揺れる。


 「この【支配ノ白糸】の力があればな」


 ゆらゆらと揺れる白い炎を見た部下たちの表情に影が生まれた。その力の残酷さを知る彼らは、目の前の青年に逆らうことができない。これまでに何人もの同胞が、その力によって悲惨な末路を辿っているのだ。


 そして彼らは今、その力の影響下にある。青年が口にした能力名からも分かるかもしれないが、彼はその白い炎を纏う糸によって人や物を自在に操ることができる。右手の五指で直接操作対象に触れなければならず、同時に操作できる対象の数が五つという弱点もあるが、それでも非常に強力な能力だ。


 しかしこの能力は白炎のチカラの中でもあまり知名度が高くない部類だ。この力の上位互換とも言える能力が非常に有名であるために。だがその上位能力を継承した者はこれまで誰一人いないとされているため、実質白炎の力としてはオンリーワンの能力といえる。


 「各国の王族・皇族の間で継承者の能力開示などという不文律があるために、私の顔を知る者は右手で触れさせようとはしないし、他国にいる間、公の場では手袋の着用もしなければならない。まったく困ったものだ。だがまあ、脅威になりそうな継承者が他国に生まれたときにはそれも役に立ったか・・・」


 部下など気にせず独りでそう語る青年は醜悪な笑みを浮かべながら、彼の父親が継承者として生まれたカザツキの皇子を秘密裏に抹殺したという話を思い出していた。それに関連して、彼の考えは一昨日カザツキで起こした出来事へとシフトする。


 「しかし、あれが影武者だとは思わなかったな。護衛の女の様子からしても、影武者が拉致されたにしては取り乱しすぎていた。そうなると関係を邪推してしまうが、まあそれならそれで面白いか・・・。身体を無理やり操作され、好きな相手を間接的に殺す。なんとも興奮するシチュエーションではないか!」


 支配者の独り言を聞いていた部下たちは、いつも思うことではあるが青年のことを壊れていると思った。しかしそれを口にしようものなら、自分が残酷な目に遭わされる。だから黙っていることしかできない。


 「色々と面白い想像をしてしまうが、今はそれよりもクレアだな。貴様ら、作戦はカザツキのときと同じだ。私の護衛、周囲の状況の注視と報告だけすればいい。くれぐれも邪魔はするなよ。この作戦の失敗は貴様らの地獄を意味していると思え!」


 青年の命令に頷くしかない三名の部下は、その肉体と精神を逃れられない糸に捕らわれている。白炎を帯びたその糸を辿ると、醜悪な笑みを浮かべた悪魔が、蜘蛛の巣にかかるであろう獲物を食す瞬間を想像し、待ちきれずに涎を垂らしていた。

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