17. 騎士との口論

 春の柔らかい温かさを感じる、正午を少し過ぎた心地いい時間帯。昼食を済ませたクレアとシオウは、アスレイン家の宿舎にあるリビングでくつろぎながら、もうじき到着すると連絡のあった姫に使える近衛騎士、エレナ・マーキスを待っていた。


 本日はアスレイン邸で一門集まっての会議が行われており、ユリシアもそこに参加しているため今は二人きりである。ただ、昨晩はこの家の一人娘が王族の姫と一緒に寝たいと言い出してこちらにお泊りしたので、夜に二人が一つ屋根の下という状況になったわけではない。次の日に女性の護衛が到着することを知っていたため、この日だけと思ってのワガママだったのだろう。もしくは、クレアと仲良くなって姉のように慕い始め、ピロートークをしたいと思ったのかもしれない。本心はどうであれ、結果として二人きりの夜を回避したことに変わりはなく、お姫様としては夜の語らいが楽しかっただけに複雑な心境である。


 とはいえ、今だけは二人きり。しかも昼食にシオウの手料理を頂いた姫君はご機嫌であった。


 「今日の料理も美味しかった!カザツキの料理ってあまり口にしたことなかったけど、シオウくんのおかげで興味が沸いてきたわ」


 「お口にあったのならよかったです。ただ、カザツキで作るものとは少し味が違っているので、本場で食べると違和感があるかもしれません。この街で手に入る材料で可能な限り再現はしましたが、あちらにしかない調味料もありますので」


 午前中はシオウが一人で買い物に出て、生活に必要な食材や日用品を揃えていた。クレアはもともと朝が弱いのにユリシアと夜更かししておしゃべりしていたこともあって、彼が買い出しから帰宅した後に起きるというミスを犯している。早く起きていれば買い物デートできたという事実にはまだ気づいていない彼女。今は思い人と二人きりの状況に舞い上がっているようだ。


 「やっぱりシオウくんってすごいのね」


 「・・・上には上がいますし、自分は大したことありませんよ」


 褒められ慣れていないシオウは困ったような表情を浮かべてそう答えながら、何をやっても勝てない圧倒的な存在を思い出していた。しかし、十分にできる人間が大したことないのであれば、まったくできない自分はどうなるのかと、お姫様は彼の返事にご立腹の様子である。


 「謙遜はときに嫌味なんだからねっ!」


 頬を膨らませながらプンスカしている可愛い同居人に対して謝ろうとしたシオウであったが、この宿舎に近づく人の気配を察知したために言葉にはならなかった。


 「・・・誰かがここに近づいてきていますね。マナの気配は一つですが、エレナさんでしょうか?」


 シオウはサラッとマナの気配を感知してみせたが、王族の近衛騎士を任されているエレナのような実力者は自身のマナを制御し隠しているため簡単にできることではない。魔物との戦闘だけでなく、対魔術師戦を行う可能性が考えられる場合は、己のマナを極力相手に感知されないように制御することが求められるのだ。これは、マナから本人の精神状態や体調などが読み取られることを阻止するためであり、護衛を担当する上で必須のスキルと言える。


 もっとも、マナから対象の情報を詳細に読み取るような高等技術を習得している者などほとんどいないことから、そこを重点的に鍛える者もいないようだ。ただ、最低限のレベルがなければ近衛騎士など務まるはずがない。


 そういった理由で、まだ若いエレナであってもマナの気配は上手く隠蔽されている。しかし、限りなく抑えられているそのマナを、シオウは確実に知覚していた。ただ、この分野が得意な彼でもアスレイン邸付近に近づかれるまで分からなかったことから、近衛騎士様の実力は相当のものと言える。


 マナの気配ではなく念話で確認を取ったクレアが、もう驚きはしないと内心で思いながら腰を上げた。


 「そうみたいね。迎えに出てくるわ」


 「はい、お願いします」


 護衛対象を一人で向かわせることは、不適当な選択かもしれない。相手が信頼できる人物であっても、何者かに操られている可能性だってあるのだ。魔術ならともかく、継承者のチカラは普通の魔術師には知覚できない。身を以ってそのことを知っている彼だが、今は違う。だからこそエレナの男性嫌いを鑑み、まず彼女をクレアと二人の状態にして精神的に多少余裕を持たせてから顔を合わせることにしたのだろう。



 ほどなくして姫が一人の騎士を伴い戻ってきた。明るい茶髪が目を引き、翡翠の瞳が美しい可憐な女性。身長はクレアよりも少し低いが、女性らしくもほどよく均整の取れたバランスのいいスタイルをしている。顔にはまだ幼さがあり、年齢はシオウと変わらないくらいだろうか。


 姿勢のいい可憐な騎士はシオウに気づくと、近すぎず遠すぎない初対面の相手との適切な距離を取り、礼儀正しく挨拶をした。


 「貴方がシオウさんですね。改めましてワタシはエレナ・マーキスです。姫様からお話は伺っています。これから共に姫様の護衛をするということなので、よろしくお願いします」


 完璧な挨拶を見せたエレナに対して、シオウはそこまで深刻な男嫌いという印象を受けなかった。年頃の男子らしく、その美しい所作に見惚れていることもあって注視できていないが、マナも落ち着いているようだ。人当たりの良さそうな笑顔を見せる彼女となら上手くやっていける気がする。


 この時点では彼もそう思っていた。





 「ねえ、アンタ必要ないから出て行ってくれない?獣と一緒に生活するとか無理だし、姫様の近くにアンタがいるだけで虫唾が走るから。まあ去勢するなら置いてあげるけど、ペットはペットらしくご主人様に服従するものよね」


 シオウからの挨拶や状況の説明など、その他諸々のことが終わり、エレナに促されたクレアは家族への連絡をするため席を外した。そうして二人きりになった瞬間、可憐な騎士様は先ほどまでの様子からは予想もできない本性を現したのである。


 蔑むような眼差しで吐かれた言葉に、やっぱり無理かもと、獣扱いのペットマンは思わずにいられなかった。


 だが彼とて大人しく飼いならされるわけがなく、馬鹿らしいことを言う彼女に従うつもりは毛頭ない。


 「同じ部屋でずっと一緒にいるわけでもなく、それぞれの部屋というプライベートな空間もありますし、いろいろな設備も男女別になってますよね?」


 「まあそうね。で、それが?」


 「そういう環境でも嫌ということですか?」


 その試すかのような雰囲気を孕んだ問いに対し、エレナは侮蔑の意を強めた口調で返答した。


 「環境とか関係なく、アンタみたいな怪しい男は無理よ。アンタの話を信じるなら、帰る家もなければ所属もなし。そしてこの国の人間でもなく、ただ女の子に魔術とかいろいろ教えるために居候しようとしてるってことらしいけど、どこにも信用できる要素が見当たらないわ。それにサルオンの奴らに殺されかけたとか言って、その理由とか肝心なところは何も話してないんでしょ?どうして誰もアンタを警戒していないのか不思議に思うわ。まあそれがなくても、男って時点で無理なんだけど」


 本来信頼とは徐々に積み上げるものであり、今のシオウの状況は確かに異様だ。周囲の理解があったこと、グリフォン撃退に貢献した功績などが重なって現状の位置にいるだけで、確かに第三者から見れば異常なほど不自然である。


 だが、指摘されたことに自覚があった不審者ことシオウにとってこれは想定内の反応であり、むしろ気づかないようなら護衛としては不適だと思っていた。


 「そこに気づかなければエレナさんの方にお帰り頂こうかと思っていましたが、流石に近衛騎士を任されているだけはあります」


 「アンタ、立場分かってるの?信用されたいなら話すべきことは話しなさいよ」


 上から目線で評価され、エレナは不快そうな表情で説明を求めた。だが彼はその姿勢を崩さず要求を拒否する。


 「自分としてはエレナさんに信用して頂く必要はないので、お話することはありません」


 「・・・姫様と一緒にグリフォンを倒したからって調子に乗ってるの?」


 「先ほどこちらを獣扱いされましたが、そんなにマナを荒げて威嚇していると、エレナさんの方がよほど獣に見えますね。もう少し理性的にお話しませんか?」


 落ち着き払った様子で挑発的な態度を取る相手にイライラしてきた女騎士であったが、ここで感情的になっては相手の思う壺であるという判断ができるほどには、まだ冷静さを残していた。


 「で、そうやってワタシを煽って何がしたいのかしら?」


 「エレナさんのことをよく知ろうと思っただけですよ。最初に言われたことの仕返しという面もありますが、あまり意味はありませんでしたね」


 正直にそう答えたシオウは先ほどから表情も口調も変えず、冷静そのものであった。そのことも気に食わない様子の騎士様は、目の前にいる男との共同生活を絶対に阻止してやると、この時点で意地になっていた。


 「それで、ワタシのことは分かったのかしら?」


 「男嫌いは相当なようですね。理由については聞きませんが、ここを追い出されるわけにはいきませんのである程度は譲歩して頂かないと」


 「ワタシは絶対に男と一緒に生活なんて認めないわよ」


 そして少々冷静さを欠いて意固地になっているエレナのこの態度が、ここまで低姿勢で物腰の柔らかい対応をしていたつもりの男に変化をもたらした。


 これまで他人として生きてきた彼が、死にかけて初めて自分自身として生きることになり、その直後に命を落としかけたのだ。それによって揺らがないように鍛えられた精神が自覚なく不安定になっていたのかもしれない。価値観が違いすぎる、他人の事情を鑑みない自己中心的なエレナの態度に、彼の中で何かが爆発した。


 「・・・もう丁寧な口調で話すのも馬鹿馬鹿しいな。俺はお前みたいなタイプが嫌いみたいだ。自己中心的で、他人の迷惑を考えもしない。自分の不利益には文句を言い、他の誰かを責め立てる。今までどんな生き方をしてきたか知らないが、そんな我が儘が通ると思っているのか?」


 纏う雰囲気が一変し、絶対的強者が持つ威圧感のようなものを発している目の前の男に、エレナは心臓が握りつぶされる錯覚を覚えた。だがその恐怖を表に出していては王族の近衛騎士など務まらない。彼女は意地で何とか気丈に振舞った。


 「へ、へぇ、それがアンタの本性なのね。まあでも、ワタシもアンタに嫌われようが構わないし、何を言われたって嫌なものは嫌なの。アンタが消えれば全て丸く収まるんだから、さっさとどっか行ってくれない?」


 「そうやって自分の弱さを晒して、周囲からの同情に甘えて、自分を正当化してきたのか?過去に何があったのかは興味もないが、どうせ男嫌いの理由だってくだらないものなんだろ」


 依然として頑なに態度を変える様子のないワガママ女騎士様に、普段の落ち着きを失っているシオウは容赦なく思ったことを述べる。


 その言葉に遠慮はなかったが、エレナの琴線に触れるものはあった。


 「何も知らないアンタが、くだらないなんて言わないでっ!男なんてみんな同じじゃないっ!女のことを性欲の捌け口くらいにしか思ってない、ただの獣よ!」


 感情のままそう叫ぶエレナの翡翠の瞳には憎悪が宿り、目尻にはうっすらと水滴が見えていた。彼女にも事情はあるのかもしれないが、それも今のシオウにとっては不快でしかない。発した言葉にある侮蔑の意は隠そうともされていなかった。


 「感情的になって喚けばどうにかなるとでも思っているのか?自分の考えに固執して、それが全てだと思い込んで、周囲にそれを押し付けて。挙句の果てに、自分は被害者だから同情して言うことを聞けとか、よくもまあ、そこまで自分を落とせるよな」


 「っ、うるさいっ!何言ってるのかわかんない!怖いものは怖いし、嫌なものは嫌なの!どうしようもないのっ!」


 あまりの迫力に気圧された女騎士は、子供のようにただ感情的をさらけ出して喚くことしかできなかった。


 もはや会話にもなっていないやり取りの中で、エレナに鋭い視線を向け続けていたシオウであったが、相手がここまで取り乱している様子を見て少し冷静になった。そして自身が上手く感情を制御できていないことに気づき、言いすぎてしまったことを自覚した彼は、涙を流す騎士様からその視線を外す。そして色々と諦めたような口調で彼女に声をかけた。


 「・・・もういいか。これ以上は時間の無駄だから出て行ってやるよ」


 そして相手に背を向け、この場から離れようとする。


 現状を鑑みて、王都から離れて生活するとなればクレアの身に何か起こる可能性は非常に高いとシオウは考えていた。それでも自分が何とかすればいいと思い、ここに残りたいというワガママ姫の意見を推したのだ。しかし、エレナのことは想定外であり、現状は彼の思い通りにはなっていない。


 先ほど、この近衛騎士が宿舎に到着したのとほぼ同時に、その予想が的中したことを、シオウは把握していた。


 (まったく、どうしてこうも上手くいかないのか・・・)


 何故自由を手に入れた途端に厄介事が重なって降りかかってくるのだろうかと、彼は疑問を感じずにはいられなかった。



 自分の前から去っていく男の背中を視界に捉えていたエレナは、己の内に渦巻く過去の悪夢と恐怖のせいで軽いパニック状態に陥っていた。そんな彼女に不意打ちの魔術が防げるはずがないということは、誰が見ても明らかだ。


 「<夢魔ノ誘眠>」


 振り返ることもせず一瞬で構築した魔術を背中越しに放った男は、眠らせた相手がソファの上にゆっくりと倒れることを確認してからその場を離れた。


 「はぁ、これからどうするべきか・・・」


 先ほどまでの泣き顔とは対照的に眠っている彼女の表情はどこか幸せそうで、先ほどの口論が嘘だったかのように、リビングでは小さな寝息だけが響いていた。


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