9. 帰宅、そして姫との出会い
グリフォンの出現によって喧騒に包まれていた街も、シオウとユリシアが屋敷に向けて大通りを歩く頃にはいつも通りの様子に戻っていた。もちろん道行く人々の会話はグリフォンやクレア姫のことが中心である。
今回のグリフォン襲来による被害はゼロという発表が領主のレナードからあったようで、州民がすぐにいつも通り生活できている理由はそれが最も大きいだろう。それだけでなく、この大陸における魔物の脅威というものは誰しもが知っていることだ。確かに今回は例外的な強さで、街の近くに突如として現れるというイレギュラーではあったが、そもそも魔物は街を出ればいつ遭遇するか分からないものであり、そして魔物はどれほど弱い個体であっても、基本的に一対一では倒せないほどに強い。そのため、結果として被害がなかった場合には人々の切り替えが非常に早い。
実際に今、ユリシアは道端で顔見知りの女性に冷やかしを受けている。
「あら、ユリシアちゃん、お隣の彼は恋人?かっこいい子ね!もうそういう噂があってもいいお年頃だものね」
それなりに交流があるのか、随分と気安い感じで話しかけてくる女性に対してユリシアが気にしている様子はない。だがその女性が振ってきた話題に関しては狼狽しているようだった。
「い、いえ、この方は恋人というわけでは・・・」
隣に立つ青年の方に視線を移しながら、頬を少し朱に染めて返事をするユリシアを見て、女性は何かを察したようだ。頬を緩め、どこか含みのある言葉をユリシアに掛ける。
「へぇ、そうなんだ。ふふっ、頑張ってね」
「な、なんですか、その言い方・・・」
「あら、気づいてないの?まあ確かにユリシアちゃんは自分のこととか疎そうだもんね」
馬鹿にされているような気がしたユリシアは、少し感情的になって反論した。
「そんなことありませんよっ!」
ムキになった表情で感情的な一面を見せるユリシアを、その女性は初めて目の当たりにした。そのせいで一瞬呆けたような表情になってしまったが、ユリシアはそれに気づかなかったようである。女性はすぐに優しく微笑み、どこか嬉しげな様子で言葉を紡いだ。
「ふふっ、じゃあそういうことにしといてあげるわ」
微笑みながら立ち去る女性の背中を見ながら、ユリシアは頬を小さく膨らませる。
「むぅ。あの人はいつも私をからかって・・・」
口を出さずに様子を見守っていたシオウは、そのユリシアの様子を微笑ましく思いながらようやく口に開いた。
「お嬢様は街の方々に愛されているのですね。きっとあの方もお嬢様を心配していたのだと思いますよ」
「そ、そうかもしれませんけど・・・」
おそらくその通りだということが分かっているだけに、ユリシアはシオウの指摘に対して反論することができず、少し照れたような表情で小さく呟くことしかできなかった。
道中で同じようなことが何度かありながらも、二人はアスレイン邸へと無事に辿り着いた。
「やっと着きましたね、シオウさん・・・」
大人たちにシオウとの関係を幾度となく尋ねられ、ユリシアはかなり疲れていた。ここまで話しかけられてしまったのは、今まで彼女がずっと一人で街を歩いていたことを、州民が心の内で気にしていたためかもしれない。それとも、ただ単にユリシアの色恋沙汰に興味があっただけなのかは分からない。
あからさまに疲れた様子のユリシアに、シオウは少々申し訳なく思いながらも残念なお知らせを告げる。
「お疲れのところ言い難いのですが、屋敷の中にクレア様がいらっしゃるようです。なので、もう少しだけ頑張ってください、お嬢様」
「・・・はい、頑張ります」
流石にこの国の姫君に対して、一領主の娘がみっともない態度を見せるわけにはいかない。ユリシアは何とか緩みかかっていた気を張り直した。
屋敷の明かりのせいか、彼女の金髪と紅い瞳には少しだけ輝きが戻っているように、シオウには見えた。
アスレイン邸に帰宅したユリシアとシオウを、家主であるレナードとカレン、そしてシオウの言った通り、クレア・シンテラが出迎えた。
「初めまして。アタシはクレア・シンテラよ。貴方がさっき手を貸してくれた人らしいわね、ありがとう」
この国の姫であって絶大な力を有する継承者。それ故に大陸内で知らぬ者はいないであろう人物。それがクレア・シンテラである。彼女は二人に向けて自己紹介したが、その後に続いた言葉からも分かるように、その美しい赤の瞳にはシオウしか映っていないようだ。
屋敷内ということもあり彼女は既に鎧を脱いでいる。だがそれだけではなく、その頬の火照り具合と美しく輝く赤髪、そして全身から漂う良い香りから、入浴直後ということが予想された。格好もラフで、バスローブを着ているだけに見える。
身長は成人女性の平均と比べると低いのだが、女性らしい部分は大きすぎず小さすぎず、とても綺麗なバランスで美しいラインをしていると、クレアのその姿を見たシオウは分析した。もちろんこういった異性への興味を表に出すことはしないが、彼も男である。早くなりかけた鼓動を落ち着けなければならなかった。
鼓動を意識的に制御して落ち着けた彼だったが、話を長引かせることはしたくないようで、早く終わらせるために、今は目の前の可憐な姫の問いに対して素直に答えることにした。一国の姫に対する礼儀として、彼は整った姿勢で膝をついている。
「ええ、そうです」
「色々と聞きたいんだけど、今晩付き合ってもらえないかしら?えっと、シオウくんだっけ?」
レナードから話を聞いて名前はきちんと覚えていたはずだが、クレアは緊張のせいか確認を取るように尋ねてしまった。
自分たちを待っていたということは、既にいくらか情報を得ているのだろうとシオウは考え、特に戸惑った様子もなくそれに答える。
「はい、そうです。事情があって家名はありませんが、名はシオウと申します」
「そっか。シオウくんは十八歳って聞いたけど間違いない?何かアタシよりも大人びて見えるんだけど・・・。ちなみにアタシは昨年成人したばかりよ」
「はい、十八で間違いありません」
「それじゃあお酒も飲めるわけだし、今夜はアタシと語り明かさない?」
確かに大陸全土の法律で十八歳から飲酒は認められているが、シオウは今そんな気分ではない。好奇心を隠すこともなく自分勝手な要求をしてきたことに対して内心で面倒だと思ったが、それを表情に出すことはしなかった。むしろ彼女はこの街の恩人であり礼儀を尽くすのが当然の相手である。それが分かっているからこそシオウは迷惑なことをされても礼儀を崩さなかった。
もっとも、彼は面倒だと思うのと同時に、魅力的な誘いだとも思っていた。
「すみません。とても光栄なお誘いなのですが、流石にあの戦闘の後ですので今晩は休ませて頂けませんか?」
酷く疲れた様子で、覇気の無い声音でそう言われればたいていの人間は気を遣ってくれるはずだ。
だが相手はそのたいていに含まれないらしかった。もしかしたらその裏にある肯定的な気持ちを読み取ったのかもしれない。
「まだ若いんだし大丈夫よ。外傷だってないし、ただマナを使いすぎただけなんだから、マナを取り込んでいれば自然とよくなるわ」
「確かにそうですが・・・」
「あの、失礼とは思いますがクレア様。シオウさんは肉体的にも、精神的にも、とてもお疲れになっていますので、お話は明日にして頂けないでしょうか」
二人の会話に割って入り、断りきれないシオウを助けたのは、それまで少し離れて両親と話していたユリシアだった。娘の変化に気づいたのか、後ろで見守る両親がどこか嬉しげな表情をしている様子がシオウの視界に入った。しかし、すぐに助けに入ってくれたユリシアへと視線を戻す。
一国の王族と相対するユリシアが、クレアと同じような風格を纏っているようにも見えたが、シオウはそれが不自然なことではないと分かっている。確かに死んだはずのシオウをこの世に蘇らせたあの力は、どこか決定的な部分が異なるものの、間違いなくアレと同種の力だ。それはつまり、彼女がそうであるということを示している。
目の前の少女からそういった雰囲気を感じ取ったのかどうかは分からないが、クレアは意外なほどすんなりとそれを聞き入れた。
「まあ、そういうことなら仕方ないか。乗り気じゃない相手とは話も弾まないと思うし!」
そう言って視線をユリシアとシオウから離したクレアは、娘の様子を見守っていたレナードに声を掛けた。
「そういうことなので、お貸し頂ける部屋に案内してくださいますか?アスレインさん」
「ええ、こちらです」
レナードが案内を始め、クレアがそれに続く。だが一歩二歩と歩いたところで美しい赤髪が翻り、後ろで結われた長髪が跳ねた。そして視線の先にいる相手へ一言。
「また明日ね。お話できるのを楽しみにしておくわ。それではおやすみなさい、アタシの未来の旦那さま」
「・・・え?」
思わず見惚れてしまうほどの愛らしい笑顔でそう告げたお姫様に、シオウは呆然となった。返事をするという最低限の行動も出来ないほど、彼はその言動に戸惑っていた。
そしてもう一人。まったく予想していなかった事態に困惑した者がいる。
「ま、まさかクレア様はシオウさんのこと・・・!?え、えぇーーー!」
乙女らしからぬ驚き様であったが、シオウはそれについて言及することもできなかった。
それどころか、そもそもユリシアの声自体聞こえていなかった可能性すらある。
先ほどまで街を支配していた騒乱とは対照的に、夜空に輝く春の月が普段より賑やかな屋敷を穏やかに照らしていた。
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