第八話 洛陽大戦前編 虎牢関
「何ぃ!?華雄が討たれたじゃとぉ!!」
洛陽宮殿内に、一際肥えた身体を椅子にかけている董卓の驚愕の声が響き渡った。
「既に、〝反乱軍〟はこちらに向かっているようです」
董卓の悪参謀李儒が肥えた汜水関からもたらされた報告を終えた。
「ちぃ、反逆者共めぇ」
董卓の苦虫を噛み潰したような顔を、『朝臣』は脅えきった表情で見ていた。
董卓が洛陽を支配してから、朝廷政治は完全に崩壊した。
手始めにそれまでの霊帝を暗殺し、彼の弟陳留王を即位させ帝とし、自身は丞相に任じた。その後献帝を地下牢に幽閉し、丞相という地位の権力を駆使しやりたい放題の政治をしたため、一気に金が底を尽きた。すると、董卓は市民に重税を課し、市民のわずかな金さえむしり取った為、市民からは怨嗟の声が沸き始めた。その都度、董卓はその者達を市民の眼の前で残虐非道なやり方で処刑していった。
正義感が強い朝臣は度々董卓に善政を敷くよう進言するが、彼らは次の日には無惨にも物言わぬ骸となり果てて次々に消えていった。今では、民を考え行動する〝まともな〟朝臣は最早居らず、残ったのは日々を董卓のご機嫌を伺いながら過ごす惰弱で腰抜けなゴマスリ共しかいなかった。
ただ一人、
「ふん、奴らなぞ、こ奴だけで十分よ」
董卓はそう言って傍らにいた男を見た。
男は、屈強な身体の持ち主で、数々の戦場で手にする大方天戟で数多の人間の命を奪ってきた。それが本意かどうかは不明だが、その事で彼は董卓から絶大なる信頼を得ていた。
男は無言で董卓を見た。
「急ぎ虎牢関に向かい、奴らを皆殺しにするのじゃ!」
董卓は愉快そうな口調で男に命じた。男は無言でそこを後にした。
(今は、まだ耐える時・・・・・・・・・)
男は拳を強く握りながら次なる戦場に赴く。
董卓は男が視界から見えなくなると立ち上がり、肥えた腹を揺らしながらそこを李儒と共に下がっていった。
男が、董卓の横を通りすぎる時、鷹のごとき鋭い殺気を放っていたことに気づくことはついになかった。
暖かき太陽の光が一切入ることのない、暗く、狭く、冷たい牢の中に後漢王朝現皇帝は石の天井を眺めていた。
董卓はろくな食事───それこそ腐臭の漂うくらいに腐った
若干十八の青年にとって、この処遇は耐えがたいものだった。
宇丹からの情報で、叔父、劉備達が反董卓連合軍としてここへ向かってきていると聞いたが、一つ不安に思うことがあった。あの男の下には、正体不明の豪傑がいる。果たして叔父達が『天下無双』の異名をもつ彼に勝てるのだろうか。
それと同時に、献帝は己を呪った。
暴虐非道のあの男に、自分は何の太刀打ちもできなかった。隙を突かれさえしなければ、剣の腕には覚えがあるので、たとえ結果が同じであったとしても、幾らかマシであっただろうと思うことがある。
(私にもう少し力があれば・・・・・・・・・)
何度己の非力さを悔いたことであろうか。所詮はあの男の傀儡───とまではいかないが、まぁ似ているようなものだ。
人の気配を感じた帝は、上体を起き上がらせた。この気配には覚えがある。きっと、あの男だ。祖父の代から三代仕えている、仙人のような者だ。
───もう少し早く来てくれないものかな?
風のように飄々としているその男は、正直正体不明なのだ。故にそんな男に期待するのがそもそもの間違いなのだが。
「陛下。ご無事ですか?」
案の定、そこに現れたのは、龍二達を連れてきた白髪盲目の男であった。
「やはり、貴方でしたか」
帝は安堵したように胸を撫で下ろした。正体不明とはいえ、頼りになる男には違いない。
「貴方がここへ来た・・・・・・ということは、例の『救世主』が見つかったのですかな?」
「御慧眼。ですが、私は貴方の臣下扱いですので敬語を使わなくてもよろしいのですが・・・・・・・・・」
「ぷっ・・・・・・あはは。我が祖父の代から仕かえているのだぞ。これくらいは許せよ」
帝の言葉に、男はフフッと笑った。
「しかし、お前は一体何歳なんだ? 祖父の代から仕かえているのにその姿のままじゃないか?」
公式の場を除いて、帝はこの男と普通の友人のような話し方で接している。
「陛下。それは聞かない約束でしょう?」
「わははは。そうであったな。いや、すまん」
帝は、全体を起こし彼の近くに寄った。痩せ細っているとはいえ、体力はこの男のお陰で超人並みにある。だからこれくらいなんともないのだ。
「それで、私の救出はいつになるのですか?」
帝の口調が再び敬語に戻る。
「───今暫くはお待ちください。時が来れば、
──その時、私が連れてきた若者達と会わせましょう」
「若者、か・・・・・・・・・」
「御不満ですか?」
「いや、貴方が〝わざわざ〟連れてきたのだ。別に不満はないよ」
クスリと帝は微笑んだ。
「だが、一番なのは貴方が今私をここから出してくれると私はこの上なく嬉しいのですけどね」
帝が軽く皮肉ったが、男はただ苦笑するのみだった。『元弟子』であるだけに、迂闊に手を出すことができないでいた。恐らくここに自分が来ていることも知っているかもしれない。
帝は十四年、この男と共に過ごしていたことがあるので、男のことはある程度知っていた。
今の言葉はそれを知っていて少しからかってみたに過ぎない。
「御冗談を・・・・・・・・・」
男の方も、これが帝の本意でないことは重々承知している。
「だが、ここが危うくなったら・・・・・・奴らは私を殺すのではないか?」
それはあり得ると思った。が、男はそれを否定する。
「あの者は既に自身を皇帝と思い込んでいるはず。だからこのまま貴方を捨て置くと思います。
───とは言え、万一があるといけませんからねぇ。だから『神亀』と『鳳凰』を置いていきますよ」
それを聞いた帝は大いに喜んだ。彼ら二人には昔からよく遊んでもらったことから、良き仲間という認識が帝にはあった。
「あの者達には、私が小さい頃によく遊んでもらったことがあるからな。彼らがいると私としても安心するよ」
それに暇じゃなくなるしね、と帝は続けた。
直後、牢の中に男と同じ白髪で青眼の男と淡い炎のような色の髪を持つ紅眼の女が現れた。男が『神亀』、女が『鳳凰』という名前だ。
「暫く頼むよ」
帝が言うと、二人はさぞ嬉しそうに微笑んだ。
何者かの足音が壁に反響してきたのを機に、白髪の男と神亀・鳳凰は姿を消した。
現れたのは董卓腹心、李儒だった。
「陛下。この都を制さんとする反乱軍が近付いて参りました。如何しましょう?」
臣下面したこの男を見る度に、ヘドが出る思いがする。自分をこんな目に遭わせておいて、よくまあ抜け抜けとそんなことが言えたものだ。
───腰巾着が
帝の李儒に対する思いは嫌悪しかない。
帝はささやかな抵抗を試みることにした。
「そんなこと、私ではなく相国に聞けば良いだろう。あの男が、今この国を治めているのだからな」
精一杯の皮肉を込めて李儒に乾いた笑いをして見せる。
「一応、この国の皇帝は貴方様でいらっしゃいますからな」
───白々しい
〝一応〟皇帝である自分をこんな薄暗く寒く太陽の光が一切入ってこない牢の中に閉じ込めておいて、奴らは好き勝手な政策を実施し、そのくせこうして都の危機になると自分に対策を聞きに来る始末。これは奴らなりの〝誠意〟なんだろう。
「傲慢だな」
ぽっつい呟いた。
「その敬うべき皇帝を、こんな所に閉じ込めておいて意見を聞きに来るとは・・・・・・言葉がないな」
「・・・・・・何ですと?」
李儒がわずかに眉をつり上げる。
「ふん、呆れるよと言ったのだ。相国ごとき小者が、この中華を治めるなどどだい無理な話なのだよ。所詮は田舎者、一度強大な権力を持てば自分の欲を満たすことしか考えられなくなるからな」
これがいい例だろと皮肉るように感情のない笑いを見せる。帝の今できる精一杯の抵抗である。
李儒のこめかみが青筋を浮かべていたが、構わず帝は続けた。
「更に言わせてもらえば、貴様らは我が叔父玄徳や孟徳らを国に仇なす反逆者などと抜かしているが、私にしてみれば貴様らこそが国に仇なす反逆者だ。何か反論することがあるか、逆臣李儒」
痩せ細っていても尚、帝の双眸には強く燃え上がる炎が灯っており、その鋭い眼光に李儒は一瞬怯んだが、すぐに苦笑し吐き捨てる
「フン、お前なんぞわしの一言で即あの世行きよ」
「やってみろよ田舎者。その代わり、私を殺した瞬間、貴様らはこの中華全土を敵に回すことになるのだからな」
減らず口を、と李儒は忌々しげな眼で睨みながらもと来た道を戻っていった。
「・・・・・・もう、よいぞ」
彼がほっと息をつくと、すぅ、と神亀と鳳凰は現れた。
「いやー、すっきりした。少しは腹の虫が収まったよ」
「協、結構溜めてたんだね?」
神亀が言うと
「協ちゃんは頑張ったと思うよ」
そう鳳凰が慰めた。彼らが言う協とは、献帝の本名・劉協からきている。ちなみに、今現在我々が知っている『献帝』なる名称も、彼の死後〝他人から送られた〟名であり、彼自身が名乗っていたわけではない。
「さて、と。救出隊とやらがが来るまで気長に待つとするかな」
帝はぼやくと、ゆっくりと腰を下ろした。
「しっかし、あの李儒の顔は傑作だったな」
クククと笑いを押し殺しながら、帝は先程の李儒の顔を思い出していた。
───これで少しは兄上達の無念も晴れるだろう
自然にそう思えた。
「二人共。それまで相手を頼むよ」
帝に言われ、神亀、鳳凰も腰を下ろした。
「そう言えば、あの人が連れてきた『救世主』と言われた少年達とは、一体どんな者達なのかな?」
「ん~とねぇ・・・・・・白ちゃんはね、『四天王』の子孫って言ってたよぉ?」
「『四天王』の子孫・・・・・・・・・?」
「違うでしょ神亀。『四聖』を受け継いだ一族の子孫、でしょ」
「───よく分からないが、期待できそうだね。さて、どんな者達かな・・・・・・・・・」
そんな期待を持ちながら、帝は神亀らと談笑し始めた。
要塞虎牢関に到着した連合軍は総大将袁紹の号令の下、即日総攻撃を開始した。
猛将華雄を失ったことは、董卓軍に少なからず影響を与えたらしい。戦意高揚の連合軍を前に、董卓軍は後手に回っている。
この機を逃すまいと袁紹はこの時の為に連れてきた衝車部隊を展開、鉄の関門の破壊作業に入った。これを破壊されては、連合軍は虎牢関を攻略するのが困難になる。故に自然と連合の各将隊は衝車隊の護衛に回ることになった。
その頃、劉備のもとをある人物が訪ねてきた。
「あの方の使い」
繋いだ兵士からそう聞いた劉備は早速その者に会った。彼は、自分は馬闥字を
「玄徳様には、門が破られたと同時に陛下の救出に向かってもらいたいのです」
馬闥は単刀直入に劉備に告げた。帝を第一に考える劉備は一二もなく即答する。
「陛下の救出、喜んでお引き受け今します。して、誰を向かわせればよろしいかな?」
「董卓にバレたくありません。できれば少人数でお願いしたい」
馬闥の願いを聞き入れ、劉備は少し思案する。
「では、我が配下の内、槍の名手趙子龍と・・・・・・司馬尚姫の二名を向かわせようかと思います」
「分かりました。その二人に是非会いたいのですが」
馬闥の言葉を聞きいれ、人を遣り前線にいるであろう二人を呼びにやった。
呼ばれた二人は、その場で馬闥より帝救出の詳細を説明された。
「ではお二方。門が破れ次第、例の場所にてお待ちしています。くれぐれも遅れぬように・・・・・・・・・」
馬闥はそう告げて、巧みに連合の中から姿を消した。
轟音を奏でて鉄の門が崩れ落ちた。後は中に入り逆臣董卓を誅殺するのみである。
連合軍は一気に関内に雪崩れ込んだ。
その時、関の出口から突如として風の刃らしきものが連合軍に襲いかかった。密集していた為に、雪崩れ込んだ将兵達はなすすべなく皆胴を真っ二つに斬り裂かれ果てた。
「何ぃっ!!」
「な、何だと!?」
あまりのことに驚きを隠せない袁紹や曹操らに、更なる悪夢が襲いかかる。
かつ、かつ、と馬の蹄が彼らの耳に聞こえてくる。連合の諸将達はそれが何者なのか気になり、ここが戦場であることを忘れて凝視していた
やがて、屍の山が積み上がった関から馬に乗った男が悠々とその姿を現した。
その男は、毛なみの美しい赤き馬に股がり、屈強な身体を持ち、所々が黒い汚れが付いた鎧にその身を包み、その手には刃が漆黒に染まった大方天戟が握られていた。
この姿を見た瞬間、皆の脳裏にある言葉と共にその男の名前が巡りだした。
───赤き駿馬に乗りし者、戦場に
「りょ、呂布・・・・・・奉先・・・・・・・・・」
誰かが男の名を口にする。史上最強の武人は、眼前に群がる連合軍を見回し
「失せろ雑魚共」
自分の周りを取り囲んでいた雑兵を一撃のもと薙ぎ払った。
「ふん・・・・・・・・・」
呂布はつまらなそうな顔を連合軍に向けた。
呂布は飢えていた。自分と互角に戦いあうに足る者がいないことに、彼は不満だった。つまらないのだ。これまで数多くの戦場を駆けてきたが、いずれも呆気なく終わってしまう。骨のある奴がいないのが最大の不満なのだ。
呂布はくいっと首を右に傾けた。直後、首がもとあった場所を矢の一閃が通りすぎていった。気づくのが一瞬でも遅れていたら額を射抜かれていただろう。
(あの小僧か・・・・・・・・・)
呂布は射手を見た。
短髪で両腰に得物を佩いでいる少年であった。澄ました顔は、どこか挑発しているようだ。直線距離にして約500mくらいか。
これは常人には〝異常〟に思えただろう。何せ最強の武人にひよっこに等しい子供が挑発紛いの行動に出たのだから。
それを象徴するかのように、連合軍の将兵は総大将を含めて唖然とした眼差しで彼を見ていた。
少年はそれらを完全無視して彼のもとへ近づいていった。
(これは楽しめそうだ)
呂布の闘争心に火がついた。だが、口からはそれと反対の言葉を吐いた。
「俺はガキを斬る趣味は持ちあわせてはおらん。失せろ!」
「おや、私の眼にはそのガキの放った矢を〝間一髪で避けたように〟見えましたが?」
馬を降り近付いてきた少年───安徳は天下最強の呂布を眼の前にして、全く臆することなく、むしろ煽るように挑発した。間一髪のフレーズをイヤミのように強調して。
「はははははは、ちげぇねぇな!!」
呂布の登場により、優勢は一転劣勢に変わった。袁紹らは忘れていたのだ。呂布という董卓の切り札的存在を。今の連合軍の中に呂布に敵う者はいない。
それを知ってか知らずか、劉備配下とされる少年がちゃっかりと呂布を挑発しているではないか。
───終わった
呂布が激怒してこちらに斬り込んで連合軍は全滅だ。袁紹はそう思った。
彼の耳に呂布の高笑いが聞こえてきたのはそのすぐ後だった。
「───おい小僧、この俺をガッカリさせるなよ!」
呂布は
一撃目を避け、二撃目に呂布が大方天戟を振り下ろしたのを、安徳は長光・宗兼の二刀で受け止めた。重かった。
「天下最強と謳われた呂奉先殿の実力、見せてもらいますよ」
安徳は、のけ反りながらも余裕の体を表す。
──この細身の身体の、一体何処にこんな力があるのか?
呂布は安徳に興味を持った。この少年ともっと戦いたいと強く願うようになった。
両軍の将兵は二人の一騎討ちに、思わず戦闘の手を止め、見入っていた。
(流石は呂布、というところですね・・・・・・・・・)
安徳は苦戦を強いられていた。
啖呵を切ったはいいが、これまで色々と試しに斬り込んでみたが、全てものの見事に防がれて避けられた。不意をついた斬撃も、呂布は本能で感じたように弾いた。それに、一撃一撃が異常なまでに重い。
「くくく、なかなかやるではないか。───なら、これならどうだ!」
呂布は愉快そうに笑うと後ろに飛び、深く腰を落とし半身となった。
「そらよっ!」
掛け声と共に大方天戟を横薙ぎに連続に払った。
(んなっ!?)
横薙ぎに払った大方天戟から真空の刃が現れた。予想外の出来事に安徳の反応が一瞬遅れた。咄嗟に左に回避行動をとるが、完全に避けきれずに右足を少し斬った。
真空の刃はそのまま劉備達連合軍のもとへ迫っていった。
泰平は劉備らの前に躍り出ると、即座に札を取り顔の前で構え呪を唱え始めた。
「せいっ」
札を挟んだ右手を水平に払う。直後、真空の刃は透明な何かに当たったようにある地点で止まり、そして霧散した。
唖然としている将兵に泰平はにっこりと笑って答えた。
「これくらい、朝飯前なのですよ」
一方で、安徳は戦いの疲労により集中力が低下し始めていた。肩で息をするようになっていた。
「しまっ───」
その一瞬の油断が命取りになった。繰り出された無数の真空刃をモロに喰らい、何とか急所は避けることはできたものの全身切り傷だらけになってしまい、特に左半身は血だらけの姿となってしまった。斬られたことにより、左手の宗兼を落とし、長光を持つ右手はだらりと力なく下がっている。不幸中の幸いと言えば、無傷であることだろうか。
(思ったより・・・・・・流れて、いますね・・・・・・・・・)
力なく上げた長光を青眼に構え半身となる。手がフルフルと震えている。傷だらけの左半身や、右脇腹などの傷口から血が止まることなく流れていく。膝が笑い始め、足に力が入らなくなってきている。立っているのもやっとと言う印象をいやでも受けてしまうだろう。
血を流しすぎたせいか、眼もだんだんと霞み始めてきている。同時に意識が朦朧としだした。
(もって、あと一撃 ・・・・・・外したら、確実に、死にますね・・・・・・・・・)
この状況下でも、安徳はいたって冷静に状況を分析している。
この戦い、安徳の負けは誰の眼にも明らかであった。本人もそれを自覚している。しかし、敗者には敗者の意地がある。完全敗北するのなら、せめて一矢報いたいと願う。
(この一撃に、賭けてみますか)
薄っすら笑う安徳に呂布は気づかない。
「なかなか楽しめた。だが、ここまでだな」
ゆっくり、威圧しながら呂布が近付いてくる。
───まだ、まだだ。もう少し 、もう少し・・・・・・・・・
安徳は瀕死の状態でありながら、その一瞬一回限りの反撃の機会を窺っている。
「───惜しい男よ」
呂布が安徳の眼の前に立ちつまらなそうな表情を浮かべる。その瞳は本当に惜しいと言っているようだった。
ゆっくりと、名残惜しそうに大方天戟を振り上げた。穂先が安徳の頭上に来る位置だ。
「さらばだっ!」
呂布が大方天戟を振り下ろした時だった。
安徳は口許を緩めた。
───今だ!
「なっ!?」
あの呂布が慌てた。大方天戟を振り落とそうとしたその時、安徳が最後の力を振り絞ってこちらに突っ込んできたではないか。
(こいつ!?)
───これを狙っていたというのか。その、瀕死の身体で
不意をつかれた呂布は、安徳の一撃を避けるべく、強引に身体を捻った。
その異常な反応のお陰で、安徳の渾身の一閃は呂布を仕留めることはなかった。斜めに斬り上げた一閃は、呂布の左頬を軽く斬り裂いただけにすぎなかった。
(無、念・・・・・・・・・)
反動で数歩歩いた安徳は観念して振り向いた。呂布は斬られた頬を撫でている。
視界がもう霞んでいるくらい意識が朦朧となり、立つのがやっとの彼に、呂布の次の一撃を避ける余力は残っていない。身体は当の昔に悲鳴をあげている。右手をだらりと下げ、両肩で大きく喘いでいる。周りの音も徐々に聞こえなくなってきた。
(もう、意識が持たな───)
「フハハハハハハハハハハハハっっっ!!」
突如として、呂布が耳をつんざくように笑い始めた。両軍は彼らと離れた位置から彼らを見ていた為に、安徳が呂布に傷をつけたことに気づいていない。その為両軍は何が起こったか分からず互いに顔を見合って首を傾げ、安徳も、失いかけた意識がそれによって戻ってきた。
呂布は一通り笑い終えると、対戦者を見据えた。
「この俺に傷をつけるとは、大したガキだっ!!」
あっ、と誰かが叫んだ。それを見つけた他の者達も思わず叫んでいた。
連戦無傷の最強の武人、呂布の左頬に傷ができていて、そこから血が流れているのだ。
「小僧。名を聞いておこう」
「劉、安・・・・・・封徳」
今度こそ安徳の意識はブラックアウトした。倒れ行く彼の身体を呂布が抱え、ゆっくりと地面に寝かせた。
(これほどの血を流しておいて、よく立っていたものだ。〝師が連れてきただけのこと〟はある)
既に致死量の血は流しているはずなのに、それでも倒れることなく立ち続け戦い、自分に人生初の傷をつけたこの少年の身体と精神力に呂布は感心した。
呂布は腰に結わえてあった袋の口を開け、その中身を彼に振りかけた。すると、安徳の全身にあった傷がみるみると消えていくではないか。
「これ、は・・・・・・・・・?」
意識を取り戻した安徳が力のない声で問えば、呂布はフフンと笑い
「俺が作った万能薬だ。即効性とはいえ、貴様はそこでもう少し安静にしろ。体力までは回復せん」
と告げた。
「劉安、と言ったな」
呂布は愛馬赤兎に跨がりながら声をかけた。安徳は重い瞼を何とか開けて呂布を見ていた。起き上がろうとする安徳を「そのままでいろ」と止めさせる。
「貴様の名、この胸に刻み付けよう。またいつか戦いたいものだ」
と呟いて、関の方へ赤兎を歩かせた。
呂布の言葉に、安徳は長光を突き上げて返事に代えた。呂布はククっと微笑してそれに拳を向ける。
呂布は満足したように虎牢関へ引き上げた。刹那、どっと歓声が起こり安徳のもとに連合軍将兵が寄ってきて次々と称賛の言葉を与える。
「はいはーい。封徳は一応怪我人ですからあんま近づいちゃダメですよー」
泰平と龍二が自ら安徳の前に立ちバリケードを張る。それを見た曹操らが兵達を諌める。
(この男に助けられたな)
絶望的状況を、この少年は変えてのけた。それも天下無双の呂布を退けるという大活躍である。この勢いを削いではならない。
「よし!一気に攻めたてよ!全軍突撃!」
総大将袁紹の号令のもと、連合軍は逆臣を誅すべく無防備の虎牢関へ雪崩れ込む。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます