閑話伍 彼女は記す
建業城のとある一室。陽の光が仄かに射すそこに置かれた一つの机に座り、少女は筆を走らせていた。一心不乱に筆を走らせる彼女の表情は鬼気迫るものが見えた。
この一室は建業城の書物倉庫の一つに充てられている。彼女は孫堅に頼んで借り受けている。彼らの戦場がそうであったように、彼女の戦場はここであるのだ。
姓は陳、名は寿、字は承祚。蜀の文官である。
彼女は劉備が徐州を治めていたころ仕官したものだ。彼の評判を聞いて彼のもとで政治を学びたいと考えてのことだ。ところが、何故か彼女は兵士として採用されてしまった。今となっては何故そうなったのか分からない。
彼女はある少年の隊に配属となった。自分より少し年下のその少年も途中で彼に仕官した者で、武の才で軍を率いる将軍まで昇りつめたという。彼女はひとまずここで頑張ることを決めて訓練に励んだ。
しかし、彼女には武の才がなかったようで思うように上達しなかった。だんだんと周りから置いていかれるようになり一人孤立していくようになった。
「あー・・・・・・なんでこうなったんだろう」
彼女は一人訓練場の片隅で項垂れながら紙に筆を走らせていた。その日の反省点を書きだすのが日課となっていた。もともとものを書くことが好きだった彼女は訓練以上に没頭できるので気づいたら日が傾いていたなんて言うのはざらである。
書いた内容はすべて自室に保管してある。折を見て見直して翌日の訓練で実践してみるがこれが上手くいかない。至らない点が見つかり記してをこのひと月くらい繰り返しているが、全く成長している実感がなかった。ここにいていいのか迷い始めていた。
今日何度目かのため息を吐きながら筆を走らせていると不意に彼女の視界が暗くなった。
「承祚さん。こんなところで何してんすか?」
わひゃぁ、とすっとんきょうな悲鳴を上げて陳寿はひっくり返った。
「反省することは、いいことですよ」
ひっくり返った瞬間に散らかしてしまったのだろう、紙の束を見ながら彼は笑う。恥ずかしかったのだろう、彼女は顔を真っ赤にしながら散らばった紙をかき集めた。
声をかけた男は彼女の所属する部隊の隊長であった。微笑みながら、彼は彼女の横に腰を下ろした。
「た、たたたたたた隊長は何でここに!?」
動揺している陳寿に彼はうーんと空を見上げながら
「部下の面談?」
と呟いた。
「成程ねぇ」
隊長は彼女を見ながら呟いた。最初はなかなか話したがらなかったが、「部下の状態を把握するのは隊長の大事な仕事です」と言われて、彼女はぽつりぽつりと今の心の内を話し始めた。本当は武官じゃなくて文官として使えたかったこと、どうしても武の才が上達しないこと、このままここにいていいのかと悩んでいること、自分の好きなことなど。
彼女が語るに任せていた隊長は時折相槌を打つが話を遮ることはしなかった。
陳寿が話し終えると、隊長はうんうんと頷いて彼女の頭を撫で始めた。
「すいません。苦しんでいるのに気づかなくて」
陳寿は泣きそうになるのを必死に抑えてこっくり頷いた。それから暫くして、彼はポンと手を打つや「よし、行くか」と立ち上がった。
「行くってどこに?」
何が何やら分からずポカンとしてる陳寿に彼はニコッと笑って「玄徳さんの所」と告げた。
反論の機会がないまま彼に引きずられるように彼女は徐州城へと行くことになってしまった。
徐州城までやってきた彼らは、そのまま劉備のいる執務室へと歩を進めていたが、その途中で諸葛亮に出会った彼は声をかけた。聞けば時間があるというのでいっそのこと巻き込んでしまおうと考えた。
諸葛亮は彼らを自室に招くと早速用件を聞くことにした。
「承祚さんを文官に任命して欲しくて伺ったんです」
隊長はド直球に彼に告げた。それを聞いた陳寿はずっこけた。何処の世界に頼みごとを遠回しに言わない奴がいるのかと突っ込みたくなった。
それに対し諸葛亮はいつも通り冷静に何故そう思ったのか隊長に問うてみた。隊長はそれに対して「彼女が一番輝くのは外より内《ここ》だからですよ」と指で床を指しながら答えた。それにと彼は懐から一冊の本を取り出した。それを見た陳寿は思いっきり噴き出した。
「これ見ればわかるかと」
「ちょっ!? 何でそれを!?」
出された本は秘かに彼女が書き記していた内政に関する自身の意見やその対応などである。それは自室の分からぬところに隠していたはずなのに何故隊長が持っているのか不思議でならなかった。
「ちょっと!? 何でこれ持ってるんですか!?」
孔明が彼女の本を読んでいる時に、陳寿は彼の頭を下に持っていき問い質した。
「
蓉喜とは彼女の同期である
「んで、孔明さんに提案があります」
諸葛亮が彼女の書物を読み終える頃を見計らって隊長が声をかけた。
「現状、この城では文官はこれ以上必要ないでしょ? だから、この先領地が増えたりしたら承祚さんを文官として任用してもらいたいの。玄徳さんの確約入りで。協力してもらえます?」
「私は構いませんが……その間彼女はどうするのです?」
ふふっと笑うと隊長は懐から一枚の紙を取り出した。そこに『部隊編成案』と記されていた。それを見た諸葛亮は小さな感嘆の声をあげた。
彼は1000人を束ねる部隊の隊長であるが、彼はそれを八の中隊といくつかの小隊に分類して、それぞれ隊長と隊員の名前が書いてあり、その上にそれぞれ数字で部隊名が記されていた。第七、第八部隊の横には『兵糧輸送護衛部隊』ともあった。
更に、第八部隊の横には『教導、後方、兵糧輸送部隊』とあり、二百人割いており、その総隊長に陳寿の名が記されていた。その下には同じように中隊小隊に分類され、各隊長名が記されていた。
「この部隊だけ何故こんな人数なんです?」
「適性ですね。陳寿はこの通り実践はあれですが指導能力は高いと見てますし、ここに書いてある者達は裏で活躍するに適していると判断したので」
仔細を尋ねると、この部隊は平時は新人兵士への基本を教えたり、新たな戦術の研究と実践指導、給金等のお金関係、武器等の備蓄管理。戦時には兵糧や武具の輸送等後方支援を担うという。尚まだ未承認なので劉備に承認を取ってから披露する予定だと告げた。
「これは私も興味深いです。早速行きましょう」
諸葛亮も乗り気になったようで、早速三人で劉備の元へ足を運んだ。
三人が訪れた時は丁度仕事が終わったところだったようで、彼らは時間を貰い先の説明をした。説明を聞いた劉備はすぐに許可をだした。
その帰り、陳寿は隊長にお礼を言った所、隊長は笑ってこう言った。
「隊長は部下の将来を一身に背負ってますから、部下が潰れないようにしないといけないのですよ」
それから、彼の部隊は承認通りの編成に組み直し、運用を始めた所、戦場で活躍したという。
以来、彼女は彼に対して頭が上がらない。あの後、蜀に入った後彼女は孔明の側近としてその能力を発揮できるようになると同時に、引き続き、部隊の隊長として手腕を発揮している。
今現在、彼女は劉備の遺言を達すべく筆を走らせる。その最中に部下が指示を求めてくれば適切に対処する。彼女がここまで頑張るのは
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