二十四話 洛陽大戦3———蜀と安徳———
「うわっ!?」
壁にぶつかった張飛はその拍子に蛇矛を落としてしまった。
「翼徳殿っ!」
声をあげた趙雲が彼女を助けに行こうとしたが、姜維に阻まれ張飛と同じように吹っ飛ばされる。それにに陳明が巻き込まれた。
「いたたた」
「半端ねぇなおい」
正直な感想を口にする。董卓の闇の力がこれほどまでのものとは予想だにしていなかった。よく分からないが、姜維は邪焔を使うし、ホウトウは邪悪な気を纏う風と同じく邪悪な気を纏う雷を使うときた。
そんな〝化け物〟を前に張飛は苛立ち紛れに趙雲に刺々しく訊く。
「おい、子龍。お前んトコのアレはどうしたんよ?」
「あー・・・・・・何と言いますか、〝例の気まぐれで〟またどこかに行ってしまったんですよこれが」
「またかよ! つか何でアレはこうも大事な時にいねぇんだよ!」
ぎゃあぎゃあ吠えている張飛に姜維が攻撃をしかける。
「全く、この大事な時に」
ため息をつきながら趙雲が応戦する。陳明も続く。
一方の高蘭と黄満は晏苹郢相手に互角に渡り合っていた。
「二人で互角たぁ、テメェもたいしたことねぇな!」
晏苹郢が今までの仕返と言わんばかりに悪態を言う。それが彼のプライドを傷つけた。
「貴方ごときにそんなことを言われるとは」
それまで、いわゆる技術中心だった剣筋が突然力中心のものに変わった。その覇気にすかさず晏苹郢は習得した邪術を行使する。
「門下生中最下位の貴方が、よくもまぁこのような高度な技を使えたものですねぇ? まあどうせ、あの肥えすぎた大腹のお持ちのアホ将軍閣下の力のおかげなんでしょうがね」
このような時でも彼は挑発とイヤミを忘れていない。怖いもの知らずと言うか、何と言うか。
激昂した晏苹郢は黄満のことをそっちのけに高蘭に攻撃を開始した。
「───俺はどうすりゃいいのかね?」
一人ポツンと蚊帳の外に放り飛ばされきょとんとしていた黄満はやることなくなり、呆れ果てて巻き添えを食わない所まで歩きそこに座り込むことにした。
「あー
所在を無くした黄満はさてどうしたものかと考え耽っていた。
『君はここにいたほうがいいよぉ?』
「・・・・・・誰よアンタ?」
いつの間にか、黄満の横に天女の格好をした女がちょこんと座っていた。淡い緑色の瞳の持ち主はニッコリと微笑んでいる。
『私? 子龍君の龍よ』
天女はんーと趙雲を指差した。あぁ、と黄満はポンと手を叩いた。
「貴方が、かの天龍殿でしたか」
天龍。
彼女こそ、趙子龍に宿る龍であり彼の一族の龍や『五大龍』の長である。龍の中で最強クラスの実力の持ち主であることは誰もが知っていることだが、めったに姿を現さずその能力は一切不明であった。
「───して、俺は何をしてりゃぁいいんですかね?」
『お話しよ?』
「・・・・・・いや、あの、状況・・・・・・分かってますよね天龍殿?」
あまりのすっとんきょうな発言に黄満は眼を丸くした。
『えぇ、そりゃもちろん♪』
彼女はウキウキした口調で答えた。
(人はそれを分かっていないというのですよ天龍殿)
天龍は龍の長ではあるが、どこか激しくズレていてそれでいて超が付くほどの能天気である、と彼の家の文書には書かれているとかいないとか。
───そりゃあ、子龍さんも苦労するよなぁ
「えーっと、天龍殿? さっきも言いましまたが、状況、分かってますよねぇ?」
『大丈夫大丈夫。まだまだ子龍君、十分行けるし』
「いやいやそういう問題じゃなくて・・・・・・・・・」
呑気な笑いを浮かべる天龍を見て、黄満は深いため息をついた。
(話通じてねぇし。まあ、親しみがあっていいんだけどね)
『ねぇねぇ、黄満君。お話ししよお話しっ』
はしゃぐ天龍はそんなのお構いなしに彼の近くに寄ってきて話しかけてくる。
(あははは。これ、子龍さんに見られたら殺されるなぁ、絶対・・・・・・・・・)
そう思うも、別段やることも無いに等しいので彼は誘惑に負けて彼女と話すことにした。
「うぅん・・・・・・これじゃぁキリないよぉ」
「貴方がそんな弱音を吐いていたら何も守れませんよっ!」
この一言で弱気になっていた張飛の消えかけていた火が再び輝きだした。いつもの調子に戻った張飛が猛攻を仕掛ける。
(あ゛ーもう、あの人はっ!)
その趙雲は自分の相棒が主人の危機であるのにどこぞで〝呑気に散歩している〟ことに内心でイラついているようだ。
まさか、すでにこの場にいて彼らの視覚から姿をくらませて黄満と一緒に『お話』しているとは夢にも思わないだろう。その黄満も、すっかり話にのめり込んでいて時々笑い声を上げる始末であった。
きっと、趙雲が彼女達が呑気におしゃべりしているのを発見したら烈火の如く怒り狂うことであろう。
そんな中、高蘭は晏苹郢を貶しながら、彼らを横眼に見ていた。そんな彼の余裕なところに、晏苹郢はイライラを募らせる。
───コイツはいつもそうだ。格下が相手の時は戦いながら別の方向を見て、こっちを見たことがない。あの時だって───
そう思うと余計に腹が立つ。この男に勝つ為だけに俺はあの男についていったのだ。勝つ為ったら悪魔に魂を売ろうがなにしようがされようが構わなかった。
そんな彼を、高蘭は顔に表さないが哀れむような感じで眺めていた。
(寂しい男だ・・・・・・・・・)
高蘭が白朱のもとに来たのは、数え年で八歳の頃だった。綿竹にある廃城に『神の使い』がいるという噂を聞きつけた彼の両親がその頃貧弱だった彼を鍛えさせる為に行かせたのだきっかけであった。
その当時、白朱のもとには百人強の門下生がいたのだが、そのほとんどが貴族などの上流階級の子弟達でそれぞれ何らかの形で俗に言う術に似たものを使うことが出来ていた。だが、農村生まれでそのような世界との関わりが一切ない高蘭は、何一つそのようなものは使えなかった。当然、このような劣等生には必ずといっていいほど、イジメや軽蔑されるのが世の常だった。彼も洩れることなくその対象となった。
この高蘭のイジメの先頭に立っていたのが、今彼が相手をしている晏苹郢であった。
彼は、いわゆる天才の部類に属する人間であった。元々高度な術を使う一族に生まれた晏は、数え年四歳の頃には既に大人顔敗けの術を使えたらしい。それに眼をつけた一族の長である
そうとは知らず、晏苹郢は白朱の下でメキメキと頭角を表していった。元の力が力だけに早い頃から他の門下生よりも一段も二段も上の術を習得していった。これを知った朝廷の下級役人の子息共は彼に尻尾を振り始めた。いずれ晏が役人になった時に、羽振りをきかせようという悪知恵が働いたのだ。
そうなると、晏も機嫌がよくなり次第に傲慢になってきた。これには一部の門下生は反感を持ち、密かに仲間意識を持つようになり、『打倒晏一味』を目標に日々鍛練に明け暮れた。
高蘭が来た時、彼が無能と知るや陰湿なイジメを始めた。これに、高蘭は必死に耐えた。彼がイジメにあう度に彼をかばったのは、反晏一味の連中と、白朱の付き人に等しい神亀や鳳凰らであった。中でも、馬闥、字は弘雍は何の術も使えない高蘭に基礎の基礎から術を教えた。さらに、その日から彼らは一味に負けぬように必死になって鍛練した。
その補佐に神亀・鳳凰、それに四聖がついた(彼らはそれぞれの武器からたまに抜けてきて教えていた)。
更に、たまに天龍も教えにやって来たこともあった。最も、彼女の場合そのほとんどは只単に遊びに来ていただけなのだが。
「お主は一体何しにここに来ておるのじゃこのバカタレが!」
このように青龍の怒声が響かぬ日はほぼなかったといってもいい。
そんな彼らの姿を、晏一味は嘲け笑いながら何もしないで毎日遊んで過ごしていた。
そうして八年が過ぎた。
この頃には、晏一味の傲慢ぶりに流石の師匠白朱も頭を悩ましていた。
「じゃあさ白ちゃん。こうしてみたら?」
うんうん唸っている白朱に
「ナイスだ蛟!」
それは高蘭十六歳、晏苹郢二十歳の春のことである。
「今日は模擬戦を行う」
ある日師匠白朱は門下生を集めてそう言った。
組分けは晏一味と反晏一味、審判には蛟と麒麟が務めることになった。
晏一味は高をくくっていた。相手を甘く見ていた。これまでどんなに無駄な鍛練をしていたか知らないが、才能に恵まれた俺達に勝てるわけない、と。
しかしその結果晏苹郢一味は大敗北を喫することになった。大将戦の高蘭と晏苹郢の戦いも、誰が見ても明らかな圧倒的差で高蘭が大勝したのだ。
「何故だ! 何故この俺がこんな劣等生に!」
自分より格下の相手にいとも簡単に負けたことが信じられない晏は、眦を裂いて高蘭に当たり散らした。そんな彼に、高蘭は冷ややかな視線を浴びせた。
「貴方がこの八年間何もしていなかった間、私達は血の滲むような鍛練をしてきた」
「だからどうした! 才能のある奴が勝つのが道理だろ! たかが鍛練したくらいでこの俺が負けるわけないんだ! そうだ! これはまぐれに決まっている!」
減らず口の晏に、高蘭は威厳ある声で言い放った。
「天才は凡人に勝るが、凡人の努力は時に天才をも凌駕する。貴方のように自分の能力を過信して努力を怠りなあなあに日々を過ごす者が、努力して実力をつけた我々に勝つことはこの先絶対にありません」
力を、才能を持った人は自分達以上に努力してそれらをものにしろと暗に高蘭は伝えたかった。
その後幾度となく挑戦するも、ついに彼らが高蘭達に勝つ日は訪れることはなかった。この時から晏は高蘭を恨むようになった。
そして───
董卓が反乱を起こした時、晏は力を求めて彼についていった。
高蘭は彼があれから何も変わっていないと感じ失望した。ただただ純粋に強力な力だけを求め、それを使いこなそうとすることを全く何一つやっていなかったのだ。
(あの戦いから何も学ばなかったとは)
ショックだった。あの時に少しは学習して鍛練をしていると思ったのだが、見事にそれは打ち砕かれた。
(私が直々に引導を渡す)
高蘭は晏苹郢の耳に聞こえないくらいの声で詠唱を始めた。勿論、彼は気づかない。
「大雷爆砕炎」
それはほんのゼロコンマ一秒といった刹那の時間だった。突然炎を纏う雷が四方八方から晏苹郢を襲い爆ぜた。なすすべもなく倒れ伏す晏を、高蘭は哀しい瞳でジッと見ていた。
「何故だ・・・・・・何故まだ勝てない・・・・・・・・・」
「何度も言ったはずです。貴方は絶対に私に勝てない」
「何、を。テメェに、勝つ為に・・・・・・あの男から、力を」
「たとえ私に勝る力を得ようとも、それを使いこなし生かそうとしない限りそんな力は只の力に過ぎません。ただの力しか持ちあわせていない貴方ごときが、何回挑んで来ようと私には勝てませんよ」
冷酷な口調で高蘭は言い放った。
「くっ・・・・・・そ・・・・・・・・・」
果てた晏を見下ろしながら高蘭は悲しみにくれた。
(哀れな奴)
高蘭は静かに晏の冥福を祈る。彼も、言わば強大な力に飲み込まれてしまった被害者である。
せめてもの情けと彼の死骸を炎で灰にしてやるとツカツカと高蘭は歩き出した。そして、ある場所まで来ると、空中に手をかけ左右に引っ張った。
「な~にやってるんですか? 二人共」
突然現れた高蘭の顔を見た黄満はゲッといわんばかりに顔が引きつらせた。〝仕事〟をサボって天龍とお話している所を見られてしまった。確実に殺される。そう思った。
「あ、えーっと」
必死に釈明をしようとする黄満の横で、天龍はご機嫌な顔で
「ギーちゃ~ん、ひっさしぶり~」
と脳天気に場違いな発言を平気で口にした。
そんな二人を眺めていて、流石に高蘭は察したらしく飽きれたように額を押さえた。
「まあ、大方天龍さんが無理矢理に引き込んだんでしょう?」
「うん、そうだよ」
ご機嫌な天龍は悪びれる様子もなく平然と言い放った。ほとほと呆れてしまう。
「そんなことより、早く助けに行きませんと、あなたのご主人様である子龍さん、死にますよ?」
「あ~ホントだぁ、じゃあ行ってくるねぇ~」
天龍は呑気にそこから出ていき主人の助けに向かった。
「・・・・・・義孟、あの人はいつもあぁなのか?」
「えぇ、まぁ」
精神的疲労を誇張するように高蘭はうなだれる。
「あれで長なのですから、凄いですよね」
「・・・・・・全くだ」
黄満は大きなため息をついた。
趙雲と張飛は吹っ飛ばされ、壁に背中を叩きつけられた。
「う・・・・・・・・・っ」
落下した二人目がけて姜維が邪炎を、龐統が邪風を放ってきた。完全に反応が遅れた二人には避けることができない。
(南無三)
しかし彼らの攻撃は二人に当たることなく、むしろ彼らを避けていくように通り過ぎて行った。
「子龍く~ん、助けにきたよ~」
そこには天龍が笑って立っていた。彼女のかざした手によって姜維らの攻撃は防がれていたのだ。
(ようやく来やがったかコンチクショウ!)
ここにきてようやく姿を現した放蕩娘を見るや、張飛は忘れていた怒りを思い出した。
それは主の趙雲も同じのようで、天龍の前に行くといきなり彼女の両頬をツねった。
「・・・・・・いつからいたんですか?」
顔は笑っているが、明らかに怒っている。
そんな彼の心情を知ってか知らずか
「んー、ずっと前から♪」
そうぬけぬけと、かなりお気楽に言ってのけた。
「だったら何で助けに来ないんですかぁ!」
たまらず趙雲が怒鳴った。彼はもう一度力一杯両頬をツねって引っ張った。「痛い痛い」と、何故か笑っていて
「だってー、子龍君〝
だから、かなーりヤバくなるまで黄満君とギーちゃんとお話ししてましたー♪」
その天真爛漫な笑顔を見ているとどうも怒る気も失せるらしい。しかしそれでは何かけじめというか納得いかないと思い、代わりに彼女の頭に拳をくれてやった。
趙雲は時々思うことがある。ここまで自由奔放な龍を宿した者は自分だけではないかと。
趙雲は考えるのを止めた。
「・・・・・・もういいです。
───ちゃちゃっとケリをつけますよ」
「はーい♪」
途端、趙雲の『気』が変わった。全身に
姜維らが術を放つも、それらは彼がかざした手に、身体に触れると彼の身体を傷つけることなく消滅した。
「大車輪・狂乱」
間合いを詰め横薙ぎに払った一閃は、二人の胴を斬り裂いた。その傷から発火した黄金の炎が彼らの身体を焼き尽くしはじめる。横から天龍も同様な炎の追撃を加える。
姜維・龐統はまるで踊り狂ったように動き回り、やがて骨の一欠片も残すことなく灰となった。
「すげぇ」
張飛は我を忘れて見入ってしまっていた。
「なぁ子龍? 何であれを最初から使わなかったんだ?」
当然の疑問を彼にぶつけた。
「私の炎は、そう簡単に使える代物ではありませんので」
彼は、ごく簡単に答えた。確かに、趙雲はひどく疲れているらしく、肩で大きく息をしている。
「少し休憩させてください」
彼の願いを張飛は聞き入れた。見張りに天龍と高蘭、黄満に任せ、二人は腰を下ろした。
(泰平が敵だと厄介ですね)
やれやれと安徳は頭を掻く。
董卓の闇に堕ちた泰平は、上級陰陽術は使えないらしい───以前自分の身体内に入れた札が〝今の彼〟にバレていないようだ。無論、それを安徳が知る由は無い───が、董卓が何かをやったらしく今は邪術の使い手となっている。
最初はこれだけに頼ってばかりで剣がニブっているのではと思ったが、そうではないと分かって苦々しく思った。
心臓に爆弾を抱えた今の安徳の状態では、泰平の相手は少々手に余る。本来なれば、泰平と同じ陰陽術を使える良介か彼の式神菊地志摩守滿就か、『以前の泰平』の式神大内左馬介政義又は九条前関白近江守為憲に助力を請うところなのだが、生憎と彼らは現在泰平が呼び出した食人鬼やそれに類した化け物の相手に手一杯でそれどころではなかった。
故に、安徳の心配事は只一つ〝いつ心臓の爆弾が爆発するか〟なのである。万一にも爆発してしまったら、自分達の敗北は決定的になるだろう。泰平の腕は龍二と同レベルの実力である。
彼としては、泰平の一瞬の隙をついて勝負を終わらせたいのだが、てだれの泰平はそう易々と隙を与えてくれる相手ではない。
(難しいものです)
万全の状態ではない心臓を気遣いながら戦うというのはなかなか神経を使う。元の世界でも、大会などは常にそれに細心の注意を払っていた。
爆発しない、それでいてそれなりの実力を発揮するにはどの位のさじ加減で戦えば良いのか。彼は日夜その研究に明け暮れた。
(もどかしいですね)
元来短気な性格である安徳は既に相当なイライラを募らせており、今すぐにでもそれを爆発させて全力を出したかった。が、そうなれば今度は確実に死ぬであろうし、何より別れ際の龍二との約束がある。死ぬわけにはいかなかった。
(もってくださいね)
彼は自分の心臓に語りかけるように手を触れた。
「せいっ!」
大きく息を吸うと、即腹部目掛けて長光を払った。その斬撃は泰平の剣に簡単に防がれた。
安徳は柔の部類の剣士であり、ある意味豪と柔を使い分けることができる泰平とは相性が悪い。今現在は豪剣を振るう泰平の力は半端ではなく、予想していたとはいえ苦戦を強いられてしまった。
決定力を欠いた安徳が次第に劣勢に立たされ始めた。
「あぁもう! わんさかわんさか出てきやがって! どこのゾンビゲームだこの野郎っ!」
『りょ、良介。落ち着け、いいから落ち着け』
どうどうと宥める政義を他所に、焦る良介を嘲るように死屍共は彼らに群がってくる。
『これあれやな。フラグ立った?』
「どこの恋愛ゲームだよ!」
『漫才すんなお前ら!』
緊張感は欠片も塵もなかった。
(───もう少し事の重大さを考えてはどうですか?)
安徳は心の中で呆れるしかなかった。
その安徳は、汗だくになっている。正直、ここまで心臓を理由に戦ったことはなかった。体力云々の話ではない。
「何だっ、汗だくじゃねぇか! 弱くなったもんだな安徳っ!」
(うるせぇな・・・・・・・・・)
泰平の罵倒も、憔悴しきった安徳には届いていない。が、何と無く口にしている言葉は分かる。
(これは予想外・・・・・・・・・)
しかしこの状況下であっても安徳の冷静さは変わらない。疲れていようが、体調が悪かろうがそれは忘れていない。冷静さを失えば勝てる戦も勝てない。
これが安徳の信条であり、佐々木家の家訓でもある。
「貴方に言われる筋合いはありませんよ。ボケ平君」
挑発するように笑む安徳。まるでこの状況を楽しんでいるかのようである。
彼らの戦場はこれまでの激戦で至る所が破砕している。それでも、何事もないように戦っているこの男達は、最早常人の域を越している。
「私の心配より、自分の心配をした方がよろしいのではないですか?」
口調も変わってはいない。まだまだ余裕の表情をしている。
だが彼は気づいていなかった。最悪の事態が訪れようとしていることに。
暫くすると多少息遣いが荒くなってきた。が、本人はただの疲れだろうとそのまま捨て置いた。
これなら行ける。そう思った矢先の出来事であった。
突如として心臓に耐え難い激痛が走り全身を駆け巡った。とうとう、懸念していた爆弾が爆発してしまったのだ。
刹那、彼の双眸が大きく見開いた。
(! こんな、時に・・・・・・・・・っ!!)
愕然とした。絶望した。こうも不幸が重なるとは思っても見なかった。
「もらった!」
安徳の力が弱まった一瞬の隙を、泰平は見逃さず安徳の二刀を払い除け、彼の心臓に剣を突き立てた。
「か・・・・・・はっ・・・・・・・・・」
安徳の口から赤黒い血ヘドが吐き出された。
「安徳っ!」
『しもうた!』
良介と為憲がほぼ同時に叫んだ。
「まず一人ぃ」
泰平が剣を引き抜くとそこから大量の血が吹き出した。安徳の身体がゆっくりと崩れ落ちた。
「くそっ!」
良介は群がる敵を斬り臥せ、即座に彼のもとへと向かった。式神三人も同じく向かかう。
「結っ」
攻撃符で泰平を退けると、安徳と己の周囲に自分の出せる最大の力で結界を張った。
『九朗!』
『分かっとるわい!』
為憲、政義が泰平を近づけさせまいと壁となり彼の侵入を防ぐ。滿就は良介の護衛として結界内に残っている。
『抑えろよ良介。お前が殺られてしまえば俺達は終りなんだからな』
滿就が怒髪を立てて親戚を睨む良介を諫める。
「分かっているっ。百も承知だ。」
剣を握る手を震わせながら良介は言う。必死になって暴走しそうになっている自分を、理性の自分が必死に抑え付けている。冷静になれ、といい聞かせる。
「良・・・・・・介・・・・・・・・・」
血を吐きだした音と呻くような声が良介の耳に入ってきた。振り返れば、安徳が宗兼を杖代わりに立ち上がろうとしているではないか。
「安徳っ!」
すかさず駆け寄り彼に肩を貸してやった。
(何故生きている!?)
(どういうことだ!)
驚愕もしたくなる。心臓を貫かれたはずの人間がこうして立ち上がろうとしているのだ。そう思い何気なくそこに眼をやると、傷は上手い具合に心臓の少し上くらいにあった。奇跡的集中力の強さで何とか即死を免れることはできたようだが助かる見込みはない。
(あれだけ血を流してもなお立てるのか)
滿就は呆気に取られている。死んでもおかしくない位大量の血を流しているのに何故生きていられるのか不思議だった。
滿就が考えている間に、玄武がやって来て泰平に攻撃をし始めた。眼に涙を浮かべる姿に彼はいたたまれなくなった。
滿就は深呼吸すると、静かに
「結界は、いつま、で・・・・・・持ちますか?」
安徳が消えそうな声で良介に尋ねた。始めは何を言っているのか分からなかったのだが、微かな光を宿した瞳が訴えんとしていることに気づいてハッとした。
「佐々木君、君は───」
口を開けたままの良介に安徳は皆まで言わせることなくぎこちなく笑って見せる。
「どうせ、死ぬ、命。なら、有効的に、使う手は、ないでしょう?」
確かにこのままにしておけば間違いなく彼はものの数分と持たず死ぬ。しかし彼としてはどんな手を使ってでも安徳を生かしたかった───
葛藤を続けること三分。その間、安徳は口を挟むことなく良介の回答を待っていた。
「───五分」
絞り出すように良介が答えた。今度は彼の方を向き、ニコッと笑ってみせた。
「五分は持たせる。それ以上は僕が持たない」
そう告げた。
「・・・・・・結構、です」
変わらずぎこちない笑顔だが、その眼にはまだ燃えている火があった。
『聞いたね、皆』
良介は札を使って思念を飛ばした。おうと三人の武士から返事があり、やや遅れて玄武からうんと返ってきた。
「清四郎さんは玄武君と一緒に泰平の相手を、左衛門さん(政義の字)と九朗さんは周辺の敵の掃討を。五分は頑張ってくれ」
『承知』
『『合点承知!』』
『りょーかい!』
それぞれの思いを胸に、四人はそれぞれの任についた。良介は自身の全ての力を結界に集中させた。
「ふん、しぶといじゃないか」
あの傷で立ち上がった安徳を泰平は鼻で笑った。
『邪魔はさせん』
『僕達が相手だ!』
攻撃しようとする泰平の前に滿就と玄武が立ち塞がった。雑魚がと舌打ちして仕方なく泰平は応戦する。
「ナウ、マク、サン、マン、ダ、バサラ・・・・・・・・・」
結界内で、安徳が左手で札を挟み、苦痛に顔を歪めながらも、懸命に呪を唱えている。
「ノウ、サン、バク、バク、ヨウ、ナン・・・・・・・・・」
途切れ途切れの低い声が、室内に不気味な感じで響き渡る。泰平は妙な胸騒ぎを覚えた。早くあれを止めねばと思うも、眼の前の壁が殊の外頑強であったので行くに行けなかった。
「ナム、サン、カン!」
安徳は札を床に叩きつけた。札は光を発し、煙に包まれた。
「皆、結界の中にっ」
四人は即座に攻撃を中止し結界内に逃げ込んだ。
(これで・・・・・・、いい。後は・・・・・・・・・)
安徳は力ない笑いを浮かべ、果てた。
煙の中から現れたのは中世日本の武士だった。
色鮮やかな大鎧に身を包み、腰に立派な太刀を佩き、頭に侍烏帽子を被った男の姿はどこか高貴な気風を漂わせ、立派に見えた。
「殿・・・・・・・・・」
男の姿を見た政義が思わず口にした。武士は彼らを見て微笑んだ。
「左馬介、近江、それに志摩、久しぶりだな」
「お久しゅうございます。
滿就は武士に向かって片膝をつき頭を下げた。
「公方様?」
聞き慣れない言葉に首を傾げる良介に為憲が紹介した。
「かつての我らの主、室町幕府第十三代将軍足利義輝公や」
あぁ、と良介は掌を打ち合わせた。
足利義輝。その名をを知る者はマニア以外おそらくほとんどいないだろう。
室町幕府第十三代将軍であり、幕府復権を目指し奮闘したが、家臣・
だが、七百余年続いた武家政権の頂点に君臨した者の中で、最も将軍らしい将軍と言われる人でもある。暗殺された日は、畳に足利将軍家に代々伝わる〝大典太〟こと
それ故、『剣豪将軍』と後世の人間に語られることになる。
その理由として彼には二人の剣の師がいる。共に剣聖と称され剣の頂きに達したほどの者達である。
一人は新陰流の祖・
「安徳君・・・・・・・・・」
彼は既に息絶えて突っ伏している安徳を見やる。
「佐々木君・・・・・・・・・」
良介は顔を伏せた。他の三人も同じだった。
義輝は彼の所まで歩いて行くと、右手に握られていた彼の愛刀である名刀大般若長光を取った。
(新九郎、お前の子孫は立派な武士だったぞ)
義輝は天を仰ぎ、安徳の先祖で臣下であった
報告を終えると、長光を肩に担ぎ泰平を見据えた。
「随分と堕ちたものだな。平次郎の末裔よ」
鎧が不快な金属音を鳴らしながら揺れる。
「どこの誰だか知らねぇが、アンタに俺様の相手が務まるのかぁ?」
どこまでもナメた口調の泰平を、義輝は一睨みで射竦めた。
「ほざくなよ小僧。戦場を知らぬ若造ごときが、私の相手が務まるはずないだろう?」
挑発的言葉に激怒した泰平は怒りにまかせて斬り込んだ。
彼の斬撃は義輝にかすりもしなかった。
「どうした? 蠅でも止まってるんじゃないのか?」
くくくと嘲笑しながら義輝は攻撃に転じた。神速のごとき速さで振り下ろされた長光は泰平の左腕の肉を斬り裂く。
「テメェ!」
怒りに任せて振るわれる剣をいなし、自身の剣は正確に泰平の身体に傷をつけていく。
「凄いね、義輝さんて」
『そら卜伝のじいさんに奥技伝授されたからな。剣豪の名は伊達やないで?』
笑いながら為憲が言った。
「ねぇねぇ滿就、『一の太刀』って何なん?」
『そうだな・・・・・・『極意』みたいなもんだな』
「極意? どんな?」
『卜伝翁の話では、『生もなく、死もない。己の存在すらない。剣士がその無念夢想の境地に立ち得たとき、人も剣も天地自然の一つとなる』ってことらしい』
「───成程ね、『天地自然』の境地か。確かにその極みに達すれば無敵になるね」
『まぁそういうことだ。ところで良介、万一には備えておけよ』
「あっはっは。僕はこれでも後藤家と祖先を同じくする名門池田家の陰陽師だよ。抜かりはないって」
良介は滿就の心配を笑い飛ばした。
「・・・・・・ちょっと回復に時間を要するけど」
『だったらその間は俺達ががっちり守ってやんよ』
「くそっ! なぜ当たらない」
「君ごときのママゴト剣法が私に通じるとでも思っているのかい?」
義輝はまるで大地を吹き抜ける一陣の風の如く、風に揺れながらひらひらと落ちる葉の如く、生命の源を運ぶ流水の如く泰平の斬撃をかわしていく。そこにいるようでいない。泰平にはそんな感覚を味わったことだろう。まるで大自然を相手にしているようだった。
「はっ!」
その代わり、義輝の斬撃はしっかり決まり、その一撃はズッシリと重かった。
「ぬおっ!?」
「ほらほら、どんどん行くぞ!」
義輝の重い斬撃は彼をどんどん追い詰めていった。勿論、彼に反撃の手など与えることは無い。
「さて、この者に憑いている悪しき者よ、年貢の納め時だ」
穏やかな声で義輝は泰平に言った。いや、彼の体に憑いているモノに言ったと言うべきか。
異様な強さに恐怖状態に陥っている泰平は、闇雲に妖術を放つ。しかし、義輝には何一つ当たらなかった。
鷹の眼光で彼を見据えると、眼に見えない剣速で彼の剣を跳ね上げ、そのまま一気に振り下ろした。
その時、黒い影が彼の身体から離れていくのを捉えた。
「ありが、とう・・・・・・・・・」
正気に戻った泰平が自らを斬ってくれた者に礼を述べ、倒れた。
「それを逃がすな近江!」
逃走を図った黒い影を見て義輝が家臣の名を叫んだ。叫ぶより前に為憲はそのモノの前を邪魔している。政義、滿就、良介が周りを固めそれの退路を断った。
「消え去れ、悪霊よ! 急急如律令!」
良介が札をソレに投げつける。断末魔のような奇声を上げ、ソレは消滅した。
「・・・・・・終わったァ」
気の抜けた声で、良介は安徳の骸の横にドサッと仰向けに倒れた。
『大樹、これからどないしましょか?』
為憲がかつての主君に尋ねた。沈痛な面持ちだった義輝は顔を元に戻し長光を鞘に収めた。
「
『俺は貴方の奉公衆ですから、行くと言えば行きますよ』
『俺かて同じや。公方様の行くところたとえ火の中水の中草の中森の中!』
『待てよ為憲。その発言は危ない。てか、お前摂関家の人間だろうが』
『何言うてんねん。忘れたんかいな。俺はお
『そうだっけ?』
『そうや』
二人の会話を無視して、義輝は滿就にお前はどうすると尋ねる。
「私はそこで力を使い果たしてぶっ倒れている倒れている主を守らねばなりませんので」
「あはは~・・・・・・ごめんねぇ滿就~」
そう言うことなんでと滿就は断った。ふふっ、と義輝は微笑し「では、しっかりとそこの若い主を守るのだぞ」と言い渡し、政義、為憲を連れて上に向かった。
「滿就、先にさ、佐々木君と泰平を城の外へ持っていってくれないかな?」
若い主がそう頼むと滿就はそれに従った
「さ、て。もういいよ二人共」
上体を起こした良介が滿就が二人の骸を持って消えたのを確認して宙空に向かって言葉を投げ掛けた。すると、彼の前に霊体の安徳と泰平が正座した姿で現れた。
『すいませんね、良介』
「何、僕は君の頼みを聞いただけだよ」
『ゴメンね、二人に迷惑かけて』
「気にしないことだ泰平。この上なく良い修業と思ってるから」
三人、自然と笑みがこぼれた。
ふぅ、と良介は肺の空気を吐き出す。
「不思議な気分だよ。君達は幽霊なのに、何故かそんな気がしない」
『私も自分が霊体の気がしないのですよ』
あはは。
部屋全体に彼らの笑いが反響した。
「佐々木君、泰平。良ければ君達の昔話でも僕に話してくれないかな? どうも君達に興味を持ってしまってね、色々と知りたくなってしまった」
良介はニコニコしながらそう言った。その表情からは戦いの疲れなど微塵も感じられなかった。
『構いませんよ。その代わり、貴方の昔話もお聞かせ願いますよ』
そして三人は滿就が戻って口をあんぐりと開けてこれはどういうことだと良介が尋問されるまで互いの身の上話で盛り上がった。
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