二十四話 洛陽大戦2 ———魏と呉の鎮魂歌———
夏候惇と張遼は苦戦を強いられた。夏候淵らは董卓の力によってかなり強化されていたようで、一撃一撃が骨を軋ませるほど重い。受けるので精一杯だった。
「ぐぅぅ・・・・・・・・・」
夏侯淵の重撃に夏候惇は思わず唸る。彼らの攻撃を防ぎ、わずかな隙を突いて攻撃をするが、決め手の一撃に欠いていた。特に女性である夏候惇は、弟の一撃を受けるのは相当体力を消耗する。汗も、滝のように滴り落ちてきている。
張遼は幾度か彼女の助太刀に行こうとしたが、相手が予想外にしぶとく内心焦っていた。
彼女は必死の形相で、何度目かの弟の顔を見る。
眼に正気はない。虚ろな眼は純粋な戦闘兵器の如く、ただただ眼前の敵を屠るのみに剣を振るうだけに成り果てた弟を見ていると憐れでしたかなかった。
望まぬ実の姉と弟の殺し合い。誰が好き好んでやる者がいようか。彼だって、こうなるまで殺りたくないと思っていたはずだ。
彼女は、できれば一瞬のうちに勝負を決めたかった。普段の実力なら、負けたことはないからだ。もし一片の欠片でも妙才に心が残っていれば、と願った。そうすれば、弟を早く救うことができる。今回も、そう思った。
だが、その思いはことごとく、無惨にも打ち砕かれた。
───あの男は、あたし達を完全に抹殺するつもりでいる。それをすることの為だけに、あの男は仲間を拐い、殺人兵器に仕立てあげ、一切の感情・思考を抹消し、あの男の命令だけを聞く忠実な殺人人形として作り替え、かつての仲間達と戦わせる。何と卑劣なやり方だろう・・・・・・・・・
そう思う度に、彼女は憤る。怒りが込み上げてくる。
しかしそれと同時に、自分の腑甲斐無さを歯痒く思ってしまう。
確かにあの男の所業は赦しがたい。腸が煮えくり返る思いだ。
だが何と言おうと、相手は弟の妙才である。血を分けた肉親なのである。
(酷いことをする)
傍目でそれを見ながら劉超はそう思った。
(いつの世も、争いは絶えぬか・・・・・・・・・)
(人の歴史は争いの上にあるもの。それはお前が一番良く知っているだろ?)
そうであるが、と〝相棒の黄龍〟はそれ以上語らなかった。
だが残念ながら、その彼女にはそれに抗う力はなかった。何だかんだいって、所詮自分は女。男には、いずれ力負けする宿命にある。強化される以前は勝っていたが、いずれは追い抜かされる。それに比べ───
夏候惇はチラッと親友であった徐晃と互角に戦っている張遼を見る。
───あたしも男に産まれたかったな
何度こう思ったことか。男であれば、もっと強くなれたのに・・・・・・・・・
彼女は、時に自分の出生を恨んだこともあった。
(ん? これはまずいか?)
夏侯惇の顔に陰りが生じたのを劉超は見逃さない。このままでは夏侯惇が死んでしまう。それは断じて阻止せねばならなかった。仮に夏侯惇が死ねば、善戦している張遼が動揺し、分が悪くなる。
(ハッパをかけるしか───・・・・・・・・・?)
劉超は夏侯惇に声をかけようとして、止めた。彼女の表情がほんの少し変化したのに気づいたからだ。
『元譲。お前は今のままで十分だ』
不意にある時に言われた曹操の言葉が頭をよぎった。こんな時に不謹慎だと分かっていたが、自然笑みがこぼれた。
『女に産まれたことを悔やむな。女には、男には無い器用さがある』
そうだ。何も力だけに頼ることはないのだ。力がなければ、その分力をつけるかそれを補うように素早さや技なんかを研けば良いことだ。何故そんな単純なことを忘れていたのだろうか。
「ありがとう、孟徳」
弟の剣を弾いた元譲はそう、呟いた。その顔は微笑んでいた。
「忘れていたよ。あたしがずっと孟徳の側にいたわけを・・・・・・・・・」
主であり、親友であるの言葉が彼女を吹っ切らせた。
「妙才、今助けてあげるわ」
優しく語りかけた。そして、彼女は戦闘スタイルを変えた。今まで力に頼っていたのを止め、夏侯淵の攻撃は避けられるものは避け、身軽さを活かし、手数を多く、素早い連撃を繰り出し彼に攻撃する暇を与えないスタイルとした。
(やれやれ、どうやら、夏候の孃ちゃんは立ち直ったようだな)
劉超は憐れな姿の化け物共を斬りながら彼女を観察していた。最も、彼にとって食人鬼達は単なる暇潰しになるかならないかであったが。
(ハッパをかけずにすんだ)
これで、心置きなく自分の戦いに集中できると踏んで、劉超は抑えていた力をほんの少し解放した。
「少し・・・・・・本気をだそうか」
迫り来る彼らを一刀のもとに斬り伏せると、劉超は一旦大きく後方に飛んだ。
着地した時には、彼はそれまで抜いていた牙龍を鞘に入れていた。
劉超は静かな無駄のない動きで腰を落し左足を退いた。
「───・・・・・・参之舞 居合 風刃ノ太刀 疾風・
神速のごとき一閃、それはいつ抜刀したのか全く分からなかった。それを視認した時には既に彼の武器はその姿を現していた。そのコンマ一秒後に突風が吹き抜けたかと思うと、10の食人鬼が一瞬にして塩辛のようにズタズタに切り刻まれていた。
食人鬼を率いていた雍喃は驚きの色を隠せない。無数の食人鬼を、あの男はたった一人で相手をしていて、しかも圧倒しているのだ。
呆然としている間に、食人鬼は次々と彼によって消滅させられていった。
「なんだ、この程度か」
あっという間に、食人鬼は彼によって全滅してしまった。
「そこの雑魚、俺を殺りたかったら最低でも百万は用意しな」
得物の切っ先を剥けて、その余裕の表情で挑発してきた。しかも、あの男は、あれだけの数を戦っておきながら汗一つかいていないし、息も上がっていないではないか。
雍喃はその身を恐怖に支配された。化け物だ、この男は。このまま戦えば自分は間違いなく死ぬ。
ところが、離れた場所では〝凡人〟の夏候惇や張遼が懸命になって戦っている。
(あいつらの一人でも!)
雍喃の使命は、彼らの抹殺であり、どんなことをしても成し遂げろと董卓にきつく言われていた。だから、自分は言われたことをきちんとやればいいのを思い出した。何もこんな化け物じみた人間を相手にする必要はないのだ。
雍喃は気色悪い笑みを浮かべると手をかざし得意の妖術で夏侯惇に攻撃をした。
「元譲殿!」
それを見た張遼が叫んだ。夏侯惇もそれで気づくが、弟の攻撃を受けていて、張遼は彼女と離れた場所にいてとても避けている時間はない。
(うそ───)
夏侯惇は絶望した。
「・・・・・・貴様っ」
劉超の声は低く冷たいものだった。
人と思えぬ速さで夏侯惇と彼の放った妖術の間に割って入り、それを両断した。
「なっ!?」
唖然としていると、ザシュ、ドスンという音と右の肩口から何か生暖かいものが噴き出している感覚がした。
「えッ・・・・・・・・・?」
恐る恐る眼を向けると、さっきまであったはずの右腕が無くなっていて、そこからおびただしい量の血が噴き出していた。
「ぎやあああああああ!」
雍喃は悲鳴をあげた。夏侯惇と張遼は一体何が起きたのか分からず、戦いの最中であるにもかかわらず劉超を凝視していた。
何故か、そんな無防備姿の彼女らを操られているはずの夏侯淵や徐晃らは襲ってこなかった。
「───邪魔すんなって、言ったよな? 小僧」
劉超を、場を纏う空気が一変した。凍えるような冷たさが肌をかすめる。彼の眼が鷹のごとく鋭く、身体が言うことを聞かない。
何より、さっきまで感じなかった『殺気』が静電気のようにビリビリ伝わってきて全身の体毛が逆立つのが分かった。
(な、何、これ!?)
それは、歴戦の猛者達をしても異常なものであった。
「少しは遊んでやろうと思ったが・・・・・・止めだ」
劉超の剣が横薙ぎに払われた。不可視の斬撃は、今度は雍喃の左脚を付け根から斬り落とした。バランスを崩した雍喃が床に倒れ込む。
雍喃は声にならない悲鳴をあげて後ずさっいる。
とうとう、雍喃は劉超の太刀の射程に入った。
「た、助け———」
必死に命ごいをする雍喃。
「人様の勝負を邪魔する外道を助ける義理はない」
しかし劉超はそれを一蹴した。
「───六式之八 後光・天衝斬」
「ぎぃやぁぁぁ!!」
雍喃は、振り下ろされた一刀のもとに真っ二つにされ、いつの間にか牙龍の刀身に纏っていた黄金の炎によって神経の一つまで残らず焼き尽くされた。
「人の命を弄ぶ者は地獄でその罪を償え」
既にいない人物に向かって、劉超は告げた。
(何と・・・・・・・・・)
(あの人は・・・・・・一体?)
驚いている二人を余所に、劉超は牙龍の刀身についた血を拭い、鞘に収めた。
(さて、俺はゆっくり見物と洒落込もうかね)
彼は仕事を終え部屋の片隅へ歩き、どっこらしょと腰を下ろした。
(おい、『黄龍』。久しぶりだったが、どうよ?)
(中々楽しめたぞ)
(それはよかった)
そんな会話をしているうちに、夏候惇らは戦闘を再開させていた。身体中に傷をつけながらも、堕ちた夏侯淵達と何とか対等に渡り合っていた。
(・・・・・・と思ったが、どうやらそうもいかないか)
豪には柔、力には技とよく比較されるが、的確かと言われればそれは分からない。そのまま豪が押し勝ち、力が競り勝つかもしれない。
今回の場合は先の言葉が当てはまるが、夏侯惇は少々傷を負いすぎた。
傷が熱をもち始めたらしい。その為、夏侯惇の動きが鈍くなりキレが無くなっていることが彼には容易に知ることができた。
(これは、まずいわね)
夏侯惇もそれは自覚していた。
(・・・・・・・・・)
徐晃らと互角に戦っている張遼はまだ安心だが、だんだんと夏候惇の
助太刀───彼女は嫌がるかもしれない。しかし、ここで彼女に死なれるのは、尚悪い。
(黄龍、すまんが頼む)
(承知した)
劉超は抜刀して立ち上がった。
夏候惇は弟の猛攻に耐えていたのだが、その際、激戦でできたと思われる、めくれ上がった床に躓いてしまった。
「あっ」
と叫んだ時には、もう夏候淵が剣を振り下げていた。観念して彼女は眼を閉じた。
(ごめん、孟徳っ!)
次に彼女の耳に聞こえたのは、骨肉を断つ音ではなく鈍い金属音だった。
「大事ないか、孃ちゃん」
眼を開けると、夏候淵の剣を軽々と受けている劉超の姿が入った。
「あっ、はい・・・・・・・・・」
彼女の無事を確認すると、ならばと彼は続ける。
「コイツの相手は暫く俺が引き受る。嬢ちゃんはその間に〝黄龍〟に治療してもらっとけ」
言うが早く、彼女の側に見たことのない金の髪の男が現れ、彼女を戦線から離脱させた。
男は彼女を横にすると、彼女の身体に手をかざした。すると、かざしている部分が光りを帯びているではないか。
「えっ、えっ?」
「そのままじっとしてろ。何、アイツのことなら心配いらねぇよ」
自信に満ちた男の顔を見て、夏侯惇は疑問を抱かずにいられなかった。
「えっと・・・・・・黄龍、さん?」
そうだと男が答えると、夏侯惇は続けて言う。
「何故、あの人が五大龍である貴方を宿しているのですか? あの者は、確か劉姓だったはずでは?」
この世界に生きている人間で、趙家の龍について知らない者はいない。夏候惇とてそれは例外なく知ってる。
なのに、眼前で弟と戦っている男は、劉姓であるにもかかわらず、趙家に宿る龍の中でも、特に別格の力を持つとされている五大龍の一人を宿しているのだ。不思議に思わないわけがない。
それに対し、黄龍は至極あっさりと答えた。
「簡単なことさ。アレが、趙家の人間ということだ」
彼女がきょとんとしているうちに治療が終ったようだ。よし、と黄龍は彼女を起こして背中を叩くも、夏候惇は淋しい笑顔をしていた。
「無理よ・・・・・・やっぱり」
呟くような声だったが、黄龍にははっきりと聞こえていた。燃え上がっていた炎が小さくなっていくのを感じていた。
夏候惇は膝を抱えその中に顔を埋めた。
「あたしには、もう、出来ないよ。───力の差がありすぎる・・・・・・・・・」
ふっ切った筈だった。けれど、劉超の戦う姿を見ていると、それが頭の片隅から息を吹き返し、支配する。
───やっぱり、女は男に敵わないんだ
そう思っていると、黄龍は戦場を見ながらこう呟いた。
「───ならば、夏侯元譲よ。お前は親友曹孟徳を裏切ることになるぞ」
彼女が、黄龍の言ったことに気づいたのは暫く経ってからだった。
「孟徳を、裏切る??」
怪訝そうに尋ねる彼女を、黄龍はゆっくりと見据えた。
「何故あの時、曹孟徳はお前に多言せずにここを任せたかと考えたことはあるのか?」
指摘されてみれば、確かに孟徳は何故任せたとだけしか言わずに行ったのか考えもしなかった。
夏候惇は首を振った。
「それは、お前に絶対の信頼を寄せていたからではないのか? そうでなければ、ここに来ることを───いや、そもそもお前を戦自体に出すことを止めていた。違うか?」
黄龍に指摘されるも、実感がわかなかった。それに、孟徳は本当に自分を信頼していたのだろうか?表面上だけではないのか?疑い出すとキリがない。
「でも、あたし、女だし」
「しからば何故曹孟徳は今日この日までお前を武将として扱ってきた? もし曹孟徳にその意思がなければ、お前を武将として扱うことはなかったしそもそもお前に剣を持たせることもしなかったのではないか?」
「・・・・・・・・・」
「夏侯元譲。お前は曹孟徳の幼馴染みとしてずっと苦楽を共にしてきたのだろう? その時間だけ、一緒に生活してきて互いを理解してきたのではないのか?
───曹孟徳はお前のことをよく分かっている。故に、ここをお前に託した。俺はそう思うのだがな」
これは俺の勝手な推測だがなと黄龍は付け加えた。
(孟徳・・・・・・・・・)
夏侯惇の双眸から自然と涙が溢れ落ちた。自分でも何で流れるのか分からない。だが、落ちてくる。
嬉しいと思った。女、としてでなく、一人の人として信頼してくれた。それが嬉しかった。
「でも、一体どうすれば・・・・・・・・・」
孟徳の期待に応えたい。弟を救いたい。やれることをしたい。
覚悟は決まった。傷も治った。けれども、それをやるにはどうすればいいだろう?
「我が力を貸してやる。さすれば、女の身であるお前でもアレに対抗できるであろう」
「でも、あたし使い方が・・・・・・・・・」
「心配するな。我が魂魄の一部も付ける。それに従えばよい」
黄龍は彼女の額に手をかざした。むっ、と一声唸ると彼女の身体を光が包み込んだ。
それはほんの一瞬の出来事であったが、その時夏侯惇は身体中に力がみなぎっているのを感じた。
「試しに手を広げてみな」
言われた通りに掌を上にして見た。
(掌に火を出すと念じてみろ)
頭の中に眼の前にいる黄龍の声が響いてきた。ビックリしたがその通り念じてみると、少し小さいながらも金色の炎が現れた。
「───出来たっ」
「ふむ、それくらい出来れば上等だな。後は、我が分身に任せておけ」
「分かったわ」
夏侯惇の弱っていた闘志の炎がカッと勢いを増して燃え上がっていくのが分かった。
「自信は蘇ったか?」
「えぇ。ありがとう黄龍さん。あたし、今度こそ妙才を救って来る!」
黄龍はふふんと戦場を指差した。
「では行くがよい、曹孟徳が一の忠臣よ」
夏候惇は立ち上がった。そして走り出した。もう、彼女に迷いなど微塵も無い。
(劉超、もうよいぞ)
(おう、そうか。もうちっと楽しみたかったのだがな)
(我儘言うでないぞ。これは、元々あの者の〝仕事〟であろう?)
(はいはい、わーったよ)
劉超は夏候淵の剣を払うと後ろへ大きく跳んだ。入れ違いに夏候惇の斬撃が夏候淵を襲う。
不意を突かれた形だったが、無理矢理に身体を動かして防いだ。夏侯淵は一旦彼女から離れた。
(剣に炎を纏わすように想像してみよ)
魂魄片の黄龍が囁く。その通り想像してみると、掌から現れた炎が剣に巻き付き、包み込んだ。
(そのまま、剣先に炎の塊を作ってみな)
少し難しかったが、何とか想像してそれができた。大体人の顔くらいの大きさだ。夏侯惇はさっきより何だか上手くなっているようでビックリしている。
(良いか、俺の言う通りにやってみろ)
黄龍の魂魄片が彼女の頭に内容を伝えた。夏候惇は力強く頷いた。
「いっけぇぇぇ!」
大きく上段に構えた剣を一気に振り下ろした。剣先の火球は夏候淵目がけて一直線に
やむを得ず、夏候淵は剣に暗黒色の炎を纏わせ、飛来する火球をぶった斬った。そのすぐ後ろに、夏候惇が迫っていたとも知らずに。
「これでっ!」
最早防御することが出来ない。夏候淵はそのままの体勢で腹部を斬りられた。
「あ・・・・・・りがとう・・・・・・姉、貴・・・・・・・・・」
果てる前の、夏候淵の本当の声が彼女の頭を何回も巡った。
夏候惇は弟の骸を抱いて座り、慟哭した。何度も何度も謝りながら。
それを、張遼はただ立ち尽くして見ているだけだった。手には血剣を持っていた。徐晃は既に息絶えており、彼の近くに屍を晒していた。
彼にとって、徐晃はただ武勇に優れているだけの、それだけの者に過ぎなかった。武が均衡している場合、それ以外の何かに秀でているものが有利である。
張遼の場合、勘と知恵が彼より勝っていた。
張遼の顔は曇っていた。夏候惇が悲しみに沈んでいくのが、心が痛んだ。肉親同士の殺り合いを悲しまない者はいない。
「辛いな」
ぼそり呟くように側にいた劉超が張遼の顔を見ずに言う。
「はい・・・・・・・・・」
張遼は眼頭の熱さを抑えることができなかったようで、涙を流していた。
「悔いるなよ。お前らが悔いれば、救われた夏侯淵達が報われん」
その言葉が強く強く張遼の胸に突き刺さった。張遼はただただ頷くしかなかった。
「嬢ちゃん」
慟哭している夏候惇に、劉超はそっと肩に手をおいた。振り向いた夏候惇は劉超の胸で泣きじゃくった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
彼は優しく彼女を包んでやった。
二階の孫権と周瑜は孫策一人を相手に手こずっていた。朱然らの方は、龍一の相棒である聖龍が相手をしている。
(まずいな。このままじゃ、こっちがやられちまう。分が悪すぎるぞこりゃ)
龍一は横眼で孫権達を見ながら戦況を頭の中で瞬時に分析していた。
朱然の方は大したことはない。そこそこやるようだが、聖龍の方が実力は格段に上なので彼が朱然を倒すのは時間の問題と思われる。
問題は孫策である。スピード、パワー、反射能力その他全てが人間離れしていた。あの男が孫策に何か外法を施したのは間違いない。
龍一としては今すぐ助けに行きたいところだが、一方で鮑薈の戦いをもっと楽しみたい自分がいてもどかしかった。
「ちぃっ!」
思わず舌打をする。
開戦後、龍一は個人的判断密かに聖龍を介して彼の力の一部を孫権らに分け与えていたのだが、それでも不利なのだ。
(あの男・・・・・・一体どんな術で・・・・・・ええい!)
このままでは彼らが死んでしまうかもしれない。そう思うと余計イライラする。だがこのような時こそ冷静に物事に対処せねばならない。
(いかんいかん。これでは〝武道四天王〟と謳われた親父に笑われちまう)
鮑薈との戦闘に集中することで、彼は熱を帯びた頭を落ち着かせることにした。
(まずはコイツを倒さなきゃ話にならないな。さて、どうするか・・・・・・・・・)
孫権・周瑜は汗だくになりながらも何とか孫策の激攻を防いでいたのだが、そうなると彼らの武器の耐久性が気になり始めた。
あそこまで強打を受け続けていては、いくら強力な防御力を誇る武器であろうが破壊されればそこで全てが終りになる。何とか一回でいいから間をとりたい。しかし相手の斬撃が激しすぎてそれが出来ないでいた。
「若っ、今暫く耐えてくだされ!」
「言われなくても!」
周瑜が叫ぶ。確かに今は耐えるときだが、それも武器がどこまで持つかだ。しかも、一撃づつその威力が増していく。
「
孫策目がけ光る
(ナイス! 聖龍)
機転を聞かせてくれた相棒に龍一が心で感謝する。
(さ、これで憂いはない)
というわけではないが、聖龍が余裕であるなら、勝機はあるというものだ。
龍一は鮑薈の得物を払うと間を取り、大きく深呼吸した。
「───気が、変わった・・・・・・・・・っ?」
鮑薈は好敵手の周りの空気が一変したのを感じた。空気が鋭く肌がピリピリした。
彼の後ろに、巨大な力を持った何かが憑いているような、そんな気がした。
(某を見抜くとは、流石也)
彼の中で、聖龍は鮑薈の勘の鋭さに感服した。
「───うっし、集中できた」
龍一は何度か頭上で龍爪を回転させてから構えると、大きく一歩を踏み出した。直後、鈍い金属音が響き渡る。
その頃、孫権は兄達をどうやって救うか考えていた。
始めは、夏候惇と同じ考え方を実行した。最も、事前に神亀から聞かされていたことだけに限りなく成功率が零に近かったのだが、ないよりマシとそれに賭けてみることにした。
結果は言うまでもないだろう。
すると、孫権はすぐに説得を諦めどのように兄を討つのかを考え始めた。その辺が、夏候惇とは違っていた。
───家族とはいえ、敵となればこれを討つ
小さい頃より父孫堅から耳にタコが出来るほど聞かされてきた。
それに、これ以外兄を助ける方法がないのであれば、それをやるしかない。それが、『小覇王』の弟として産まれてきた自分の、兄へのせめての礼儀だ。そう思っている。
だが、攻め口が見つからない。魂魄片の聖龍のアドバイスやタイミングを参考に攻撃しているのだが、兄はいつもそれの一枚上をいく。更に言えば、兄はまだ何かを隠しているように見える。
孫権は横の傷だらけの周瑜を見る。
自分より少し上のこの若き女智将は、兄が幼少の頃からの竹馬の友だと聞く。聞いたところでは、彼女は自分が産まれた頃からお守りをしていたとか。大きくなってからも、よく遊んでもらったり剣の手ほどきを受けた。いつも、呉国を第一に、もとい自分達孫一族のことを最優先に考えている。
孫策が拐われたと報告された時、泣き崩れた孫策の妻大喬の側に一晩中ついてあげていたこともあった。
本来なら、孫権としてはこの場に大喬を連れてきたかった。しかし、夫人を守る為に戦力を割くわけにもいかなかった、と後で劉安から聞かされた。
「伯符を、助けてやってください」
出陣前、孫権は大喬からそう頼まれた。悲しい顔をされ、頭まで下げられた手前、何としても彼女の願いを果たさねばならない。その為に、ここで死ぬわけにもいかない。
(どうにかしないと)
思案している最中も、兄は猪のごとき猛攻を加え、こちらは防戦一方となっていて隙を窺い反撃する機会さえない状況である。
如何にすればよいか。
殺人兵器と化した彼を止めなければ自分達は確実に死ぬ。鮑薈と戦っている趙鐐や朱然らを相手にしている聖龍は死にはしないと思うが、いくら蜀の趙蓮の兄とその相棒とはいえ、キビしい戦いを強いられるのは眼に見えている。だから、兄は自分達が何とかしなければならない。
それが、現時点で孫権に課せられた問題であった。
「きゃっ!」
その時、孫策の攻撃に耐えられず周瑜が吹っ飛ばされて壁に叩きつけられた。
「公謹殿っ!」
近寄る前に、孫策によって同じように吹っ飛ばさ壁に背中を強打した。
「がっ・・・・・・・・・」
孫権は唸って床に落ちた。隣にいる周瑜はうつ伏せのまま起き上がる気配がない。傷ついた体を見る度に痛々しく思えた。
(我が兄の為に・・・・・・・・・)
女の身でありながら、兄の為に幾十もの戦場を駆け巡ってきた。彼女の身体の所々に残る傷痕がそれを全て語っている。
(嫁ぐとなれば、それなりの所へ行けたろうに)
もし、仮に彼女がこのような狂気と憎しみの渦巻く戦場に来ることなく、武器を取ることなく普通に生活をしていたなら、彼女はどこぞの家に嫁ぎ、幸せな家庭を築いていただろう、と孫権は容易に想像できた。
しかし、孫権は、そんなこと彼女にとってどうでもいいのかもしれないと思っていたとも推測できた。
───兄伯符に尽す。
なれば、己の身体がどれだけ傷だらけになろうが一向に構わなかったのではないか。
(全くもって兄は果報者だ)
ゆっくり起き上がる。背中が激しく痛む。
(だというのに、このバカ兄は)
油断して董卓の術でちゃっかり洗脳されて挙句実の弟と自分を慕う心の友を殺そうとしていることに、孫権は腹が立った。
(少しは抗えっつの)
深く息を吸い、傀儡の兄に軽蔑の視線を浴びせる。
「アンタを想ってる人達を悲しませてんじゃねぇよこの大馬鹿兄」
孫権は、自身の中で力がどんどん漲ってくるのを感じた。疲れきっていた身体の重さが綺麗サッパリ無くなっていくような気がした。
同時に、こんな兄の為に頭を使うことがバカらしく思えてきた。
孫権は感情に身を任せることにした。
「ちょっと一辺死んでこいやっ!」
孫権は咆哮するや、大きな一歩を踏み出して横薙ぎの一閃を放つ。
龍一はそんな彼を見て一安心したが、状況は未だこちらに不利であった。
「───二式
光の炎を纏った龍爪の高速攻撃による〝飛び火〟が鮑薈を包み込むが、董卓配下の将とあって、簡単には死ななかった。
「やっぱダメか」
龍一は舌打ちして次の攻撃にかかる。
(ここはどこ?)
周瑜が目覚めると、そこにはただ、真っ白な空間が広がるのみだった。誰もいないし何もない。
(私は、死んだのかな?)
それすら、この無の空間では分からなかった。仰向けになりながら、ただ一点を見つめ続けている。よく分からない心地なので起き上がる気分も起きない。
(どこなんだろう??)
自分は、果たして生きているのか、もしくは死んでいるのか。分からないから余計もやもやする。
(若は? 永龍さんや聖龍さんは?)
今の彼女にとって、一番の気掛かりである。彼らは負けてしまったのだろうか。勝ったのだろうか。
気になる。
周瑜はひとまず上体だけ、起こしてみることにした。見れば見るほど、白い空間が無限に広がっているようだ。
ふと自分の腕を見て、気づいた。身体中にあったはずの傷が跡形もなく消え去っている。
───やっぱり死んだのかな?
そんな思いがふと頭の中をよぎった。
『安心して。貴方はまだ死んでないわよ』
突然どこからともなくやわらかい女の声が耳に聞こえてきた。その方向を向くと、かなりの美女がそこに立っていた。
天女───そう呼ぶにふさわしいその女性は、天界の住人が着るような衣を身に纏い、満点の笑顔はこの世の人でない雰囲気を感じさせた。
「貴方は?」
問いかけるも、天女はニッコリと微笑むだけだった。
『うふふ、いずれ分かることよ♪』
天女は楽しんでいるように言う。淡い緑色の瞳は優しく周瑜を包みこんだ。ただ、何と無くだが、趙鐐の龍である聖龍に感じが似ているように思えた。
『貴方には、まだやらなくちゃならないことがあるでしょ? 早く目覚めちゃいなさい』
女は簡単に告げる。
そうしたいが、一体どうやって目覚めろというのだろうか。
周瑜はそう告げると
『任せて』
とニコニコしながら言った。私が連れてってあげると。
女は周瑜の眼前で手をかざすと、それがゆっくりと輝きだした。と同時に意識が遠退いていく気がした。
『そうそう。後で貴方にちょっとした贈り物を送っておくわね♪』
周瑜の意識はそこで途絶えた。
「ガハァッ!」
壁に思いっ切り叩きつけられ、口から黒に染まった血を吐いた。これまでの攻撃で内臓や
「うぐっ・・・・・・・・・」
ダメージが大きすぎて起き上がるのがやっとだった。もう当の昔に体力は尽き果てており、気力だけで何とかもたせていたが、それも不可能に近い。
「こ、の・・・・・・体力バカが・・・・・・・・・」
こんなことなら常日頃から鍛えておけば良かったなと後悔するがそれはあまりにも遅すぎた。
兄はゆっくりと歩み寄ってくる。
その時、突然辺りをを神々しい光が照らした。
「なっ、何!?」
あまりの眩しさに顔を手で覆いながら、何が起こっているのかを突き止めた。いつの間にか意識を取り戻していた周瑜の身体が光っているのだ。
「??」
当の本人も何が起こっているのか分からず唖然としていた。だが、彼女は自分の中に聖龍の魂魄片とは違う何かが、自分に力をくれている気がした。それはとても温かく優しさに満ち溢れ、そして強大なものだった。
その光が収まると孫権はエッと彼女を凝視した。
彼女の髪は黒からやや赤ががった黄色に、瞳は晴天の空のように澄みきった蒼色と変わっていた。
『これが私からの贈り物。この力で彼を助けてあげて』
さっきの天女の声が直接頭の中に響く。だが、確かに力が漲っているが女の言うその贈り物が一体何なのかサッパリ分からなかった。
ふと、周瑜は右手の方が妙に明るいのを感じたので眼をやると、いつから握っていたのか、彼女の剣の刀身が、淡く
『これは聖浄の炎。ありとあらゆる闇と負の力、その一切を浄化する私の力の一部よ』
再び天女の声。
『龍の加護があらんことを』
やがて、天女の声が聞こえなくなった。
(龍?)
考えるのもつかの間、孫策が襲ってきた。
「くうぅ」
力負けしているが、額すれすれの所で何とか堪える。
『彼を貴方が救うのよ』
天女の言葉が繰り返し繰り返し頭の中を駆け巡る。
「そうだ・・・・・・あたしが・・・・・・あたしが、伯符を、救うんだぁぁぁぁ!」
気合い一発、周瑜は孫策の剣を押し返した。
そんな彼女の魂の叫びに呼応するかのように、剣に纏っていた炎がその威力を輝きを増した。危険を感じとっさに孫策は彼女から間合いを取る。その表情は、彼女の焔を恐れているように孫権は見受けられた。
「待ってなさい伯符。すぐにアンタを助けてあげるから」
それから周瑜は孫権に近づくと、彼の顔に手をかざした。
するとどうだろう。満身創痍の身体があっという間に全快し、加えて聖龍とは違う別の力が体内を駆け巡ってくる感覚。それに、とても温かい気分になった。
「若。ちょっとあのスカポンタンのドマヌケバカをとっちめるの、手伝ってくださいます?」
孫権は口をあんぐり開けて周瑜を見ていた。いつもの周瑜からはおよそ考え想像もつかない口調に、彼女の知らぬ一面を垣間見た気がした。
「あっ、はい」
怪訝な顔で若と再び呼ばれて、孫権は我に返り返事をした。
「じゃあ、行きますよ」
「はい」
二人は最後の攻撃を開始した。
「よし!」
戦闘中にも関わらず、龍一が叫んだ。喜色が顔一杯に浮かぶ。
「んじゃ、そろそろ俺も全力をだそうかな」
鮑薈はぞくりとした。まだ彼は本気ではなかったことに。
しかしそれはそれで心が躍る。強敵は強いほど彼は燃えるのだ。
「来い!」
鮑薈が吠えた。それに応えるように趙鐐は距離をとると、ふん、と一唸りした。すると彼の身体の周囲を中心に風が吹き抜け、一瞬で黄色の髪に銀の瞳と彼の外観も変化していた。
「好敵手。悪いが、これで終わらせてもらうぞ」
鮑薈は彼を見失った。動いたことすら分からないくらい、彼の動きは素早かった。
「甘い!」
超速で繰り出された『趙鐐』の龍爪を、鮑薈は〝感覚で〟いなすとすかさず攻撃に転じる。それを承知していたように彼は龍爪で弾く。
今度は鮑薈が攻め『趙鐐が』守りに徹する。間合いに入りすぎた彼はそれでも動じることなく的確に防ぎ抜いた。
「一式之三
戦艦の主砲から放たれた砲弾の如く重い威力の突き、ガトリング銃の如き速さの連撃。それを鮑薈はやはり感覚でかろうじて避けるが、ただ一つ避け損ねて右腕を肩からもがれ傷口にはメラメラと燃える輝く炎が燃えていた。ただの突きでこれほどの威力があることに鮑薈は驚愕したと同時に、彼はその炎を強引に消した。その炎のお陰か、肩をもがれたのに出血はまるでなかった
「まだまだ!」
片腕となってもなお彼は心底愉しそうに剣を振るう。『趙鐐』も惜しみなく自分の実力を発揮する。
「そらよ!」
鮑薈が渾身の力をもって彼の龍爪を宙に舞い上げた。
「これで終いだ、趙永龍!」
鮑薈は勝利を確信して剣を振り上げた。
だがその時、『趙鐐』の口角が不敵につりあがった。
「何!?」
その手に武器が握られているのに気づくのに、そんなに時間はかからなかった。
『趙鐐』の太刀は抜刀ついでに鮑薈の胴を刔り、左脚付け根から失った右肩口に向かって斬り上げた。鮑薈は口から黒血を吐き出す。
「・・・・・・名を・・・・・・知りたい」
鮑薈が消え行く意識の中で彼に尋ねた。
「・・・・・・進藤龍一。それが俺の本名だ」
「そう、か───」
鮑薈の身体はガクッと力を失い倒れ伏した。龍一は彼の為に合掌した。
後に龍一は鮑薈の遺体を付近の廃村に埋葬し『武人鮑徳頗此処に眠る』という石碑を立てて弔ったという。
「聖龍、終わった?」
「うむ。ちょうど終わったところでござる」
聖龍も朱然らの始末を終えたようである。これで残りは、孫策だけとなった。
二人は孫権らに加勢することなく、近くの壁にもたれた。
観戦していると、周瑜の白金の焔、孫権の聖なる炎の攻撃により孫策の攻撃が少しずつではあるが鈍くなっているのがよく分かる。
「兄上、覚悟っ!」
その時、孫策の死角から孫権が斬りつけるが難無く受け止められてしまった。しかし、これが決定打となった。
周瑜はがら空きとなった背中に容赦なく斬撃を喰らわせる。鮮血を撒き散らし力が抜けた所を孫権が止めの一撃を見舞った。
床に伏し絶命した孫策を抱き上げた周瑜は静かに泣いた。孫権は必死に涙を堪えて泣かんとしていた。
「───無情だな」
「致し方ござらんよ。相手はあの董卓。彼らも、覚悟の上でござろう?」
「分かっちゃいるが、人間にゃそうであってもやり切れない気持ちになるんだよ」
「ふむ・・・・・・・・・」
人間は難しいとぼやく聖龍の頭にポンと手を置いて、龍一は彼らの姿を見続けた。
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