十九話 悲劇
達子は群がっていた敵の排除が完了し、安徳のもとに行こうとした。が、何者かがいきなり後ろから自分の腕を思いっ切り引っ張ってきたので、後ろに飛ばされその勢いで尻餅をついてしまった。
「痛った~!」
強打した尻を擦りながら、彼女は自分を倒した者に牙を剥ける。
「ちょっと! 何すんのよ・・・・・・・・・ッ!!」
だがしかし、彼女の大きく見開かれた両の
彼女の眼に映した出されたもの───それは、龍二の心臓を安徳が握る短刀が深々と突き刺されている場面だった。達子は悲鳴を上げた。
彼女の悲鳴を聞いて、護衛将隊趙蓮部隊の劉封達は、それに気づいた。
劉封は唇を噛み締めた。
「気を許していたとはいえ・・・・・・・・・」
みすみす護衛対象を負傷させるとは何たる不覚。己の不明を恥じずにはいられなかった。
「
劉封が全部言わなくても、呉禁はこくりと頷くとすぐさま趙蓮のもとへ走り出した。急げと続けて叫ぶと将隊の者達は彼についついった。
その龍二は、消えかけている意識の中で蒼炎の弾を放ち、安徳を達子から遠ざけた。
「随分と、まぁ、大層な・・・・・・挨拶じゃ・・・・・・ないか・・・・・・。なあ、泰平・・・・・・・・・?」
虫酸が走る歪んだ笑みを浮かべた安徳の姿がゆっくりと泰平に変わった。
「くくく・・・・・・よぉ龍二、元気かぁ?」
ねっとりした声で言った。今の泰平に、彼女の知ってる泰平はいなかった。
「ぬか、せ・・・・・・クソ野郎が」
ひきつった顔の龍二はかざした手で自分と達子の前に蒼炎の壁を出現させると、そのまま倒れたこんだ。達子は龍二を支えて座り込んだ。
「龍二っ! 龍二っ!」
達子が叫ぶ。心臓にに刺さっていると思っていたが、どうやら急所ははずれていたようだが、その上に短刀が突き刺さっていて、そこから血が流れている。顔色も青白くなってきていた。その顔に達子の涙が落ちる。
「ば、か。何・・・・・・やってんだ・・・・・・。早く、逃げろよ・・・・・・・・・」
かすれた声で、薄れゆく意識の中で龍二が促す。それを達子は泣きじゃくりながら首を激しく横に振って拒否する。
「イヤよ! アンタ置いて私だけ逃げれないわよ!!」
達子はそう言って、突き刺さっていた短刀を抜いた。紅い鮮血が噴き出し、達子の服や顔を染め上げるが気にしない。その後、彼女は傷口の前に手を当て、何かを口で唱えると、傷口と当てた手が光だして傷が徐々に塞がり始めた。
これは以前、ひょんなことから泰平に教えてもらった治癒術である。
「何やってんだよ。これから死ぬってぇのに」
いつの間にか泰平が彼女達を眼の前から見下ろしていた。その顔はこの状況を楽しむかのように卑猥な笑みに満ちていた。
達子は治癒を中断し龍二の身体を抱き寄せると、堕ちたかつての友人に敵意の眼差しを剥けた。
「退けよ達子。そいつを殺ってからお前を殺してやる」
董卓の手に堕ちた泰平は、親友に対して平気でこのようなことを口にした。額の黒星が不気味に輝いた気がした。
「イヤよ。ふざけないで。アンタなんかに龍二は殺させないわ」
達子は憶することなく、強気で気丈であった。治癒の途中だった為、龍二の傷は完全に治っておらず、少しずつだが血が傷口から流れている。呼吸も先程より小さくなってきている。
それを感じながら、達子は無意識に龍二を強く抱きしめていた。
「テメェ、そいつが好きなのか?」
泰平が何かを確信したかのようににやける。一瞬たじろいだ達子だが、次の瞬間には決心したようにはっきりと大きな声で言い放った。
「えぇそうよ! あたしは龍二が好きよっ!! それがどうしたのよっ!」
───だから、龍二はあたしが護るのよ
彼女の言葉を、龍二は意識がブラックアウトする寸前に聞いた。
「・・・・・・バカ、野郎───」
龍二は力尽きた。
彼女の告白を泰平はバカにするように笑った。
「こいつはお笑い草だ! お前がコイツを好きとはなぁ! いつも口喧嘩していたお前らがな! こりゃ傑作だ!」
そんな彼を見て、達子の眼差しは敵意から哀れみに変わっていた。表情もどこか寂しさが漂っていた。
「アンタも堕ちたものね」
その言葉はついに泰平に届かなかった。
「なら、二人まとめてあの世へ送ってやるわっ!」
泰平は剣を振り上げた。
風を切るように雷を纏った三本の矢が泰平めがけ飛来してきたのはちょうどその時であった。泰平は舌打ちして後方へ飛んで回避した。着地直前、異常なまでもの剣圧を感じその方へ剣をやった。鈍い金属音の後、彼の前に一人の二刀流剣士が現れた。直後、達子の前に呉禁が駆けつけた。
「封徳っ」
安徳はちらっと彼女らを見た。龍二の容態を確認して顔をしかめる。
「尚姫。貴方は彼らと共に早く本陣に退きなさい」
そう言った。
彼の示す方角から将隊の劉封や曹姫らが駆けつける。
「事は一刻を争います。早くしないと彼が死んでしまいます」
達子は分かったと返事して、劉封らの力を借りて本陣に撤退を開始した。
「邪魔すんじゃねぇよ安徳。せっかくの獲物が逃げちまったじゃねぇか」
安徳は泰平の言葉に耳を貸さない。代わりに、ありったけの殺気を込めた瞳を彼に剥けた。
(うるせぇな・・・・・・・・・)
安徳は怒っていた。
一つは自分の不明。分からなかったとはいえ、泰平の変装に気づかずにやり過ごし、結果、龍二に瀕死の重傷を負わせてしまった。
二つ目は泰平。操心されたとはいえ、少しは良心の欠片でも残っていると思っていた。だが、それは脆くも崩れ去った。今の泰平には良心の欠片すらない。完全に闇に染まってしまっていた。親友にすらあのような発言。
───彼はここで殺す
眼の前にいる者は、泰平の容姿をした外道で畜生である。親友の姿をしたこの悪魔を安徳は恨む。恨んで恨んで恨み尽す。
「退けよ」
泰平は命令口調で
「黙れ腐れ外道が」
先程までの違いに泰平は思わず一歩後退りする。
怒髪を立てた安徳の顔は笑みを浮かべるが眼は冷めたように笑っていなかった。
「お生憎と・・・・・・今の『俺』はかなり虫の居所が悪くてな。テメェのような雑魚に道を譲る道理は毛頭ねぇよ」
安徳は長光と宗兼の鯉口を切った。
「まあいいや。まずテメェから殺ってやる!」
達子は龍二をおぶって本陣へ急いでいた。彼女の後ろから追走しながら関平と黄明が落ちそうになる龍二を支え、彼女を護るように劉封や星彩達が護衛しつつ龍二の傷口から流れる血が達子の服を朱に染める。
紅龍も彼の中で頑張っているがどうもよろしくないようである。彼によれば、何かが治癒を妨害していると言う。そんなことからも、達子は本陣に急いでいた。
龍二の身体は達子には重かった。それにもめげずに彼女は彼をおぶって一歩一歩しっかりとした足で本陣を目指した。地理関係が全くな為劉封に案内役を頼み彼の後ろについていく。
「龍二・・・・・・アンタを、絶対死なせたりしないからね」
その一心が彼女を支えていた。襲い掛かる食人鬼共を劉封達が蹴散らし、時折彼女が朱雀から授かった炎で道を切り開いていった。
(龍二・・・・・・アンタは、あたしが・・・・・・・・・)
その時、彼女達の前に一騎の騎馬武者がこちらに向かって駆けて来るのが眼に入った。最初は敵と思い迎撃せんと構えるが、尚姫が待ったをかけた。
「くそッ! 遅かったか!?」
騎乗の進藤龍一は歯軋りした。虫の知らせを感じ、白朱の城から昼夜問わず馬を走らせ続けたのだが、結局間に合わなかった。弟が、生死は不明も、見て一瞬で不味い状況だとは分かった。
「永兄ぃ! 白龍が、白龍がッ!」
龍一の偽名と字(あざな)は、以前修行で白朱の城を訪れた際に彼から聞かされていた。
龍一は慌てることなく己の相棒を呼ぶ。
「聖龍、龍二の状態を」
達子の左横に聖龍が現れ傷口に手を当てた。
「何らかの術がかけられている。早く安全な所で治療しないとヤバいでござる!」
龍一は顎に手をやり、冷静な指示を下す。
「よし。聖龍、お前はコイツを治療できるような安全な場所を探せ。尚姫、案内頼む」
聖龍の体が光り、巨大な龍にその姿を変えた。達子は龍二を自身が抱える形で龍に乗り、角を掴んだ。
「皆、乗って!」
その時を含めて、すっかり蚊帳の外におかれていた劉封達が、彼の登場やら龍の姿となった聖龍に驚きの声を上げていたが意識的に遮断されていた。
「永兄ぃは?」
龍一は馬に乗るや抜刀していたので訊いてみると
「俺は、まず可愛い弟に瀕死の重傷を負わせてくれやがった奴らへのお礼参りしてから行く。尚姫、連合の本陣は?」
「建業」
「分かった。行けッ」
聖龍が建業へ向かって翔び立った。
彼を囲むように群がり始めた食人鬼共に一瞥をくれると龍一は軽く笑った。
「さて・・・・・・俺の弟を随分と可愛がってくれてありがとう。きっちりと礼をさせてもらうよ」
龍一は構えた。青眼にある刀は、ある出来事の折り、その時身を寄せていた人物から賜った『左文字矩斎』という銘の名刀だった。
「卜伝(《ぼくでん》翁、秀綱公直伝の剣技、その腐った眼に焼きつけて逝けッ!」
刹那、眼の前にいた者共の首が、矩斎の白刃によって高々と舞い上げられた。
今回の戦に無理を言って参加させてもらった趙香は、兄である趙雲の軍の一員として共に戦っていた。劉安(安徳)や趙蓮(龍二)に習っていたとあってなかなかサマになっていた。
しかし、最初、兄は彼女の参加に猛反発した。二人から武術を習っていたのは知っていたが、まだまだ半人前に過ぎないお前が来る必要は無いと諭すが、どうしても行くと言って聞かなかった。更に新たな主人である劉禅に今回だけ参加させてやってと頼まれてとあって、悩み抜いた結果、仕方なく自分の傍を決して離れない事を条件に参加を許した。
当初は色々と心配していたのだが、これならひとまず安心と趙雲は彼女から少し離れてしまった。
その時、彼女の悲鳴が聞こえた。驚いて振り向けば、食人鬼に足を捕まれて趙香が転倒しているではないか。どうやらきっちりと殺していなかったらしい。
「趙香!」
急いで駆け寄ろうとするも、敵は既に彼女に襲いかかろうとしていた。
(もうダメッ!)
趙香が諦めかけた時だった。それが現れたのは。
突然、彼女を光が覆ったかと思うや、襲いかかろうとしていた食人鬼が華やかな色の炎に包まれていた。何が何だか分からぬ内に食人鬼は呻き声をあげながら灰となった。
その後、彼女の前に一人の、薄蒼の髪、淡い蒼の瞳で、蒼き衣の服を着た女が浮いて現れた。
「あら、今度の私の主様は女の子なんだ・・・・・・。珍しいわね」
その女は驚いているようだった。当の趙香は何が何やらという感じで口を開けてぽかんとしていて、兄の趙雲は我が眼を疑っている。
女は地に降り立つと片膝立ちに名を名乗った。
「お初にお眼にかかります、我が主。私の名は華龍。『浄化の炎』を操る『宿龍』でございます」
女はそう名乗った。趙香は慌てて会釈する。
「あっ、えっと、えっと、は、初めまして! ちょ、趙香と言います。よ、よろしくです!」
趙香は突然のことで相当パニクっていたようで、舌が上手く回らなかった。
「まぁ、落ち着いてくださいな、〝姫〟」
その際、宿龍・華龍は趙香のことを『姫』と呼んだ。以後、華龍は趙香のことをこう呼ぶことになる。
「さて、積もる話はおいおいするとして、早く部隊に戻って差し上げてください。皆様がきょとんとしていらっしゃいますから」
そういうことになった。この後、兵士達に説明するのに苦労するわけだが、彼らは彼女を温かく迎えてくれた。
「趙香さんは趙香さんでしょ? それでいいじゃないですか」
誰かがそう言った。
一方の趙雲は未だに眼前で起きた出来事が信じられずにいた。家の伝承では、『宿龍』というのは、一族直系の男子にしか宿らないとされている。それが何故妹に宿っていたのだろうか。華龍といえば『五大龍』の次に強力とされる破龍級の力を宿す龍とされている。
(あっ・・・・・・そういえば)
趙雲は不意に伝承の末尾に書かれていた言葉を思い出した。
───されど、稀に直系の女子に龍が宿ること有り。すなわち、華・
たった今現れた龍は華龍と名乗ったので、どうも伝承は真らしい。当の本人達はいつの間にか仲良しになっており、実に楽しそうに会話を楽しんでいた。
「我が軍はこれより一時撤退する」
と発したので彼らは手際よく隊列を組むと風のようにそこを後にした。
(・・・・・・にしても、〝天龍殿〟は一体どこ言ったんだろう?)
趙雲はため息をついて、虚空を見上げた。
聖龍の背中の上で達子は懸命に治癒術を施していた。が、血が止まることはない。
「何で!? 何で止まらないのよ!」
「先にも申したが、何者かの強力な術によるものでござる。安全な場所でなければ
達子は必死の想いで龍二の治癒を続けた。
「達子殿、建業城はあれでござるか?」
見れば数十万の人に囲まれた建造物が小さいながらも見ることができる。
「あれよ、聖龍さん」
「承知した」
聖龍は下降を開始した。
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