第28話 トランプのカード

リオが苦渋に満ちた顔をした。

「でもそうしたらもう、私に『純潔のマリア教会』など必要なくなる。罪にまみれた遊びに金を貰うヒモでしかない」


「私はあの日、おまえの名を聞いて、『神からの授かりもの』だと思った。それも二週間祈り続けた貞淑なマリア様からの」


「違ったのだろう。おまえは私を好きになれないだけで、街の男たちには大人気だ。サラもおまえの身分に疑問を持った。おまえは民だ。前の男に飽きられて打ち棄てられた憐れな女か何かなのだろう?」


 この会話、リオの頭の中では繋がっているの? リオはそう信じているということなの? 

 私は公家でも貴族でもないけれど、そこまで侮辱されるいわれはない。


 イングランドの貴族の女性は民の男と会話したりはしないのかもしれない。

 でも私にとっては身分など何でもない、同じ人間、リオの街や聖堂で働いてくれている人たち。

 卑猥なジョークも言うだろうけれど、そんなの、笑って流していなせばいい。


 リオの恋愛は相手の出自に左右されるの?


「私たちはどこで知り合ったのですか? 伯爵令嬢だと言ったのは誰?」

「ヒマワリ畑。詐称したのは私だ。身分違いでは結婚できない」


「待って、畑で倒れていたのを見つけただけ?」

「ああ、そうだ。腕も脚も露わなあられもない服装で気を失っていた」


 そうなのか……、ダイさんなんてどこにもいなかったんだ。入れ代わりじゃない。

 私がマリア様の気まぐれでこの世界に召喚されただけと思えばいいのか。


「ここへ連れ帰って介抱してくれた?」

「畑で朦朧としているおまえに名を訊いた。『ゴダイヴァ』と聞こえた。『神様からの贈り物』という意味だ。私にふさわしい人生の伴侶を下さいと二週間も祈った帰りだったから、叶えられたのだと思い込んでしまった」


「連れ帰ってサラに看病を頼んだ。侯爵領で出会い、結婚した妻だと嘘を吐いて」

「では私はまだ旦那様と結婚していない」

「ないな。おまえの同意はもらっていない」


 そうか、それで、無理強いされなかったのか。


 何度も「どうしてうちに来たのか」と訊かれた気もする。

「どうして結婚した?」ではなく「どうして畑に倒れていた?」という質問だったらしい。


「おまえには何もない。地位も身分も」

 それでも好きになってくれたんだと思っていた。身元不明の女など、やはり間違いだったという話か。

「よかったですね、間違いに早く気づいて」


 やっぱりこの人はトランプのカードだ。わたしの気持ちなどひとっかけらも考えてくれていない。

「民など、忖度に値しない」という発言が耳の奥に戻って来てエコーした。


 心が壊れた。愛の行為が怖かっただけなのに。

 この人は私の何を気に入って、今何に幻滅して私を振ろうとしているのだろう?


 思いなど通じやしない。気持ちなど届きはしない。

 ここまで貶しめられて、私はまだこの人を好きだと思うのか。


「お金はいくら足らないのですか? いくらあれば税金をかけなくて済みますか?」

「七千ピー、できれば八千ピー」

「そうですか。今私が保管している二千ピーに加えてですか?」

「いや、全部で八千だ」

「わかりました。考えさせて下さい」


「何を考えるんだ?」

「金策です。税金をかけない方法」

「おまえにはもう関係ない」

「離縁するからですか? 元々結婚もしていないのに? それとも今すぐ、この屋敷を出ろというお話ですか?」


「違う、私は……、すまない、混乱している。誤解させた。おまえの過去がどうであれ、私は一緒にいたい。私に笑いかけて欲しいと願っている。嫌われていないのなら。おまえの金は欲しくない。男たちの好色な目におまえを晒すような金策はもう終わりだと言いたかっただけだ」


 今さら。 

 壊れた心は戻らない。

 傷を塗り込めて誤魔化して生きるだけ。

 傷の周りを抜き足差し足で歩くだけ。


「しばらくここに置いて下さるならそれでいいです。それ以上の言葉は、もう、要りません」

 書斎の重たいドアに手を掛けた。

「ゴダイヴァ!」


「私の名前はゴウダ・アイハです。ファースト・ネームはア・イ・ハ。神の授かりものなどではありません。全くの平民ですし、お金持ちでもありません。身分違いですから!」


 書斎を飛び出した。暗黒の中世に情の細やかさなんて期待するもんじゃない。

 優男の光源氏でさえ、いろんな女の子の気持ちを無視して好き勝手した。夕顔なんて、中流だというだけで、生霊の出る廃屋が逢瀬だ。

 所違ところちがえど、それが11世紀。

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