第24話 はりつめたもの


 それからは毎日の日課を続けた。朝食後、余り野菜を収穫し、ベックスが包んでくれた前日のお菓子の余りとパスティと一緒に馬に載せる。


 街に着いたらまずはパン屋さん、そして八百屋。

 その頃にはミウが聖堂前に机をセッティングしてキャンドルと花を並べている。

 キャンドルが減った分は、雑貨屋に寄って私が買い足す。


 10時半にはミウと並んで売り子さん。

 午後のお茶会にはお屋敷に戻る予定でマーシア・パスティの完売に務めているけれど、ベックスが40個焼いてくれたりするとどうしても時間がかかった。


 助かったのは、旅籠の親爺さんが「夕食に出すから安く買わせてくれないか」と来てくれたことだった。

 サラダをつけて「お食事価格」にして、できれば旅人からお金を搾り取って欲しい。

 外食するのは街の外の人かお金に余裕のある人なのだから。


 半額にして、お金は親爺さんの手でコッファーに入れてもらった。


 お茶の時間に戻れなかった私はリオからではなく、サラからお小言を貰った。

「でも、忙しいのよ。マリア聖堂を建てるお金が要るの。旦那様のお金じゃ足りなくて、税金は上げたくないの。寄付金で賄いたい……」


 夕食用の私の身支度を整えながらサラは黙りこんでいる。

「旦那様、今日も一緒じゃないんでしょ? 着飾らなくてもいいじゃない。寝巻でもいいくらいよ」

「奥様!」


「私はこれでも貴族の娘です。母は奥方様亡き後、旦那様とお兄様の教育に当たりました。父はデーンに滅ぼされたイースト・アングリア伯爵。奥様が街で商人の真似ごとをするのはご勝手ですが、ここ伯爵家では私に従っていただきます」


 サラの語調に気圧された。それでも……、

「でも、伯爵様不在の伯爵家なんて」

「それは奥様のせいなんじゃありませんか?」


 街のマリア聖堂の作りかけの壁が崩れ落ちた気がした。

 最初から、初めて会った時から優しくて、ずっと支えてくれたサラが、私を……咎めた。


 サラが私よりリオが好きでも、もちろんおかしくない。

 一緒に育ってきていくつか年上で、いつも追いかけていた相手なのかもしれない。サラとつきあいたい男性が3人どこかにいると聞いたけれど、誰だか知らないけれど、「決め手にかける」なんて笑っていたけれど、本当は、決められないのは、心にリオが、いるから?


 言い返せることなんて何もなかった。

 リオはあれから一度もパスティを買いに来てくれてない。私の様子を見に来てくれてもない。


 私は何とか「リオの聖堂のために」という言葉で日々を暮らしている。11世紀の肌触りの悪い不便さの中で、目標を失くすと気が狂いそうになる状況の中で。 


 私は他者からの糾弾に弱い。パニック発作の引き鉄だ。自分がどれ程慮っても気を遣っても、嫌われるときは嫌われる。

 生まれてこの方、私が安心して隣にいられたのは、たった3人だけだ。


「お母さん……っ、会いたいよぉ」


 手鏡の横に突っ伏してしまった。髪を纏めていたサラには悪いけど、涙が止まらない。呑み込んでいる言葉が勝手に零れ出る。


「痛かった? ねぇ、怖かった? 好きでも……怖かった? どうして聞いとかなかったんだろう、どうして、どうして……」


「兄貴……、大学で付き合ってるって、彼女に優しくした? 待ってあげた? 男の身体ってどうなってるの? 好きだとしたくなるの? 好きでなくてもしたいの? してみてがっかりとかもあるの? するかしないかってどうやって決めるの? 私に反応したことある? 私に見せる顔と彼女に見せる顔はどう違うの?」


「お父さん、お金を作るって難しいね。家族の生活支えるってスゴイよね。ねぇ、今やってること、意味あるのかなあ? 何とかなると思う? 聖堂、完成できると思う? 私のやってること、的外れだったらどうしよう? ねぇ、淋しいよぉ……」


 ひっく、ひっく、うぐっといった音が寝室を充たす。


 サラは手もつけられないと思ったのか、私の部屋を出ていった。


「私、お母さんのおむすびが食べたいっ!!!」


 叫び終えてから、ベッドに入って眠ることにした。

 目覚める先はどうせこの世界。それでも今は、家族の夢を見よう。東京の狭い家、湿度と埃を含んだ空気。真っ暗にはなり得ない夜景。車の音、電車の音。途切れなく続くせみの声。

 この世界は静かすぎる。


 夜中に気が付くと、先程突っ伏したところにキッシュとハムが置いてあった。食べなさいということだろう。


 翌朝サラは何も言わなかった。

 私は心の一部分が死滅した気分でされるがままに仕度し、ぼうっとディナールームに行った。

 やはりリオはいない。


 自分ひとりの食事をルツが給仕してくれる。メルが育てベックスがお料理したクリームのようなマッシュ・ポテトをお粥のように食べた。


 お茶を飲んでいるとふたりが上がってきて、お茶会仲間が勢揃いした。

 皆それぞれ、思うところがあるんだろうな。

 心の一番近くにいてくれると思っていたサラの気持ちでさえ私はわかっていなかったのだから、もっと、怒られるのかもしれない。

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