第6話 ヒマワリ畑へ
7時に、馬を引いて玄関先に現れた旦那様は凛々しかった。乗馬服のせいだろう。
私もジョッパーズとかスパッツのようなものを穿くのかと思ったら、相変わらずスカートで、下着はレースのもんぺ。
昔持っていた抱き人形の下着がこんなだったと笑えた。
旦那様はトランプ顔で私の腰を持ち上げ、馬に横座りさせた。すぐ後ろに自分も跨る。細身なくせに私の体重を腕だけで支えるなんて、腕力はあるんだと驚いた。
食生活の違いでか、この世界の人々はみんな細い。
ベックスは別だけど。
「どこかにつかまってくれないと、振り落とす」
手綱を握った旦那様の両腕の中に自分は居る。その身体の近さを急に意識した。
目の前の左腕にそっと自分の左手を置いた。
「それじゃ、手綱が操れない」
視線は左腕から外さずに、乗馬服の胸元を握り込んだ。
「息が苦しい」
その手を脇腹に置いた。
「くすぐったい」
おそるおそる顔を上げると相手は笑っていた。歯並びが綺麗。
初めて見た笑顔、宝物を見せてもらった気分。
「背中に廻してくれ」
私は旦那様に近いほうの左手を、脇腹を越えて背中まで持っていった。頬が胸に付きそうになる。
乗馬服はお日様の匂いがした。
「よし」
馬はゆっくりと進みだした。
「ずうっと聞きたかったことがある。どうしてうちに来た?」
「ほへ?」
また伯爵令嬢にも夫人にも似合わない音を発してしまう。
「どうして自分と結婚したのか?」という疑問だと思った。
今の私に答えられる質問じゃない。嘘をつくにしても、状況がわからなすぎる。
「いずれ、お話します」
「そうか、やはりな……」
さっきまで楽しそうだった人に翳りがさした。
私が乗り移る前は相思相愛だったのだろうか?
ヒマワリ畑で倒れる前は?
結婚は「私」の意志?
「きゃっ」
馬の速度が急に上がった。私は落ちないように旦那様にしがみつくしかなかった。
身体の熱が伝わる。
8月の7時のはずが5時くらいの感覚、風の中でも冷めない男の身体。
トランプのカードじゃない、生身の。
「悪かった、大人げないな。馬を歩かせるから、景色を見たらいい」
そう聞こえたと思うとゆっくりになった。
刈り取りの終わった小麦畑が目に映った。
平べったい土地に小川がくねくねと走っている。その向こうに羊が散らばる緑の牧草地。
どれだけ進んでも日本の景色に変わりそうもない。
私は図らずも涙ぐんでしまい、旦那様にもたれかかっていた。
私を守ってくれますか?
あなたが好きになった女と入れ代わってしまったかもしれない私を、大事にしてくれますか?
この世界にあなたしか頼るものがないとしたら、私はちゃんとやっていけますか?
私はあなたを…………好きになれますか?
旦那様は馬を止めて私の頭を自分の胸に押しつけた。
深呼吸をしている。
アイツがキスを欲しがる直前に似ていた。
「私の……神からの授かり物、今はこれだけでいい……」
そう呟くと私の髪に顔を埋めたようだ。
響いているのは旦那様の鼓動なのか自分の動悸なのかわからなかった。
ド、ド、ド、ド、ド……。
馬の上でじっとしていた。
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