第2話 目覚めた先は
目の醒めた部屋は自分の寝室ではなかった。
床は寄木細工みたいで剥き出しなくせに、壁にはカーペットのようなものが掛かっている。ベッドは木製で立派だけれど布団は薄っぺら。マットレスと呼べるような代物は無い。
火のついてない石造りの暖炉があり、椅子があり、机があり、手鏡、櫛、金属製の水差しと洗面器が並んでいる。後は使用法のわからない道具類。殺風景な部屋だ。
窓の外には広々とした草原と湖が見えた。日本ではなさそうだ。
「ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ」
頭を抱えてしまった。
自分ひとり周囲から切り離された気分、自分がこの世に属してない気分、これは「解離」だ。
指先が冷える。背筋が寒くなる。息が速く浅い。パニックがくる?
網膜に非現実的な映像がうつるのは、「妄想」なのだろうか?
私の精神状態はかなりヤバイ。
中二でパニック発作を起こしたけれど、カウンセラーのおねえさんと仲良くなれて受験も乗り越え、ついこの間「もう通院は要らないね」と笑い合ったばかりなのに。
部屋のドアに重たいノックが響いた。
「奥様、起きてらっしゃいますか? 身支度をいたしましょう。旦那様が食堂でお待ちです」
大きく深呼吸をした。発作は起こしちゃいけない。余計怖くなって外に出られなくなる。ひきこもりは経験済みだ。
自分が正気かどうか疑ってもいけない。
落ち着いて自分の目と耳、脳を信じなければ、わかることさえわからなくなる。
少し年上の女性が髪を梳き、アップに結いあげてくれた。顔を拭かれ、
食堂に連れられていくと中には昨夜の男がいた。窓の外を見ていて、横顔で訊いた。
「よく眠れたのか?」
答えられない。睡眠どころか現状についていけてないのだ。黙っていると
「ひどい叫び声を上げていた。私が恐がらせたならすまないと思っている……」
と渋めの声を曇らせた。
二十人は座れる食卓の、お誕生日席に男は座り、召使は私を彼の右手斜め前の席にいざなった。
もうブランチの時間だろう、窓からお日さまが眩しいくらいに射しこんでいる。
供された朝食は、小芋をコンソメの中で煮っ転がしたみたいな、でも里芋ではなくジャガイモだった。お醤油をかけたい気がしたけれど、減塩メニューと思えば美味しい部類。
初めて正面から夫らしき人の顔を見た。
日本人の脱色した茶髪よりはブロンドに近い髪色。
長めの髪はストレートっぽいのに首元で外カールしている。ナチュラルなハイライトがその毛先の遊びを際立たせる。
鼻髭をたくわえていて、肌は二十代っぽいのに10才は老けて見えている。
イケメンなのは本当だったが表情に乏しい。昼間の明るさの中で、彫りの深い、スペードのジャックのような顔つきを眺めた。
落ち込んでいるのか、自分に遠慮して見える「旦那様」に声をかけてみた。
「食べるの待っていて下さったのですか?」
敬語を使うべきだろうと思った。そうさせる雰囲気が相手にあった。
「ああ、おまえと食べた方がうまい」
赤面してしまった。
この人は私が、死んでか生きたままでか乗り移ってしまった女性を愛している。
「あ、あの私、心持ちが定まらないようで……」
現状を把握しなくちゃ。
「気にしなくていい。おまえは先日、南のヒマワリ畑で倒れていた。それから寝たきりだったのだ、昨夜、拒絶でも言葉を発してくれて、よかった……」
干支が同じでもおかしくなさそうな男は、ほんのかすかに頬を染めたようだった。「ふたりの夜」を求めたことを思い起こしている?
自分の妻の中身が同一人物ではなくなっていると知ったらこの人はどうするのだろう?
「あの、できたらそのヒマワリ畑に行ってみたいのですが」
「まだ身体が心配だ。荷馬車は小麦の収穫に使っている。陽射しが弱まってからなら、私が馬で連れて行ってもよいが?」
「はい、お願いします」
「わかった。では七時に玄関先に降りてきなさい」
「七時?!」
「ああ、六時の陽もまだおまえにはきつい」
そういうと、旦那様はナプキンで口を拭き、席を立った。書斎で仕事をするらしい。
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