伯爵様はスペードのジャック顔
陸 なるみ
第1話 ヒマワリの呪文
「ウッソでしょー?」
寝室のドアに人影がある。
母なら寄ってきて「まだ気分悪いの?」とか訊くはずだ。
それでなくても八月の熱帯夜、やっと寝ついたと思ったのに次は何の罰ゲームよ?
上背がある。
父? 兄?
文句を言おうと思って、ベッドに横になったまま首を持ち上げた。
人影は、入ってきた途端なのか、見慣れない男の背中だ。
自分の部屋がいつもより薄暗く、肌寒い気がする。
喉が痛くなるから、いつもエアコンは切って寝るのに。
目を擦って見直すと、影はゆっくりと振り向いた。手に持っているロウソクがぼわんと、男の顔を下から照らす。怖い。
死体が焼けるような忌まわしい匂いがする。
「ギャーッ」
叫んだ。叫んだと思ったのに声は出ていなかった。
「妻よ、今日くらい肌身合わせて寝させてくれないか?」
「キャー、何ソレ、何ソレ、何よぉ?!」
思わず布団をかぶった。
「そのように拒まずともよいではないか……」
男は俯いたらしい潰れた声を残し、ギィッとドアを鳴らし出て行った。
布団の中でガタガタ震えていた。
「夢、ただの夢。昼間倒れたから、ヘンな夢みちゃっただけ」
自分で自分の身体を抱きしめて、深呼吸をした。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫。私は大丈夫、ここは安全、何ともない、何ともない……」
パニック発作を起こしそうな時に唱える呪文を繰り返した。
いろいろありすぎた一日を振り返ってみた。
親友の
ターゲットは同じか違うのか、日陰を選んであちこちに固まっている同年代や中学生の女の子グループ。
でも待てど暮らせど何も現れなかった。
忙しそうにエスカレーターを駆け上がるスーツの人々、大階段を下りてくる普段着の若者たち。日常風景という感じだ。
陽葵は自分もがっかりしたのだろうに、私の時間を無駄にしたと気にしていた。そんなことで怒るようなら付いて来やしない。
冷房のきいたカフェでシャリシャリ氷の入ったチョコドリンクをおごってくれて、
「ついでだから私の名前の由来、見に行こう!」
と、ヒマワリ迷路に案内した。
自分の背丈よりも高い、重たげな黄色い花が洪水のように続く。陽葵の両親のデートコースだったらしい。
ヒマワリは太陽のほう、上を向いているものだと思っていた。覆いかぶさるように両脇から自分を見降ろす姿に圧倒される。
小学校の頃、先生に怒られて上から睨まれた感じに似ている。それが何百何千回と、歩くたびにリピートされる。
手首の内側に当たった葉がざらりとして、細かなひりひり信号を脳に伝えた。
立ち止まって見上げると、花芯の茶色い部分と目が合ってしまった。魅入られた。
呪文が隠されている?
眩暈がした。
どうやってうちに帰ったのかは憶えてない。タクシー着払いか何かだろうか。
いや、私は帰宅したのだろうか?
次の記憶がさっきの夢だ。
今でもありありと思い浮かべられるところがいつもの夢とは違う。
声の響きも、言葉も一言一句
「妻って何? 高二の夏休みよ? 結婚もえっちも未体験なのに、拒む以外にどうしろと? それにあのふっるぅい言い廻しは? 落ち武者なの? 亡霊なの?」
顔はイケメンぽかった。光の加減で鼻の影が長ぁく伸びて怖かったけど。
「さあ、少しでも寝よう」
精神的に少し過敏なところがあると言われている。発作は起こさないほうがいい。
もう一度布団の中で自分の両腕を撫で、ネグリジェの裾を直した。
「えっ、ネグリジェ?!」
「死語だろ、それは」と頭の端で声がする。
いや、そうではなくて。
布団をそっと上げて見た。自分の寝間着は柔らかなロングTシャツだ。
そこに見えたのは、胸元にレースの縁取りとリボンのある旧式の、白くごわついた、ドラキュラの被害者が着ているような、いわゆるネグリジェだったのだ。
「ギャー!!!!」
今度こそ私は、大声で絶叫していた。
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