第13話 水曜日のディナー‐夫婦の寝室


 お茶の後、サラに湯浴みさせられた。

「水曜日ですので」というイミフな理由。


「それから房楊枝の使い方がなってませんわ。歯茎から歯先へ向けて。旦那様がキスしてくれなくなりますよ?」


 そう言われて「これは歯ブラシだったのか」と納得した。

昔のマンガかなんかで見た体温計のように咥えさせられて、動かしもしなかった。


 レースをふんだんにあしらった、裾の大きく膨らんだ夕焼け色の豪華なドレスを着せられた。

「こんな晴れ着を今日着なくても」と戸惑うと、

「水曜は自宅で正餐せいさんが旦那様の流儀です」

 とサラは容赦ない。


 胸開きが広いどころじゃない、肩は露わだ。ローブ・デコルテ型。髪は動きを出すためなのか、小分けの房にして捩じりながら入念にアップしていった。


「旦那様が私にお金を費やさないほうがいいと思うのだけど?」

「ケンカの後は魅了するほうが先です」

「へ?」


「こんないい女手放せない。少しは言うことを聞いてやろうかと、思わせられたらしめたものです」

 あ、女子力? そういう交渉方法もあるのか。


「堂々としてディナーを食べてください」

「旦那様みたいにツンケンしたほうがいい?」

「ツンではなく毅然として、です。譲歩できることはして構いませんが、下手したてに出る必要はありません」


「ムズイ!」

 と叫びたくなった。


 食堂への長い廊下を一歩一歩進む。ヒールのない柔らかい皮靴で、歩きにくい訳でもないのに足運びが次第に重くなる。


 実は、ほんとは、甘えたいんだ。

 旦那様があの笑顔を私だけに向けてくれるなら、あの腕で私を支えてくれるなら。


 もし彼に嫌われたら、見限られたら、「離縁」されたら、私の居場所は全くない。


 ぐらりと足元が揺れた。胸が押し潰されそうな気がする。世界の全てが遠ざかる。

 アドレナリンが身体を巡る、パニック発作?


「ここにいちゃいけない。逃げなきゃ。でも行くところもない!」

 前後関係のない言葉が勝手に脳を充たす。


 肩で息をしながら壁に手をつくと、食堂のドアから執事さんが飛び出してきた。

「メルのご主人……」とぼうっと思った。

 次の瞬間私を受け止めたのは、旦那様だった。


「無理しなくていい」

 声がしたと思ったら、ふわっと身体が浮いた。「姫抱きだ」と感動する間もなく見知らぬ部屋に連れ込まれ、ベッドの上に降ろされた。

「旦那様……」

「顔色が悪い。正餐がまだ無理なら食べたいものだけ部屋に運ばせてもいい」


 大きな大きなベッドにドレスの裾がおうぎのように広がっている。

「むこうを向きなさい」

 衣擦れの音をさせてやっとこさ側臥すると、旦那様は私の背中の釦をひとつずつ外した。


 コルセットとまではいかないが、胸を目立たせようと、「寄せて上げて」するデザインになっている。

「あ、嫌」

 旦那様に、リオに脱がされる……。


「心配ない。肌には触れないから」

 旦那様の指は震え気味だ。でも釦ひとつ外れるごとに呼吸が楽になる。


「ごめん……なさい」

 自分でも何を謝っているのか定かでない。

 ディナーを台無しにしたこと? 触ってもいいよって言えないこと?


 指が止まって震え気味の旦那様の声がする。

「イーヴァ、綺麗だ」

 私はびくりとして両手を胸の前で交差させ、緩んだ胸元を押さえた。


 旦那様は一度だけ指で私の後れ毛を撫で上げ、「サラにきてもらうから」と言って部屋の扉に向かった。


 背を向けたまま声を出した。

「あの、リオ、今度、街に連れて行って……」

 他に言えることはない。

「街? 一緒に? 私で……良ければ。今日は、おやすみ」


 執事さんがサラを連れて来てくれた。メルと台所で食事をしていたらしい。


「ごめんなさい、奥様、まだ盛装は早かったようですね。焚きつけてしまって申し訳ありません。今日はここで楽な格好に着替えて、食べられる物を運んできますのでお食事してください」


「あの、この、部屋は?」

「ご夫婦の寝所です。奥様の体調が万全になったらこちらに移ると聞いています」

「リオとここで……」

 私はここで、この部屋でいずれ……。

 指がまだ震える。


「私のお部屋に帰りたいわ。着替えを持ってきてくれない?」

 サラは軽く頭を下げて出て行った。


 リオの指も震えてた。


 夫婦になれるかどうかは、全てこれからにかかっている。

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