第14話 伯爵様の正体‐馬上のふたり


 一日置いて金曜日の朝早く、旦那様は私を馬に乗せてくれた。陽射しが強くならないうちに街へ行くために。


 ヒマワリ畑より遠いらしい。

 リオは私に、横乗りでなく、馬に跨らせた。

「このほうが安定するから。痛みが出たらすぐ言いなさい」

「痛み?」


 馬の横に立つ夫の顔を見降ろすと耳が赤くなっていた。

 自分のお尻の下には、普通の鞍の上にクッションと赤い布が掛けてある。


 リオはついっと顔を背けてすぐ後ろに跨った。

 ヒマワリ畑の方向に馬が進みだす。


「家紋付きの箱型馬車がないわけではないのだが仰々しいし、このほうがおまえに近い」

 後頭部の上に声がした。

 胸が高鳴った。私は二度キスした相手の両腕の間に納まっている。


 収穫後の誰もいない小麦畑の横で馬に揺られながら、この世にふたりきりな気がした。

 話題を振ってみた。


「リオはどれ程お金持ち?」

「まあ、三番目かな」

「三番?」

 近所で? この県で? この国で?


「ああ、王と侯爵の次。海の向こうにはもっといろいろいるけれど」

 どこかに海があるらしい。


「陛下のお名前は?」

 もし有名な王様だったら、国や時代がわかるかもしれないと思った。

「知らないのか?」

「思い出せない」


「エゼルレッド様」

 だめだ、聞いたこともない。


「ここも昔は王国だったのだがな」

「へ? リオ、王子様だった?」

「いや、私の曽祖母というか高祖父の頃だ」

 ひいおばあさんとかひいひいおじいさん?


「王様になりたかった?」

「そうだな、勝手な税金や突然の出兵の心配はしなくて済んだかもしれない。でも今さらだ。遠く遡れば親戚な訳だし」

「そうなの……」


「海沿いにはデーン人という鬱陶しい外国人が頻繁に攻めて来ていてね、戦いにも備えなければならない。今こうやって妻と馬に乗れているのが幸せだ」

 リオは手綱を右手で操り左腕で私の胴を抱きしめた。


 髪を上げて日除けを兼ねたヴェールをつけているが、夫が捲れば私の項はすぐ目と鼻の先。そこにキスされたら馬の上で、ビクッと飛び上がってしまう。

 肩を強張らせたのがわかったのか、リオは手を緩めた。


 待って、デーン人? 

 教科書には出て来なかったけど、世界史年表の図解を眺めていた時に、矢印があちこちに。

 ゲルマン民族の大移動?

 違う、そこまでは古くない。


 デーン人、デンマークを創った人々、スカンジナビア。北の海賊、角付きの兜をかぶった、古いアニメの小さなヴァイキング。


「ヴァイキング、クヌート、ノルマンディー公ウィリアム……」

「ああ、そうだ、ヴァイキングだ。記憶が戻ったのか? クヌートはデーンの王子だが、やっと10才くらいだと思う。ノルマンディーのエマ様ならわかるが、ウィリアムという人は知らない」


 クヌートの頃、ノルマンディーの近く。

 ここがフランスなら王様の名はシャルルマーニュとかユーグ・カペーだろう。それくらいしか憶えてない。

 それに、エゼルレッドという名はフランス語っぽくない。


 わかってしまった、ここは「ノルマン・コンクエスト」前のイギリス。ヘイスティングスの戦いが1066年。その前。

 エゼルレッド様はイングランド王。リオはアングロ・サクソンの貴族、王の親戚だ。


 わかったからといって、どうにかなるものでもないけど。

 いずれ征服される側だというのもフクザツ。

 何年先かもわからない。


 ノルマンディー公ウィリアムの名は習っても、負けたイングランド側の王の名は知らない。

 その程度の知識だということだ。

 でもググらずにここまで辿りついたことだけは自分を褒めてもいいと思う。


 小麦畑、ヒマワリ畑が過ぎ、牧草地を抜け、森に入った。

「街まであとどのくらい?」

「この速度なら20分かな」

「ちょっと……痛い」


 夫が馬を止めた。

「横乗りになってごらん」


 あぶみに足を掛けていないから、腿のヘンなところが鞍に擦れる。スカートの中が、麻のレースのもんぺだというのもよくない。肌触りがざらざら硬い。

 リオは最初からそれを気遣ってくれていたらしい。


「わかってたならもったいぶらず、馬車にしてよ」と心の中で毒吐いてみた。テレ隠しのために。

 お尻をずらしながら片足を持ち上げ、馬の左側に揃えた。


「キスしていいか?」

「ダメ」

 即拒否していた。


 拗ねたそうな夫に「鼻髭がくすぐったいからだめ」と言い繕った。

「髭を剃ると貫禄がない」

 姿勢正しく馬を進めながらリオは呟く。


「じゃ、髪は? 長くないとだめ?」

「だめではないが、おまえは私の外見が気に入らぬのだな」


 あ、落ち込んだ。

 イケメンなんだから顔をもっと露出したらいいと思っただけなのに。


「急ぐぞ」

 進行方向を見据えたまま、リオは速足に変える。


 私に抱きつかせたいからでしょ? もうわかってるんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る