第29話 物置部屋で
街から帰ってくるサラたちに会いたくなかった。身支度もされたくない。隠れ場所として思いついたのは、物置部屋だった。
使っていない家具に掛かっている薄い毛布を掻き集めて纏った。
イギリスの9月はもう秋らしく、採光の悪い部屋は午後でも肌寒かった。
落ち込んでいるせいもある。
座り込んで、布でなく誰かに抱きしめてもらっていると想像することにした。
思考の断片が頭を巡る。
リオ、私を好きだと思ったのは勘違いだった? 私はあなたにふさわしくない。ふさわしくないんだよね?
でも軽率だよ。畑で拾った女、何も知らずに妻だと紹介するなんて。
「あの日からおまえの虜だ」と言った「あの日」は私を見つけた日なんでしょ?
どうしてそんな確信があったの?
あ、そうか、神様から授かったからか。
私の性格も容姿も中身も関係ない。
元々愛してたから、侯爵領に逗留した間に通い合わせた思いがあるから、もうそろそろ「夫婦の夜」を持ちたいと望んでいるんだと思ってた。
早過ぎない? 出会ってから、私がこの世界に来てからやっと一か月だよ?
私の何も知らずに、マリア様からのプレゼントだということだけで、私の身体を求めたの?
リオは残酷だね。率直さってナイフみたいだ。本人は鞘に納めてここにナイフがあるよと言っているだけのつもりでも、こちらには刃渡り深くグサリと突き刺さる。
まとまらない頭のまま、行き場のない思いを言葉にしたみたいだった。いつものリオならもう少し理路整然としていたと思う。
それだけがっかりしたということなのだろう。授かった妻だと有頂天になっていたのに、作業場の仲間たちの言葉に我に返った、ということ。
相手が私じゃそれも仕方ない。
あなたを愛したかった。あなただけ見てこの世界で、生きていけるかもしれないと思った。
優しくしてもらった。笑顔をもらった。
それ以上はこの先にはない。
サラは本物の伯爵令嬢。結婚しちゃえばいい。身分が大事なら、お兄さんとちょっと性格が違っても、昔は兄嫁が弟と再婚するってよくあったらしいじゃない。
そんなことを考えるのは私の仕事じゃない。税金をかけずにマリア聖堂を完成させること。残り六千ピーのお金を集めること。
「おまえには何もない」
リオの声が蘇る。
農業をする土地も、手工業を起こす技術も。
働こうにも、編み物でさえマフラーが精一杯。お裁縫だってルツの仕立て屋さんを手伝えるレベルでもない。
お料理もジャガイモの皮を剥くとか、ベックスの下働き程度。
手に何の職もない。
読み書きがちょっとできる。でも語彙がまだこの時代にはないものがあったりして、聞き返されることも多い。
土木作業もできない私が働いたとして得られるのは一日20ピー程度。
マーシア中のザリガニを捕まえて行商?
まだ需要が足らない。
伝道? 托鉢? 道端に座って小銭を貰う?
私の特技、何もないのが特技だった。
ピアノが弾けるわけでもない。リコーダーもピアニカもいい加減。歌もうまくない。
そろばんの暗算が得意とか、ないない。
演劇ができるとか、漫才が……考えるだけで落ち込む。
娯楽の少ないこの時代に、ダンスでもパントマイムでもできたらよかったのに。
私は何と、無能なんだろう。
歴史の知識を使って、予言者になる。
もう少ししたらヘイスティングスにウィリアムが攻め込んでくる。
今1006年という皆が使っている暦は普通に西暦?
グレゴリオ暦とかいうんだったっけ、現代のカレンダーは。
ほら、やはり私の知識など何の役にも立たない。
ノルマンディーに行って、ウィリアムという人がいるかどうか、いたとして何才で、その人が本当にイングランドを攻める人なのかどうか、どうやったらわかるんだろう?
何か発明をする。例えばもっと便利な生理用品。
でも化学繊維どころか綿がない。綿花はアメリカや中国で採れるのだったろうか。イングランドで育ちそうにない。種もない。
絹は、シルクロードは奈良時代からあったはず、正倉院にはペルシャ伝来の品があるとかで。いつこっちまで来るんだろう。
江戸時代、着物の下の腰巻は赤い絹だったと聞いた気がする。違ったろうか。
もういいのか、できないことを数えて悩む必要ない。お屋敷を出て、誰か私を買ってくれる男でも探せばいいのか。飽きられるまで、そして転々と。
身寄りのない女の生き方なんて、そんなもんだろう。最初に拾ってくれたのが伯爵様だったから今まで平穏無事にいられただけだ。
リオが思う通りの、想像した通りの商売女でいいのかもしれない。リオがもう私を要らないなら。
何とか作ったお金も、思う気持ちも要らないなら。
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