第35話 馬上の孤独


 橋を渡れば大通り。

 左に折れれば街のハイ・ストリート。

 そこには人々がひしめいているのだろうか。


 馬は私の気持ちがわかるのか、優しく歩を進めた。一歩、一歩。

 街並みが、目に入る。


 そこには………………誰もいなかった。


 家の中から眺めることにしたのだろうか。


 踏み固められた土の道に蹄の音が響く。

 どこかで鈴の音がしている。


 馬が歩くたびに髪が波打って、乳首に当たる。

 最初はびくっとしたけれど、すぐ何ともなくなった。


 水浴びの時もできる限り濡らさないようにしたから、今は素肌の上に軽く遊ぶ。

 肌が包まれる感触と、そのリズムがいい。

 横髪が陽射しを浴びて風に靡くのもなかなか悪くないと思えた。


 背筋を伸ばそう。私はマリア様なのだから。

 リオがいつもそうしていたように、馬上ですっと姿勢よく前方を見つめる。


 誰もいない通りの真ん中を進んで行った。

 これで見納めと思うと街の家並みの一軒一軒が愛しい。


 まずはミウのお花屋さんだ。

 冠婚葬祭だけでなく、普段の日にみんながお花買ってくれるようになったらいいね。

 旅籠のレストランのテーブルの上にひとつずつ、一輪挿しをプレゼントすればよかった。そしたらちょっとでも毎日売れたんだ。今さら思いついてごめんね。


 祝日だからもちろん、八百屋の前に野菜の棚は出ていない。

 若旦那、いい男だったな。自分ひとり儲けるわけにいかない、メルの作った野菜はいいものが多いって。

 リオが「アイツが好みか」って訊いたんだった。フフッ。


 雑貨屋さん、サラの心を射止めることはできるかしら。

 白玉キャンドル一杯作ってくれた。これからも、たくさん売れるといいな。

 リオの馬の鞭を買ったのもここだった。

 「お金を街で浪費している」みたいなことを言われて、プレゼントできなかった。

 馬番頭のバートに手渡してきた、誰が使ってもいいからって。


 靴屋さん、リオの室内履ききれいに作ってくれた。

 リボンをかけて私の部屋のベッドの上に置いてきた。

 靴に罪は無いから、穿いてくれるといいんだけれど。

 イングランドの冬は寒そうだから。


 トマスのパン屋さん。

 ああ、せめてあの子が、お腹すかせることがありませんように。カビが生えていないアルバン・パン・ケークひとつくらい、いつでも楽しめますように。

 にこにこ笑っていてくれますように。


 仕立て屋さん、乗馬ズボンの上から私の脚もお尻もみたけれど、表情ひとつ変えないで、プロの仕事してくれた。焦ったリオの方が可愛かったな。

 見たかったら今全部見えるよ。二階の窓から覗けばいいよ。

 縫ってしまった私のドレスは、リオがちゃんとお金払ってくれるよね? リオだもん、大丈夫だよね。


 旅籠。マーシア・パスティをこれからも名物にしてくれるかな。ベックスに作ってもらうのがいいのかしら? シェフが作れるようにする方がいいのかも。シェフが作り方を習って、ひとつ売れるごとにベックスにパテント料を払えばいいんだわ。そうしたらベックス、老後は安心じゃない。


 ああ、私って裸になった方が名案が浮かぶの? 

 今度から人生に行き詰ったら素っ裸で馬に乗ることにしよう。


 こうやって、自分を笑ったり、静観できるのは大丈夫だということ。

 もう発作を起こしたりしない。パニックにはならない。

 私はやっていける。何をやっても生きていける。


 聖堂の作業員さんたちが泊まっている公民館のようなところに近付く。

 リオは作業中、旅籠に泊まっていたそうだけれど、他の人には高価過ぎる。

 でもここでみんなちゃんと眠ってちゃんと食べてるんだ。


 「タコ部屋」なんかじゃない。そんなのリオが許さない。

 マーシア・パスティを毎日でも食べることのできるお金が支給されてる。


 王都から来ている人、侯爵領から来ている人。

 教会建築の専門家。

 エクステリア、インテリア、彫刻、煉瓦、木工などの職人さん。

 大がかりな建築プロジェクトがあるところを転々と渡り歩く逞しい男たち。


 愕然とした。

 私の裸に100ピーという値段をつけてくれたのは、彼らなのに誰も建物の外にいない。

 これでは何のために裸になったんだか、わからない。


 私の書いたポスターはお店のドアに外向きに、仕立て屋さんにも、雑貨屋さんにも貼られていた。皆が知らないわけはない。


 後日でも寄付が増えるだろうか、それとも、全く何にもなしだろうか。

 大決心をしてこんななりをしたのに。

 無視されるのは、あまりに悲しい。


 肩が落ちてしまった。


 60人で六千ピー、集めたかったのに。

「ローマは一日にしてならず」かな。


 こんなやり方でお金が集まると考える方が思い上がってる。

 男たちの猥談に縋って、こんなこと。


 私はこの街の一員にはまだなれてなかったのかもしれない。

 私が脱ごうがどうしようが、誰も関心は、なかった、のか……。


 マリア様のコッファーが通りの左手前方に見える。

 建築現場はその左手。


 到着してしまう。


 教会はいつでも西側が入り口で、祭壇が東に建てられる。

 ここのハイ・ストリートは北西から南東に走っているから、教会の玄関はコッファーの左手奥になる。


 馬を東に向けて止め、できかけの聖堂を眺めた。


 今はまだ空き地と造りかけの石壁だ。十字架型に南北に走る袖廊部分しゅうろうぶぶんの高さが申し訳程度しかない。

 もっと石が要る。


 ぐっと喉が詰まった。


 ごめんなさい、マリア様。ごめんなさい、リオ。

 私のアイディアでは十分なお金が作れなかった。

 ごめんなさい、街のみんな。

 明日には徴税が発表される。


 泣いてはいけない。

 やり遂げなければ。

 ここで崩れたら余りにみじめだ。

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