第36話 マリア像の真実


 祭壇はできているとリオは言った。一番奥の丸くなった教会の頭の部分。

 できかけの壁の間を歩いていけばいいのだろう。

 ポスターに自分の手で「真のマリアが教会に登壇する」と書いたのだから、祭壇まで辿りつこう。


 馬をコッファーの横の木に繋いで裸で、堂々と。

 やり始めたことは、最後まで。

 そしてマリア様の台座の横には私の荷物、籐籠が置いてあるはずだから。


 馬の脇腹にあるあぶみに目を落として足を廻した。

 たんっと地面に下りる。


 その瞬間、身体がふわっと青空に浮き、飛んでいる気がした。


 いや、違う。

 青いマントで頭から包まれ、「お姫様抱っこ」だ。

 私を抱えあげた男は走っている。


「下ろして!」

 かどわかされた?!


 じたばたしたいのに、ポンポンポンと空中に身体がお手玉した。

 段を駆けあがったらしい。


 バタン。

 扉の閉まる音。

 足がひんやりとした石床につく感触。


 そして


 「キ、ス……?」


 息ができない。


 離れたと思うと顎を掴まれ、口先がほころんでしまったところに、貪るようなディープキスがきた。

 もちろん、初めての。


「愚か者、何をしている……」

 力が抜けて腰から崩れ落ちそうになった私を、抱え直す間に声がした。


「リ、オ……?」


「間に合わなかったじゃないか、馬鹿者」

「ごめんなさい、ごめんなさい、誰も見てくれない、誰もお金払ってくれない……」


 私は泣きじゃくり始める。緊張が解けて、失敗を前に遣る方ない思いで。


「見せると思うのか? それがバカだというんだ!」


 痛いほど抱きしめられた。


「リオ……、マリア様は?」

「そこに転がってる。だが、こっちの方が大事だろう?」


 また、キス……。


「おまえを人目に晒すような金の作り方はもうさせない、と言ったはずだ」

「だって、だって、時間がない、私にはもうできることが、ない……」


「これ程愚かだと、どうして私は気付かなかったんだ……。頼むからもう止めてくれ、私の心が潰れる」


「あなたに振られたらきれいでいられない、清らかなのは今だけだから、純潔なマリア様の真似なんてできるのは今だけだから……」


「誰が? 誰を? 振ったって?」

 リオが私の両肩を掴んで顔を近づけた。


「私は汚いって、男に媚びを売る娼婦だって、地位も身分もない拾った女だって……」


「ああ、もう!」リオの声が大きくなった。

「わかった、悪かった。白状する。嫉妬したんだ。おまえが私を拒んで、他の男ばかりに笑いかけるから、どうしてって、苦しかっただけだ。拾ったのは本当だが、愛しているのも本当だ!」


「う、そ……」


「うそじゃない。うそだったら、馬で普通一泊二日かかる王都からの道のりを、どうやって夜通し駆けて来れるというんだ? それもこんな木彫りの塊抱えて」


「木彫りの塊ってそれ、マリア様……」

「バカか。これはおまえだ。おまえを想う私の気持ちだ。戸惑いながらも私に心を開いてくれようとする、私の妻の姿だ」


 リオは包んであった布を手荒に剥がして、マリア様を見せた。


 息を呑んだ。


 長い黒髪。

 俯き加減に恥じらったピンク色の頬。

 慈悲かトキメキかを伝える伏し目の双眸には、茶褐色の瞳が宿る。

 鼻は低めで、美化されてはいるけれど、たぶん、私……。


「あと15分早く着ければ、この像を抱いて私が街を練り歩くつもりだった。間に合わなかった。すまない」


 間に合わなかったってそういう意味?


「暗い中、馬を走らせながら考えていた、私はどうしてこんな無茶をしているのかと。おまえのことだからだ。それで思い至った、おまえがどうしてこんなバカなことをするのか。私のためだ。全て……、私のためなのだろう?」


 とてつもなく優しい、灰色がかった青い瞳が覗き込んでいた。

 この双眸まなこが湛える感情を、私は読み取れないでいただけ?


 もしかして……「娼婦だから汚い」って言いたかったんじゃなくて、「娼婦じゃないんだから他の男たちに妄想させるな」って意味だった?

 嫉妬したって、「私だけを見て欲しい」というリオの切実な願いの表出。

 それを私はふしだらだとか、身分違いと断じられたと勝手に傷ついた……。


 震える裸体を再度抱きしめられた。

 リオの左手は青いマントの上から、右腕はいつのまにか下に忍びこんで、私のウェストを廻り腰の素肌を撫でていた。

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