第31話 悲しみの聖母の日に向けて


「伯爵様、近々お出かけになる予定はありませんか?」

 大好きな人の胸から顔を上げながら静かに発音した。


 もう二度とこの人の身体のぬくもりを感じることはない。「最後」にしっかり憶えておこうと思いながら。


 私が旦那様ともリオとも呼べなくなっていることに気がついてか、私が何をたくらんでいるのか警戒してか、リオは戸惑いながら左腕を緩めた。


「次のマリア様の祝日前に、3日、いや4日だな、王都へ行く」


「あ、もしかしてマリア像ですか? 今度はマリア様連れて帰られますか?」


「ああ、そのつもりだ。特別な日にご安置したいから。台座とその周り、祭壇部分は完成しているんだ。簡易扉をつけて戸締りもできるようになる。建物の方は先延ばしにして、残りの金で彫刻師への支払いを済ませてしまおうと思う」


「それは……よかった」

 というより好都合。


「その日はいつで、マリア様のどんな祝祭日ですか?

「9月15日、悲しみの聖母の日。マリア様の一生の受難に思いを馳せる」


「税の取り立てを、その祝日の後まで待っていただけませんか?」

「税を取るなら早いうちが良い。民も冬前に蓄え直す時間が要る」

「一週間、どうかご猶予を」


 一度は夫だと思った人が聞き取り難いほど小さな声を出した。

「その間は、うちにいてくれるのか?」


「はい、馬などお借りしたいものもあるので……」

「そうか、なら、16日に税の徴収を発表しよう。それまではいなくならないと約束してくれ。その方が安心だ」


 何が安心なんだろう。

 自分のいない間に、街で本格的な売春宿でも始めると思っているのだろうか。



 自分の部屋に戻った。

 準備するものがいろいろある。

 リオに気付かれ妨害されないように。


 まずは羊皮紙を60枚注文した。


 リオの書斎から本を借り、なぜ祝日の名が「悲しみの聖母」なのか、付け焼刃に勉強する。

 そして文面を考えた。ポスター? チラシ? 広告? そのようなものだ。



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 来る9月15日 悲しみの聖母の日、真のマリア様がコヴェントリーの街に降臨される!!!

 純潔にして高貴な乙女のお姿、こうべを垂れて拝み、お迎えせんことを。

 イエス様の成長と苦難を母として見届け、より深い悲しみに閉ざされることになる、マリア様のこれからの生きざまに、皆で思いを馳せるべく。


  経路:当日15時 水車小屋にご顕現

          ハイ・ストリート行進

          純潔の聖マリア教会にご奉納


  ご寄付は所定の場所にてありがたくお受けいたします。


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 リオが王都に出発したのを見届けてから、広告の添削をサラにお願いした。


「旦那様が15日にマリア様の像をお持ち帰りになるんですって。それで、堂内に据えてしまう前に、町内を練り歩いてご披露したらいいと思うのよ。祝祭日でもあるし」


「そうですね。お茶会の直後でご寄付はすぐには集まらないかと思いますけれど、折角の機会ですし、マリア様が身近に感じられるかもしれません。それで文章の方ですけれど……」


「『純潔にして高貴、無原罪のお宿りより乙女になられた』と付け足してもいいでしょうか?」

「ムゲンザイって?」

「イエス様だけでなくマリア様も情欲の結びつきから生まれたのではないという意味で、12月にお祭をするのです」

「何かとっても清らかなのね、ステキだわ」


「『行進』は趣がありませんわ。マリア様ですから『御幸みゆき』がよろしいかと。そして折角『降臨』『顕現』と擬人化するのでしたら最後も『奉納』ではないほうが……」


 焦った。サラには自分がマリア様を演じるつもりなのは気取られてはいけない。あくまで彫刻のことだと思わせなければならないのに、語彙の選択がごちゃまぜだ。

 文章上の「擬人化」だと思ってくれて、命拾いした気分。


「お、思いつかなかったの、いい単語。『入る』って言いたいだけなんだけど、入室でもないし入会でもなくて」


「聖堂だから入堂? それも変ですね。聖像の安置に『ご開眼』ということがありますけれど、ハイ・ストリート移動中は目が開いてないのかと言われると困りますし。待って下さいね」


 サラはつっと窓の外に目をやってから、すぐに微笑みを向けた。


「マリア様の像は祭壇にご安置する。祭壇には上がるもんですわ。『登壇』です」

「純潔の聖マリア教会にご登壇、カッコいい。さすが伯爵令嬢! ありがとう、サラ」


 サラの反応に一瞬間があいた。


「奥様、そのことでひとつお話があるのですが」

「な、何かしら」


「伯爵令嬢」が嫌味に聞こえてしまったのだろうか。

 もうあと数日だから、お互い気持ちよく過ごせたらいいと思っていたのに、焦った分、要らないことを口走ってしまった。


「奥様は奥様でいいのです。旦那様が伯爵夫人にと選ばれたのだから、それでいいのですよ? ご存知ないことは私が補いますというつもりで、私の出自など明かしてしまいましたけれど、旦那様が好きになられた、明るい奥様そのままでいてくださったら……」


「そうね、ありがとう……」


 その旦那様に「やはり身分違いだ、けがれている」と言われた私なんだけど?


 それでもサラの優しさが身に沁みた。

 こんなどこの馬の骨かわからない女を旦那様が拾ってきて、伯爵令嬢なんてウソでしょ、無知だしやり難いしうんざりだし、と思っていただろうに。

 ありがとう、本当に。

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