第16話 街の人々


 店頭にはもう余りパンは残っていなかった。2種類、5個程度。ついて戻ったおかみさんが一通り説明してくれた。

「これが黒パン、ライ麦でできています。こちらが白パン、小麦ですね。黒パンのほうが安く保存が利くので先に売れます」


「あら、アルバン・パン・ケーク?」

 見慣れたお菓子が籠に10個も折り重なっている。


「あ、これはお屋敷からの品で、私どもが作っているわけではありません」

「火曜日に私が食べたものかしら?」

「ええ、ルツが届けてくれて。カビが生える前に売り切ってしまいたいのですが、同じお金で黒パンが3つ買えるとなると、手のでない客ばかりで」


「安売りはしないの?」

「値段はお屋敷から指示されますので」

「それ、おかしいわ」


「お屋敷の物を売るコーナーと、私どものパンを売るコーナー、別にしているだけです」

「そう……、売上はお屋敷に渡すの?」

「ええ、いくつ売れたかとお金と」


「ね、トマス、パン・ケーク好き?」

「うん、でもまだだめなの」

 もじもじしている。


「何がだめ?」

「日にちがたつまで。カビが生えたら食べていいんだよ」

「トマス!」

 舌なめずりをしていたずらっぽく笑った息子にお母さんは焦っている。


「今食べちゃおうよ」

 私は二つつまみあげるとひとつをトマスに渡した。


「奥様、だめです、そんな」

「お屋敷には売れませんでした、カビが生えましたって言えばいいんじゃない?」

 火曜日にベックスが焼いて、もう金曜日だ。賞味期限。


「おいしい! いつものよりおいしいよ?」

 トマスが声を上げた。

 普段はカビが生えた部分を除けて食べているのだろう。


「私どもは正直な商いが身上でして、伯爵様に言えないようなことはしたくありません……」

「伯爵様ってそんなに恐い?」

「あ、いえ、恐いというか、ご自分に厳しいので私たちも倣おうと」


「お屋敷はひとついくらでと?」

「10ピーです」

「いくつ売れた?」

「ふたつ」

「最初から2ピーで売れば完売かもよ?」

「そんな、パン・ケークには小麦と卵と蜂蜜が入ってます、そんな値段にできません」

「捨てるよりはいいわ。ちょっと考えてみるわね、いい方法」


 にこにこケークを食べ終えたトマスに、

「仕立て屋さんに連れて行ってくれる?」

 と頼んだ。


 ちょっとべたつく手を繋いでパン屋を出ると、通りの人たちは

「オー・ダイ・バ、オー・ダイ・バ!」

 と騒ぎたてた。


 お台場ぁ?


 トマスが顔を上げてにかっとした。

「オダイバおねえちゃん」


 ほえ、私の名前? ゴウダ・アイハが訛ったの?


「リー・オフ・リッチ! オー・ダイ・バ!」


 ああ、私たちふたりの名前だ、新婚の領主、伯爵夫妻の。


 トマスが私の手を引いて通りを斜めに横切ろうとすると、民衆は一歩二歩と後ずさりして道を開けた。

 ショーウィンドウが無いので、外からではどこが何屋かてんでわからない。


 トマスがノックした家の玄関が開くと、中にはドレスが何着かと、積み上げられた反物が見えた。

 一番奥の厳めしげなイスにリオが座っている。


「採寸してもらいなさい。あんな風に倒れるのはドレスが合ってないからだ」


 採寸?


「おまえがまだ寝ついている間に、サラとルツにドレスサイズを見てもらった。元気になって、きつくなったのかもしれぬ。ちゃんとした採寸を頼む」

 夫の最後の言葉は仕立て屋さん、ルツのご主人に向けてだった。


 仕立て屋さんが巻尺を持って近付いてきて、振り返るとトマスはもういなかった。


「リオ、ドレスたくさん作るのは止めてね」

「たくさんではない、必要最低限だ」

「新調はいやよ? 既に作ったのをサイズ直すだけにして」

「そこは仕立て屋に任せなさい」


「その代わりに、おねだりしてもいいかしら?」

「欲しい物があるなら」

「乗馬服。私くらいの背丈の男の子が着るようなのが欲しい」


「そんなに痛かったのか?」

 リオはそう呟いて真っ赤になった。

 夫のそういう初心うぶさ加減は可愛いと思う。私のスカートの中のことだと、どっと意識するらしい。


「帰りに着て帰りたいの。レースが痛いから」

 実はそんなに痛くない。横座りしてからは、痛みはなかった。


 本当の理由は、少しでも早く、ひとりで馬に乗れるようになりたいから。

 リオと一緒でないとどこにも行けないようでは困る。


「今すぐ縫えるか?」

 リオが仕立て屋さんに尋ねる。

「奥様の背丈では一番小さい型紙になりますね、こちら試着用です、着てみてください」


 二人の男の前だが、フレアっぽいドレススカートだ、うずくまって裾で隠して、ズサッとレースもんぺを脱ぎ、スルッと乗馬ズボンを穿いた。


 ウールのレギンズみたいだ。気に入った。


 スカートを膝まで上げただけで、リオはまた赤面している。


「丈が少し長いですね。一時間ほどで縫い上げますから」

「これをちょうだい。裾だけあげてしまって」

「そんな、イーヴァ、どこの誰が試着したかもしれないのに」

 リオが抗議する。


「一時間も待たされたら、私街中のお店を見て廻るけど?」

旅籠はたごで昼食を摂ろう。その間だ」


「失礼ですが奥様、スカートの中を見せていただけますか?」

 リオがどかっと立ち上がって湯気を出しそうだ。


「男性用と女性用では形が微妙に違いますから」

「だめだ、イーヴァ、肢体の線をそれ以上見せるな! 乗馬服は諦めなさい!」

 夫が叫ぶ中、私はスカートの裾を胸まで引き上げた。

 ルツのご主人は私の周りをくるりと歩いて「はい、OKです」と言った。


 ごそごそともんぺに着替えていると、リオは怒ったまま店の外に出ていった。


 リオも結構表情筋を使ってるじゃない、と可笑しかった。


 お屋敷で着せ替え人形にされ、お茶ばかりしているわけにはいかない。

 マリア聖堂を建てるだけのお金を工面するという目標ができてしまったのだから。

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