第14話 安心する
成績優秀な恵令奈でも、一つだけ苦手なことがあった。
それは、パソコンのキーボード入力である。
昔であれば、キーボード入力の技量なんてそこまで必要なかったかもしれない。だが今の時代、キーボード入力が必要な仕事は多く、学校でもパソコンを使って行う授業が増えた。
その授業を、恵令奈は苦手としていた。
別に鉛筆とノートで文字を書けばいいじゃない……。
そんなことを思っても、パソコンを使っての授業は無くならない。
恵令奈は両親に頼み、自宅で使用するパソコンを買ってもらった。
何に使うの?
どんなことするの?
教えてあげようか?
そんなことを聞かれることはない。
──勉強の為に必要なの。
そう言えば両親は何でも買ってくれる。
両親は恵令奈が何でも一人で完璧にでき、心配する必要が無いと思っているからだ。
パソコンを買ってもらってからの恵令奈は、時間があればキーボード入力の練習を行った。
最初は適当な教科書の文章を全て写した。
けれど作られた文章を入力するのは、恵令奈にとってつまらないことだった。
何か効率の良い方法は無いか……。
そう思っていたとき、ふと学校の教室でのクラスメートたちの会話に耳を傾けた。
「──なあ、エンドレス・オンラインってゲーム知ってるか?」
「エンドレス・オンライン? なんだそれ、知らねえ」
「マジ? めっちゃ人気なんだぞ。ファンタジー世界で、知らん奴らと一緒に広大な世界を旅すんだよ」
「なんだよ、よくあるファンタジーゲームかよ」
「まあ、そうなんだがよ。めっちゃ人気で面白いんだぞ」
その会話を聞いて、恵令奈はため息を漏らした。
ゲームか、そんな暇があるなら勉強をした方が将来に役立つ、と。
けれど、その男子の会話を聞いていて、恵令奈は妙にとあるワードが引っかかった。
【自分のことを知らない人と会話するのは面白い】
その言葉を聞かなければ、自宅へ帰って、パソコンでエンドレス・オンラインを検索することはなかっただろう。
検索してる恵令奈の表情は時間の無駄だと言わんばかりの退屈そうな表情だったが、それでも、チャット機能というのがあり、キーボード入力の役にも立つと思い、始めてみた。
「……名前」
自分のキャラを作り、名前を与える。
恵令奈は自分の本名を使うかどうか悩み、別の名前に決めた。
──エリサ。
エレナとアリサを合わせた名前。
この時は何も考えていなかったが、有紗に嫉妬していた心と憧れる気持ちが出てしまったのだろう。
そして名前を付けると、ゲームは始まった。
「……これから何をすればいいのですか」
始まりの街で目覚めてから、何も起きない。
それどころか、自分のキャラをどう動かせばいいのかすらわからない。
他の様々な髪色をしたキャラが、走ったり、会話したり、生き生きしてるファンタジー世界で、恵令奈が作り出したエリサは、ボーッと街のど真ん中で突っ立っていた。
マウスを動かしても、カーソルマークが動くだけ。
キーボードを適当に押したら、よくわからないメニュー画面が出て、それを消せなくなる。
どんどん増えていくメニュー画面で埋め尽くされ、やっと、恵令奈は前進する方法を学んだ。
「Wで、前進……じゃあ、右に進むには」
ずっと前へ走り続けるキャラを見ながら他のボタンも押す。けれど、何も変化しない。
前進するキャラは家屋の壁に、ドンドンッ、という効果音を乗せてぶつかり、周囲のキャラはジーッと自分へ滑稽な眼差しを向けてるような気がした。
現実世界でないのに、恵令奈の全身から焦りに似た謎の汗が溢れる。
早く辞めたい。
この世界から逃げ出したい。
完璧な自分が、崩れてしまう。
そんな気がした。だから、シャットダウンして逃げようとした──だが、
──ピコン!
今までのメニュー画面を開く音とは違う、少しスマートフォンの着信音のような音が鳴った。
そしてエリサの頭上には、手紙のようなマークが乗ってる。
恵令奈は不思議に思い、その手紙にカーソルマークを重ねて、左クリックをした。
『もしかして、初めての方ですか?』
差出人の書いてない手紙。
無視してシャットダウン──そう思っていると、また音が鳴った。
『文章の下の空欄で左クリックしたら、文字入力できますよ』
別に聞いてませんけど。
心の中でそう思いながらも、せっかく教えてくれたのだから、お礼だけは言っておこう。
恵令奈はそう思い、言われた通り文字を入力する。
『ありがとうございます』
『いえいえ、このゲーム、チュートリアルとか無いからわかりにくいですよね』
チュートリアル? 指導のこと?
恵令奈は首を傾げると、またチャットが飛んできた。
『もし俺で良かったら教えますよ!』
俺──男。
恵令奈はエリサの周囲を見る。
自分のキャラの周りにいた他のキャラはいつの間にか消えている。だけど一人だけ、こっちを見てる男キャラがいた。
『別に、結構です』
ここまで入力して、送信しようと思い手を止めた。
謎の男キャラから逃げるのは簡単だ。それに、これまで何事において、誰にも教わらず優秀だった恵令奈にとっては、あまり誰かに教えを請うのは気が進まない。
プライド、というよりは、自分が崩れる気がした。
けれど、チャットのやり取りをしていれば、キーボード入力が上達するような気がする。
別にこの男も悪い人ではないし、無視したら、顔も知らない相手だけど傷付けてしまい心苦しい。
──それに、自分を知らない相手との会話は、少しだけ興味があった。
顔も、性格も、普段の生活も、双子の有紗のことも、何もかも素性を知らない相手ならば、自分に与えられた固定キャラクター像を見られることはない。
「……有紗と、比較されない生活」
それに憧れがあった。
現実でずっと比較されてた相手がいなければ、誰も自分を有紗と比較しない。
だったら、恵令奈が今までずっと感じていた、嫉妬や劣等感のようなものを感じなくて済むと思った。
『お願いします』
そんな簡単な言葉を入力すると、すぐに返事が届いた。
『よろしく、俺のことはユウって呼んで』
名前を聞いて、不思議と心の中が何かに満たされつつあったことに、今はまだ気付かなかった。
『ユウさんですね。私は』
本物の恵令奈だと思われたかった。
けれど知らない相手に名前を教えるのは、止めておいた方がいいだろう。
『エリサです。よろしくお願いします、ユウさん』
どうせ、すぐに飽きる。
キーボード入力さえ学べれば、もう彼とは会わない。
だが、そんな恵令奈の予想は、すぐに消えていった。
──1ヶ月後。
恵令奈は学校が終わると、最初は面倒だと思っていたエンドレス・オンラインに、すぐログインするようになっていた。
1日の中で、このログインしてからの数時間が好きになっていた。
『ユウさん、今日は早いですね!』
あれから毎日のように、仮想世界で顔を見合わせ文字だけの言葉を交わす間柄になった相手は、いつも通り、始まりの街のベンチに座っていた。
『まあね。エリサも、いつも通り時間ピッタリだね』
16時ピッタリ──。
それが学校の終わる時間だからだ。
1ヶ月ほどゲームをして恵令奈も慣れたもので、マウスとキーボードを使い、ユウさんと呼ぶ男キャラの隣に座った。
『はい、学校の終わる時間ですから』
自分が女子高生だと告げたのは数日前。
女子高生を相手にしてるのだから、少なからず好意を寄せられ、現実で会いたいと言われると思っていた。
だが彼の態度は、今までの優しい彼と何一つとして変わることはなかった。
『お疲れ様。今日も簡単だった?』
『はい、予習も復習もしっかりやってますから』
その変わらぬ態度が、成績優秀で大人しく真面目な現実世界での恵令奈を知る者たちとは違った感じがして、恵令奈にとっては嬉しく思えた。
だからこうして、キーボード入力が完璧になっても、このゲームでユウと会って会話をする、という日課を止めなかった。
『そっか、いいなあ、俺もしっかりしないとな』
『あら、もしかしてユウさん、また仕事でミスをしたのですか?』
『……またって言わないでもらえますか? それじゃあまるで、俺が毎日のようにミスしてるみたいじゃないか』
『でも、一週間に一回は、そうやってナイーブになってますよね』
『まあ、そうだけどさ』
『じゃあ、今日も私がお悩み相談しますよ。はい、悩みを打ち明けてください』
自分の事を知らない相手と話すのが、こんなにも心地良いのだとは……。
何も気にせず、何も気にさせない。
誰にも比較されず、ただ自分の文字に乗せた言葉を受けて会話をしてくれる。
楽で、楽しくて──落ち着く。
「でも、会って私を見たら……」
現実での自分を知ったら、もしかしたら、ユウさんという彼も他の人と何も変わらないかもしれない。
怖いけど、知りたい。
そんな気持ちが少しずつ強くなっていき──この気持ちが好意に変わっていったのは、これから少ししてからの、とある出来事がきっかけだった。
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