第21話 有紗とプールデート 4
有紗が恵令奈のパソコンを操作してゲームをするのは、それから恵令奈が帰ってくるまでの一週間、ずっと続いた。
次の日も、また次の日も。
普段は部活が無い日は授業が終わってもすぐには帰らず、教室で友人とお喋りし、暗くなってきたら近くのお店へ移動してまた喋り続ける。
だがこの一週間だけは、学校が終わるとすぐに、学校から帰ってパソコンの前に座っていた。
それも全て、恵令奈がこのゲームの中で知り合ったユウという男キャラの仲を壊す為。
なのに──。
『学校から帰ってきました。疲れました』
『お疲れ様。俺も学校に通っていた時はいっつも疲れたって言ってたよ』
『ほんと、なんで学校なんて行かなくちゃいけないんでしょうかね。あっ、ユウさんもお疲れ様でした!』
1日、また1日。
他愛もないやり取りをするのが、少し楽しく感じていた。
なにせ彼は、自分の事を知らないんだから。
学校で尻軽ビッチなんて呼ばれてることも、恵令奈という優等生と比較されてることも、何も知らない。
話していて不思議な安心感があった。
学校に居るよりも、部活をしてるよりも、部屋で一人でスマートフォンをいじってるよりも──この顔も名前も年齢も知らない彼と話すのが、楽しく思っていた。
──恵令奈がハマるわけだわ。
有紗はそう思った。
『そういえば、ユウさん聞いてください!』
有紗は普段はしない悩み事や愚痴を、彼に毎日のように話していた。
それは自分の事を知らないから、というのもあるのだが、彼が聞き上手だというのもあっただろう。
面白い事があれば一緒に笑ってくれたり。
困った事があれば一緒に悩んでくれたり。
ムカつく事があれば一緒に怒ってくれたりする。
そして有紗も、彼の話に喜怒哀楽を示す。
だから4日が過ぎた頃には、自分でこのやり取りが好きになっているのだと気付いていた。
だけど終わりが近付くと、ある事を気にするようになっていた。
──これは、本当の自分じゃない。
恵令奈の姿をしたエリサの、そのまた皮を被った有紗がしてる会話。
なので彼の向ける全ての感情や言葉は、有紗本人には向いていない。
いつもしていたであろう恵令奈との会話と同じだと、彼は思ってるのだろう。
それでも、こうして誰かと話せるのは嬉しかった。
そして次の日。そのまた次の日。
7日間という普段と変わらない一週間を、有紗はとても短かく感じた。
──もう、この会話も終わりか。
連絡先を聞けばやり取りを続けられる。
住んでる場所を聞けば会いに行ってまた話せる。
けれどそれを、有紗はできなかった。
もし本当の事を話せば、きっと彼は、自分とは関わりたくないと思ってしまう。
騙していた自分と、彼はこれから先も関わってくれるはずがない。
『エリサ、どうしたの?』
新たに生まれた悩みが、文字を通して伝わってしまったのだろうか。
ユウへすぐに『なんでもないです』と伝えようとして、キーボードに手を置くが、それを送ることはできなかった。
『ユウさん、一つ聞いてもいいですか?』
『どうかしたの?』
有紗は意を決して伝えた。
『もしも……もしもですよ。私が前までやり取りしていたエリサの中の人じゃなくて、別の人だったら、どうしますか?』
有紗は伝えた。
そして返事は、すぐに届いた。
『どうもしないかな。だって、前までのエリサも、今のエリサも、話しやすいからね』
彼から続けて言葉が送られた。
『顔も何も知らない相手とやり取りするネット世界だから、なんていうのかな、俺は普通に話すよりも相手の中身を見れると思ってるんだよ』
『顔じゃなくて、中身ですか……?』
『そうそう、だから前のエリサも、今のエリサも、どっちも話しやすいし、良い人だと思うんだよ。でももしかして、そうかなと思ってたけど別人なの?』
ああ、そうか。
この人はやっぱり、自分自身を見て話してくれていたのか。
恵令奈ではなく、自分と会話してくれてたんだ。
『ユウさん……ちょっと、待っててください』
有紗は緊張から前屈みになっていた体勢を戻し、ふう、と息を吐く。
そしてキーボードを叩く。
──素の有紗としての、初めての言葉を。
『……もう、そんなわけないじゃん。ユウくんのバカ』
『えっ……?』
『エリサはエリサ。今のあたしの話は冗談だって』
『でも口調とかが違う気がするんだけど?』
『ユウくん、知ってた? 女の子はね、ふと変わりたいときがあるんだよ!』
『そうなのかな……?』
『そうなんだよ!』
自分が恵令奈と違うことは言えなかった。けれど、一人称や口調だけは、恵令奈とは違うようにした。
『それよりほら、さっきの話の続きなんだけどさ』
明日には恵令奈が帰ってくる。そうなれば、彼と話すことは無くなるし、彼の中では『エリサ』という存在は『恵令奈』に書き戻される。
だけどせめて、少しだけ、ほんの少しだけでいいから、自分という存在を彼の中に残して置きたかった。
そんな、僅かな対抗意識。
今までしてきた、どんな対抗意識よりも心の底からしたいと思った対抗意識を、有紗は行った。
僅かな時間だけど楽しかった。
そんな風に思い、恵令奈が帰ってくるまで彼とのやり取りを楽しもうとした。
──そして明日からは、元の生活に戻ろう。
大丈夫。ずっとそうして生活してきたのだから。
楽しかった思い出を胸に、また……また、明日から。
「……無理だよ、そんなの」
また苦痛な日々なんて、一度でも楽しい生活を味わったら戻れない。
だけど、恵令奈に勝手にパソコンを使ったとバレたら、もっと生活が苦しくなる。
だから有紗は、覚悟を決めた。
♦
「──それが、ユウくんと出会う前のあたしだよ」
有紗は出会う前の事を説明すると、苦笑いを浮かべた。
エリサの中の人物が有紗に変わっていた最初の一週間を、優斗も覚えていた。そして気付いていたけど、優斗は有紗の誤魔化しに、別人だよね、とは突っ込まなかった。
なにせ彼女はどこか、知らないでほしがってるような気がしたからだ。
だから今まで通り、何も知らずに会話していた。
「そうだったんだ。そんな事があったなんて俺、知らなかった……」
「双子だからね。姉妹だったら、学年が被らなかったからここまでヒドくならなかったと思うかな」
「そうだね。……学校であんな呼ばれ方されてるの、辛かっただろ?」
「……うん。だけどね」
隣に座る有紗は肌を触れ合わせると、優斗の肩に、自分の頭を乗せた。
「ユウくんと出会って、周りに何て呼ばれようと、周りに恵令奈と比較されても、別にいいかなって思ったの」
「えっ?」
「だって、ユウくんはあたしのこと、会う前も、会ってからも、恵令奈と悪い意味で比較しなかったでしょ?」
「当たり前だよ。俺にとっては、恵令奈にも有紗にも、どっちにも良い部分があったから」
大人しくて優等生な恵令奈も、
明るくて元気な有紗も、
優斗にとってはどちらも、大切な存在だった。
比較できるような存在ではないし、比較しようとも思わない。
どちらも良い部分があるのだから、それでいいではないか。
だけどそんな当たり前の気持ちが、有紗にとっては凄く嬉しかったのだろう。
「ふふっ……だから、ユウくんは良いの。ユウくんだけには、あたしを見てくれれば、それでいいの」
「有紗……」
──そんな時だった。
「あっ」
静かなこの場所に、声が響く。
その声の主は、先程の二人組の女子高生だった。
それを見て、有紗は肩を震わせた。
「……有紗もここに居たんだ」
「まあね。そっちも?」
「そだよー。ねえねえ、ちょっと聞いていい?」
明らかに嫌がってる有紗を余所に、二人組は有紗の近くに座ると、ニヤニヤした笑みを浮かべていた。
「その人ってさ、有紗の彼氏?」
「……えっ? ユウくん……?」
戸惑う有紗を見て、二人組は笑い出した。
「あはっ、まさかね。ごめんごめん、冗談だよ。クラスの連中が言ってたけど、有紗って面食いだって話だもんね」
「はっ?」
優斗は黙っていようと思っていたけど、つい失礼な態度に声を出してしまった。
そしてそれに気付いたのか、二人組はケラケラと笑い出す。
「あっ、別にお兄さんの顔が悪いってわけじゃないよ! ただ、なんていうか、普通? みたいな。だから噂で聞いてた有紗のタイプっぽくないなってさ」
「……はあ」
優斗はため息を付く。
「別に君らがどんな噂を聞いたのか知らないけど、有紗の好きなタイプを、有紗自身から聞いたの?」
先程の聞いた話で、噂、というワードを嫌がってるのを知った。だから、優斗はつい強い口調を発してしまった。
「いや、聞いてないけど、周りが……。てか、何ムキになってんの?」
「有紗が俺みたいなのタイプじゃないって言ってるんならいいけど、それ、君らが聞いた、ただの噂だろ? 有紗の気持ちじゃないだろ」
「だけどさ、ねえ……?」
二人組は顔を見合わせる。
どうやら、二人組は有紗の好みのタイプがどんなのかは知らないらしい。
ただ有紗の見た目や聞いた噂で、勝手に好きなタイプを優斗ではない誰かにしてるのだろう。そして、それが有紗を苦しめてる噂が原因だというのが簡単に想像できてしまう。
「……有紗、他の場所に行かないか?」
優斗は立ち上がる。
このまま優斗が二人組と話していても、余計に有紗の状況を悪化させ迷惑をかけてしまう。
そして黙ったままの有紗も立ち上がると、
「有紗って、そういうのがタイプなんだ。意外だね、噂だともっと──」
「──そうだよ」
閉じていた口を開く。
「ユウくんは……ユウくんは、あたしの彼氏だから。この人以外に、あたしが好きになるタイプはいないから!」
「えっ、でも、有紗のタイプは──」
「──周りがあたしのことをどう見ても構わない。だけど、ユウくんはバカにしないで! ユウくんは、あたしの大切な人だから。……行こっ、ユウくん!」
「えっ、有紗!?」
強引に優斗の腕を組むと、有紗に引っ張られる。
「何あれ。意味わかんないんだけど」
後ろから声がすると、有紗はピタッと足を止め、怒りを含んだ顔を振り向ける。
「あたしにはユウくんっていう彼氏がいるから。それ新しい噂として広めていいよ。むしろ広めて。あたしは他の男なんて興味がないってさ」
そう言い残して、優斗と有紗は二人組から離れていく。
そして腕を組んだ有紗は、どこか嬉しそうに、満足気そうに優斗を見つめる。
「もう良い子ちゃんは終わり。ごめんね、嫌な思いさせちゃって」
「いや、俺は別に……というより、余計な事を言って、こっちこそごめん」
「ううん、余計なんかじゃないよ。むしろ、嬉しかった」
「えっ?」
「あたしを助けてくれて。だから嬉しかったし、あたしも、そう言ってもらえたから、あの二人に言えたの」
そう言って再び外へ出る。
有紗は先程まで嫌がっていたウォータースライダーを指差して、にっこりとした笑顔を向ける。
「あれ、乗ろっか」
「嫌じゃなかったの?」
「うん、イヤ。だけどあれに乗ったら、言うこと何でも聞いてくれるんでしょ。だから、頑張る」
夕焼け空へと変わった空の下。
優斗は有紗に手を引かれ、ウォータースライダーへと走っていった。
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