第20話 有紗とプールデート 3

「有紗が謝ることないよ」



 学校での有紗の事を何も知らないから、何て言うのが正解かわからなかった。

 ただわかるのは、有紗が優斗に謝る理由が何も無いということだけ。



「一度、止まらないか?」



 足を止めた有紗は、手を離すと、力強く拳を握る。

 そして彼女は、決して優斗に顔を見せようとはしなかった。



「……ユウくんには、知られたくなかった」

「えっ?」

「ユウくんには、知ってほしくなかった。あたしが、学校でどんな風に言われてるのか」



 その背中からは、怒りや苛立ちが見受けられるが、最も強いのは、悲しみの気持ちだと思える。



「……双子だから、嫌でも比較されるの。嫌だよ、ほんと」



 震える背中を見て、優斗は彼女の手を掴み、



「……有紗。こっち」

「えっ?」



 人気の少ない屋内プール場へ歩いていく。



「ユウ、くん……?」

「俺は、有紗の学校での生活のことは何も知らない。同じ高校生じゃないから。だけどさ、有紗があの二人が言っていたような子じゃないのは知ってるよ」

「だけどっ……!」

「嘘っぽいって言われるかもしれないけどさ、俺は、あの二人よりも、同じ学校の奴らよりも、有紗のこと、よく知ってると思うんだ」



 屋内プールは温泉に似ていて、水の温度が少し温かい。

 それに周囲も、はしゃぎ回る子供がいなくて、どこか大人な、静かな雰囲気があった。



「座って」



 優斗は底の浅いプールのふちに座り、隣に涙を拭う有紗を座らせる。



「話なら聞くから。最初の頃みたいに、有紗の悩みも、愚痴も、なんでも聞く。ちゃんと声で話してほしい」



 優斗の言葉に、有紗は膝を抱えて頷く。



「あたしね──」



 彼女は話してくれた。

 双子が持つ宿命と、悲しみや苦しみ、劣等感。

 そして優斗と出会えて、変われたことを──。







 ♦






 ──小さい頃はそっくりで、仲良しな双子だね、なんて言われていた。

 それを恵令奈も、有紗も、嬉しく思っていた。


 だけど成長すればするほどに、双子の違いは他人から見てはっきりとわかるようになっていった。


 勉学において優秀だった恵令奈。

 そんな恵令奈を、周囲の者たちは『偉いね』と言って、逆に勉学が不得意だった有紗には何も言ってこなくなった。


 馬鹿だね、と言われれば腹が立つ──けれど──触れようとしない周囲の気遣いには、もっと腹が立った。


 頑張っても頑張っても、有紗は恵令奈みたいに優秀にはなれない。


 同じ小学校に通い、比べられる。

 同じ中学校に通い、比べられる。


 そしてその比べられ方は、周りが成長すればするほど、陰湿なものになっていた。


 ──恵令奈は優れてるのに、有紗は残念ね。


 小学校では何も思わなかった言葉も、中学校に入学して、その鋭い言葉の棘の痛みがよくわかる。


 学年が被らない年の離れた姉妹だったら、ここまで比較されなかっただろう。

 ただ同じ家で暮らし、学区が同じだった有紗と恵令奈は、嫌でも一緒の学校に通わなくてはならない。


 特に嫌だったのは同じクラスになり、テストを返却される時だった。

 二人のクラスでは、成績上位五名は名前を呼ばれ、皆の前で拍手をされながらテストを返却される。


 いつも、恵令奈は一番最初に呼ばれていた。


 そして有紗はいつも、後のその他大勢と一緒に返された。


 先生が恵令奈を褒めれば、周囲からは馬鹿にするような視線を向けられる。


 ──双子なのに、どうしてこんなに違うんだろう。


 そんなことを言われるのが辛くて、悲しくて、苛立ちしか生まれなかった。


 それに家でも、双子は比較される。

 家へ帰ってテストを両親に見せる時、いつも恵令奈は『偉いね』と褒めれ、有紗は『もう少し頑張ろうね』と控え目な声で慰められる。

 怒られるわけでも、悲しまれるわけでもなく、ただ──諦められてるかのような、恵令奈という優秀な娘がいるから有紗はどうでもいいような、そんな反応をされる。


 実際には思ってなかったかもしれないが、それでも、幼い有紗は思ってしまった。


 このまま比較され続けるのは嫌だ、と。


 そう思って勉学しても、恵令奈には追いつけない。それどころか、努力をしても追いつけない有紗を見て、周囲がもっと馬鹿にする。


 ──抜け出せない地獄だった。


 だけど有紗は諦めることはせず、必死になって自分自身を見てもらえるよう考えた。


 大人しい黒髪の恵令奈に対抗するように、明るい色合いの髪に染めてみた。

 勉強ができる恵令奈に対抗するように、部活を一生懸命に頑張った。

 友達付き合いができない恵令奈に対抗するように、友達付き合いをできるよう必死に話し方や流行を学んだ。


 全部、全部全部全部──恵令奈への対抗心で変わろうとした。

 恵令奈の逆を生きていくように、今までとは違う自分に変わった。


 両親は本気で心配してくれた。

 恵令奈には心配しないから、それが嬉しかった。


 男女の友達が沢山できた。

 恵令奈にはいないから、それが嬉しかった。


 恵令奈と自分は違う。

 自分は有紗。

 恵令奈とは違う。

 だから見て。自分を見て。自分という存在を評価して。


 自分は、自分は、自分は。

 そうやって恵令奈の逆を行き──いつしか、虚しい偽りの自分に気付いた。


 誰にでも気軽に話しかける有紗を嫌った一部のクラスメートに──『尻軽ビッチ』なんていう、不名誉な呼び名を付けられた。


 ただ誰とでも仲良くなって、恵令奈ではなく自分自身を知ってほしかっただけなのに。

 端から見れば歪んだ気持ちかもしれないが、当時の有紗にとっては、これが最善だと思っていた。

 そしてそんな最善の選択で、有紗は余計に、自分自身を傷付けてしまった。


 いつしか有紗は、恵令奈と会話することが少なくなった。

 恵令奈もまた、有紗と会話することが無くなっていた。


 互いに避ける毎日。

 有紗は恵令奈が嫌いだった。

 そうして疎遠になって数ヶ月──。


 家の中で恵令奈が、以前よりも明るく楽しそうにしてることに気付いた。


 勉強ばっかりで、学校に友達もいないのに、どうして?


 そう思った有紗は恵令奈をよく見るようになった。

 そしてその理由が、新しく両親に買ってもらったパソコンだと知った。


 彼女は学校から帰ってからずっと、おそらく寝る前まで、パソコンを前に何かをしている。

 新しい勉強方法を見つけたのだろうか?

 そんなことを考えたある日。有紗の部屋の真向かいにある恵令奈の部屋の扉が開いた。


 ──パソコンの画面が見えた。


 それは、あまり詳しくない有紗から見てもゲームだと一目でわかった。


 友達ができなくてゲームに走ったのか。

 だけどあの優等生な恵令奈がハマってるゲームに、何があるのか、有紗は興味を持った。


 そしてある日のこと。

 塾へ通っている恵令奈が一週間、泊まり込みで勉強合宿へ向かうことになった。


 一週間、恵令奈が家にいない。


 有紗は恵令奈の部屋へ入り、彼女が没頭してるパソコンを起動した。


 最低限のアプリしか無いデスクトップの中に一つだけ、ゲームのアプリがあるのに気付く。


『エンドレス・オンライン』


 有紗はゲームを起動した。

 オンラインゲームなどやったことなかったが、それでも、ゲームを開始すれば恵令奈がハマってる理由がわかった。



『あれ、塾の合宿じゃなかったの?』



 ログインした瞬間に声をかけられた。

 男性キャラ、その頭上には『ユウ』と表示されていた。


 ああ、この男と話すのが好きなんだ。


 オンラインゲームなんて、機械音痴とも呼べる恵令奈が好き好んで遊ぶとは思えない。

 なのにゲームをしている。

 それに、このユウという相手は恵令奈のリアルの行動を知ってる。


 ──それほどの間柄なのだろう。


 勉強は出来なくても、ゲームの始め方やチャットの返し方は何となく想像できる。



『あれ無しになったの』



 送って少ししてから返事が届く。



『え? 喋り方、いつもと違うよね?』



 おそらく口調などが恵令奈と違うと思ったのだろう。



『ごめんなさい、間違えました。合宿の予定はキャンセルになったんです』



 そう返すと、ユウという相手は『そうだったんだ、楽しみにしてたのに残念だね』と返事が来る。

 ずっと恵令奈と比較されてきた。

 当然、文字を入力するだけなら口調だって真似できる。


 真似するのは嫌だけど、今だけは我慢しよう。



「あたしの大切なモノをずっと奪ってきたんだから、今度はあたしが、あいつの大切なモノをめちゃくちゃにしてやる」



 狂気にも似た言葉を発した有紗の表情は、怒りに滲ませていた。

 恵令奈はきっと、このユウという相手とのチャットが好きなのだろう。であればそれを壊す。そうすれば、生まれてからずっと抱えてきた不満が少しは晴れるだろう。──そう思った。


 だからこの一週間、恵令奈に似せて彼と話そう。

 壊して、壊して、壊して。自分を苦しませた恵令奈を悲しませてやろう。 



『ユウさん、これからもよろしくお願いします』



 ──けれどこの行動が、有紗の人生を変え、恵令奈との関係を変えるとは、まだこの時の有紗は知らなかった。

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