第9話 恵令奈と自宅デート 2

 いつも決まった席に座り、授業が始まる前に教科書とノートを用意する。

 周りからクラスメートたちの笑い声が聞こえるが、恵令奈は楽しそうな会話に耳を傾けず、ただ先生が来るまでジッと次の授業が始まるのを待つ。


 そんな彼女に目を向ける者も、声をかける者もいない。


 同じ学校に通ってる有紗は別のクラスで、おそらくは、友人たちと楽しくお喋りをしているのだろう。


 そんな一人ぼっちの学園生活。

 だが恵令奈にとっては、この生活も苦ではない。

 なにせ以前までの彼女にとっては、今よりもっと退屈な生活だったのだから。


 ──ブー。


 マナーモードにしていたスマートフォンが、机の横にかけた鞄から音を鳴らす。

 顔を下げ、彼女はスマートフォンの画面を見た。



『仕事でミスったよ。また上司に怒られそうだ』



 短いメッセージの文章を見て、恵令奈の表情に笑みがこぼれる。

 すぐに文字を入力して返事をする。



『人は誰だってミスしますよ。だからユウさん、大丈夫です。それにもし怒られたら、私が慰めてあげます!』



 それから数秒後に、メッセージが返ってきた。



『愚痴を吐いてごめんね。そっちは授業中?』

『いえいえ、気にしないでください。今は休み時間で、次は数学の授業ですよ』

『そっか。俺は数学、苦手だったな』

『公式を覚えてしまったら簡単ですよ! なんなら私がユウさんに教えてあげましょうか?』

『いやいや、高校生に教えられるほどじゃないよ』

『これでも成績、学年一位ですからね。ユウさんにちゃんと教えられると思いますよ』

『それでもだよ。俺のプライドが許さない!』

『なるほど。では、逆にユウさんに勉強を教えてもらうとしましょうか!』

『……それはそれで勘弁してください。教えられません』



 声を出して笑いそうになるのを我慢して、優斗とのメッセージのやり取りをする。


 楽しい。

 恵令奈はこの時間が好きだ。



「はい、授業を始めるぞー!」



 けれど、1時間に10分の楽しみの時間も、教師が来れば終わる。



『授業が始まってしまいました。お仕事、頑張ってください!』



 慌ててメッセージを送って、スマートフォンを鞄へとしまう。

 暗い鞄の中。

 ふと画面の明かりが付いて、返ってきたメッセージが見えた。



『それじゃあ、俺も仕事いくよ。恵令奈も勉強、頑張って!』



 連絡先を交換してから、『授業が始まる』と言うと必ず返ってくる『頑張って』の言葉。

 いつも言ってくれる言葉だけど、恵令奈にとっては嬉しかった。


 そして恵令奈は、真面目な彼女に変わる。


 昔のように、エンドレス・オンラインで優斗と知り合う前の──ただ真面目なだけのつまらない人形のような彼女に。










 ♦









 優斗の仕事が終わったのは、17時を少し過ぎてからだった。


 そして、急いで待ち合わせ場所である札幌駅に到着する。

 スーツ姿の優斗は少し走り、荒くなった鼓動を整えると、周囲をキョロキョロと見渡していた。



「まだ、来てないか……」



 どうやら待ち合わせ場所へは、優斗の方が先に付いていたようだ。

 学校はもう終わってるはずで、恵令奈からのメッセージでは、もう到着してるとのことだったが……。


 ──ピコン!


 手に持つスマートフォンの着信音が鳴った。

 優斗は画面を見ると、それは恵令奈からのメッセージだった。



『後ろ、見てください』



 優斗は振り返る。



「……え?」



 そこに立っていたのは、スマートフォンを手に持ち、にっこりと微笑んだ恵令奈だった。

 けれど驚いたのはそこではない。



「どうです、似合いますか……?」



 恵令奈の服装は私服でも制服でもなく──黒のスカートとスーツだった。

 顔付きは普段から大人っぽい彼女。

 だけど前に見たときの高校生らしさはなく、今の服装を着る彼女は格好通りの働く女性のようだ。



「に、似合ってる、けど……どうしたの?」



 髪を耳にかけた恵令奈は微笑み、



「ふふ、私が高校生に見られたら、ユウさんに迷惑をかけてしまうと思って。……それに」



 そのまま隣に並び立つと、優斗の驚く表情を覗き見る。



「ユウさんに、大人の女性として見てもらいたかったんです」



 その表情に、優斗は視線を外に向ける。



「……普段から、大人っぽいと思うんだけど?」

「本当ですか? 良かったです……。それじゃあ、お買い物へ行きましょうか」

「あ、うん」

「では──」



 そのまま歩こうとする優斗の腕を、恵令奈はギュッと組む。

 香水よりも優しく甘い香りが鼻を通り、二の腕には彼女のたゆんとした胸の感触が当たる。



「ちょ、恵令奈……!?」

「ん、ダメですか?」

「いや、そりゃあ……」

「ふふ、こっちの方が歩きやすいんです」



 強く拒めないのは、優斗が男だからだろう。

 隣で腕を組む彼女は、誰がどう見ても美人だろう。それどころか、年齢を聞かなければ優斗の方が幼く見えるほどに、恵令奈は大人びた色気がある。


 優斗は何も言えずに歩き始める。

 隣を、コツコツとハイヒールの音が鳴る。



「……」

「……」



 沈黙が生まれ、優斗は隣を歩く恵令奈をチラッと見る。

 彼女の頬は、普段の粉雪のような真っ白い肌とは違い、茹でタコのような真っ赤に染められていた。



「……照れてる?」



 そう聞くと、恵令奈は俯くようにコクリと頷いた。



「……初めて、ですから。こういう、男性と腕を組んで歩くのは……。ユウさんは、どうなんですか?」

「……同じだよ」

「……良かったです」



 二人は顔を赤くさせて電車の改札口へと歩く。

 第三者から見れば、仕事帰りのカップルだろう。

 誰も二人を──大人と女子高生が腕を組んでる姿には見ない。

 そして二人は電車に乗りこんだ。



「……混んでますね」

「……そうだね」



 今はサラリーマンや学生の帰宅時間帯と被っており、電車内には多くの人で溢れている。

 そんな混み合った車内で二人は、向き合いながら、顔を俯かせた。



「混み合う時間と被ってるから。大丈夫?」

「は、はい、大丈夫です……。ユウさんが会社から帰るときは、いつもこんな感じなんですか?」

「まあ、そうだね。だけど慣れたら平気だよ」

「そうなんですね」



 優斗の家がある駅まではあと3駅。

 満員に近い電車内で、慣れてない恵令奈は少し辛そうな表情をする。



「大丈夫?」

「はい、大丈夫です……」



 そう聞くと、恵令奈は苦笑いを浮かべる。



「壁際に寄ってた方が楽かもね。こっちいいよ」

「ありがとうございます」



 恵令奈は壁に背を付ける。

 少しは楽になったか。優斗はそう思い、他の乗客から守るように前に立つが、目の前に立つのも少し照れがある。

 なので優斗は周囲をキョロキョロしながら、目的地へ到着するのを待った。


 そして次の駅へ到着すると、また人が増えた。



「うわっ!」

「えっ!?」



 乗ってくる人に押され、優斗は体勢を崩す。

 そのまま恵令奈へ倒れそうになると、恵令奈が驚きを含んだ声を漏らした。



「ご、ごめん……」

「いえ、あの、大丈夫、ですから……このままで、はい……」



 お互いの顔は近く、恵令奈の両手は優斗の背中に当てられている。

 体を密着させると、優斗の耳には恵令奈の荒い呼吸がはっきりと聞こえた。



「ごめん、ほんと……」



 体勢を変えることができず、優斗はもう一度、謝る。

 すると、恵令奈は優斗の目を見つめて、にっこりと微笑む。



「もう、大丈夫とさっき言いましたよ? なので謝らないでください。それに…………抱き付けて、嬉しいですから」

「ん、なんて?」

「な、なんでも、ないですよ……」



 恵令奈の心の声は、電車内の雑音にかき消され、優斗の耳には届かなかった。

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