第2話 突然の申し出

 ──次の日。


 優斗はスーツ姿で家へ帰ろうと歩いていた。



「……はあ、疲れた」



 90度近くまで曲がった猫背に、前へと向かう足取りは重たい。


 今日の仕事はいつもより辛かった。

 優斗の仕事は外回りの営業で、基本的に事務作業なんかはなく、足を使って稼ぐことが多い。けれど時として、営業マンにも事務作業を行わなくてはいけない日もある。


 ──それが今日だった。


 普段からエンドレス・オンラインにてチャットを使ってる優斗。文字入力は慣れているが、それ以外のパソコンを使っての作業は苦手だ。



「今日もエリサに愚痴をこぼしそうだな」



 こういった辛い日は、よくエリサに愚痴を聞いてもらっていた。


 出会って間もない頃。

 仕事での苛立ちが頂点に達したとき、ついエリサに現実での愚痴を吐き出してしまったことがあった。

 それをエリサは嫌な反応せず、ずっと聞いてくれた。


 愚痴とは吐き出せば吐き出すほど、気持ちが落ち着き、楽になる。

 なので優斗は、次から次へと愚痴を吐き出した。


 だが、ふと我に帰った。

 エリサの立場で考えてみれば、自分はどうして、ゲーム内で知り合った顔も知らない人の愚痴を聞いてるのか、それが自分の立場であったら、きっと最悪な気分だ。

 そう思って優斗は、エリサに何度も謝った。

 だけど彼女は、



『いいんですよ。私で良かったら、幾らでも愚痴を聞きます。それに私、会社でのユウさんの話を聞くの好きです。ユウさんが少しでも気が楽になってくれると、私も嬉しいですから』



 と、ちゃんと話を聞いてくれて、時には褒めてくれて、時には慰めてくれたりした。

 けれど、こんな風に話を聞いてくれる時だけでもない。



『なにそれ! あたしがその上司、一発ぶん殴ってあげようか!? ユウくんを困らせるなって言ってあげる!』



 そんな風に、一緒に怒ってくれる時もある。



「今日もいるとして、どっちのエリサだろうか」



 アパートの階段を上りながら、優斗はボヤく。

 我が家へ到着するなり、スーツを定位置となりかけたパソコンの前の椅子にかけ、パソコンの電源を付け、エンドレス・オンラインにログインする。


 起動中の間に缶ビールとつまみを用意する。

 それが優斗の、毎日の夜ご飯となりつつあった。

 そして椅子に座るなり缶ビールを開け、パソコンの画面を見る。



「エリサ、今日もログインしてるのか……」



 時間は既に18時。

 エリサのログイン頻度は、優斗よりも多かった。

 平日の17時以降と、土日は必ずといっていいほどログインしている。


 ──どんだけログインしてるんだよ、暇人か?


 そんな風に出会った頃は思っていたけど、エリサはログインしても何かしてるわけではない。


 このゲームのメインである冒険の旅には出ず、誰か他の者と遊んでる様子もない。

 ログインして最初に目覚める街で、人がよく集まるベンチで座ってるだけ。


 そして今日も、エリサは一人でベンチに座っていた。

 優斗はマウスを動かし、エリサの隣に自分のキャラを座らせ、キーボードで文章を打ち込む。



『エリサ、生きてるか?』



 ログインして最初の言葉は、いつもこれだ。

 チャットを送ってから数分後──。

 エリサの頭上に【……】のマークが出現すると、



『はい、生きてます。お仕事おつかれさまです、ユウさん』



 と、返事が届いた。

 どうやら今日は、ユウさん、と呼ぶエリサだった。

 優斗は文字を入力して返事をする。



『いつから、ログインしてたんだ?』

『学校が終わってすぐですね。ユウさんがまだログインしていなかったので、仕事が終わるまでここで待ってました』

『そっか。その間は宿題か?』

『はい、いつも通りです!』



 エリサはログインしてから優斗がログインするまでの間、いつも現実世界で何かしている。


 宿題だったり、SNSだったり、友達と電話したり。


 だけど優斗が「生きてるか?」と聞くと、エリサは「生きてます」か「生きてるよー」と返事をしてくれる。

 きっと、チャットが始まるときの、ピコン、というお知らせ音でパソコンの前に戻ってくるのだろう。



『いつもエリサは宿題してるな。今日の科目は何?』

『今日は数学です! 簡単な宿題だったので、ユウさんを待っている間に終わってしまいました』



 この宿題をやるというのも、日のエリサによって違う。


 ユウさん、と呼んでくれるエリサは宿題をするが、

 ユウくん、と呼んでくれるエリサは宿題をしない。


 それを本人には言わない。

 言ってしまえば、優斗がエリサの中に二人いることに気付いていることが知られ、なぜか気まずくなりそうだったからだ。

 だから優斗は、二人の違いを知ってても知らんぷりして、話を合わせることが多い。


 そして二人は冒険に出ることも、どこかへ移動することもなく、ただただベンチに座って現実世界での話をする。


 ゲーム内で現実の話をするのは、オンラインゲームでは御法度だと言われている。

 けれど二人には、そんなオンラインゲームの間での普通はない。

 というのも、二人ともがオンラインゲームをするのが、このエンドレス・オンラインが初めてだからだ。


 なので、お互いに現実での話をする。


 だが、どちらも札幌に住んでることは知ってるが、自分の名前や、年齢や、男か女かという、素姓がわかりそうなことは聞かないでいた。

 暗黙の了解に似たそれで、一定の距離感は保っている。


 最初はエリサの話をして、その後に優斗の話をする。

 毎日のように会ってるのに、なぜだか話題が尽きない。


 今日も二時間ほど話してると、エリサからの返事が突然、止まった。



『……エリサ?』



 不思議に思いそう聞くと、少ししてから、



『すみません、ちょっと待っててください』



 エリサにそう言われ、待つこと15分後──。



『ユウくん、ごめん、待った!?』



 どうやら中の人物が変わったらしい。



『いいや、少し夜飯食べてたから大丈夫だよ』

『良かった。あの、実はね。あたし、ユウくんに話したいことがあるんだ』

『話したいこと?』



 それから長い間【……】のキーボードを打つ表示でエリサは固まる。


 ユウさん、と呼ぶエリサでは話せないことを、ユウくん、と呼ぶエリサで話すってことだろうか?


 そんな疑問を抱いてると、エリサの頭上に言葉が浮かぶ。



『ユウくん──今度、会えないかな?』



 打つ時間が長かったので、優斗は長い文章を入力してると思っていた。けれど違った。それにこの話に不思議に思った。



『え、いつも会ってるだろ?』

『ううん、違うの! そうじゃなくてね』



 そしてすぐに、エリサの頭上に文字が浮かぶ。



『──現実で、ユウくんに会いたいの!』

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