第15話 顔がわからなくても
──ある日のこと。
恵令奈はいつも通り、エンドレス・オンラインで顔も知らない彼と会話をしていた。
『……今日、なんか元気ないね?』
ふと、そんなことを聞かれた。
自分では普段と何も変わらないチャットのやり取りをしていたと思っていたが、今の憂鬱な気分が、恵令奈が入力する文字に乗って伝わってしまったのだろうか。
『わかりますか?』
『なんとなくね。何かあった?』
『ちょっとだけ、現実の方で嫌なことがありまして』
『そうなんだ。俺で良かったら、相談に乗るよ? いつも俺の愚痴を聞いてくれてるからね』
いつもはユウの抱える社会人としての悩みや愚痴なんかを聞いていた恵令奈。
ユウに『人の悩みや愚痴を聞くのって辛くない?』と聞かれたが、恵令奈は人に頼られのが嫌いではないので、大人であろう彼が持つ悩みや愚痴を聞くのは好きだった。
とはいえ、自分の悩みを話すのは、今までしたがことなくて嫌だった。
それに自分が生まれてからずっと解決できなかった──双子の有紗と比較される──悩みを、ユウに話したところで解決できるとは思えなかった。
『誰かに話したら、楽になると思うよ?』
今まで誰にも自分の抱える悩みを打ち明けたことがなかった。
どうせ誰も解決してくれないだろうし、恵令奈の悩みなんて、他人からみたら大した悩みだと思われないかもしれないと感じていたからだ。
「話せば、楽になるかもしれないですか」
確かにそうかもしれない。
それに顔も素性も知らない相手なのだから、別に打ち明けたって、現実での生活に変化があるわけでもない。
なので恵令奈は、試しに噛み砕いて説明してみた。
『私は学校で、とあるクラスメートといつも比較されてきました。それは学校でも、外でも、生まれてからずっとです』
『クラスメートと? え、なんで?』
有紗と比較されてきたとは、なぜか言えなかった。
ユウが恵令奈の説明に、不思議に思ってるのがわかる。
『似てるから、ですね。見た目や、性格は違うんですが。そういう部分があるんです』
『そうなんだ。それで、その子と比較されるのが嫌なの?』
『……はい。彼女と比較されても、私と彼女は、全くの別人なんです。だけど比較されて、明るい性格の彼女の周りには、いつも人が寄ってくるんです』
キーボードを打つ手が止まらない。
『私は私で、彼女は彼女なんです。なのに皆、私を見てくれないんです。それが嫌なんです。明るい彼女と、暗い私。私には、誰も寄り付かないんです』
ずっと抱いていた悩みは、なぜか文字にすると止まらなかった。
ユウが文字を入力しようと『……』のマークを表示させても、恵令奈はずっと、生まれてずっと持ち続けていた悩みを吐き出すように──ユウに自分だけを見てもらうように、顔を隠し、表情を隠し、打ち明け続けた。
『○○ちゃんは明るいけど、私は暗いねって。勉強ばっかで、娯楽系を何も知らないから話も楽しくないって。……陰で、そう言われることもあるんです』
そして恵令奈が吐き出し続けると、ふと我に帰った。
『ごめんなさい。つい、感情的になってしまいました』
謝ると、止まっていたユウからの返事が届く。
『謝らないでよ。それほど、辛かったんでしょ?』
ただの言葉。
感情も、表情も、ユウがどんな気持ちで送ったかもわからない、ただの文字なのに、なぜか嬉しく感じた。
『俺はエリサと現実でも知り合いってわけじゃないから、正確な事は言えない。だけどさ、俺はこうしてエリサと、毎日のようにゲーム内で話してるの、好きだよ?』
ただの文字。
なのにその文を見てると、恵令奈の頬が熱くなるのがわかる。
『その比較される相手が、現実では、明るくて話が面白い人なのかもしれないけど、エリサしか知らない俺にとっては、エリサは明るくて話が面白くて──いつも俺なんかの愚痴を聞いてくれる、優しい人だって思ってるよ』
『……ありがとう、ございます。──もし、私とその比較される相手が、ユウさんと同時に知り合ったとしたら、ユウさんは……』
入力しようとしても、最後の文字が打てない。
聞いてみたい、聞きたくない。だけど聞いてみたい。
初めて、有紗よりも自分といて楽しいって言ってくれた彼に。
『……私と彼女、どっちを選んでくれますか?』
文字を入力して送る手前で止まっていたが、恵令奈は目蓋をギュッと閉じて、彼へ送った。
愛の告白のようなことをして、期待から鼓動が高鳴っているのか、はたまた、突きつけられる現実が怖くて苦しいのか、恵令奈にはよくわからない。
どちらにしろ、初めてと云える苦しさに襲われてるのはわかる。
返事まで間が空くのが辛い。
キャラの頭上の『……』を見るのが辛い。
待つ時間が、欲しい言葉が、来ないのが辛い。
──ピコン!
だけど届いた返事が待たされれば待たされるほどに、幸せな喜びに変わることを、恵令奈は今日、初めて知った。
『言っただろ。俺はエリサと話すのが好きなんだって。こんな駄目な大人の悩みや愚痴を毎日のように聞いてくれるの、世界中で多分、エリサだけだからね』
ただの言葉や文字だったはず。
なのに恵令奈は生まれてこれまで、こんなにも嬉しく思ったことはないかもしれない。
どうしてこんなにも、嬉しいのだろう。
本名も、顔も、見た目も、性格も、何もかも知らない相手なのに、どうして自分は──そんな彼に恋をしてるのだろうか。
「きっと、自分のことを何も知らない、ゲームの中での相手だから、こんなにも嬉しいんですね……」
ゲームと現実での性格は異なるとはよく言われている。けれど、毎日のようにやり取りをしてると、隠そうとしても次第に相手の本当の性格がわかってしまう。
少し子供っぽくて、よく見栄を張ろうとして、全然大人の男性とは思えない彼。
だけど優しくて、話しやすくて、なんでも打ち上けてくれる温かくなれる彼。
顔を見なくても、彼が良い人だというのはわかる。
そんな彼に言われて、嬉しくて堪らない。
──だけど同時に。
もし有紗とも彼が知り合えば、同じことを今のように言ってくれるだろうか?
という不安も生まれた。
これまで全て有紗に奪われて、今のこの、温かい気持ちまで奪われたら──。
気付いたら、恵令奈はキーボードを入力していた。
『私も、ユウさんからのお悩み相談、大好きです!』
それに対して返事がすぐ届く。
『そう言ってもらえるのは嬉しいけど、女の子に悩みや愚痴を吐かない、カッコいい大人になりたいんだけどね』
『ふふっ、今のままで十分ですよ』
彼は気付いてないのだろう、恵令奈の気持ちを。
恵令奈を変えたことも、恵令奈が彼に向ける気持ちも。
何も。何も何も何も。知らない。
だけど今はいい。
今はこのまま、真っ白な壁紙に、黒線で描かれた特徴の無い彼との会話を楽しもう。
「話して落ち着けるんだから、それで……」
ずっと劣等感に蝕まられた里美恵令奈は、初めて恋を──顔も知らない相手にした。
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