第7話 ご馳走への誘い
次の日から、優斗の日常は少しだけ変わった。
──ピコン。
朝の7時より2分前。
優斗は普段のアラームとは違う、メッセージアプリの着信音で目を覚ました。
優斗のスマートフォンが朝早くから──というよりも、普段から音を鳴らすことは珍しい。
あるとしても会社の同僚から仕事の連絡か、地元の友人からの連絡しか来ない。
「……ん、なに?」
寝ぼけながらスマートフォンの画面を確認する。
すると、そこに表示されていたのは、恵令奈と有紗からのメッセージだった。
『おはようございます。今日も仕事だと言っていたので、目覚まし代わりにメッセージしてみました!』
『おはよー! ユウくん、起きてる? 学校に行く前に、モーニングコールしてみたよ! 起きてなかったら、起きて!』
二人ともがモーニングコールだった。
優斗は画面を見ながら、少しだけ口元が緩む。
「モーニングコールなんて、俺が一人暮らしするとき以来か。母さんからの」
そんなことを考えていると、次はアラームの大音量で一気に目を覚まされる。
それから優斗はシャワーに入り、軽い朝食を済ませて、着替える。
その間も、二人とのメッセージのやり取りはしていた。
優斗のスマートフォンは、言うなれば持ち運びできる、ただの電話機だった。
携帯電話なのだから当たり前なのだが、優斗は、スマートフォンを通話用にしか使わない。
特に仕事の日なんかは、朝少しネットを見て、夜帰ってから少しネットを見るぐらいで、SNSやゲームなんかのことには使っていない。
「スマホも仕事ができて喜んでる、のかな……?」
ピコンピコン鳴り続けるスマートフォンに苦笑いを向け、優斗は会社へと向かった。
その道中も、二人とのやり取りは続いていた。
今までゲーム内でやり取りしていたのは《エリサ》であって、恵令奈でも有紗でもない。
もちろん日時で交代していた二人のどちらかなのだが、それでも二人ではなく、どこか踏み込んだ内容の会話ができなかったエリサだ。
なので優斗はやり取りしていて『あー、二人とも部活してるんじゃなくて、してるのは有紗だけなんだ』だとか『恵令奈の成績って学年で一番なんだ』などと。
ゲーム内で教えてもらい知ってはいたが、どっちのことを指したことだったのかを初めて気付くことが多かった。
そして、優斗は仕事が始まり、恵令奈と有紗は学校が始まった。
メッセージのやり取りは有紗のみ続く。
ただ文章の長さは明らかに短くなり、返事がくるのもだいたい10分後ぐらいだ。
『授業中にスマホ使っていいのか?』
『うん、大丈夫だよ。バレなければねっ!』
どうやら有紗は器用に立ち回っているようだ。
恵令奈からの返事は、いつも45分から55分までの10分間で届く。
おそらくは、授業が終わり次の授業が始まるまでの休み時間にしてるのだろう。
逆に恵令奈からメッセージが届く間は、有紗からメッセージの返事が来ることはない。
きっとクラスメートと談笑してるのだろう。昨日の恋愛映画についての会話をすると言っていたから。
──恵令奈も友人と恋愛映画の話はしないの?
優斗は恵令奈に聞こうとして止めた。
恵令奈の学校での立ち位置について、なんとなくではあるが優斗は気付いていたからだ。
──二人ともが少しでも自分とのやり取りで楽しんでくれたらいいな。
優斗はそう思い、仕事に支障が来さない限りで二人とのメッセージのやり取りを続けた。
ただ二人も優斗の仕事の邪魔をしたくないようで、仕事が始まったのだと気付くと連絡のペースを落としてくれたり、無理して返事しないでいいよ、と言ってくれる。
空き時間の使い道が、少しだけ楽しくなったと優斗は感じた。
♦
仕事が終わったことを二人に伝えると、真っ先に恵令奈から連絡が届いた。
『お仕事お疲れ様でした。私は家で宿題を済ませました。今日は、ログインできますか?』
優斗はこのメッセージを見て驚いた。
ゲーム内のチャットで会話してると楽しめる部分があった。
例えば、キーボードで文字を打って『……』マークが長くなると「あー、返事を考えてるんだな」と思ったり、周りのキャラクターが走り回ってる中、ただベンチに座って喋ってる自分たちのキャラを見てたり。
そんな何気ないゆるい雰囲気が、優斗は好きだった。
だけどスマートフォンを使ってのやり取りができる今、わざわざゲーム内で会話をする必要はなくなった。
だから二人とも、もうログインしてくれないのではないかと、内心、悲しく思っていた。
『ログインしてくれないかと思ってたよ』
そう伝えると、すぐに返事が届く。
『はい、もちろんです! 私は、ゲーム内でユウさんと知り合って、ほぼ毎日のように会話してました。なので、時間が合えばメッセージでのやり取りではなく、ゲーム内でお話をしたいです。それに、最初はキーボード入力が上達したかったので、このゲームを始めたんですからね』
あー、そっか。
優斗は納得した。
たしかに恵令奈──エリサは、ゲーム内で最初に会ったころに『冒険よりもキーボード入力が上手くなりたい』と口にしていた。
キーボード入力を今は上達したが、最初に出会った頃は、少ない文章を入力するのも5分以上はかかってたはずだ。
優斗は『わかったよ。帰ったらすぐログインする』と伝え家へと帰る。
そして家に帰るなり、ルーティーンと化した、缶ビールとつまみをパソコン台に置いて、優斗は《エンドレス・オンライン》を起動した。
最初に目覚める街で──
優斗は彼女の隣に座る。
『おまたせ、エ』
声をかけて思った。
画面越しに見えるのは、エリサだ。
けれど中の人物は、黒髪の落ち着いた雰囲気がある恵令奈だ。
どっちの名前で呼ぶべきなのか?
すると、途中まで入力した文字を送ってしまい、すぐにエリサの頭上に『……』の表示が浮かぶ。
『恵令奈でいいですよ? 他の誰かにチャットを見られることはないですから』
そう言われた。
優斗と恵令奈が行っているチャットは、いわゆる個別チャットなので、互いのチャット履歴は3日間だけ記録されるが、他のプレイヤーに覗かれることはない。
実名を出しても問題ないとわかり、優斗はキーボードを入力する。
『わかったよ。じゃあ、恵令奈で』
『はい、その方が、今度から私か有紗のどちらとやり取りしてるかわかるので良いかと』
優斗はそのまま、どこへも移動せず、恵令奈とのチャットを続けた。
呼び名が変わっても、以前までとは話し方や会話の内容は変わらない。
それから30分ほどチャットでのやり取りをすると。
『ところでユウさん、一つ聞いていいですか?』
『どうかしたの?』
『さっき仕事が終わって、今はお家ですよね? 食事は済んだのですか?』
そのチャットを見て優斗は、うっ、と表情を歪めた。
『夜はいつも缶ビールとつまみだよ!』というのは、大人としてどうなのだろうか? というよりも、かっこがつかないのではないか? そう思った。
返事に困っていると、恵令奈から再びチャットが届く。
『もしかして、私とチャットしていて食べられてないのですか? 迷惑でしたか?』
気をつかわせてしまったようだ。
優斗は慌てて返事をする。
『いや、今も食べてるよ!』
何も考えず送ってから、すぐにマズいと気付く。けれどもう送ってしまったので、恵令奈からは返事がすぐ届く。
『今ですか? 今日の夕食は何ですか?』
『……』
『何を、食べてるのですか?』
優斗の頭の何には選択肢が浮かぶ。
正直に答えるか、嘘を付くか。
ただ嘘を付いても、詳しくどんな食事かを聞かれたらバレる。
優斗は考えることを放棄した。
『……缶ビールと、つまみ』
そう答えると、恵令奈から怒涛のチャット攻撃が始まった。
『缶ビールとつまみ!? それは夕食ではなく晩酌ですよね!? ですよね!?』
『いや、それは……』
『もしかして、いつもじゃないですよね!? 今日だけですよね!?』
『いつもはちゃんと食べてるよ! 今日だけ! 今日だけだから!』
『ではいつも何を食べてるのですか!? 自炊してるのですか!? それとも外食ですか!?』
!と?が異様に多いのは、きっと恵令奈が興奮してるからだろう。前にもこんな風に雪崩のようにチャットが飛んできたことがある。
こういう時は大抵、彼女には本当のことを話さないと終わらない。
嘘を付いたところで、全く警戒していなかった方向から尋問に似たチャットが飛んでくる。
優斗は観念してキーボード入力する。
『いつも、です……』
『やっぱり! 駄目です、健康に悪いです!』
『いや、一人暮らししてまだ間もない頃は、自炊してたんだけどさ……。なんか、めんどくさくなっちゃって』
『それで、缶ビールとおつまみ、ですか? コンビニ弁当を毎日……というのも、あまり感心できませんが、それでもないんですよね?』
『うん、コンビニ弁当もカップラーメンも、最近はめんどくさくてさ』
『ただコンビニで買うか、お湯を注ぐかのどちらかですよね』
優斗は返事に困っていた。
すると、恵令奈のキャラの頭上に『……』が表示される。
『──わかりました。私が作ってあげます! ユウさんのご飯を!』
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