第25話 Brompton

「ブロンプトンはロンドンのメトロに持って乗るために開発された折り畳み自転車です。数分で小さなスーツケースほどの大きさに畳め、しかも余計な出っ張りがないという圧倒的な折り畳み性能を誇ります。今でも折り畳みに関してはブロンプトンに敵う自転車は少ないんです。正に折り畳み自転車の金字塔と言えますね。」


「ブロンプトンはウチでは取り扱えないんですが、国立くにたちの友達の店で扱ってますから見に行ってみたら、どうですか? 試乗車もあるはずですよ。」


これから国立まで行くのか、一美は面倒だと思ったが、この問題をさっさと解決したかったので、店長に礼を言うと店を出た。


バスと電車を乗り継いで国立の店に着くと、店長が連絡しておいてくれたのか、すでに試乗車が用意してあった。小径車は走行性能が落ちると店長は言っていたが、乗り出しがちょっとふらふらする様な気がしたものの、ふだん自転車に乗らない一美には、それほど気にならなかった。他にもアメリカの折り畳み自転車の有名メーカーであるダホンにも乗ってみたが、どれも不満はなく、ならば見た目が気に入ったブロンプトンにしたいと見積を出してもらった。


車体が約20万円、ワンタッチで取り外しができる純正のバッグが2万円、スタンドはオマケしてもらったが、それでもしめて税込25万円のお買い物である。


高いな。一美は一瞬悩んだが、クルマや原付バイクを買うよりは安いし維持費もかからない。何よりブロンプトンは人気で注文してから納車まで結構時間がかかる。一美はその場でお店の在庫であった6速のモデルを購入することにした。




一週間後にブロンプトンは納車され、まずは最初は歩いて行っていたパン屋にブロンプトンで行ってみた。慣れると半径10キロ位なら何ともなく走れるようになり、一美のパン屋巡りは一気に幅が広がった。


そのうち、一美はブロンプトン自体にも興味が出てネットで色々調べるようになった。ミニベロはマニアが多い.特にブロンプトンは熱心なマニアが多くSNSやブログで色々な情報が発信されている。中にはミーティングを主催している人もいて、多摩川沿いにある立川市の創造舎という施設で定期的に行われているミーティングに行ってみた。50台近くのブロンプトンが集まった光景はなかなか壮観だった。


ある日、一美はブロンプトンでいつものようにパン屋巡りに出かけた。そのパン屋は多摩湖自転車道沿いにあった。首尾よくパンを購入して、ふと気付いた。これが美戸たちがよく言っている多摩湖自転車道か。この先に多摩湖があるんだな。ちょっと行ってみるか。一美は走り出した。


最後の坂は少々大変だったが、それほど苦労なく多摩湖に着いた。おお、これが多摩湖か。こんな街中近くにダムがあるんだな。一美はちょっと感動した。まだ体力に余裕があったので、せっかくだから多摩湖を一周してみることにした。


坂道をえっちらおっちら登っていると急にガタガタと音がして、ペダルが重くなった。見ると後輪がぺちゃんこにつぶれている。パンクだ。


スマホでブロンプトンのパンク修理を検索すると、けっこう難しそうだ。それに何の部品も工具も持っていない。ついてないな。初めて多摩湖に来てみたらパンクとは。武蔵大和駅まで戻れば自転車屋があるらしいけど、そこまで歩けるかな? 一美は途方に暮れた。


「パンクですか?」


声をかけられて一美は顔を上げた。向こうから同じブロンプトンで来た同じくらいの年格好の青年である。初見ではない。この前の立川でのミーティングで見かけたような気がする。


「よかったら修理しましょうか? チューブは持ってます?」

「初心者なんで、何も持ってないんです。」

「大丈夫ですよ、僕のをあげます。道具もありますから。」


青年はかがんで作業を始めた。3段のハブギアと2段の外装変速を組み合わせた6速のブロンプトンは後輪を外すのに手間がかかる。青年はゆっくり丁寧に作業を進め、1時間ほどでパンク修理を終えた。


青年はパンク修理がきちんとできているか心配なので途中まで一緒に行くと言う。一美は彼の言葉に甘えて一緒に帰ることにした。多摩湖自転車道を戻り、空堀川に出たところで


「じゃあ僕はこっちの川沿いなんで、お気をつけて。縁があったらまたどこかで会いましょう。」


「あ、あの、チューブをお返ししたいので、連絡先を教えてもらえませんか?」


彼はちょっと驚いたようだったが、笑ってメールアドレスを教えてくれた。


次の週、思い切って一美は彼を誘った。


一美は彼と週末ごとに会うようになった。彼と一緒にポタリングをする。ある日は一美に合わせてパン屋を巡り、またある日は彼に合わせて神社仏閣を回る。カフェでブロンプトンについて語り、お互いのことを話した。青年はふだんは無口で一美の前では常に穏やかな笑みを浮かべている。ちょっと幸太に似てるな、一美は何となくそんなことを思った。彼はこの一見派手な美人の女性が実はつつましく堅実であるのを意外かつ好ましく思った。そしてふだん女性とあまり話すこともない自分がなぜあの時一美に声をかけたのか不思議に思うのだった。


そのうち彼がブロンプトンのメンテナンスをするという名目で一美のマンションにやって来るようになった。お返しに一美が美味しいパンをお裾分けしたいと彼のアパートを訪ねる。やがてブロンプトンの折り畳み性能を生かして二人で輪行で遠出をするようになり、どちらからと言うこともなく泊まりがけで、しまなみ海道に行こうとなった。もちろん泊まるのは一緒の部屋だ。


さて、これ以上書くのは野暮というものであろう。一美は本当に自分を愛してくれる男性に巡り会えたのだった。

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