第26話「彼女の言葉と先輩の助言」
26話「彼女の言葉と先輩の助言」
サッカーの練習の日。
秋文は、移籍についてチームに話そうと思っていた。承諾がおりれば、スペインへの移籍が決まるのだ。まずは、話しをしなければならない。
早めのトレーニングを終わらせて、監督のもとへと向かった。
しかし、そこにいたのは監督ではなかった。
「おはよう。秋文。」
「花巻先輩。どうして、ここに……。」
今日は足の調子が悪いのか、花巻は車イスに乗っていた。
花巻は、事故後もリハビリを続けていた。そのため、少しずつ歩けるようになっていたけれど、体調や気候によって、歩行が困難になることがあった。今日は、その日のようだった。
つい最近、秋文は花巻に話をしたいと連絡をしていたが、花巻から会いに来てくれるとは思っていなかったのだ。
「話があると言っていたのは、おまえだろ?」
「………もう予想はついてるんですよね?」
「あぁ。けど、俺の話は、おまえの予想してない事だと思うぞ。」
「え……………。」
「さ、行こう。監督には話をしてある。部屋は、ミーティングルームだ。」
事故の前、花巻が入る予定だったプロサッカーチーム。それが今、秋文が所属するプロチームだ。そのため、花巻とチームは関わりがまだあるようで、特にスタッフやチームメイトの会話から、よく花巻の話題が出ていた。
「さて、まずは秋文の話を聞こうかな。」
ミーティングルームは、もちろん無人だった。
車イスに乗った花巻の前の椅子に、秋文が座ると、花巻がそう話を切り出した。
彼はすでに秋文が話す事をわかっている。
そうとわかっていても、緊張してしまうのは仕方がない事だ。
秋文は、左腕にある腕時計をギュッと握りしめながら話を始めた。
「以前、スペインのチームに誘われていると話した時は、それは断ろうと思っていました。それに花巻先輩にもそう伝えました。」
「あぁ。そうだったな。」
「けど………やっぱり、スペインへ行こうと思い直したんです。今更だし、我が儘かもしれないんですが、俺がやりたいことはサッカーだったって気付いたんです。会社を起業したけど、海外でのサッカーが出来るのは今しかない、貴重なチャンスなんだって。」
秋文は、しっかりと花巻を見据えて気持ちを伝えることが出来てた。自分が考えている事が、すらすらと口から出てきたのは、きっと左腕にある腕時計のお陰だな、と秋文は思った。
「大切な人と会えないのも、せっかく起業した会社にも、関われる時間が少なくなってしまいます。けど、その時間は帰ってきてから、もっと大きなもので返せると思うんです。だから………少しの間、花巻先輩に会社を託してもいいでしょうか?」
秋文がそう言うと、花巻は真剣な表情で秋文をじっと見つめた。それから、ゆっくりと車イスを押して秋文の目の前にくる。
「それは、おまえが決めたことなんだろう?」
「………恥ずかしいですけど、千春に背中を押されてやっと気づいた事なんです。」
「けど、最後は自分で決めたんだ。」
「はい。……そうですね。」
秋文は恥ずかしそうに苦笑をする。
すると、花巻は腕を伸ばして秋文の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「わかった!俺に任せろ!」
「………花巻先輩。ありがとうございます。」
花巻の頼もしい言葉と、いつもの明るい笑顔でそう言われ、秋文はホッとした表情を浮かべた。そして、深くお礼をして頭を下げた。
すると、花巻は「ま、かっこつけられるのはこれぐらいだけどな。」と言った。
秋文は何の話かわからず、不思議そうな表情のまま顔を上げた。
「スペインの話を断ったとおまえが言った後。秋文の決めた事だし、会社の事もあるから仕方がないのかと思ってたけど。せっかくのチャンスをこんな形で無駄にしていいのか………。と、ずっと考えてたんだ。」
「花巻先輩……。」
「俺はサッカー出来なくなった事に遠慮してるのか、それとも会社を本気でやっていくのか。いろいろ悩んださ。」
「それは………!」
「わかってる。おまえが、そんな奴じゃないってことも、会社は本気でやってるって事も。」
秋文が慌てて立ち上がろうとするのを、花巻は「落ち着け。」と言って止めた。
そして、秋文がゆっくりと椅子に座り直すのを見てから、また笑顔のまま秋文を見つめた。
「この前、俺のところに千春ちゃんが来たんだ。」
「えっ………。」
秋文は、目を大きくして驚いていた。
それを見て、「予想してなかっただろ?」と、花巻は笑った。
確かに、秋文の予想は大きく外れていた。何か条件を付けられると思っていたけれど、そうではなかったようだ。
それよりも、千春がわざわざ花巻に会いに来たのは、きっと自分の事だろうとわかった。
彼女が、どんな話をしたのか。
それが、とても気になった。
「気になるだろう?」
「………気になりますよ!冗談でも、俺に惚れたって言ってたとか言わないでくださいよ。」
「………なんだ、バレてたか。」
「花巻っ!」
秋文の焦る気持ちを知っていながら、なかなか話そうとしない彼に、秋文は苛立っていた。その様子を見て、花巻は面白そうに笑っていた。
それを秋文が一睨すると、花巻は苦笑しながら、やっと話を始めてくれた。
「10日ぐらい前に、久しぶりに電話が来たんだ。話したいことがあると言われて、用事もなかったからその日のうちに会うことになったんだ。昔も可愛かったけど、今は大人の色気もあって、綺麗になったなぁー。よかったなー、誰かと結婚しちゃう前に付き合えて。」
花巻も学生の頃から秋文が千春に片思いしていたことをもちろん知っていた。というか、気づいていたようだった。
「無駄話はいいですから………早く話してください。」
「おまえは本当につれない男だなー。……千春ちゃんは、会ってすぐに秋文がスペインへの移籍を断ろうとしている事を話していたよ。」
「…………。」
「そして、秋文が日本代表になるのが夢で、今はそれを掴めるチャンスがあるのに勿体無いと思っている。会社を起業して、大変だと思うけど秋文をスペインへ行ってサッカーをさせてあげてください。って、深々とお辞儀をされてお願いされたよ。」
「千春がそんなことを。」
「俺も考えが足りなかったって思ったよ。海外でプレイ出来る事なんて滅多にない事だ。俺だったらすぐに飛び付いているだろうかな。だから、俺がわかったというと、千春ちゃんはとっても嬉しそうに笑って、ありがとうございます。って言ってたよ。そして、俺から話そうか?と言ったけど、千春ちゃんは自分でも何とかする。って、言ってたな。」
「……そうですね。」
秋文は、千春がいなくなったことを簡単に離すと、花巻はとても驚いた表情で「すごいことをやったなー。」と、何故か感心していた。
「秋文からその話をされたら、賛成してくださいって言ってたのはそのためか。……秋文。」
「……なんですか。」
「そんな事までして思ってれる彼女なんて、なかなかいないぞ。………大切にしてやれよ。今まで以上に。」
真剣な表情でそういう花巻だったけれど、秋文は顔を歪ませて苦笑するしか出来なかった。
「今は遠いところにいるんです。それに、今はサッカーを頑張ってるところをあいつに見せるだけですよ。」
「………あんな魅力的な女を、周りが放って置かないと思うけどな。」
その後、秋文がいない間の会社の進め方などを話して、花巻は帰っていった。「何かあれば時差関係なく電話するからな。まぁ、海外でも会社の製品をアピールしてくれればそれでいいよ。ボーナスアップを期待する。」と言ってくれた。
会社を任せるのだ。他になにか条件を付けてもいい程の仕事量になるだろう。それなのに何も言わない花巻はお人好しだと改めて思いながら、帰国してから沢山お礼をしようと決めた。
前から話していたこともあり、チームとの話し合いもスムーズに行い、来年度からはスペインのチームに所属することが決まった。
けれど、花巻の残した言葉は、秋文を不安にさせたのであった。
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