第30話「夢が叶った日」
30話「夢が叶った日」
恐る恐る見た日本のニュースサイト。
たった1つのサイトだけだったけど、千春はそれ以上は秋文のニュースを見れなかった。
そのページには、モデルの女性のSNSで「寂しいから追いかけてスペインに来ちゃいました。」という投稿があった事がきっかけだったそうだ。
もともと秋文とは噂があったところに、彼女の行動が恋人のようだった事から、ニュースになっているようだ。
そして、それに対して秋文は何も答えてないようだった。スペインチームが取材に応じないというのも書かれてあった。
出や立夏から連絡もあり心配してくれていた。「大丈夫だよ。」と簡単に連絡しながらも、頭の中は秋文の事ばかりだった。
そして、秋文から別れの連絡が来るのが怖かった。彼なら次にどんなメッセージが来るのか。
あの報道は嘘だよと言ってくれるのか。それとも「新しい彼女なんだ。」と紹介されてしまうのか。
信じたい気持ちよりも、秋文が離れていくのが怖くなり、千春は秋文の連絡先をブロックしてしまった。
『お疲れ様、世良さん。仕事終わりそう?』
『塚本さん、お疲れ様です。すぐ終わらせますね。』
『いいよ。待ってるから。』
千春は仕事帰りによく塚本と食事に行くようになっていた。
塚本に告白された後、気を使ってくれており職場の人達と数人で食事に誘ってくれた。
それからしばらくすると、2人だけでも行くようになってきたのだった。
この日は週末で、残業はしないでおいしいイタリアンのお店に来ていた。
「世良さんが英語上手なのは、ずっと習ってたからなんだね。」
「趣味だったので。でも、塚本さんも英語お上手ですよね。」
「ここに来てから必死に覚えたんだよ。」
恥ずかしそうに笑いながら話す塚本は、年上には見えないぐらいに幼かった。可愛らしい人だな、と男の人なのに思ってしまったのは、彼には内緒だ。
「だから、洋服買いに行ったりするときはまだ緊張しちゃうんだよね。」
「たしかに………私はこっちにきてからあんまりお洋服買ってないですね……。」
「そうなんだ。…じゃあ、明日とか一緒に買い物行かない?」
少し心配そうな顔で誘ってくれる塚本の顔を、千春はにっこりと微笑んで「ぜひ、行きたいです。」と答えた。すると、塚本さんは「本当に!?……ありがとう。嬉しいよ!」と、満面の笑みを見せてくれた。
秋文とモデルの女性と熱愛が報じられてから数ヶ月が経った。
秋文の事を忘れることは出来ないし、ネックレスもキーホルダーも外すことも出来なかった。けれど、少しずつ変えていかなくてはいけないと、千春自信は思っていた。
いつまでも秋文の事を引きずっては行けない。
次を考えてすすまなければ、と思っていた。
目の前の塚本さんは優しくて、千春を愛してくれていた。きっと一緒にいれば笑顔にしてくれる。幸せにしてくれるはずだ。
秋文を忘れるためには、誰かといたい。一人で過ごして忘れられるほど、千春は強くはなかった。
甘えてしまうのは悪い癖だと思っている。けれど、誰かに甘えないと寂しさはなくらないのだ。
よく考えてみると、誰かとデートをするなんて久しぶりだった。誰かのために洋服を選んで、メイクをして髪をセットする。
日本にいた頃は、よくしていたことなのに、こちらに来てからは全くなかった。
千春は、塚本の事を考えながら、デートの準備をした。気持ちが高まって来るのを感じ、「デート、楽しみなんだな。」と、ようやく自分でもそう思えてきた。
次の日のデート当日は、快晴だった。
若い人向けではなく、落ち着いた雰囲気の街を歩く。休日とあって、人々はゆっくりと歩いていた。
塚本は、千春を楽しませようと、いろんな店を案内してくれたり、自分の服を選んで欲しいと言ったりとしていた。塚本本人も楽しんでくれているようで、千春も安心してしまう。
「世良さんに選んでもらった服、なかなか自分では選ばないものだから、新鮮だったよ。」
「そうですか?………気に入って貰えたらいいんですけど。」
「気に入ったよ!明日から着たいぐらい!」
そう言って、服が入っている袋を見つめ微笑む塚本を見ていると、こちらも笑顔になる。おもちゃを買ってもらった子どものように喜んでいるのだから、選んだかいがあったと思う。
「あ、昼食も店を予約してあるんだ。そこでいいかな?」
「はい。いろいろ準備してもらって、すみません……。」
「いいんだよ。俺が誘ったんだし。」
そう言って、「こっちだよ。」と塚本が千春の手首を掴んだ。そして、引っ張るように歩き始めた。
千春は温かい熱を感じる腕をじっと見つめながら歩く。人肌を感じるのは、久しぶりで少し不思議な気持ちになる。
その視線を感じたのか、塚本は振り返ってから慌てて千春の顔を除き込んだ。
「ご、ごめん!つい手をつかんじゃって………。嫌だった……?」
「……いえ。そんなことはない、です。」
「じゃあ、このまま歩いてもいい?」
「はい。」
千春が、そう返事をすると顔を赤くしながら微笑んで「じゃあ、手繋ごうか。」と、手を繋いでくれた。先ほどより熱くなった手のひら。そして、真っ赤になった塚本。女の自分よりも照れている彼を見ていると、いつもの逆だなと思ってしまう。
誰かと付き合うときは、いつも千春がドキドキしていて、顔を赤くしていた。けれど、今は男である塚本が恥ずかしそうにしている。そんな姿がとても新鮮だった。
「ここだよ。」
「………和食ですか?」
「そう。日本の人がやっているお店だから、しっかりした和食が出るよ。」
竹で出来た引き戸のドアには、漢字で店の名前が書いてあった。もちろん、英語でも書いてあるけれど、漢字を見るとやはり安心してしまう。
日本人客は珍しくはないらしいけれど、それでも亭主は嬉しそうに日本語で話しかけてくれた。
いろいろな和食が少なめで出てくるので、何種類の和食を楽しめることが出来た。
「肉じゃがとか、サンマの塩焼きとか、おいしかったですー!」
「お刺身もよかったね。俺は鯖も久しぶり食べてなんか感動したよ。」
千春も塚本も、久しぶりの日本食をお腹一杯食べて満足をして、お互いに感想を伝え合う。
最後は、抹茶と和菓子も出るというので、それがくるのを待っている間、また話しをしていると、千春はお店にあったものが気になり、店員に「あれって、見せてくれますか?」とお願いすると、快く承諾してくれた。
「何をお願いしたんだい?」
「そこに置いてあったので気になって………。あ、ありがとうございます。日本の新聞があったんです。」
「えっ!?それは………。」
お店の人に受け取って、新聞の表紙を見る。
塚本が止めるのも間に合わずに、千春はその記事を見てしまった。
「………サッカー日本代表決定…………。」
そこには1面で今回の日本代表の選抜が決まった事が書いてあった。
千春はその選手一覧に視線を合わせる。
出や静哉の名前はある。MFのメンバーを見た瞬間。
千春は息を飲んだ。そして、目を大きくしたかと思うと、すぐに大粒の涙が流れてくた。
「………秋文の名前だ……。秋文、日本代表に選ばれたんだね。………よかった。よかったぁー。」
人目も気にせずに泣いてしまう。
そんな事を気にしている余裕すらなかった。
秋文の夢が叶ったのだ。喜んで感動しないわけがなかった。
ずっと頑張ってきたサッカーで、また秋文の力が認められて、そして、日本のチームに必要とされたのだ。
きっと、秋文も喜んでいるはずだろう。
そう思うだけで、笑顔になってしまう。
…………忘れたいと思っていた秋文の事。
けれど、忘れるはずもなかった。そして、忘れなくてもいいのだ。彼の笑顔も、彼への想いも。
それを気づけたときに、千春はずっと、悩んでいた事がバカらしくなるほど、晴れ晴れとした気持ちになった。
「………やっぱり知らなかったんだね。その新聞は、1週間ぐらい前のだよ。」
「え………そうだったんですね。ネットニュースと友達からの連絡も見ないようにしてて………。」
「そうだと思ったよ。でも、よかったね。一色選手。それに、冬月選手も。」
塚本には、ふたりが幼馴染みという事も話しをしていた。もちろん、秋文と付き合うことになった事なども。
「よかったね。」の言葉には、千春の幼馴染みとしての秋文をお祝いしているのだとわかった。
けれども、それでもよかった。
秋文が幸せならば、それでいいのだ。
ずっと、昔に秋文が千春を好きな気持ちを隠して、見守ってくれた。
次は千春が秋文を見守りたいと、決めたのだ。
恋人じゃないとしても、幼馴染みとして。
「ありがとうございます。きっと、秋文もよろこぶと思います。」
そう返事をして、運ばれてきた抹茶と桜の形をした和菓子を、うかれた気分のまま口に入れた。
涙を拭きながら食べた日本の味を、決して忘れることはないと、千春は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます