第19話「未来と影」






   19話「未来と影」




 話しが長くなるとは言わなかったけれど、千春は食器を片付け、コーヒーを出した。

 緊迫した話になるならば、少しでも体を落ち着かせた方が気持ちも楽になるかな、と千春は思ったのだ。用意したコーヒーを「ありがとう。」と言い、一口飲んでから、秋文が口を開いた。




 「高校の時のサッカー部の先輩で、花巻悠真先輩って覚えてるか?」

 「うん……あの優しくて面白い先輩だよね。確か高校卒業前にプロサッカーに入る事になってたけど……。」


 千春が思い出すのは、笑顔で気さくに「千春ちゃん!今日も俺の応援にしてくれたのかー!」と笑いガシガシと髪がボサボサになるぐらい撫でてくれる、そんな豪快な先輩だった。サッカー部では、出の前の部長でもあった。

 しかし、花巻先輩の事を思い出して、千春は言葉を濁した。忘れられるはずがなかった。花巻先輩のあんな姿を。



 「あぁ……プロサッカー入りが決まっていたのに、卒業直前に車にぶつかられて足を怪我した。そして、サッカーが出来なくなったんだ。」

 「うん。そうだよね………。花巻先輩は、元気なのかな?」

 「……先輩は相当なサッカーバカだったからな。少しでもサッカーに関わりたいと思ってたみたいで、いろんな事を考えたみたいだ。自分は何が出来るのかって。」

 「……そうなんだ。先輩らしいね。」



 卒業式に車イスで参加した花巻先輩は、他の誰よりも笑顔だったのを今でも覚えている。

 自分の夢が絶たれて、大好きなサッカーも出来なくなった。それなのにどうして笑えるのだろうか。


 無理しているのではないか。そんな風に思って泣いていた私を、「あー、泣かせてしまった。俺は罪な男だな。」なんて、冗談を言いながらも「新しい世界と新しい夢を見られるようになった。足を怪我してなきゃ、車イスの世界は見られないからな。」そう言って、またワシワシと千春の頭を乱雑に撫でて卒業いったのだ。


 そんな、考え方も生き方もかっこよかった花巻先輩。今、なぜ話の中に出てきているのか。理由はわならなかったけれど、あの先輩と関わる話なら安心して聞ける。千春はそう思った。



 「その先輩が、サッカーをする人達が思いきってプレイが出来るように、って、ジャージ、ユニフォームやインナー、靴とかを開発していたんだ。もともとあの人は頭も良かったからな。」

 「そうなんだ!すごいね、きっと素敵ものなんだろうねー。」

 「あぁ……それで、花巻先輩が俺にお声を掛けてきてくれたんだ。」

 


 嬉しそうに笑いながらそう言いながら、テーブルにあったスマホを持ち、何かを操作する。そして、千春に何かの画像を表示して千春に見せてくれた。

 そこには、真剣な表情でボールを蹴り、まっすぐ前を見る秋文の写真があった。いつもユニフォームとは違う、見たことがないジャージだった。



 「このサッカーしてるの、秋文だ。もしかして、このジャージが……。」

 「あぁ。花巻先輩が作ったものだ。先輩からお願いされた事は、俺が商品のモデルになる事だった。けど、もう1つ新しいことも決まったんだ。」

 「………新しいこと。」



 千春は彼が言った新しいことの検討がつかなかったので、首を傾げながら秋文を見た。

 すると、少しだけ微笑んでから、秋文は小さく息を吐いて言葉を紡いだ。



 「俺が会社を起業する事にした。」


 

 堂々と、そして誇らしく口にしたその言葉を聞いて、千春は驚いてしまい、言葉が出なかった。

 彼が忙しくしていた理由はこれだったのかと、すぐに理解出来た。

 けれど、彼がいつも悩んで疲れていたのは、これが理由なのかと思うと、少し疑問だった。


 起業する話をする秋文は、とてもイキイキとしているのだ。それなのに………。そんなモヤモヤを感じながらも、千春は彼の嬉しそうな言葉と表情を見ると、自然と微笑みが移ってしまった。



 「秋文が起業………すごい、ね。驚いた、………あっと、おめでとう!」

 「まだまだ始まってもいないけどな。」

 「だから、忙しそうだったんだね。でも、話してくれてもよかったのに。」

 


 そう言うと、秋文は少しだけ視線を逸らして、「それはさっき言っただろ。」と、恥ずかしそうに言った。



 「この会社が上手くいかなかったら恥ずかしいだろ。」

 「秋文と先輩が作る会社なんだから、そんなこと絶対にないのに………。」

 「千春がそう言ってたって聞いたら、先輩は喜ぶだろうな。」



 秋文はこの話をしたことで、肩の力が抜けたのか、先程よりも表情がにこやかになっていた。



 「先輩の助けになりたかったのが1番だけど、それに、おまえと付き合うことが出来てから、考えが固まったんだ。」

 「私……?」

 「サッカー選手は長い間出来るわけじゃないだろ。引退も考えなきゃいけない。その時に、サッカーでできる仕事をしたいとなると、すでに決めてあれば安心出来るだろ。……その、未来の話だけど。」

 「そんなことまで、考えてくれてたなんて……ありがとう、秋文。」



 秋文から少し先の事を初めて話をされた千春は、ドキリとしてしまう。お互いにいい年齢であるので、先の事を想像してしまうのは当たり前の事で、もちろん千春も彼との未来を考えていた。

 けれど、秋文がもっと先を見てくれていたことに驚き、そして安心した。秋文も考えてくれているのだと。


 けれど、サッカーをする事が大好きな彼がやめることを考え、そして会社を経営することが彼の望んでいる事なのだろうか。

 もっともっと上を目指しているのではなかったのか。千春は、それが気がかりで仕方がなかった。



 「秋文は、サッカーを続けないの?好きなのに……。」

 「まだまだやめるつもりはない。日本代表にももう1回なるつもりだしな。」

 


 秋文は千春の不安そうな顔を見て、安心させるように頭を撫でながらそう話してくれた。



 「まだ会社はスタートしないし、しばらくはモデルとか打ち合わせだけ出て、他の仕事は花巻先輩たちに任せるつもりだから。」

 「そうなんだ……少し安心したよ。秋文はサッカーが大好きだからプレイして欲しい。……また、忙しくなるなら言ってね。私もフォローするから。」


 

 今日みたいに、忙しいときに夕飯を作ったり、部屋の掃除をしたり、そんな千春にも出来ることをしてあげたかった。

 好きな人が夢に向かって頑張ってるのを近くで応援出来ることは幸せだと思う。

 けれど、先ほどから何かがひっかかるのだ。



 「さっきも話したけど、千春が傍にいてくれれば、何でも頑張れる気がするんだ。………おまえと付き合えるようになって、俺が甘えているのかもな。千春がいなきゃダメだな。……離れるなんて考えられない。」

 


 秋文には珍しく弱音を吐き、そして甘えてきていた。もう一度秋文に強く抱きしめられる。


 千春も、秋文と離れるのは寂しいし、ずっと傍にいて欲しいと願っていた。それで、飲み会でも立夏や出に相談したぐらいだ。

 秋文の言葉は、嬉しいはずなのに。

 



 素直に喜べず、彼の腕の中にいながらも、言い表せない不安とモヤモヤした気持ちを千春は感じていた。





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