第33話「すれ違い」






   33話「すれ違い」





 ここ数日の寝不足と、休み前に仕事を終わらせようと頑張っていたため、日本へ向かう飛行機の中で千春はほとんど寝てしまっていた。


 時差ぼけをしてしまうから、あまり寝ないようにしていたのに、我慢することは出来なかった。

 

 目覚める頃には、日本がうっすらと雲の間からみえていた。戻ってきたんだという懐かしさと、今から会えるだろう彼の事を考えると、少し怖くなっていた。


 ついたのは夕方過ぎだった。

 泊まるホテルに荷物を置いて、シャワーを浴びてから仕度をする。

 鏡を見ると不安からか顔が強ばっているのがわかった。

 


 「だめだ………。こんな顔じゃ、だめだよ。会ったら笑えるかな。」



 笑うことなんか出来ないとわかっている。秋文を見たら、きっと泣いてしまう。それもわかっていた。


 桜のネックレスをつけて、秋文の部屋の鍵と必要最低限のものを持って、ホテルの部屋を出た。

 電車で彼の部屋に向かうのも久しぶりだった。聞こえてくる言葉も日本語ばかりで、やはり安心してしまう。



 けれど、千春はその事よりも秋文と会った時に何を話そうかと、頭の中で考え続けていた。


 勝手に居なくなってしまった事を謝りたい。

 そして、自分勝手だけど秋文の事が好きだということ。秋文の気持ちを知りたい。




 その事を話せばいい。

 そう思うけれど、彼の顔を見たら話せるのだろうか。

 彼はどんな顔をするだろう。いつも通り優しく出迎えてくれるのか。それとも、怒っているのか。家にも入れてくれないかもしれない。

 同じ事をぐるぐると考えてしまってはダメだ、と千春は気持ちを持ち直し、首元のネックレスに触れる。



 きっと、大丈夫。

 秋文に、会って話せる。

 秋文に会いに帰ってきたのだから。








 秋文のマンションのエントランスに入ると、数年前も会った女性のコンセルジュが立っていた。千春を見つけると、にこやかに挨拶をしてくれる。

 千春もほっとしながら、頭を下げ挨拶をしてから、秋文の部屋の番号を押した。

 そして、小さく息を吐いてから呼びボタンを押した。


 秋文の部屋の鍵は持っている。けれど、勝手にいなくなった恋人が、鍵を開けて部屋に入るなどはもちろん出来ない。

 

 緊張した面持ちで、秋文が出るのを待っていた。すると、『はい。』という声が聞こえた。

 



 けれど、それは知らない女の人の声だった。

 自分が秋文の部屋の番号を間違って押したのかもしれないとも思った。けれど、慎重に押したのだ、間違えるはずもない。

 予想外の出来事に戸惑っていると、部屋の女が『もしもーし?』と声を掛けてきた。




 『秋文さんのお客さんですか?』

 「え………、いえ。ごめんなさい。部屋の番号を間違えたみたいです。」


 


 千春はそれだけ言うと、その場から逃げるように立ち去った。

 急いでマンションの敷地から出て、駅前まで小走りで向かう。




 「そう、だよね………。もう3年にもなるもんね。恋人がいるに決まってるよね。……もうここは私のくる場所じゃないだ。」



 部屋を間違いじゃなかった。

 女の人は秋文さんと呼んでいた。あの噂になったモデルの声なのかもしれない。

 

 秋文と話しをしたかったけれど、きっと彼はもう自分とは会いたくないはずだ。

 もしかしたら、自分の事なんて忘れてしまっているかもしれない。



 「あ………でも、秋文の鍵は返さなきゃな………。は、何やってるんだろう。私、少し期待しちゃってたのかな……。」



 ギュッと鞄を掴む。

 頬に沢山の涙が流れてくる。

 それを乱暴に手で拭くけれど、それが間に合わないぐらいに涙が溢れてくる。

 

 人が少ない夜の路地裏の道端で、千春はひとりで泣き続けた。






 









 ★☆★





 「いたっ…………痛すぎなんですけど。」

 「足を怪我したんだ。しょうがないだろ。はい、これは?」

 「っっ!もっと痛いですよ!」

 「はい。おしまい。」

 「ありがとうございました………。」



 秋文は、左足の脹ら脛を擦りながらベットから起き上がった。


 帰国してからすぐに、リハビリと治療が始まった。メディアに内緒の理由とあって通院が出来ないため自宅に人を呼んで治療をしてもらっていた。

 顔見知りの東という先生だったため、安心して診て貰う事が出来た。



 「あ、終わった?ご飯出来てるよー。」

 


 寝室からリビングに戻ると、キッチンで食事の準備をしていた女性が顔を出した。



 「美和子さん……ご飯まですみません。」

 「いいのよー!私が橘選手に会いたいってついてきただけだから。サイン貰ったお礼よ。」



 この明るい女性は東先生の奥さんだった。秋文のファンだから一目見たいと東先生にお願いされて、今日だけ家に来てきた。そして、わざわざご飯まで作ってきてくれていたのだ。


 

 「足はどうなの?」

 「もう少し安静にしてた方がいいな。アメリカに行くなんてもってのほかだ。もう少し経ってからにしなさい。」

 「………座ってるだけだからいいじゃないですか。」

 


 秋文は千春の勤務先を調べていた。海外は、韓国と中国、そしてアメリカに千春の会社があることがわかった。秋文は、すぐに千春はアメリカにいると思った。彼女は英語が得意であったし、アメリカに行ってみたいとも話していたのを覚えていた。

 だからこそ、治療の目的で帰国したけれど、バレないように千春に会いに行く予定だった。


 けれど、それを東先生は許さなかった。



 「同じ姿勢で何時間も座るなんて悪くなるばかりだ。明日は、病院で検査だぞ。」

 「わかってますよ。」



 東は、困った表情でリビングのソファに座った。美和子は、テーブルに次々に食事を並べていった。



 その時だった。

 来客を告げる呼び鈴が鳴った。

 秋文がそれに出ると、「久しぶりだな。」という、声が聞こえてきた。画面に写っていたのは、出だった。


 

 「すみません。友人が来てしまって……。」

 「出選手でしょ!?いいじゃない。一緒にご飯食べましょう。」

 「秋文君さえよかったら、どうぞ。」


 この夫妻はどちらもサッカー好きだった。

 そのため、東と美和子も喜んでいてので、出を部屋にとおすことにした。

 


 「あ、秋文君。そういえば、リハビリ中に来客があったわよ。」

 「え……誰ですか?」

 「女の子だったわよー。彼女いないって言ってたけど、もしかしてファンの子かしら?」


 

 心配そうに言う美和子の言葉に、秋文は少し気になってしまい、いろいろと質問をしてしまう。



 「どんな人でした?」

 「可愛くて、髪が長い女の子だったわよ。秋文くんぐらいの年だったかな。」

 「他には?何か言ってませんでしか?」

 「なんか、私が出たらビックリしてたみたい…………あ、この子に似ているわ。この写真の秋文くんの隣にいる子。」



 美和子が指差したのは、リビングにある写真立てだった。

 それは大学を卒業したときに四季組の4人で撮ったものだった。立夏が4人にお揃いの写真立てに入れてくれたのだ。「飾んないと怒るからね。」という言葉と共に。

 

 その中には秋文の隣で修了証をもって微笑む千春がいた。


 

 「っ、帰ってきたのか!?」

 「えっ、秋文君!走ってはダメだ。」


 秋文はそう呟くと、廊下を駆け出した。

 東が秋文を止めたけれど、秋文はそれを守っている余裕すらなかった。玄関に置いてあったスマホと車の鍵を持って、家を出ようとドアを開けた。

 すると、ちょうど秋文の部屋の前に到着した出と鉢合わせした。

 慌てた様子の秋文を見て、驚いた顔をしている。



 「どうしたんだ?来客中なんだろ………どこに行くんだ?」

 「千春が、千春が帰って来てるんだ!きっと勘違いしている、早く会わなきゃ……っっ!」

 「待て、落ち着け!」



 走り出そうとする秋文の肩を掴んで止める。

 それを振り払おうとするが、出は力強く掴んで離さなかった。



 「来客中なんだ。落ち着け。それに、千春がどこにいるのかわかるのか?あいつの家はもうないんだ。………この街中のホテルを探しまわるのか?その足で。」

 「………それは。」

 「電話は?」

 「………俺は避けられてブロックされてるから出てくれないんだよ。」

 


 その言葉を言うだけで、情けなくなる。

 

 千春と離れた当初は、毎日のように連絡をしていた。メッセージを読んでくれているのもわかっていたし、自分の気持ちを伝えていければいい。そう思っていた。

 けれど、返事のないメッセージを送り続けるのは、予想以上に辛かった。

 

 いつ返事をくれるのだろうか。

 もう千春は、自分の事を何とも思ってないのだろうか。彼女が犠牲にならないと、本当にやらなきゃいけない事がわからなかった、情けない男にもう会いたくもないのではないか。


 そして、返事を待つことから、いつメッセージを避けられるようになるのだろうか。


 そんな不安を持つようになってしまった。

 それを考えてしまうと、もうメッセージを送るのが怖くなってしまった。



 そして、恋人騒動があり千春に説明をしようとメッセージや電話をするけれど、それらは全てエラーになってしまったのだった。


 それから何度試しても同じだった。

 自分は千春に呆れられたのだ。そう思っていた。



 けれど、彼女は帰国して、この家を訪ねてくれた。

 友達として心配してくれただけかもしれない。


 理由は何でもよかった。

 千春に会いたい。話をしたかった。

 左腕につけている黒の腕時計をさする。

 

 秋文はこの時計を肌身離さずつけていた。

 練習や試合の時はつけれなくても、いつも持ち歩いていた。


 スペインで彼女に繋がれるもの。それは、この腕時計と思い出しかなかった。




 「………とりあえず、俺のスマホから連絡しろ。今、会ったってお互いに落ち着いて話も出来ないだろう。………千春だってすぐに戻らないだろう。会う約束だけでもしてみろ。」



 出はそう言うと、秋文に自分のスマホを渡して、先に部屋の中に入ってしまった。

 



 今の日本は冬。

 冷たい空気が秋文を包む。

 震えそうな指で、通話ボタンを押す。


 スマホに表示された愛しい人の名前を見つめるだけで、秋文は瞳に涙が溜まってくるのがわかった。





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