第5話「特別が欲しい」






   5話「特別が欲しい」






 秋文に告白されてからというもの、千春は彼を意識するようになってしまっていた。


 例えば、スマホの電話やメールが来る度にドキッとしたり、テレビでサッカーの試合を放送していると、ついつい彼を目で追ってしまったり。


 そんな自分に気づいては、冷静になるように深呼吸をしたりして、自分の気持ちを確かめようとしていた。


 今は、秋文に告白された事で気持ちが盛り上がっているだけなんだと、千春は思っていた。フッとした瞬間につい最近まで付き合っていた先輩の事を思い出しては切なくなってしまう。

 別れるときは、辛いことを言われたけれど、付き合って一緒にいる時間はとても優しくてたよれる先輩だった。甘やかしてくれたし、「かわいいかわいい。」と、頭を撫でてくれたりもした。

 そんな時間がとても幸せすぎて、今は辛い。

 忘れたくないけど、忘れたい。


 そんな気持ちがあって、秋文の優しい言葉にすがっているように感じてしまうのだ。

 そう思ってしまうと、千春は秋文が好きなのか、わからなくなってしまっていた。



 休み明けの平日の夜。

 秋文の所属しているチームの試合は休みだった。それを見ては、秋文から連絡があるかもしれないと、朝からドキドキしていた。


 しかし、今日は通っている英会話教室の日であり、帰りはいつも遅くなってしまっていた。


 秋文から連絡が来るだろうか。もし、また突然、千春の家を訪ねていて、秋文を待たせてはいないか。心配になってしまったけれど、約束をしているわけでもないし、彼に告白され返事を待ってもらっているのに、自分かこんなにも早く連絡するのは恥ずかしかった。

 自分の妙なプライドがイヤになりながらも、結局秋文に連絡をしないまま、英会話教室がスタートした。



 今日のレッスンは全く集中できずに終わった。







 「連絡なし、か。」


 英会話教室の部屋を出て、すぐにスマホをチェックするが、誰からも連絡は入っていない。

 



 秋文からも。

 もちろん、先輩からも………。



 寂しいな、そんな気持ちを感じてしまい、千春はどちらからの連絡を待っていたのか。

 それを深く考えないようにして、とぼとぼと賑やかな街を歩いてく。春になったとはいえ、スプリングコートが手放せない夜。千春は、ぎゅっとコートの前を手で握りしめながら、夜に溶け込むように一人静かに家を目指した。



 信号待ちで止まっていると、少し離れた場所に秋文と同じ車が停車していた。少しドキッとするけれど、その助手席には女性が乗っていた。

 別人の車だ、と思って視線を逸らそうとした時に、秋文がどこかの店から出てきてその車に乗ったらのだ。


 

 「秋文だ……。」



 呆然としながら、その車をただ眺めてしまう。綺麗な女の人は、秋文に笑顔で何かを話し掛けていた。秋文は何か言ったあとすぐに車を出して、千春の前からその車はあっという間に去っていった。




 「なんだ……。やっぱり特別じゃないんだ。」




 誰かの特別になりたい。

 それは千春がずっと思い、恋愛をしてきた理由だった。好きになってくれた人と恋をすればきっと、その人の1番になれる。そう思い続けていた。

 けれど、その1番の時期はいつも短くて、あっという間だった。

 何かあったとき、1番初めに思い出してくれる人。そんな運命のような人に出会いたかった。


 先輩も、秋文も特別にしてくれると思っていたけれど。

 やはり、違った。



 

 「遠征から帰ったすぐに来るって言ってたのに。秋文の嘘つき。」




 何故か泣きそうになった目から涙が溢れるのを必死に我慢しながら、千春は家へと急いだ。







 その次の日の昼間に、秋文から連絡が来ていた。今日の夜に会えないか、という誘いのメールだった。

 すぐには返事が出来ず、しばらく考えた後に「残業があるので、今日は会えない。」と返信をした。

 昨日の事が頭から離れず、冷静に彼と話せる気がしなかったのだ。

 残業なんて、本当はなかった。

 

 嘘をついてしまった事に罪悪感を感じながら、千春は帰路についた。



 すると、千晴のマンションの前に見覚えのある車が停まっていた。

 昨日も見た、あの車。助手席にあの女の人が座っていた、秋文の車だった。


 見つけた瞬間に、こっそりと逃げ出そうかとも思ったけれど、すでに遅く運転席のドアが開いた。




 「なんだよ、残業じゃなかったのかよ。」

 「………なんで、ここにいるの?」

 「おまえが帰ってくるまで待つつもりだった。」

 「……そう、なんだ。……ごめんなさい、嘘ついて。」



 罪悪感から、秋文の顔を直視出来ずにうつむいたまま彼に謝った。

 千春にとって、秋文は大切な友達だ。

 何があっても嘘をつくべきではなかった。話をしなければと、彼の顔を見た瞬間に後悔の念に駈られてしまったのだ。


 

 「気にしてない。とりあえず、車乗れ。」



 秋文は、助手席のドアを開け、千春に車に乗るように促した。



 「………いや。」

 「何でだよ。別に何にもしない。俺がおまえが困るようなことするはずないだろ。」

 「違う。そうじゃなくて……。」



 昨日の女の人が乗っていた場所。

 あの人が、秋文とどんな関係があるのかわからない。けれど、同じ場所に座ったら、同じ関係になってしまいそうに感じたのだ。


 秋文は真面目な人だ。きっと、あの女の人は彼女ではないはずだ。千春に告白したのに、別の女性と付き合う人ではないとわかっていた。


 じゃあ、何故二人きりになったの。仕事の関係ではなかった。女の人の化粧はとても派手で服装も見た限り胸元が大きく空いていたのでそう感じられた。

 遊びの関係なのか、友達なのか。

 本人に聞けばいいのに聞けない。

 ……何に怖がっているのかも、千春はわからなかった。



 「助手席に乗りたくない。」

 「………お前の、乗ったことあるだろ。今さら何言ってだ。」

 「…………そうなんだけど。」

 「いいから、早く乗れって。目立つだろ。」



 そう言って、秋文は千春の腕を掴んで助手席に座らせた。

 座った瞬間に甘い香りがしたように、千春は感じられて顔を歪めた。



 「おまえ、夕飯は?」

 「………今は食べたくない。」

 「わかった。とりあえず、移動するぞ。」


 

 そう言うと、秋文は車を発車させた。

 彼の運転はいつも優しい。車に酔いやすい千春も、秋文の運転だと酔う事はほとんどなかった。


 それなのに、今日は気分が悪い。

 早くこの場所からいなくなりたくて、千春は目をキュッと閉じた。



 「………おまえ、俺と一緒にいるの、そんなに嫌か?」

 「秋文………。」



 信号で車が止まる。

 秋文の言葉を聞いて、千春はハッとして彼の方を見ると、彼はとても悲しそうな顔をして千春を見つめていた。

 千春は、彼のそんな顔を見たことがなかった。そして、その原因が自分にある事がわかっているのに、上手く話が出来なかった。


 これは、告白を断るチャンスなのかもしれない。そんな風に思っているのに、言葉が出なかった。


 そのうちに、信号が変わり秋文はまた、まっすぐと前を見て運転を再開した。



 千春は、目的地に着くまでに秋文の告白の返事を決めなければ、と必死に考えていた。


 考える時点で答えは決まっていたはずなのに。

 どうして、まだ悩むのか。


 

 千春は、自分の気持ちに向き合えずにいた。





 

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